ex-1.ローウェンとリーパーの食べ歩き!(三章裏のローウェン、リーパー)
「さて、休日を頂いたわけだが……」
そして、私こと――ローウェン・アレイスは千年後の世界で自由を得た。
迷宮連合国の一つラウラヴィア国の街中、青い空と白い光の下で深呼吸をする。この千年後の世界に、空を埋め尽くす暗雲なんてものはない。私にアレイス家の嫡男という立場もなければ、戦争に駆り出されることもない。真の自由だ。
いまだ自分を縛るものがあるとすれば、私の隣にいる少女くらいだろう。
褐色の肌に黒い髪の少女の名は『グリム・リム・リーパー』。彼女は人を殺すためだけに生まれた自我のある『魔法』であり、その上、精神年齢はとても幼く――危険だ。はっきり言って、彼女が街中で野放しになっているのは、殺人鬼が歩いているのと同義である。
そのリーパーの見張りと保護は、いまの私の仕事の一つとなっている。
「リーパー、今日はやれることが多いぞ。見てみろ」
放っておけば、すぐにリーパーは私を殺そうとする。その興味をそらすため、少しだけ大仰に私は手の中にあるものを見せた。
「……ん? なにこれ」
隣を歩いていたリーパーは私の手の中を覗き込む。
「なんと、お小遣いだ。《エピックシーカー》の手伝いをしていたら支給された」
「おこづ……かい……?」
「自由に使っていいお金ってことだ」
魔法という生まれのリーパーは、少し知識が偏っている。彼女くらいの大きさの子供なら飛び跳ねて喜びそうな単語すら知っていなかったようだ。お金の説明をしながら、私は街中を歩き出す。
「千年前と比べると、貨幣も随分と形が変わったみたいだな。この硬貨、大陸全体で使えるらしい」
「へー、昔は統一されていなかったから、ちょっと変な感覚だねー」
「しかしだ、ここで問題が一つある……」
お金はいいものだ。
お金さえあれば、大抵のことは解決できる。
へこんだ腹を膨らませたり、屋根のある宿を得たりできる。
私の人生にずっとなかったものだ。ただ――
「これ、どの硬貨が一番高価か分かるか……? やっぱり、銀が一番高いのか……?」
それは、このお金の使い方がわかっていることが前提だ。
「え、そこの説明を受けてないの?」
リーパーは歩く足を止めて、信じられないものを見る目になる。
「当然知ってる――みたいな空気だったから、聞けなかったんだ……」
支給してくれたのはギルドの有能な女性だったが……その手際の良すぎる支給のせいで、質問のタイミングを私は掴めなかったのだ。私のような成人男性が聞くには恥ずかしい内容だったため、結局他の誰にも聞けなかった。
「えー? ローウェンってば、結構見栄張りなところあるよね。千年前も、よくわかってないくせに色々知ったかぶってたしさー」
リーパーの言うとおりだ。
恥を忍んででも、強引に聞くべきだった。
「すまない……。家の名誉を守るため、はったりでしのいでいくのが癖になってるんだ。昔、まともな貴族の教育を受けてないのにアレイス家を背負うことになったせいだと思う」
「はったりばかりだから、今回みたいに困ることになるんだよ。……はあ、仕方ないな」
リーパーは情けない保護者の私に呆れ、なぜか身の魔力を街中に広げ出す。
「ん? リーパー、何をしてるんだ?」
場合によっては、斬ってでも止めないといけない。
しかし、返ってきたのは、とても穏便で理知的な話だった。
「……次元魔法で情報収集中。ちょっと待ってて」
「助かる。やはり、魔法は便利だな」
カナミと同じ方法で、お金の使い方を調べているのだろう。
私には一生かかってもできない芸当なので、少しだけ羨ましい。
「――よっし、完了。金貨が一番高価みたいだね。昔と違って、金銀の価値が逆転してるっぽいよ。この時代の取引方法もマスターしたから安心して。さー、買い物へいこーか」
数分後、そこには自信満々のリーパーがいた。
「ナイスだ、リーパー」
そう私が褒めると、彼女は「任せて任せてー」と言って、率先して歩き出す。
その歩き方に迷いはない。そして、おかしいところも一つもない。どこにでもいる女の子のように見える。
この数日で、彼女も随分と常識を身につけたものだ。
もう街中で私を殺そうとしないし、あの闇でできた鎌を取り出すこともない。
一人で街中を歩いても問題を起こさなくなったし、知り合いと出会えば礼儀正しく挨拶をする。下手をすれば、この私よりも常識が……――いや、リーパーは生まれたばかりの存在だ。年上の私がしっかりと見守ってやらないと。
「ねえ、ローウェン! そのお小遣いで何買うー?」
先導していたリーパーが振り向いて問いかけてくる。
「そうだな……。まずはおまえの服でも買おうか。その黒いやつだけだと味気ないだろ」
ずっと思っていたことを口にする。
リーパーの魔力で編まれた黒い外套は立派なものだが、年頃の女の子が身に着けるには少し色が暗い。リーパーの可愛さを最大限に引き出すには、最低でもあと十着くらいは色の違う服が欲しい。
「え、アタシの服? いいよいいよ。それよりも、ローウェンの剣でも買わない?」
ただ、リーパーは首を振って、逆に私の腰を指差した。
