異世界学院の頂上を目指そう8
僕はスノウさんに助けられ、一目惚れした。
その瞬間から、僕の冷静さは根こそぎ失われ、彼女のことしか考えられなくなってしまった。
最近はカラミア様の派閥に入ったおかげで、気軽に談笑のできる同級生が増えた。
すぐさま僕は、その同級生たち相手にスノウさんについて聞き回っていた。
少しでも近づきたいという一心で、どこか浮かれて――彼女のことを調べて調べて調べ尽くした。そして、その最後に、数少ない心許せる友人たちにも相談する。
いつもの食堂のいつものテーブルで、ライナーとアニエスと向かい合う。まずライナーが僕の質問に戸惑いながらも答えてくれる。
「え? あのスノウ・ウォーカー様ですか? そりゃ、僕も知ってますよ。あの人は学院の中でもトップクラスの家柄を誇り、その上でトップクラスの問題児ですからね」
「どんな情報でもいいから、教えてくれ。僕は彼女の全てが知りたいんだ……」
「先輩、最近その人のことばかり聞きまわってますよね……。これ、先輩の打倒上位陣のおさらいですか?」
「うん。まあ、それも含んでるかな……?」
心奪われた僕だけど、当初の予定を見失っていはいない。
魔法道具の開発と生産には手を抜いていない。ただ、上を目指す途中、いつか恩返しとしてスノウさんを助けたいという気持ちがあるだけだ。
もちろん、それには並大抵の力では足りないとも理解している。
「ええっと、知っての通り、あの方は『学院決闘序列』での序列は例外の番外。同じウォーカー家の姉妹に一位のフィルティア様がいますね。名門中の名門の出なのですが、実子のフィルティア様と違いスノウ様は養子です。結構、複雑な家庭環境してますよ」
「養子なんだ……。それであの二人は似てないんだね」
「はい。うちのヘルヴィルシャイン家と同じです。……聞いてくださいよ、先輩。そのせいか、うちの姉様がスノウ様に興味を持ってしまって……最近、妙にちょっかいを出すんですよね。その度、フィルティア様に睨まれるのは僕なのに……」
話の途中、ライナーは自分の愚痴に移ってしまった。
彼からしても僕が数少ない心許せる友人となっていることがわかる反応だ。
ただ、いまの僕はライナーよりもスノウさんのほうが優先される。視線をライナーから移すことで、僕はアニエスにも問う。アニエスは少し思案したあと、慎重に話し始める。
「正直、『蒼き逆鱗』さんは学院の触れてはいけない部分の一つだよ。私も気になって昔に調べたんだけど……なんと、彼女の来歴は全て学院に抹消されてた。学院に入る前、ラウラヴィア国でギルドに入ってたって噂なのに、何もかもなかったことになってる。正攻法以外で勝ちたいのはわかるけどさ、彼女のことを調べ回るのは危険だからやめたほうがいいよ」
どうやら、スノウさんは番外と呼ばれるだけの深い理由があるようだ。
ライナーは役に立たなかったが、アニエスの情報通っぷりには本当に助けられる。
「アニエス、ありがとう。でも、スノウさんを諦めることだけは絶対にないよ」
「んー、さっさと借金を返したい気持ちはわかるけどさー。序列番外とかじゃなくて、先に一桁台を攻略すべきだと私は思うけどなー。スノウ様は学院だけでなく、連合国でも『最強』って噂があるし――」
「無理だよ。だって、こんなにも……。こんなにも僕は気になるんだ。彼女のことを考えるだけで、胸が熱くて……苦しい。これからの生活の為にも、このままにはしておけない……!!」
感謝をこめて、僕は友たちに隠すことなく自分の思いを伝えた。
それに二人は呆然と疑問符を浮かべる。
「え、先輩……?」
「ん、んんっ?」
二人の話を聞いて決意ができた。
ここは男らしくいくべきだろう。
「アニエス。忠告通り、もう調べ回るのはやめるよ。本人に直接会って、直接聞く――」
その言葉を最後に席を立ち、向かう。
ここまでの情報収集で彼女の居場所は大体わかっている。
この時間帯ならば、以前に助けられた屋上にいるはずだ。
