10-3.『楽園』の門番が採用された日(千年前のティティー、アイド)
それは遠い昔の話。
千年前の北の果て、とある草原を生きた姉弟の話だ。
その類稀な運命に姉弟が巻き込まれる前、二人は『統べる王』にも『宰相』にも引けを取らない大冒険を繰り広げていた。
その物語の中には、命を落としかけるような危険な類も少なくはない。
そして、姉ティティーの生まれ持った能力ゆえに、動物やモンスターに関わるものが特に多かった。
――今回の冒険は、その中でも代表的な一件となる。
北のヴィアイシア国に広がる大草原で、馬車が一台凄まじい勢いで走る。
そして、その隣には一匹の巨大な怪鳥が飛んでいた。
毛並みは血のように赤く、嘴は歪な形で、喉奥より漏れる声は禍々しい。
間違いなく、動物よりもモンスター側に寄っている生物だ。
だが、その怪鳥の瞳は、姿に似つかわしくないほどに穏やかだった。『魔の毒』によって変異した動物特有の強い殺意が、その瞳にない。理由は、怪鳥の背に乗る少女の声だった。
「よーーっし、ありがとうの! あとは、この童に任せよ!」
翠の髪の少女ティティーは、怪鳥にお礼を言ってから跳躍する。
そして、走る馬車の目の前に降り立ち、その超人的な肺活量で叫ぶ。
「――止まれい!!」
その一言が草原に響き、馬車は急停止を始めた。
乗っていた御者が制止をかけたわけではない。
ティティーの声を聞いた馬たちが、彼女の統べる力によって命令を聞いたのだ。
「なっ――!? こ、このクソガキどもがぁああ!!」
馬車の急停止に御者は困惑したが、目の前のティティーが原因であるとはわかったのだろう。
すぐさま、腰にぶら下げていた凶器を手に、自分たちの逃亡を邪魔する敵を排除しようと動き出す。
馬車の中からも数人ほど、同じくティティーを害そうとする男たちが姿を現していく。
「南では合法かも知れぬが、北では違法と知れ!!」
それにティティーは怒りをもって、徒手空拳で迎え撃っていく。
戦いは一瞬だった。
決して、馬車の男たちが弱いわけではない。
ただ、少女ティティーの才気が余りに並外れていた。
最強無敵というわけではないが、どこにでもいる賊で手に負える相手ではなかった。
次々と、男たちはティティーの怒りの鉄拳によって気絶していく。
その最後に、背後から矢で狙われることもあったが――
「――死ねえ、クソ女!!」
「姉様!」
奔放な姉の不足を補うべく、弟アイドが死角の敵を見張っていた。その忠告の叫びに、姉ティティーは絶対の信頼を持って応えて、最後の一人に鉄拳を見舞っていく。
「うむ!! とっりゃあ!!」
こうして、一つの冒険の戦いが終わっていった。
今日も強く賢い姉の活躍によって、北の草原の平和は守られた。それにアイドは心から満足しながら、自分の仕事をこなしていく。失神させた男たちの捕縛と素性の確認だ。
「姉様。どうやら、彼らは正規の南の商人ではないようです。ただの賊あがりですね」
馬車の荷物を確認し終えたアイドは、息を整えるティティーに報告していく。
「ふぅっ、ふぅっ……。ふむ、そうか。……だから、大したことなかったのじゃな」
「いや、姉様が強すぎるんですって。本当は自分たち二人だけで追いかけていい相手ではありませんよ。都の憲兵隊の到着を待つべきでした」
「……ぬう。しかし、今回は家族の危機だったゆえ、大目に見よ」
「ですね……。今回ばかりは、止めようと思いませんでした。彼らは自分にとっても同僚であり、家族ですから」
そう言ってアイドは目を馬車の中に向ける。
と同時に、急ぎティティーは馬車の中に入っていき、両手を広げて大声を上げ出す。
「我が家臣たちよ! 安心せよ、この童が助けに来たぞ!!」
馬車の中では、多種多様な動物たちが檻に入れられ、捕まっていた。
その理由はとても簡単だ。北の草原にしか生息しない動物たちは、南で高値で取引されるからだ。金のある好事家たちが趣味で集める場合もあれば、『魔の毒』の研究の実験材料になる場合もある。
