1-1.ラスティアラの序章(一章前のラスティアラ、ハイン)
「……ハインさん。最後に――」
わかってる。
あと少しってことくらい。
だから、私――ラスティアラ・フーズヤーズは教育係であるハインに言った。
「外を、見てみたいです」
初めて口にした我がままらしい我がまま。
フーズヤーズの九番地にある大聖堂。その中でも位の高いものしか入ることのできない部屋の一つで、私は窓の外を見ていた。
見えるのは大聖堂の敷地内にある庭だけ。庭は背の高い木々に囲まれているため、フーズヤーズの街並みすら見ることはできない。
家が買えるほど高価な椅子をガタンと鳴らしながら、私は心の声を零した。
それを聞いたハインはぽかんと口を開けた。
不快に思われたのか呆れられたのか私にはわからない。すぐに私は自分の漏らした言葉を後悔した。
だが、ハインは私の願いを無碍にはしなかった。
「……上にかけ合ってみます。少し時間をください、お嬢様」
吟味して、真剣に応えてくれた。
ハインは早足になって部屋を出て、行動に移った。
本当は怒られると思った。
何を馬鹿なことを言っているのです、と一言怒られたら諦めるつもりだった。けれど、ハインは一言も不満を言うことなく、願いを叶えようとしてくれた。
不思議だった。
私の知っているハインなら――いや、私の知ってるフーズヤーズならば絶対に私の自由を許しはしない。
大聖堂の神官たちは揺らぎを嫌う。ここにきて計画に支障の出る可能性を上げるなんて真似、許すはずがない。
そう。
丁度いま、私が心の中に抱えている揺らぎなんて、絶対に許容するはずがない。
だから、私は期待せずにハインの帰りを待った。
どうせ、無理に決まってる。
ハインも本気でかけ合うつもりはないだろう。ただ、私が要望を出したから事務的に話を上に報告しに行った。きっと、それだけのことに違いない。
ハインは帰ると同時に「上にかけ合ったものの、やはり無理でした。申し訳ありません、お嬢様」と言うことだろう。
わかってる。
――『もう終わり』ってことくらい。
期待するのは止めて、ぼうっと窓から空を見る。
時が流れるのが遅く感じる。
もう残り時間は少ないのに、その少ない時間が長くて堪らない。
いつも通り、ご飯を食べて、勉強して、祈りを捧げて、眠る。その全ての時間がゆったりとしていた。何も変わらず、刺激のない、退屈な時間。
本棚からお気に入りの冒険譚を取る。
しかし、目を通そうとは思わない。本棚にある全ての本は読みきり、暗記までしてしまった。
もはや、この部屋に残された楽しみは、ハインの作り話を聞くくらいとなっていた。
薄く引き延ばしたパン生地のような時間が過ぎていく。
そして、ハインが帰ってくる。
わかってる。
と、何度も心の中で繰り返す。
どうせ、無理に――
「――お嬢様、行きましょう」
「え、え?」
一瞬だけ何を言っているのかわからなくなる。
ぞくぞくっと背中に気持ちいいものが這った。
「許可は得られました。外へ出ましょう」
「ほ、本当ですか。ハインさん」
「ええ、本当です。最後ですからね。お嬢様の行きたいところへ行きましょう」
ハインは朗らかな笑顔で部屋の扉を開け放つ。
外へと誘う。
「行きたいところへ……?」
「ええ、お嬢様の行きたいところへ」
私は手に持った冒険譚へ、目を移す。
「な、なら、迷宮へ行ってもいいですか……?」
「中央にある迷宮ですね。もちろん、構いませんよ。では、色々と用意をしないといけませんね。食料とか、武器とか、他にも探索に必要な小物もたくさん」
「いいの……?」
思わず素が出てしまう。
「ええ、行きましょう。これで『最後』ですから」
ハインは頷いて、顔を背けた。
背ける直前に見えたハインの表情は歪んでいた。
何がどうなっているかわからない。
余りにも予想外過ぎて、思考が追いつかない。