心の高鳴るままに早足で歩き、僕は――辿りつく。そして、話しかける。同じ場所、同じ木の上で瞼を閉じていた美しい少女に。あの僕が一目ぼれをした青い髪の少女と話す。
「――スノウさん。この前のお礼を言いに来ました」
それを聞いた彼女は薄らと瞼を開ける。
体勢はそのままだが、気だるげに挨拶は返してくれる。
「……ん、ああ。この前の……、どうも」
「その、少しだけ僕とお話をしてもらっても構いませんか?」
「……私と? 私、スノウ・ウォーカーだけど……」
「知っています。僕はスノウ・ウォーカーと話がしたいんです」
はっきりと口にする。
ここへ来るまでに僕は、多くの噂話を聞いてきた。
その中にはスノウさんの悪口も含まれていた。軽い模擬戦で死者を出したとか、それを家柄の力でもみ消したとか、他の生徒たちをゴミのようにしか思っていないとか……色々な話を聞いた。
それでも僕は近づきたかった。
どうしても、この想いをそのままにしておけなかった。
だから、一歩、彼女に近づこうとして――一人の男に立ち塞がられる。
「――君か。最近、僕の婚約者をかぎまわっていると噂の新入生は」
金の長髪を靡かせる眉目秀麗の生徒。
その身に漂う気品から、顔は知らずとも名前が頭に浮かぶ。
彼こそが序列二位の『主席王子』『オーバーロード』、公爵家のエルミラード・シッダルクであると理解させられる。
「……っ!? なんで、エルが……」
スノウさんは僕の登場には驚かなかったが、彼の登場には動揺していた。
そして、愛称を呼びつつ、木から飛び降りる。それにエルミラードは答えていく。
「ふっ。先日、君が屋上で騒動を起こしたと聞いてね。よく話を聞いてみれば、一人の男子学生を助けるためだったそうじゃないか。そして、その男子学生が勘違いをして、暴走しかけているとも聞いた。……ならば、その暴走した男子から君を守るのは君ではなく、婚約者である僕であるべきだと思ったわけさ」
「え、あ、はい。……ええ? それでずっとそこに隠れていたのですか?」
「ああ。こうして君の危機に現れ、守るためにね」
「そう、ですか……。それは、その、ありがとうございます……?」
妙な関係の二人だと思った。
しかし、いまの僕にとって重要なのは一点だけ。
この誰が見ても王子様としか表現できない男が、スノウさんの婚約者だということだ。
その事実に僕はショックを受け、決意が揺るぎかける。
どこか、敵うはずがないという言葉が頭に浮かぶ。
それを見抜いているのか、エルミラードは冷たく言い放つ。
「単刀直入に言おう。君に彼女は相応しくない。それどころか、彼女と話をする権利さえもない。それは自分でもわかっているだろう?」
「それは……」
「なにより――新入生とはいえ、もうこの学院の陰険さは身に染みてわかっているはずだ。釣り合わない人間の交流は、互いに不幸を招くだけだと。仲良くなれたとしても、結局は先日のような出来事が繰り返されることになる。……諦めろ」
その言葉と共にエルミラードは身から濃い魔力を放った。
それは魔法ではなかったが、僕の身体を竦ませるには十分な代物だった。
目を逸らし、膝を突き、心が折れそうになる。
しかし、それは僕にとって諦める理由にはならない。絶対に。
「……退けません」
僕は睨み返し、全身に力をこめて、強く言い放った。
それをエルミラードは興味深そうに観察する。
「ほう……。レベルは1。それも補助特化の錬金術師と聞いたが……」
どうやら、彼は僕のことを調べ上げているようだ。
エルミラードの少しだけ緩んだ顔が引き締め直され、さらに恫喝は続く。
「すまないが、君の意見が通ることはない。諦め、忘れろ。……これは君の為でもあるんだ。君は君が思っている以上にデリケートな立場にいる。いいかい? こうして、ここで三人が話していることさえも――」
さらに身体を圧する魔力は濃くなっていく。
彼が穏便に話を済ませようとしているのがわかる。
何もかも王子様が正しいとわかる。
わかる――けれど!!
