9-3.パリンクロンに敗れた仲間たちは船にて(四章裏のスノウ、ラスティアラ、マリア)
ヴァレンシズ大陸の東端にて停泊する『リヴィングレジェンド号』の甲板で、今回の戦いの敗者たちが傷を癒している。
特に危ないのは、『世界奉還陣』の影響を特に受けたリーパーとセラさんだ。滝のような汗を流し、気絶寸前まで弱っている。
その二人の頭を、ラスティアラ様が膝の上に置き、回復魔法をかけ続けていた。その表情は見えない。魔法を使いながら、俯き、ぶつぶつと何かを呟いているからだ。カナミと別れてから、ずっとあの調子だ。いや、正確には『木の理を盗むもの』アイドの魔法を受けてからか……。
その甲板の三人の様子を、私――スノウ・ウォーカーは船のメインマストの上にある物見台から見下ろす。そして、思う。
――完敗だ。
パリンクロン・レガシィは『木の理を盗むもの』と『使徒』の訪問に動揺していた。
おそらく、あれは予想外の事態だったに違いない。
そこに、さらに六人で奇襲をしかけたというのに……こちらの戦力の半分は無力化され、船にまで戻されてしまったという情けない戦果。
いま戦場に残っているのはカナミとマリアちゃんの二人だけ。これだけの損害を出していながら、『使徒』からディア様を取り戻せてもいないのだから、負けという他に表現しようがない。
そして、イレギュラーだった『木の理を盗むもの』と『使徒』は、あの砦から去った。きっと次の戦いでは、パリンクロンは万全の体勢で迎え撃つことだろう。それをカナミとマリアちゃんの二人だけで突破できるだろうか……。
正直、不安で仕方ない。はっきりあいつと敵対し、戦って、わかったことがある。パリンクロンは弱いかもしれないが、大事な戦いで負けない男だ。普段の態度から感じる『性格が悪くて嫌なやつだが、やろうと思えばいつでも勝てる』というイメージは、今回のような大事な戦いのための布石だ。
「油断してたよね……。私たち……」
七人の仲間たちが揃い、慢心していた。
このメンバーなら誰が相手でも勝てる。だから、私は心のどこかで「私の出番はないかも」なんて甘えたことまで考えていた。
「……っ!」
私は後悔し、拳を握りこみ、いまの自分に出来る周囲の警戒に集中する。
カナミから別れ際に「船のみんなを守ってやってくれ」と私は頼まれた。
それは絶対に遂行するつもりだ。ただ、頭の隅にこびりついて離れないのは、もう一つの言葉。「たぶん、僕たちの中で、おまえが一番リーダーに向いてる。だから、もし――」……。この後には「もし、僕が帰ってこなかったら、後は頼む」という言葉が続いていたような気がする。
私は拳だけでなく、奥歯にも力をこめていく。
もう甘えも油断も許されない。いま、この船に、英雄カナミはいない。
そして、もう一人の英雄であるラスティアラ様も……。
私は耳を澄ませて、甲板で呟かれる声を聞き取る。
「――私じゃなかった……。やっぱり、私じゃ駄目だった。ついていけたのは、マリアちゃんだけ……。私はティアラ様じゃなかったから……――」
あの強靭なラスティアラ様の心が、いま追い詰められていた。
戦いの敗北だけでなく、もっと大切な何かの敗北が彼女を蝕んでいるように見える。
カナミが私を船に戻した理由が、よくわかる。
いま、まともに動けるのは本当に私しかいない。
「みんなは私が守る……」
そう呟き、私は目線を甲板から『本土』に向ける。
大陸が震えていた。空は歪み、暗雲が広がっている。大地から禍々しい魔力が迸り、黒い光が乱反射している。そして、いま丁度、真っ赤な炎の柱が、天を貫いた。雲という雲を燃やし尽くし、世界全てを呑み込もうと蠢いて延焼する。もはや、『本土』は、この世の終わりのような様相となっていた。
