4-1.パリンクロンとハインの決闘(二章裏のハイン、パリンクロン)
――少女を逃がすため、私はセラの背中から降りた。
おそらく、いまの別れこそ、正真正銘の『最後』だったろう。『最後』であると言ったのは私で、そうなると私自身が確信している。
もう二度と、私は少女と再会することはない。
……なのに、彼女を愛していると言えなかった。
ずっと秘めていた想いを、これ以上ないタイミングだったというのに言い逃してしまった。そして、言い逃したことで、やっと私は気づくのだ。ハイン・ヘルヴィルシャインの抱くラスティアラ・フーズヤーズへの想いの本当のところを。
私は異性として少女を愛していた……それは間違いないだろう。
けれど、それ以上に娘のようにも愛していたのだ。なにせ、出会ったとき彼女は生まれて間もなかった。どれだけ外見の年は近かろうが、あの未熟な精神であったときの彼女を知っているのだから、そう思うのも無理はない。
ここまで少女を育て、逃がし、託したことで、いまやっと自分の二重になっていた愛に気づけた。二重の愛が、ここにある。だから、こうも容易く命を捧げられる。
我が初恋の人であり、我が娘でもあり、我が主である少女――ラスティアラ様のためならば、私はどこまでも戦える。
「――ふ、ふふっ」
ヴァルトの郊外の街道で、私は笑う。
いま、私の初恋は『悲恋』となることが確定した。告白はできず、思いは届かず、ここで死ぬだろう。なのに、薄く張り付いた笑みは消えない。
『悲恋』が全く悲しくない。むしろ、心躍る。
「では、まず敵の包囲を荒らしましょうか……」
その不思議な感情を噛み締めながら、私は周囲を見回す。
追っ手の騎兵たちは、もうすぐそこまでやってきている。おそらく、パリンクロンの用意したヴァルト国の兵士たちだろう。
あのパリンクロンの用意した駒だ。その誰もが精鋭で、いまの私の体調では容易に倒すことはできないだろう。
自分のことは自分がよくわかっている。もう私の命は風前の灯だ。
昨日は総長と副総長に追い掛け回され、今日は百を越える騎士たちと戦い、最後には『天上の七騎士』の半分と戦った。その上、不意打ちで脇腹を斬り裂かれてしまった。流石の私といえど、もう限界は超えている。
……しかし、なぜか身体の底から力が湧き出てくるのだ。
それはどちらの愛の力かわからない。もしかしたら、両方かもしれない。
確かなのは、まだ私は戦えるということ。
「《ゼーア――!!」
いま丁度、騎兵たちに追いつかれ、私は魔法を構築する。
追っ手の兵たちは死に体の癖に微笑する私を気味悪がり、遠巻きに囲んだ。
その数は十近く。まだ少ない。追っ手の兵は、まだまだいる。だから、私は――
「――ワインド》ォオオォオオオオオ!!」
ここへ集まらざるを得ないほどの魔法を、命を削って発動させる。
その風はまるで魂を燃焼して燃え盛るかのように、ヴァルトの街道を吹き荒らした。
もう身体に魔力なんてほとんど残っていない。なのに、その魔法は今日一番の威力をともなっていた。そして、それが戦闘開始の合図となる。
ふらふらの私が広範囲魔法を放ったことに周囲の兵たちは驚き、抜剣と共に各々の魔法を構築し始める。しかし、そう簡単にはやらせはしない。
「打ち放て! ――《ワインド》!!」
近くにいる敵は剣を使い、遠くにいるものは風を使って攻撃する。
できるだけ派手に、そして高らかに笑いながら、援軍を呼ばざるを得ないほどの狂気を演出して、戦う――!
