10-1.ヒロインによる異世界式マッサージ『その六』(6章裏のカナミ、ティティー)
六十六層での死闘を終えて、やっと地上に出てきた僕たちは連合国ヴァルトにある宿の一室を借りていた。
そして、その宿で不眠不休の疲れを癒して、次の日。
昼食を取る前に部屋の中で、僕は一人で柔軟運動をしていた。身体の調子は悪くないが、まだ僅かに違和感が残っている。
「身体のあちこちがちょっと軋むな……」
それを僕は、ぽつりと呟いてしまった。
同じ部屋で僕の様子を見ていた『風の理を盗むもの』ティティーは、それを聞いて少し心配そうに近寄ってくる。
「……むう。軋むとな。どれ、肩でも揉んでやろうか」
「――っ!! い、いや! いい! マッサージはいい!!」
ティティーの手が伸びてきた瞬間、僕は悪寒を覚えて、跳ねるように彼女から距離を取った。
理由は簡単だ。ここにいる天真爛漫なティティーという名の女性は、ディアやリーパーといった天使的な部類よりも、ラスティアラやスノウといった災厄的な部類に近い。今日までの経験が、彼女のマッサージを本能的に拒否していた。
「ぬ? ――ふっふっふ。そう遠慮するでない。優しい童が揉んでやるだけじゃぞー」
しかし、その僕の慌てた様子を見たティティーは、とても面白そうに手を開け閉めしながら、にじり寄ってくる。
やっぱり、この女は災厄寄りで間違いない。
絶対にマッサージを許してはならない。
「いやいやいや、まじで要らないんだって……!」
すぐに僕は首を振って拒否するが、ティティーは一切の躊躇なく近寄り、その両手で僕を捕まえようとする。
「いやいやいやいやいや、そう言わずに……のう!!」
そして、なぜか、この狭い一室で限定的な『体術』勝負が始まった。
その勝負は、とてもあっさりと決着する。『剣術』勝負ならば僕に分はあったが、『体術』勝負でティティーに勝てる要素はなかった。
何度か彼女の両手を払いはしたが、気づけば僕は背後から羽交い絞めにされていた。さらには、そこから器用に足を崩されてしまい、身体を倒され、右腕を両足で挟まれていた。僕の世界で言うところの腕挫ぎ十字固めとかそのあたりを、見事決められた。
「――くっそ、勝てない!! というか痛い! 普通に関節を極めるな! 折れる!!」
「うむ。まずは手足を折ってからのほうが話が早そうじゃと思ってな」
「折ってから!? どんなマッサージだ! このへたくそ!!」
かなり本気で僕は苦情を叫んだ。
というか、痛みよりも大変なことになっているのが、右腕の感触だ。さきほどの羽交い絞めのときも思ったのだが、彼女は自分の大人の身体に無頓着なので、当たってはいけない豊満な部分が僕に当たってしまっている。
その恥ずかしさや罪悪感に押されて、僕は本気の魔法を使って拘束から脱出していく。
「――魔法《ディスタンスミュート》!」
四肢を透かして逃げ出した僕を見て、ティティーは獲物を見る目つきで笑う。
「むっ? やるのう。……しかし、そなたが逃げれば逃げるだけ、童は燃えるだけじゃぞ。こんな面白そうなこと、絶対に逃しはせぬ。観念せいー」
なぜか、ティティーの闘争心に火が点いてしまっていた。
こういったちょっとした遊びやじゃれつきに飢えているのはわかるが、マッサージのときだけは勘弁して欲しかった。
しかし、止めようとして止まる彼女ではないだろう。すぐさま僕は戦闘時にのみ無駄に回る頭を使って、この状況の打開策を導き出していく。
「……わかった。なら、僕がおまえのマッサージをやってやる」
受け手から攻め手に立場を変える。
こうすれば、マッサージでトラウマを残すことはないはず……だ。たぶん。
「ほう……!? かなみんが童をか! それも面白そうじゃの! うむ、悪くないぞ!」
「年を考えれば、これが自然だろ。横になれ、お婆ちゃんよ」
「お婆ちゃん言うでない! よーし、もぞもぞっと……」
子供のように素直なティティーは、すぐさま部屋のベッドに転がって、うつ伏せとなってくれた。
