3-1.マリア勝利IFルート(二章後のマリア、アルティ、カナミ)
光一つ差し込まない家の中で、私は火にくべられた鍋を掻き回す。
「ふーん、ふふーん。ふんふふー……」
鼻唄交じりで、丹念に愛情を料理に沢山こめていく。
鍋の中身はドロドロに溶けるまで煮込んだ野菜とお肉。
調味料は滅多に手に入らないから少しだけ。
それを私の抜群の火加減で、最高の料理に変えていく。
――ああ、最高に気分がいい。
食欲を掻き立ててくれる料理の匂いと混ざって、新しい家の香りが麻薬のように私の鼻腔の中に染み込んでくる。
前と比べると小さめの家だけど、住むには十分な広さだ。
むしろ、無駄な装飾はなく、素朴な親しみやすさがある。
石造りではなく木造り。
床も天井も棚も何もかも、魔石は一つも使われていない。
築百年に至っているのではないかと、アルティさんは不安そうに言っていたっけ。
それでも私はこの家に住みたかった。
だって、あの記憶の場所に似ている。
だから、恩人のアルティさんの反対を押し切ってしまった。
「ただいまーっと……おや? 随分と上機嫌だね。マリアちゃん」
丁度、頭に浮かべていたアルティさんが帰ってくる。
「おかえりです! 師匠!」
「いや、もう師匠はやめていいよ。……それより、どうしてそんなに上機嫌なんだい?」
「ふふ、当然です。だって、ようやく私は帰ってきたんですから!」
私は両手を広げて、この場所の素晴らしさを満面の笑顔で表現する。
そう。
帰ってきた。懐かしい故郷へ。もう覚えてないけれど、ここは確かに私の帰る場所。
「ふむ。そんなに違うものかい? いままで色んなところを点々としてきたけど、どこも余り変わらない気がするのだが……」
「ええ、違います。ぜんぜん違います。だって、ここは私の故郷のファニア――いえ、ここは私と私のご主人様の故郷のファニアなんですから!!」
そう言って、私は踊るようにスキップしたあと、閉め切られていた家の窓を開ける。
「――帰ってきました!」
飛び込んでくるのは連合国とは比べ物にならないほどの田舎。
どこまでも続く野原。
迷宮がなければ、宿も店も一つもない。
代わりにあるのは森林と畑。
放牧用の柵がところどころに打たれていて、いつでも畜産できる準備は万端。
ただ、ちょっと残念なことがあるとすれば、いろいろあってちょっと焼け野原になっているところかな。
できれば、記憶のままのファニアで静かに暮らしたかったのだけれど、みんなが無駄に抵抗するから……。
「ふふっ、そうだね。帰ってきたね。私も同じ気持ちだよ。ようやく帰れた」
アルティさんは同意してくれて、
「あ……、ぁあ、ああ……」
そして、三人目の震える声が家に響く。
すぐに私は窓を閉めた。
「あっ、ごめんなさい。急に開けたら、染みますよね。――ご主人様」
窓の近くで特製の車椅子に座っているのは、黒髪黒目の男性。
私のご主人様だ。
ゆったりとした灰色のローブを身にまとい、両腕には真っ黒の腕手袋をはめている。
首元から覗く火傷跡を見ればわかるが、いま、ご主人様は全身が火傷跡まみれだ。
私たちはご主人様の療養のためにも、この自然いっぱいの田舎まで来ているのだ。
「どこか痛くないですか? 痛かったら教えてください。ご主人様」
ご主人様の身体はボロボロだ。
手足は腱まで焼き切れている。
動く事のできないご主人様の背中に回って、その艶やかな黒髪を手で梳きながら、私は笑顔でお世話する。
ご主人様のできないことは、全部私がする。
だって、私は奴隷なのだから当然だ。
死ぬまで、口答えすることなく、何もかもを、私が代わりに行う使命がある。
「ふふっ、今日の料理は特に頑張りました。ご主人様の弱った身体でも、ちゃんと消化できるように煮込みに煮込みました」
ご主人様に褒めて欲しくて、背中から抱きつく。
そして、その髪を顔を胸を腹を、両手でぺたぺたと触る。
互いに互いがいることを確認できるように、入念に触れ合う。