すぐに十の兵では抑えきれないと判断してくれた兵たちは、他の兵をこちらに寄こすように伝令を走らせる。次第に、私の包囲網は増えていく。全ての兵を引き寄せたとまでは言わないが、少女ラスティアラの逃亡の確率が上がっていく。それが嬉しかった。まるで大劇場の中、『改心した悪役』でも演じているかのようで心地よかった。
ヴァルトの兵たちと剣を斬り結び、ときには命を削って大魔法を狼煙のように放つ。
その結果、当然だが、あの男がここまで辿りつく――
「――よっ、ハイン。ここでおまえが足止めか」
パリンクロン・レガシィの登場だ。
彼こそが私を劇に誘ってくれた恩人で、この劇一番の悪役。
だからだろうか……敵でありながらも、私は彼と楽しく話すことができた。
「ええ、そうなりました」
パリンクロンは私を拘束しようとする兵たちを下がらせて、とても気軽に話しかけてくる。その腰の剣を抜きながら、ちょっと困った顔で近づく。
「しかし、流石のおまえでも、この状況で俺に勝てはしないと思うぜ? 何度かおまえとは試合したことはあるが、ここまでのハンデ戦は初めてだ」
「確かに、こんなにも不利な試合は初めてです」
「諦めて降参してくれると俺は楽なんだがな」
先ほど私はパリンクロンに腹を斬られた。
そして、いまから本気で剣を結ぶことになる。けれど、まだ私たちは友人であると思っている。だから、こんなにも気軽に話せる。
「それは無理です。……ふふっ。しかし、こうやって一対一で剣を持って向かい合うと昔を思い出しますね。子供の頃、あなたとはよく決闘をしたものです」
昔話すら、できる。
「……ああ、確かにちょっと思い出すな。そういや、あの頃の幼馴染連中のほとんどが、いま近くに集まってるぜ。えーっと、たぶん、グレンは嫌々ながらも追っ手に加わってるだろ。レイルのやつにも参加してもらってる以上、ヴォルザークもいるだろ。で、おまえもここにいる。女性陣は欠席してるが、生きてる幼馴染男性陣は全員いるな」
「そうですか。ならば、みなには手向けの花はいらないと伝えてください」
終わりに遺言を軽く託す。その言葉から、私がここで死ぬつもりでここにいるとわかったパリンクロンは、その顔をさらに歪ませて話す。
「無駄話はここまでだな。悪いが、おまえの足止めに付き合うつもりはないんだ。さくっとおまえを倒して、通らせてもらうぜ? おまえはここで死にはしないし、俺を止められもしない。昔と一緒だ。ここ一番の勝負だけは、絶対俺に勝てない」
パリンクロンは何の変哲もないただの鉄の剣の切っ先を私に向ける。
ああ、わかってる。
子供の頃の試合で、本当の意味で私がパリンクロンに勝てたことは一度もない。
このヘルヴィルシャイン家史上最高の騎士と言われた私を相手に、彼は一度も負けたことがない。だから彼は『神童』なのだ。
「確かに、このままでは私の負けでしょうね。なにせ、いまの私はあなたの『呪い』のおかげで立っている。全て、あなたの手のひらの上だ」
そして、その『神童』が剣だけではないことを私は知っている。
彼の真価は、彼だけにしか使えない『呪術』だ。つい数日前、その『呪い』に私は侵食され、様々な枷から解き放たれ――こうなった。
「わかっているようだな。俺がおまえに預けた『呪い』は、おまえの限界を越えさせてやるものだ。つまり、それを解けば、限界を超えているおまえはあっさり倒れる。もう勝負は決まってるってわけだ。俺の後押しで動き出したおまえは、最初から詰んで――」
「いいえ、パリンクロン。もう私は大丈夫です。いままで、本当にありがとうございました。ここからは私一人の力で立ってみせます。――《ズィッテルト・ワインド》」
パリンクロンは用心深い男だ。絶対に勝てる自信があるからこそ、私の目の前に立っている。その自信の根本は、私にかかった『呪い』。
それを私は風の魔法で解除しにいく。その魔法は相手の魔法を分解する上位の風魔法。その魔法で、私は私にかかった全ての魔法を――『呪い』を解く。
