10-2.ライナーとノスフィーの話せば長くなるから話さない話(五章裏のライナー、ノスフィー)
ヴィアイシア城、またの名を『魔王城』。
その歴史書でしか知りえなかった伝説の建物内を、いま僕は歩いている。
『風の理を盗むもの』ロードから借りた部屋から抜け出て、百を超える客室の並ぶ長い回廊を散歩する。時間は真夜中、草木も眠る時間のせいか、『魔王城』は死んだかのように静かだった。
その僕の足音だけが聞こえる世界で、伝説の『魔王』について考える。
少し前まで僕がいたエルトラリュー学院では、千年前に北を統べた王は狂気と殺意に満ちた悪魔のような存在だと教えられた。しかし、実際に出会ったロードは、その真逆の存在だった。さらに言えば、この『魔王城』の印象も大きく異なる。
『魔の毒』に満ちた恐ろしい場所と学んでいたが、実際は自然を活かした立派な城だ。僕の知っている本土のフーズヤーズ城にも負けず劣らず――いや、はっきり言って、こっちの城のほうが質素で、清貧さが感じられ、好印象だ。
この城は本当に美しく穏やかで、とても居心地がいい。
「綺麗なところだ……。ちょっと静か過ぎるけど……」
その教えられた歴史と事実との違いに、僕は人知れずショックを受けていた。
そして、どうしてこんなにも違うのかと理由も考えていた。
勝者である『南連盟』を正義の主人公として語り継ぐにしても、少し違和感がある。思えば、千年前の『世界奉還陣』についても一切の記録が残っていなかった。
隠している歴史と強調している歴史には、理由があるのだろうか――と、憶測をめぐらせていたとき、
「――ライナー・ヘルヴィルシャイン、まだ起きていたのですか?」
声をかけられた。城の回廊の奥から『光の理を盗むもの』ノスフィーが現れる。
「お、おまえ……!!」
「そう身構えないでください。声をかけただけですよ?」
身構えもする。
なにせ、僕にとっては、こいつも伝説の存在だ。
しかも、歴史的には千年前の『南連盟』を勝利に導いた『光の御旗』様。そして、これまでの流れからすると、その『光の御旗』様の輝かしい歴史は虚偽だったのではないかという疑いの真っ最中だ。
「何か用か……?」
できれば、余り関わり合いになりたくない相手だ。
力量的に、たった一人で相対してはいけないと、命知らずの僕でも理解していた。
「いえ、用があるわけでは……」
その僕の様子を見て、ノスフィーは少しだけ悲しそうな顔になった。
こうも警戒されるのは心外なのかもしれない。それから彼女は、柔らかい表情を作って、僕に聞く。
「そうですね。せっかくですから、地上での渦波様の生活を教えてくれませんか?」
「地上での? 詳しくは知らない。行動を共にしたのは、この地下生活が最初だ」
「あなたの知っている範囲で構いません。どうかお願い致します」
真摯に頼み込まれてしまい、騎士として拒否できなくなる。
なにより、いまのノスフィーの瞳は、とても純粋だった。その奥に疚しいものは一切ないと思い、ぽつりぽつりと僕は過去の記憶を掘り返していく。
「キリストと初めて会ったのは、結構前のことだ……。そのとき、僕は学院生で、とある試験で迷宮に潜っていた。そして、身の丈に合わないモンスターを相手に死にかけていた」
「へえ、学院……! いま地上には、あるんですね……。あの学院が」
対してノスフィーも、過去の記憶を掘り返すように、しみじみと頷いては聞いていく。
少し妙だ。なんというか……、普通過ぎる。
キリストがいないからだろうか、初めて会ったときにあった威圧感を全く感じない。
「それで、いまにも僕がモンスターに食われかけたとき、キリストが現れたんだ」
「――っ! 命の危機に、颯爽と! ですか!! ふ、ふふっ、流石は渦波様!!」
きらきらと目を輝かせて、キリストの英雄っぷりを子供のように聞く。そして、どこか自慢げでもあった。
その意味を僕は理解しきれないまま、続きを話していく。
「ああ、颯爽と現れたんだ。あのとき、僕は本当に死を覚悟してた……。だから、助けられたとき、キリストのやつの顔には後光が差して見えたよ。ああ、こうも英雄みたいな人が、本当に世界にはいるんだなって……。心から感動した。本気で憧れた」
「ええ、とてもわかります。渦波様と初めてお会いしたとき、確かにそのお顔には後光が差しておりました。その光は一度目に焼き付けば、二度と忘れられません」
「…………」
「どうしました?」
「いや、こっちは後光なんて、大げさだと笑われる覚悟をしてたんだが……」
ちなみに、これを過去に僕が学院で同級生に話したときは、すぐ病院を薦められた。
「笑いません。ヘルヴィルシャインの気持ちが、わたくしにはよくわかりますから」
ノスフィーは頷く。
そして、その共感が的外れではないと、向かい合う僕にはわかった。
この少女も僕と同じく、キリストを――『相川渦波』という存在を、心から信じている。
「で、色々あって、僕は何度かキリストと戦っていくんだが……知れば知るほど、僕の殺意は薄まっていくばかりだったな。兄の仇として追っていたはずが、いつの間にか兄の恩人になってた。最終的に、騎士としてキリストを守るって誓って、いまの状態ってわけだ」
「ふふっ、そうですね。渦波様は知れば知るほど、印象の変わる方です。傍目にはよくわかりませんが……とても大変な道を歩んでいる方です。その苦労を知ってから、わたくしは渦波様の手助けをしたいと思うようになりました」
「そうだな。才能に任せて、滅茶苦茶楽そうな道を歩いていると思いきや、実は結構苦労してるんだよな、キリストのやつ。苦労してるくせに、あのお人好しっぷりなんだ。だから、まともな誰かが支えてやらないとって思う……」
「おー、よくわかっていますね、ヘルヴィルシャイン。思っていた以上に」
「あんたもよくわかってるな、『光の理を盗むもの』」
僕とノスフィーは真夜中、二人でうんうんとキリストについて頷き合う。
その会話から、キリストのことに関してだけは非情に気が合うと確信できた。
ただ、それを僕は口にしない。すれば、後悔しそうな気がした。
たぶん、向こうも同じことを思っているのだろう。何度も「よくわかっている」と言っても、それ以上は歩み寄りはしない。
こうして、よくわからないキリスト談義が終わったところで、僕たちは別れていく。
「では、そろそろ行きましょうか」
「ああ、もう話すことはないな」
互いに長話を避けた。
ただ、別れ際にノスフィーは、神妙な面持ちで言い残そうとする。
「ふふっ……。しかし、どうしてでしょうか、ヘルヴィルシャイン。あなたとは長い付き合いになりそうな気がします……」
それは僕も同意だった。
だが、だからこそ首を振って否定する。
「そんなことない。きっとあんたはすぐに消える。この世から、すぐにな」
僕は『いま』を生きる『人』で、ノスフィーは『過去』を生きた『理を盗むもの』。
そうはっきりと、彼女の最期の幸福が近いことを願った。
「……そうですね。ああ、あなたは本当に、よくわかっています。本当に、よく……。それでは、よい夜を」
ノスフィーは目を丸くして驚き、すぐに微笑み、背中を見せた。
その強大な魔力を纏った背中を油断なく見送り、僕は『魔王城』の回廊に立ち尽くす。千年前の伝説たちの強さと――その裏に潜む脆さを感じながら。
このときしかありえない距離感。
この後殺し合って仲良しになりますからね。