「……いや、いい。できれば、もっと貯めてから、もっといいものを買いたいんだ」
「確かに。生半可な剣だと、ローウェンの力で壊れちゃうから、そっちのほうがいいかも」
「だろ? ……それに、そもそもこのお小遣いは二人分だ。私の剣なんて高価なものを買ってしまうと、リーパーが全く使えなくなる。それは駄目だ。この数日、おまえもギルドのお手伝いをしているって聞いたぞ? そのご褒美なんだ、これは」
「え、したっけ? 料理とかお使いくらいしかしてないような……」
「それがお手伝いって言うんだ。おまえくらいの年なら、それだけでも十分お駄賃を貰う権利が手に入る」
「で、でも、アタシはこの服を気に入っているから、別にいいよ。ローウェンの好きなものに使いなよ」
これだけ言い聞かせても、まだリーパーは頷いてくれない。
その小さな頭を何度も振って、長い髪を振り回す。
どうにか、彼女を可愛い服で着飾りたかったが、そう上手くいかないようだ。仕方なく、私は別の提案をする。
「なら、どこかで美味しいものを食べようか?」
「食べ物……? アタシは魔力さえあれば、別に食べなくてもいいんだけど……」
「身体の維持のためだけでなく、生きる楽しみとして食べるんだ。美味しいものを食べられたら、それだけで幸せと聞いたことがある」
「へえ、そういう考え方もあるんだ……。うんっ、それでいこうっか!」
「よし、決まりだ。あ、ただ――」
「わかってる。店選びはアタシがするよ。もー、ローウェンはアタシがいないと駄目駄目なんだからー」
現代の金銭感覚を身につけていない私では、身の丈に合わない店を選ぶかもしれない。なので、ここは次元魔法で情報を集められるリーパーに任せることにする。
こうして、リーパーを先頭に私たちは美味しいものを探しに、街中を練り歩くことになった。その途中、リーパーが興奮して走り回りだしたので、周囲の迷惑とならないように手を繋いで歩くことになった。
こうして、二人で談笑しながら、新しいものばかりの千年後の世界を堪能する……。
――たったそれだけのことが。
何の使命もなく、何の責任もなく、ただ歩いているだけ。
たったそれだけの時間が……少しだけ私の『何か』を削る。
その事実を私は認めていいものか――迷う。
それを認めてしまえば、大切なのものを失うとわかっている。けれど、それを認めてしまえば、大切なものが手に入るともわかっている。
どちらも大切なものだからこそ……、私は慎重にならざるを得ない。
だから、リーパーと二人の時間を大事に過ごしていく中、私は何も聞けないのだ。
情けないことに、この楽しい時間が優しすぎて、切り出せないのだ。
リーパーが厳選に厳選を重ねた店で、おすすめのメニューを口にしながら、当たり障りのない談笑を繰り返す。
「な、なんだ、この美味い飯は……! リーパー、これは何という食べ物なんだ?」
「んー、スープとしか書いてないねー。この開拓地で採れる新鮮な野菜と肉を使ったスープだと思うよ?」
「なるほど。鮮度がいいのか。長時間の輸送でしなびてない野菜というだけで、こうまで違うのか……。驚きだ」
「ね、ねえ、ローウェン。生後一年のアタシよりも、ローウェンのほうが感動してるっておかしくないかな?」
「ずっと戦場だったからな。まともに調理したものを口にした経験があまりないんだ。……子供の頃は、もっともっと酷かったしな」
「ふうん、そっか……。……よかったね」
リーパーは笑う。
私の幸せを、我が事のように喜んでくれる。そして――
「――ふう、美味しかったー! また来ようね、ローウェン! いや、『次』は全国の美味しいお店回ろっか!? 昔食べられなかった分、ローウェンは一杯食べないとね!」
お勧めメニューを食べ終え、リーパーは次に期待を膨らませる。
「……あ、ああ。そうだな」
それに私は歯切れの悪い答えしか返せない。
「どうしたの? ローウェン」
「いや、なんでもないさ」
何でもないわけがない。
リーパーは『次』に期待しているが、それは叶うことがないと私は知っている。
私の命は、そう長くない。それを彼女もわかっているはずだ。なのに……――
「じゃっ、今日はこの街の美味しいところ、全部回ろうー! 次の店へゴー!!」
「なっ、もう次か? ……まあ、食べ歩きも悪くないか。……行こう、リーパー」
「うん!」
またリーパーは笑う。
きっと、この聡い少女は気づいている。いま私が誤魔化していることにも、これから待つ運命も……そして、魔法『グリム・リム・リーパー』のジレンマにも。
それを解決してやれない未熟な自分に腹が立ってきた。
誰が言ったか――守護者になる条件は心が弱いこと。
いま、目の前で笑う死神の少女リーパーの心の強さに敗北感を覚えながら、私は彼女の先導する道をついていく。一歩進むごとに薄まっていく自分の力を感じながら、私と違って未来の明るい少女のために、自分にできることはないか考える。
いま、このローウェン・アレイスがやれること。できること。遺せるもの。
それは何かを、愛しいリーパーの背中を見ながら、考え続けたのだ――




