3-2.酒場での一幕 その2(二章後の店長、クロウ、リィン)
「し、新人のやつが指名手配だって――!?」
突きつけられる手配書に店長は驚く。
いや、酒場にいたほとんどのものが目を見開いた。
「え、え? キリスト君がなんで……?」
配膳の途中だった看板娘のリィンは、手に持っていたトレイを落としかける。
「現在、探索者キリストはレヴァン教の聖人様と使徒様を誘拐し、逃亡中です。そのため、どうかこの酒場内の捜索を許可して頂きたい」
白銀の装備で身を纏った騎士たちは丁寧な物言いだったが、拒否は許さぬ険しい表情をしていた。
それも当然だ。
この酒場は、その容疑者の仕事場だったのだから。
「レヴァン教って、フーズヤーズのやつたちが信じてるあれだよな……? あれの聖人と使徒をさらった? 新人のやつがか……?」
「ええ。聖誕祭の当日の朝、フーズヤーズの聖殿に忍び込み、卑怯にも他国の賓客たちを人質に取って、儀式中で動けぬ二人をさらっていったのです」
「…………」
開いた口がふさがらない。
店長もリィンも、それを近くで聞いていた酒場の客たちも困惑で硬直していた。
それを騎士たちはつぶさに観察する。
逆賊キリストの仕事場であった酒場の人物の反応を確かめることも、この騎士たちの仕事だ。
ただ、すぐに騎士は酒場が無関係であると判断する。特に看板娘らしきリィンの様子を見ればわかる。落としかけたトレイを空中でなんとか拾ったところなど、まず演技では不可能な反応だ。
「ここはキリスト・ユーラシアの仕事場だったと聞きます。もっとも、最近は顔を出していなかったようですが……」
「あ、ああ、急に休みを取っていなくなったんだ」
「ふむ。ことを起こす前に、身辺を整理したのかもしれませんね。……申し訳ありませんが、ここは念入りに調査させて頂きます。関係の深いところですので」
「もう店は閉めるところだから、それは構わねえが……」
そして、閉店準備と平行して騎士たちの捜索が始まる。
フーズヤーズの騎士として乱暴な捜索は行っていないが、それでも遠慮などはない。
酒場の影、厨房の中、倉庫の奥まで隈なく探している。
店の隅で明日の下準備などを行いながら騎士たちを見張る店長に、常連客の一人クロウが話しかける。
丁度閉店に居合わせた彼は、他の探索者と違ってここに残ったようだ。
「おやっさん、あいつらの言う事を信じるのかよ……。キリストがそんな大それたことをやるやつだと思うのか……?」
まずクロウが行ったのは新人の少年キリストの弁護だった。
それを聞いて、近くで呆然としていた看板娘リィンも同調する。
「そ、そうですよ! キリスト君が誘拐なんてできるわけありません! 私がちょっと眉をひそめるだけで、びくって震えておろおろしちゃう、いまどき珍しい真面目な子なんですよ……!」
リィンは身を乗り出して店長に詰め寄った。
その口を大きな手のひらで店長は押さえ、自分の見解を騎士たちに聞こえないように述べる。
「おまえら、落ち着け……! 俺だって、あいつがマジで誘拐犯だなんて思っちゃいない。だが、ここであいつを弁護しても何の足しにもならねえよ。もう指名手配書は完成して、完全武装の騎士たちが捜索してるんだ。ここは言う事を素直に聞くのが正解だろうが」
「そうかもしれないけどよ……」
「けど、店長……!」
その正論に二人は顔をしかめ、黙るしかなかった。
そして、自分たちにできることはないと知り、三人を静寂が包むこと数秒後……ぽつりと、店長は言葉を漏らす。
「……それに、もしかしたら、……やつらの言うこともあながち間違っちゃ――」
「何か心当たりがあるのか、おやっさん!」
真っ先にクロウが反応した。
店長は少し困ったような顔をして、正直に話をする。
「いや、な。……新人が長期休暇を取るとき、酒場にすげえ美人が来たんだ。安いフードで顔を隠してはいたが、きらっきらの長髪の美少女だ。ぶっちゃけ、あれが例の聖人か使徒ってやつだったかもしれねえって思ってな……」
「い、いや、おやっさん。待ってくれ。世界一の宗教団体のお偉いさんが、一人でこんなところまで来たってのか?」
情報通のクロウは、それを信じられない。
フーズヤーズについて知っていれば知っているほど、店長の言っていることは異常なことなのだ。