「行きましょう。そして、確かめましょう」
ハインは私の手を引く。
お気に入りの冒険譚が床へと落ちる。
同時に胸の鼓動が跳ね、時間が圧縮されていくのを感じる。
あんなにも遅く感じた時間が、早まっていく。
そして、私は部屋を出て、外へ出た。
あんなにも堅牢だった籠を、こうもあっさりと――
◆◆◆◆◆
そして、冒険譚のような時間が始まるかと思った。
「必要ありませんよ、お嬢様。私たちの方で用意させて頂きます」
が、そう現実は甘くできてはいなかった。
「え、でも、迷宮へ行くなら道具を揃えないと……」
「お嬢様に荷物を持たせるようなことはできません」
大聖堂の熟練騎士が二人、私の両隣で常に行動を見張っている。
彼らは、最年少で『天上の七騎士』となったハインさんよりも位の高い騎士たちだ。力はあれど若輩であるハインは、後方で静かに見守るだけとなる。
「ハ、ハインさん……?」
「……お嬢様、大聖堂の指示に従ってください」
「……わかりました」
求めた助けは届かなかった。ハインは小さく首を振る。
外へ出るのは協力してくれたが、それ以上のことはできないとわかる。
仕方なく熟練騎士たちへと聞く。
「えっと、迷宮に行くのですから、他に仲間を誘うのは……」
「仲間? 誰をです?」
「えっと、酒場とかギルドとかで探して……」
「私どもがいます。ご遠慮ください」
ぴたりと断られる。
冒険の準備もなければ苦労もなかった。醍醐味なんて全く味わえない。
お気に入りの冒険譚と違う現状を前に、また時間の停滞を感じてしまう。
「なら、これは持っていってもいいですか?」
私は諦めることなく、愛用の剣を見せた。
ひっそりと遊ぶときに使っている剣で――『私の身体』の持ちものだ。
「え、『聖遺物』をですか?」
「ご、護身用です。この天剣なら私にぴったりでしょう?」
「護衛は私たちがいるので万全です。必要ありません」
それさえも駄目だった。
手に入れた希望が澱んでいく。明るい予定が崩れていく。
これでは冒険にはならない。
せっかく、外に出たのに何も意味はない。
私はため息と共に、熟練騎士たちの指示に従った。
その後、念願の迷宮に入ったものの気分は盛り上がらない。
当たり前だ。
少しでも動こうとすると、その度に熟練騎士たちが口を挟む。
「――お下がりください。お嬢様」
「――触れてはいけません。お嬢様」
「――すみませんが、話すことはできません。お嬢様」
戦うことも、触ることも、話すことすらもできない?
そんなの――、何の意味も――!
ないじゃん!!
正直、苛々が頂点に達しかけていた。
また退屈が時間を引き伸ばしていく。
こんなの生殺しだ。
これなら、あの部屋にいたほうがましだった。
不満が顔に表れ、表情が歪んでいく。フラストレーションだけが溜まっていき、いまにも爆発してしまいそうな――そんなときのことだった。
「――おい。そこに身を潜めている者、出てくるがいい」
私の黄金の両目が、その少年を捉える。
そして、その少年の『ステータス』を見て、その異常さに心臓の鼓動が速まった。
「え、え……?」
また気持ちのいいものが背筋を這い登る。
時間が引き伸ばされるのとは逆、圧縮され世界が加速していく。
胸が躍った。気分が高揚していくのを感じた。
そこにいた少年は、冒険譚の主人公。
世界に贔屓されたとしか思えない『ステータス』。その才覚に不釣合いな逆境っ。
『素質』の値が私を越えているというのに、レベルは1のまま……!
頬が緩んでいく。
暗くなっていた表情が明るくなっていくのが、自分でもよくわかる。
雷が落ちたかのような音と共に、私を覆っていた殻が割れるのを感じる。
その雷鳴は合図だ。私の物語の始まりを教えてくれる空砲であり祝砲。
まだだ。
まだ終わっていない。
私の物語は、まだ――――