「ぁあ、ああ、あアア……」
ご主人様は声をあげる。
私の声を聞き、私のことを考え、私を見て、私に答えてくれた。
それだけのことで、なんと心安らぐ事か。
嬉しくて嬉しくて、どうしても顔が綻んでしまう。
ちょっと声帯が焼けてしまったので掠れ声になってしまっているが、ご主人様の奴隷である私には言っていることがわかる。ご主人様は褒めてくれた。頑張る私を応援してくれている。
「ふふっ。いいえ、何の遠慮も要りませんよ。私はご主人様に買われた奴隷ですから」
笑って答えて、ぺたぺたと触り続ける。
ときにはまさぐる。
私が至福の時間を過ごしていると、アルティさんが申し訳なさそうな声を出す。
「……ええっと、すまない。マリアちゃん、水を差すようで悪いのだけれど、また彼女たちが来てるんだ。すぐに準備して欲しい。本当はこれを伝えに来たんだ」
見回りをしてきたアルティさんは、敵の襲来を告げる。
私がずっと浮かれていたので、言い出すタイミングを計っていたようだ。
それを聞き、すぐに私は真剣な表情に戻る。
「……以前は街ごと燃やしてあげたのに、まだ諦めないんですね。みんな」
彼女たち――名を言われずともわかっている。
もう覚悟は終えている。ヴァルト国やフーズヤーズ国の人たちは、少し熱心にお話したら納得してくれたが、彼女たちは絶対に諦めない。私と同類だ。
同類だが、その魂の輝きはまるで違う。
美しすぎる肢体と魂の持ち主たち。何より、そのふざけた才能による強さが頭にくる。私にとって才能豊かな人は敵だ。特に、私に近い年齢で、ちっちゃくて、魔法使いの才人なんて天敵だ。
まあいい。
誰が来ようと追い返してやる。
国が相手でも、伝説が相手でも、世界が相手でも、全部燃やし尽くしてやる――!
「こ、今度は街ごと燃やすのはやめようか。あれは流石にやりすぎだから、少しだけ反省して欲しいかな……」
「だって、頭にきましたから……。ディアが私のことを誘拐犯みたいに言うのが悪いです」
「あ、ああ、そうだな。あれはシスが悪いな。別に私たちはキリストを監禁なんかしていない。マリアちゃんはキリストの奴隷だから、ご主人様のお世話を頑張っているだけだしな」
「ええっ、そうです!」
私は最後のスキンシップとして、ご主人様の後頭部に額を当てたあと、名残惜しみながら離れる。
「安心してください、ご主人様。すぐに追い返してきます。そして、私とずっと一緒に暮らしましょう。あなたが死ぬまで、私がお世話します。ご主人様とアルティさんのおかげで、私、とっても強くなりましたから、お金の心配もいりません。ご主人様が生きるために必要なことは、何もかも私がやります。どんなことでも……」
それは心からの願いであり夢。――儚い幻だと言われようが、それが私の幸せ。
「だから一緒にいてください。私だけを見て、ずっと私のご主人様でいてください。ずっと、ずっとずっと、ずっとずっとずっと、ここで暮らしましょう……」
「ぁあ、マリ――ぁあ、や――……、ぁあ……」
呻き声。
わかってます。
言いたいことは全部わかってます。
すぐに私は背中を向けて、家から出る支度を整える。その私の後ろに親友が続く。
「行こうか、マリアちゃん」
安心する。アルティさんがいれば、もう何も迷う必要はない。
「ええ、行きましょう。アルティさんと二人なら、私たちは最強です!!」
だから、今日も私は戦いに行く。
ご主人様を取り返さんとする魔の手を払うため、魂の炎を燃やし続けるため、心にある薪をくべ続ける。きっとその全てが灰になって消えるまで、私は止まらないだろう。
故郷ファニアの焼け野原を歩く。
おそらく、ここが私の始まりであり最後となる。
――なにせ、もうご主人様の名前すら忘れてしまった。
けれど構わない。
この愛だけは、きっと永遠に残るはずだから。
ここで私は悲恋の炎を燃やし、私の世界を暖め続ける。……それでいい。
それが私の探し続けた幸せ。
幸せのはずだから、きっと……――