「確かにおかしな話だ。しかし、そうとしか思えないほど、あれは凄かった。単純に美人ってだけじゃなくてな。存在感がやばかったんだ。この俺でさえ、有無を言わさなくする圧力があった」
有無を言えなくなったのは、ほぼ美人の涙に負けたせいなのだが、店長は名誉のためにその話を伏せた。その穴あきの情報をクロウは分析する。
「……なるほどな。つまり、その存在感やばい少女が、前に来たセラ・レイディアントっておっかない騎士の主だったってわけか。そうなると、確かに色々と繋がってくる」
クロウも店長と同じ答えに辿りついたのだろう。
はっきりとした証拠はないが、それでも線が繋がり、可能性が見えてきた。
「え、つまり、あの怖い騎士さんが言っていたことは本当で。キリスト君は本当に美人さんを誘拐しちゃったの? けど、あのキリスト君に連合国で一番厳重な聖殿に忍び込めるわけが……」
常識的な反応をリィンさんはする。
ただ、クロウと店長は違った。
あの新人が常識外であることを、ついこの間話し合ったばかりなのだ。
「ん、んー……。正直、そこは……。なあ、おやっさん?」
「ああ、クロウ。あの新人が順調に強くなっていたら、ありえない話じゃねえ」
「斥候……というより、盗賊向きの才能だったしなぁ。ああ、こうなるんだったら、俺がもっと強引に探索者パーティーに誘っておけばよかったぜ……」
歴戦の戦士である二人が、新人の少年の能力を全く疑っていない。
その事実にリィンさんは戸惑う。
「え、え? ほんと? あのキリスト君に、要人を誘拐できるような力があったの……?」
その問いに、戦士二人は頷くしかなかった。
そして、もう一度三人の間に静寂が流れ、またその数秒後……。
「つまり、キリスト君は駆け落ち……愛の逃避行をしちゃったのね!」
嬉しそうなリィンが、興奮した様子で叫んだ。
「あはっ。駆け落ちと言われると、なんだか急にありえそうな気がしてきたっ。キリスト君、惚れた女の子に一筋って感じしますし! こう……、周りが見えなくなって!?」
その様子を見たクロウは、嘆息しながら同調する。
真面目に話すのはもうやめのようだ。
「あ、ああ、あいつならありえるな。テンパると、なんかやらかしそうなやつだった」
二人は新人をネタに笑い、店長が話を閉めに入る。
「ま、無闇に心配してもしょうがねえか。よくよく考えれば、逃げるだけなら新人のやつは俺たち以上だ。いま、俺たちにできるのは、いつも通りに過ごして、あいつの帰りを待つくらいだな……」
それにリィンさんは「そうですね……」と返し、クロウさんは苦笑いをして頷き返した。
こうして、酒場での新人の少年の話は終わり、騎士たちの調査も同じ頃に終わった。
◆◆◆◆◆
そして、数日後。
酒場では一つの噂で持ちきりとなっていた。
「駆け落ち!?」「まじかよ! あの新人ウェイター、お嬢様と駆け落ちしたってよ!」「やりやがった!」「あ、そういえば私、お祭りのとき、すごい美人と歩いている新人ちゃんを見たわ」「なんだ、この前来た七騎士のやつ、何も悪くなかったんじゃねえか! 悪いことしたな!」「仕方ねえ、次来たら謝ろうぜ! あと主人が駆け落ちされた守護騎士の気分も聞いてやろうぜ!」「ははっ、そりゃいい!」「はははははははっ!」
噂を肴に酒を飲み、陽気な笑い声が響く。
「おい、リィン……」
店長は頭を抱えながら、信頼している仕事仲間に声をかける。
「す、すみません……。どうしても話したくなっちゃって……」
この噂を酒場に広めた張本人は頭を下げた。
しかし、いつも通り店長は美人に甘く、怒る事はできない。頭をかくだけだった。
……そう。いつも通りだ。
新人の少年『キリスト』がいなくとも、幸か不幸か酒場は回る。
迷宮最前線にある酒場は、いつも通りだ。
――ただ、さらにこの数日後。
ここにいる大半の荒くれものたちが、その噂のことを忘れかけたとき、誰もがその少年の事を思い出す。
それは連合国最大の武を競う大会。
場所はラウラヴィア。
連合国の歴史が塗り変わる日。
例の少年とお嬢様を、酒場の全員が目撃する。……ただ、それは数日後の話。
もう少しだけ。もう少しだけあとの話だ。




