12-1.一方その頃、フランの部屋にてライナーは(六章裏のライナー、フランリューレ)
迷宮六十六層から地上に帰還したのが数日前。
『本土』に向かったキリストとティティーの二人と別れ、いま僕は――ライナー・ヘルヴィルシャインは、連合国に滞在している。
一番の目的は主の想い人の護衛だが、四六時中ラスティアラに付きっ切りと言う訳にもいかない。
ときには、思いがけない用事などがあって、やりたくないことを強制させられることもある。
それは騎士としての任務だったり、貴族としての義務だったり、色々だが……この日は全く別の義務が発生して、困り果てていた。
「――では、ライナー! お話をしましょうか! 離れていた一年分を、じっくりとたっぷりと! 特に、カナミ様の近衛をしていたという話を! 姉弟仲良く!」
ヘルヴィルシャイン家次期当主のフランリューレ姉様による家族団欒ならぬ異端審問が、弟の義務として発生していた。
正直、こうなるのは薄々とわかっていたので、ずっと逃げ回り続けていたのだが、とうとう僕は姉様の自室まで連れ込まれてしまっていた。この一年で強くなった僕だが、知人の貴族や騎士達を動員されるとどうしようもない。
「仕方ありません。ここまで追い詰められた以上、話をするのは構いませんが……」
姉様の自室は、非常に落ち着かない。
物置小屋同然だった僕の部屋と違い、高そうな香が焚かれ、ありとあらゆるものが煌びやか。調度品一つ壊せば、僕の給料一か月分など簡単に吹っ飛ぶことだろう。さらには芸術面の主張も激しく、彫刻といった美術品が博物館の如く並び、壁には一定間隔ごとに絵画が……、あれ……?
風景画好きの姉様の部屋に、人物画が――
「げっ――!」
「あら? 流石、我が弟ライナー。目の付け所がよろしい。それは中でも傑作ですわよ」
黒髪黒目の『英雄』様の姿が、そこにはあった。
正確に言うと、巷では嫌がらせ並に長い名前で呼ばれている我が主キリストの絵画が飾られていた。
こ、これは『舞闘大会』の試合を再現した絵だろうか……? まつげ、長っ!!
「それは、騎士として初めてお給金を頂いた記念で、有名画家に描かせたものですわね。他にお金の使い道がありませんので、お給金が出る度に頼んでいると……、こうなってしまいましたわ」
その言葉通り、ずらりと並ぶキリストシリーズ。
あの『舞闘大会』全試合の光景が、かなり誇張して描かれている(姉が注文の際に余計な要望を出したのだろう)。変なところのお得意様になっている姉に、僕は呆れ果てた。
こんなものを眺めながら、私生活を過ごしてるのか……。
これでは、どれだけ姉様とキリストを離しても無意味な気がしてくる。というか、あれでキリストは恥ずかしがり屋だから、この部屋に入ったら絶叫するだろうな。
……少し見たい気もする。
「ライナーもカナミ様の絵が欲しければ、劇場船ヴアルフウラに行くといいですわ。あそこのお店なら、待ち時間なく、簡単に絵が手に入りますから」
「え? これみたいなのが、普通に売ってるんですか? 一般の売店で?」
「流石に、ここにある特注品よりは格が落ちますが、たくさんありますわよ。いまや、劇場船の目玉商品と言ってもいいくらいに、カナミ様グッズは品揃え豊富ですから」
カナミグッズって……。
よく部屋を観察すれば、それらしき物が見当たった。
遠くの壁に掛けられている観賞用らしき剣は、決勝戦で使用された『クレセントペクトラズリの直剣』『アレイス家の宝剣』の模造品ではないだろうか。他にもペナントとかメダルとか、それっぽいのが結構ある。その果てに、部屋のテーブルの上に本が重ねて置かれているのを僕は見つけてしまう。
「小説……? いや、演劇舞台用の脚本? タイトルは『英雄カナミの舞闘大会』――」
「ずっと連合国から離れていたせいで知らないようですわね! それは世界各国で知らぬ者はいない名作! 何度も再演され続けている大ヒット演劇の脚本ですわ!」