それが東端の船からでも、はっきりと見える。
『本土』の中央にいるであろうカナミとマリアちゃんは平気だろうか。不安で堪らずに肩を震わせたとき――私は見つけた。
「え……? あれ、マリアちゃん……?」
船を停泊させている崖の近く、茂みの隣に見覚えのある少女が寝転がっていた。
ついさっき目を向けたときは、あんなところに誰もいなかった。
すぐに私は下にいる仲間に報告する。
「ラスティアラ様! マリアちゃんがいます! そこに、ほら!!」
けれど、甲板から返事はない。
聞こえてくるのは、先ほどの呟き声の続きだった。
「――ああ、私は……。私は、やっぱり……。あのとき、譲るべきだったんだ……――」
私は物見台から飛び降りて、ラスティアラ様の肩を持つ。
カナミからの伝言を胸に、恩人相手に敬語を捨てて叫ぶ。
「しっかりして!! ラスティアラ!!」
「え? あ、うん……。ご、ごめん、スノウ……」
やっと声は届いたのか、ラスティアラ様は顔をあげて、私を見た。
しかし、覇気がなさ過ぎる。
『舞闘大会』で私に見せた輝きの一切が失われていた。
「……私はマリアちゃんを拾ってきます。ここで待っていてください」
「うん……」
私はラスティアラ様から指示を仰がず、自分の判断で動き出していく。
船の甲板から跳躍し、マリアちゃんが倒れている茂みまで移動する。
そこで、まず軽く魔力を広げて、罠の確認をする。十分に周囲を確認し――途中で消えていく魔法を感じ取った。咄嗟に目を向けたが、そこに残っていたのは微かな魔力の粒子のみ。自信はないが、次元属性の魔力だったような気がする。つまり、マリアちゃんは次元魔法で、ここに送られた? 送ったのはカナミ?
疑問は尽きないが、すぐに私はマリアちゃんを抱きかかえて、軽く声をかける。
「マリアちゃん……? 大丈夫? 起きてる?」
見たところ、外傷は少ない。
ただ、尋常でないほど魔力を消耗しているようだ。先ほど見えた炎の柱はマリアちゃんの魔法である可能性が高い。
「あ、ぁあ……、ここは……。スノウさん……?」
マリアちゃんは答えてくれた。しかし、ぴくりとも身体を動かさない。魔力だけでなく体力も使い果たしているようだ。
「辛いところをごめん、マリアちゃん……。カナミは……?」
「……カナミさんは一人、まだ戦ってます」
それは薄らと予想していながらも、聞きたくなかった答えだった。
仲間たちの数は減りに減り、いまカナミは――
「一人、あのパリンクロンと……?」
戦っている。
それが確定し、私の不安は膨らむ。
カナミが強いとは知っている。誰よりも知っている。けれど、相手のパリンクロンは強いとか弱いとかの話で測れる相手でもないと知っている。
「はい、一人です……。すぐに助けに行かないと……、カナミさんを……」
這ってでも行こうとするマリアちゃんを見て、私は不安がっている場合ではないと痛感する。カナミの言っていた「一番リーダーに向いている」という言葉の真意がわかってくる。
「マリアちゃんは眠ってて。単独で行くのは危険だよ。みんなが回復し次第、行こう」
私は臆病かもしれない。
けれど、いま誰か独りが助けに行ったところで、パリンクロンの思う壺であるということだけはわかる。すぐにマリアちゃんの身体を押さえつけて、船まで運ぶ。
いまの私たちでは助けには行けない。
「くっ……!」
それは理性でわかっているが、どうしても思う。
誰かカナミを助けて欲しい。誰でもいい。敵でも構わないから、誰か……。
そう願ったとき、視線の先の大陸で、力強い風の柱が天に向かって駆け登った気がした。
作中で、スノウのラスティアラへの敬語捨てイベントが曖昧でしたが、タイミングがここだったからですね。