「それでもっ、僕は運命を感じたんです! この前、スノウさんに助けられたとき! そのときからずっと……! この胸がっ、この鼓動がっ、収まらず止まらない! ここで退けば、それは僕の心臓を止めるのと同じ……! 同じなんです!!」
この想いだけは裏切れないと叫んだ。
「一目で……運命だと? くっ――!」
その気迫に押されたのかわからないが、エルミラードは唸り、顔を緩ませ、一歩後ずさった。
もちろん、すぐにまた顔を引き締めなおして話を続ける。
「その気持ちはわかる。しかし、現実には想いだけではどうにもならないことがある。この学院での生活だけの話ではない。スノウ君の抱える問題は――深い。大貴族ウォーカー家の闇から始まり、この連合国全てを揺るがす問題だ。それと戦うには……そう、『英雄』でなければ無理だろう。その覚悟が君にはあるのか? 僕でさえも届かない『英雄』を目指す覚悟が、この学院の落ちこぼれである君に……!!」
「あります! 確かに、いま僕は弱いでしょう! けど、いつか僕は彼女よりも強くなる! なってみせる! 絶対に! 彼女を守ってみせる!!」
「しかし、彼女は『最強』だ! 連合国が誇り、隠す、最後の切り札! 学院で歴代最強の魔法使いと言われる僕よりも強い! 決闘において、彼女を打ち倒せる存在など思い浮かばないほどに! それでも、君は守ると言うのか!?」
「守ります! 助けられた恩はっ、助けることで返す!!」
「それはつまり、ここにいる僕に決闘で勝ち、スノウ君にも勝つということか!? 序列の頂点に立つということだぞ!」
「はい! もとよりそのつもりでした! 年中には必ず!」
「年中か! 君っ、いいなあ!!」
即答し続ける僕に、とうとう彼は喜びの顔を隠すのをやめて、なぜか近づいて握手をしてきた。
強く僕の両手を握り、真っ直ぐ僕を見つめるエルミラード。
それに僕も負けじと見つめ返してしまう。
どうしてこうなったのかわからないが、なんとなく退けない流れとなった。
僕たちは二人、凄い至近距離で見詰め合ってしまう。
その流れが意味不明だったのは僕だけでなくスノウさんも同じようで、口を挟む。
「……ま、待って。待って待って。そもそも、私は誰とも話す気はない。そういうのは面倒くさい。そこの人、お礼はいいから。もう私に関わらないで」
「スノウ君、それは余りに冷た過ぎないか? 見込みのある彼と話くらい、いいじゃないか」
「え、ええ……? エル、さっきと言っていることが違いませんか……?」
まさかの婚約者さんからの援護射撃を貰う。
エルミラードは呆然とするスノウさんを置いて、嬉しそうに僕だけを見て、宣言する。
「おっと、そんなことよりも……。――いいだろう、未熟で愚かながらも心は熱き新入生カナミよ。餞別として、この序列二位エルミラード・シッダルクに決闘を挑む権利をくれてやろう。多忙の身だが、友ならば時間を割くことを僕は惜しまない。そして、もし僕に勝つことができたのならば、そのときはスノウ君に近づくことを認めよう。婚約者である僕が直々にな」
「……ありがとうございます。あなたに勝って、スノウさんとお近づきになる権利を堂々と得てみせます」
「……ふっ。ふふふ、ふふ。僕に勝つ、か。ふふふ――」
そして、何をしに来たのかわからないエルミラードは笑いながら屋上から去っていく。
それに合わせて僕も別れの挨拶を憧れの少女にかける。
「スノウさん、今日はこれで。どうか待っていてください、次会うときまでには必ず……!」
必ず、あなたに相応しい強さを手に入れる。
先ほどのエルミラードのやりとりのせいか、いつの間にかそれを僕は心に誓い終えていた。
まだ彼女の隣に立つに相応しくないという悔しさを胸に、僕は屋上から去っていく。
もっともっと強くなるために一秒の時間も無駄にできない。
帰って、魔法道具の開発を再開させないと……。
もう二度と誰にも決闘で負けないために……!
――という一幕を終えて、スノウ・ウォーカーは屋上に一人取り残され、呟く。
「……な、なにこれぇ。……うぅ、二人とも苦手だ。サボり場所を変えないと……」
スノウはエルミラードを苦手としていたが、それと同じほどにカナミという新入生が苦手となった瞬間だった。
こうして、カナミはスノウに避けられるようになる。
さらには、
「カ、カナミ君……。どうして……」
その一部始終を屋上の隅で、カナミの雇い主であり片思い中であるカラミア・アレイスが目撃していたのだ。
――そして、これを機に彼女は生まれ変わる。
その生まれ持った大きな支配欲の方向性が変わり、カナミのスポンサーから最大の障害へと変貌する。
それはカナミの『学院決闘序列』が本格的に始動する瞬間でもあった。
なんだこれ