「な、なるほど。これは酷い。……しかし、監修・構成・演出がエルミラード・シッダルクってなっていますね。あの人、キリストに負けて恨んでいるだろうから、脚本が正確じゃないのでは?」
「いえ、そういう仕返しめいた捏造は、ゼロでしたわ。私が検分したところ、完璧も完璧。流石、シッダルク卿ですわね。試合を見逃した市民からの声に推されて、仕方なく動いたという話でしたので最初は不安でしたが……彼の仕事ぶりは、いまや尊敬しかありません」
どうやら、改竄して悪評を広めるような真似はしていないらしい。
ただ、そのフェアで紳士的なところが、逆にキリストへの嫌がらせになっている気もするが……。
そんなことを考えつつ、ぱらぱらと本を捲っていると、姉様が口を出す。
「ライナー。それは持ち帰って、ゆっくり読むといいですわ。差し上げます」
「え、いいのですか? 実は、ちょっと欲しかったんです」
僕は姉さまと違って、ローウェンさんを推して――というより、剣の師として見ているので、あの人の決勝戦の言葉を好きなときに読み返せるのは有難い。普通に嬉しい。
「遠慮なく。それは布教用ですわ」
そう言いつつ、姉様は近くの棚を空けて、その中に何十冊も予備があるのを見せた。
我が姉ながら、少し引く。
「なにより、もうわたくしは名台詞を全て暗記していますわ。準々決勝だと、あれですわね……。『彼女の愛は僕にある! スノウ・ウォーカーと婚儀を交わしたいものがいるなら、この僕を倒してからにしろ! この剣が掲げられている限り、誰も彼女と結ばれることはない!』。あー、っはーーーーー! やっぱり、いいですわね! 望まれない政略結婚を許さないカナミ様! 最高っですわ!!」
いつかのキリストの黒歴史だ。
これを劇場でプロ達が毎日何回も繰り返しているのか。
この部屋の絵画も含めて、キリストに聞かせてやりたい。
記憶が戻ったとき以上の絶叫を、ここならばリアルで聞けそうだが……、ぐっと我慢をしておこう。
「女性貴族の間で、カナミ様は本当に大人気ですわよ! そして、だからこそ! こうして、カナミ様の近衛をしていたというライナーを呼んだのです! その本を差し上げる代わりに、何かカナミ様ゆかりの物を寄越しなさい! もしくは、ここだけのカナミ様の秘話とか! 誰よりも先に、この姉であるわたくしに!!」
「もう形振り構わなくなりましたね、姉様。ただ、そう言われましても……」
秘話は無理だ。
例えば、千年前の元妻を名乗る女性が現れたと話せば、姉様はショックで昏倒することだろう。
何か、キリストから貰った雑品でもあればいいと懐を探ったが、そう都合のいいものはない。もしあるとすれば、それは――
「貰ったものは大体、その場で使いますからね……。この服とかは、除いて――」
それは身に着けている物ばかりだと、ぽつりと僕は零してしまった。
「は? ……は? も、もしや、この一年で新調されたあなたの装備……」
それを聞いた姉様は、僕の『コールアウター』『アルルコンフェイス』を指差した。さらに腰の『ヘルヴィルシャイン家の聖双剣』『シルフ・ルフ・ブリンガー』も見て――
「では、ライナー。いますぐ、剣を取り替えましょうか。わたくしのは我が家に伝わる伝説の剣ですわよ」
「……だ、駄目です。というか、それ。当主の証的なやつでしょ。絶対に駄目です」
「まあっ。つまりは無条件で頂けると? 我が弟ライナーはわかっておりますこと」
「いや、駄目ですって! ほんと駄目ですって!」
「ライナー、我が家のルールをお忘れ? 弟のものは姉のものぉ――!!」
「――ワ、《ワインド》!!」
じりじりと近寄ってくる姉様の目は本気だった。
剣どころか、身包み剥がされそうになり、僕は全力の風魔法で逃亡することになる。
――こうして、ヘルヴィルシャイン家に戻れない理由が、また一つ無駄に増えてしまう。
ただ、それでも一年経っても相変わらずの姉様と話せて、良かったと僕は思う。
かつて姉弟でありながら心が遠く離れていた『理を盗むもの』二人、アイド先生とティティーに想いを馳せつつ、いまここにある幸せを噛み締めていく。