ちなみに、北特有の希少な生物の捕縛は禁じられている。とはいえ、それは北での法律で、南までの密輸を一度成功させてしまえば、簡単に裁けなくなる。
だからこそ、ティティーとアイドは全力で友人である動物たちを守ろうと、独断で危険を冒したのである。
「む、むむぅ? なんか変なのが色々おるな」
ティティーが馬車の中にある檻を壊して回っていると、途中で見知らぬ顔を見つけて手を止めた。
「この賊たちは自分たちの家の近く以外でも、色々と捕まえていたようですね」
「ふむ。……まあ、よい。みんな、逃げろ逃げろー。この北の地は自由じゃぞー。でも、あんまりよそ様に迷惑をかけるでないぞー。そのときは童が始末することになるゆえなー」
大して考えることなくティティーは、その全ての解放を選んだ。
「あまり散ってくれませんね……。仕方ありません。残った方々は、うちの近くの森まで連れて行きましょう」
ただ、全員が全員、草原に逃げ出すことはなかった。
これもいつも通りのことなのだが、一つの冒険を終えるたびに、ティティーに惚れこんでしまった動物たちが森に住み始めるのだ。
アイドは慣れた様子で賊たちを近くの都まで連行し、色々な許可を取ってから家の近くの森に、今回の動物たちを連れて行った。そこでティティーが「仲良く暮らすように!」と一言お願いして、事件は一件落着となる。
「ふう、一仕事終えたな。では、戻るか」
「……今回のことがおじい様たちに知られれば、こっぴどく叱れられることでしょうね」
「それは言うでない……。考えないようにしておったというのにぃ……」
そして、二人が森から切り妻屋根の家まで戻ろうとして――
「……? 姉様」
一匹の爬虫類型の動物が、とてとてとティティーの後ろをついて歩いていた。中々の大きさだが、その動きから子供であることが見て取れる。
「お、おぉ? 妙に懐かれたのう。こやつ、トカゲか?」
「……都の本でも見たことありません。かなり珍しい種ですよ、姉様」
「ほほーう。……のう、おぬし。もしかして、家までついてくる気か」
トカゲのような動物はティティーの声に反応して、可愛く頷き返す。
「だーめーじゃ! うちはペットを飼えぬのじゃ! お爺ちゃんお婆ちゃんに迷惑はかけられぬ! しっ、しっ!」
かなり手酷く追い払おうとしたが、それでもトカゲのような動物はティティーから離れない。
そのしつこさを前に、ティティーは観念した様子で弟に叫ぶ。
「仕方あるまい……。我が宰相よ! 本を!」
「はっ!!」
このようなことも一度目ではない。
これまた慣れた様子で、アイドは懐から一つの古びた本を取り出す。おとぎ話の『統べる王』の英雄譚だ。
「むむむー、なーんかよい名……。よさげの名はーっと。おっ、よいのがあるの!!」
そして、その本をティティーは読み、駄々をこねる動物に役目を与える。
「――エルフェンリーズよ!」
生まれ故郷を失い、北の草原に辿りついた風竜の赤子に名前を与える。
「忠義深き臣エルフェンリーズよ、そなたに仕事を与えよう。我が国の臣として、この草原と森を守って欲しい。此度のような不届き者を通さぬよう、どうか目を光らせてくれ。そして、その役目をそなたが全うする限り、必ず童はそなたのところに遊びにいく。必ずじゃ。……それでは駄目か? あの森のみんなは、いいやつらばかりじゃぞ?」
赤子の風竜の双眸を見て、ティティーは約束を持ちかけた。その真っ直ぐな声を前に、とうとうエルフェンリーズは頷き、自分の居場所を見つけたように森に向かっていく。
「はっはっはっはっは! よーし、今日もまた家臣が一人増えたぞ!」
「流石です、姉様!!」
今度こそ本当に一件落着と、姉弟は笑い合い、家に帰っていく。
それは子供の拙い約束と『ごっこ遊び』の延長だったろう。しかし、確かに心と心を交わした『契約』でもあった。その真の意味を知るのは、少女が全てを失う千年後となる。