「なっ、おい――! いきなり解くと――!!」
パリンクロンは焦った声を出した。
死にかけの私は『呪い』の補助を失い、倒れかける。心も萎れかける。
しかし、すぐに私は足に力を入れ直して、地面に一人だけの力で立ってみせる。
「……ほら、大丈夫でしょう?」
――もう倒れはしない。私は私だけで戦える。
私を回復をするために駆け寄ろうとしていたパリンクロンに、そう目で答えて見せた。
それを見たパリンクロンは困ったような顔のまま、少しだけ嬉しそうな顔をした。
本当はいますぐにでも私を治療したいのだろう。
しかし、それだけでは駄目だ。いま全てをパリンクロンに委ねてしまったら、優しく気絶させられてしまう。私の主が捕まってしまう。だから、私は――
「さあ、パリンクロン。そろそろやりましょうか。私は絶対に彼女たちを逃がします。この命に代えても」
決闘の宣誓を始める。
それにパリンクロンは短く答える。
「……本当に死ぬぞ、ハイン。いいのか?」
「ずっと言っているでしょう? ……望むところだと」
そう。
これは望んだのだ。他でもない私が。
先ほどラスティアラ様に言ったとおり、これは悲しい物語の終わりではない。いま、私は人生最高の気分なのだ。だから、私はパリンクロンに感謝してる。
「これが『おまえの望むところ』……。それでいいんだな?」
「はい」
即答する。
ただ、一つだけ惜しむことがあるとすれば、この目の前で顔をしかめている友を残していくのが、少し――ほんの少しだけ心残りだというくらいだろうか。
私は未熟で、友パリンクロンを救うことはできない。
しかし、なぜか心は軽い。託した少年がいるからかもしれない。
「はあ。なら仕方ないな、決闘しようか。ラスティアラの騎士ハインさんよ」
パリンクロンは決闘を受け入れた。
長い付き合いだからわかることがある。この決闘は『私の望むところ』だが、同時に『パリンクロンの望むところ』でもあると、なぜかわかった。
「ええ、よろしくお願いします。我が友パリンクロン」
血で血を洗うであろう真剣勝負を前に、私たちは笑い合い、誓い合う。
「お前に勝って、俺は『聖人』と『使徒』を貰い受けよう」
「いいえ。私が勝って、あなたは主たちを逃してしまいます」
過去、何度も繰り返した私とパリンクロンの決闘と同じ気軽さで、誓い合う。
そして――『最期』の決闘が始まる。
私は全力で駆け出し、それをパリンクロンは剣一つで迎え撃つ。
この勝負、死活だけで考えれば、私は不利だろう。
なにせ、いまの私の身体は、動いているのすら不思議な状態だ。
だが、勝敗だけで考えれば、まだ五分だと私は思ってる。なにせ、たった数分――足止めすれば、私の勝利なのだから。
剣と剣が交差する。それと同時に思い出す古い記憶。
ヘルヴィルシャイン家に生まれたこと。色々な人の期待を背負って生きてきたこと。
そして、義弟ライナーとの出会い。友人パリンクロンとの出会い。
終わりに、運命の少女との出会い。求めていた少年との出会い。
剣戟と共に、様々な記憶が錯綜していき――私は勝利する。
十分な時間を稼いだあと、パリンクロンの剣が私の胸を貫いていた。勝因は明快だ。
最期までパリンクロンは私を殺さずに勝とうとして――
最期まで私は死ぬつもりで戦い続けた――
それだけのこと。
こうして、『私の望むところ』は叶う。
意識が途切れていく。私の全てが死に覆われ、世界から魂が消えていく。
けれど、何の後悔もない。満足感だけが残っている。
だからだろうか。最期、私が願うのは、私のことでも主のことでもなかった。いま、私を看取る悲しい目をした友人――『パリンクロンの望むところ』も叶って欲しいと、最期に私は願った。
こうして、騎士ハインの駒は倒れた。
長い長い劇は、ようやく幕引きとなり、劇場は暗闇に落ちるのだった……。
ハイン編下