その背中に僕は馬乗りになって、とりあえず自分なりのマッサージを始める。基本中の基本である背中の指圧だ。しかし、そのマッサージにティティーの反応は――
「…………。かなみんよーい、全く効かぬぞーい。もっと強うやれー」
全く効かない。
理由はわかっていた。
「おまえの身体、硬過ぎ……。あと、薄い魔力の防御膜が張られてないか? これ」
その魔王としての身体の耐久力によって、異様な筋肉密度を誇っていた。
さらに言えば、無意識下の魔力の結界らしきものが常時張られてある。流石のボスキャラ補正だ。
「お客様に文句つけるでなーい!! ちょっと凝って、硬くなっておるだけじゃー!」
ただ、その無敵の防御力を、本人は凝っているだけと認めようとしない。
仕方なく僕は、自らの筋力全てを使って、本気でティティーの身体を指で貫きにかかる。……しかし、それでも彼女の強靭過ぎる身体には通用しない。
岩石とか鉄板とか軽くくり抜ける力のはずなのに……。
「んーむっふっふ? ……くすぐったい? その程度の感じじゃ」
「おまえ、本当か? これたぶん、常人なら身体に穴空いて、即死レベルの指圧だぞ?」
「それでも、効かぬ効かぬ効かぬー! もー、かなみんってば駄目駄目じゃのー! 童たちは普通に考えてちゃ駄目なのじゃ。どれ、次は童が本物のマッサージを見せて――」
不満を一杯に、ティティーは立ち上がろうとする。
……不味い。このままでは攻守が交代してしまう。
しかも、なんか妙に自信満々で危険な香りのする物言いだ。またトラウマが生まれるマッサージを食らっては、今度こそ僕の精神は戻れなくなる。
「ま、待て! 次で最後だ! 本気でやる! ――魔法《ディスタンスミュート》!」
「お? おぉおおーう!? これは……! がっつり中に来る……感じで……!!」
僕は手段を選ばず、両腕をティティーの体内に入れて、彼女の魂そのものに対して揉み解しにかかった。
全くの未知数のマッサージだったが、妙にティティーからの評価は良かった。
僕は心臓をマッサージするつもりで、できるだけ優しく、慎重に、ティティーの魂である魔石を撫でては、揉んでいく。
その効果は凄まじく、文句ばかりだったティティーは一気に押し黙り、そのマッサージを堪能し始めた。
「ん、んぅっ……、あっ……!」
ただ、それを享受しているときに漏れる声が少しだけ問題だった。
馬乗りになっている僕の下で、余りよろしくないティティーの声があがっていく。
「ば、馬鹿……。変な声出すな……」
「ん……、んぅ……、いや、でも……ぁっ――」
ティティーは身体を、びくんと震わせた。
そして、その勢いで彼女は、うつ伏せから仰向けに体勢を変えてしまう。結果、当然ながら、僕の眼前にはティティーの紅潮した顔が見えてしまう。さらには、僕の両腕の先に、彼女の豊満な部分があって――
「んぁ……、かなみん……。も、もっと……――」
すぐさま僕は魔法を解除する。
「終わり。もう終わり。今日はこれでおしまい。終了」
「――っ!? な!? いまのかなり良かったぞ!? ここからが本番じゃろう!?」
「駄目だ、もう限界だ。いまのはできない」
「嘘をつけい! 地下では、もっと長く入れておったろうに! も、もう一回じゃ! いまのをもう一回! どうか頼むのじゃ!!」
「だから、もう駄目だっての! かなり疲れるんだって、これ――!」
「ならば、指の先だけでもよい! 先だけでもよいから、もう一回――!」
僕とティティーはベッドの上で取っ組み合いをしながら、口論をしていく。
こうして、また部屋の中で『体術』勝負が始まったのだが……今度の戦いは、外から部屋に帰ってきたライナーによる「キリスト、ティティー。部屋の外まで、聞こえてるぞ。かなり前から……」という忠告によって中断される。
僕は顔を青ざめさせる。マッサージによる心の傷を回避した代わりに、このヴァルトでの僕の風評が深い傷を負ってしまったと気づく。
その結果に、ティティーは大笑いし、ライナーは呆れ返り、僕は悔し涙を浮かべて――次のマッサージこそは、絶対にノーダメージで乗り切ってやると、心に誓い直していくのだった。




