異世界学院の頂上を目指そう10
連合国のエルトラリュー学院には多くの闘技場が点在している。
そして、その多くがどのような時間でも生徒たちが利用できるように開放されている。
ゆえに真夜中まで、僕たちの決闘は続いた。
それを可能とする技術が、僕の対戦相手にはあった。
いかに僕が負けて負けて負けて負けて負け続けようとも、決して僕に重傷を負わさない紳士的な手加減能力が。さらに言えば、その僕の無限の挑戦に付き合うだけのモチベーションも彼にはあった。そして、その数奇な運命の結果、とうとう真夜中の闘技場にて、赤い花弁が散る。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ――! よしっ――!!」
血の匂いのする息を吐きながら、その光景を僕は見届けた。
同様に、この決闘の立会人をやっていた友人ライナーとアニエスも見た。
その奇跡的過ぎる瞬間を――
「か、勝てた……? 先輩が、シッダルク卿に……!?」
「嘘、え、カナミ君が……? 学院史上最強のオーバーロードに? たった一ヶ月で?」
二人とも大口を開いて、目の前の事実を受け入れようとしてくれなかった。
それも当然だろう。
この学院に通う者ほど、エルミラード・シッダルクという存在の強さと異常性はよく知っている。
彼は学院の歴史上で唯一人、全ての魔法を修めたと噂される男で、決闘においては無敗を誇っていたのだ。
それが昨日今日転入してきたばかりのレベル1の手によって、伝説的な記録が打ち破られてしまった。
「嘘じゃないよ、アニエス君。ちなみに、僕はカナミ相手に一切手加減をしていない。……これは当然の結果だ。戦いに絶対はないという以上に、決闘は体調管理と状況管理との勝負だからね。基本さえしっかりしていて、僕の力を前にして心さえ折れなければ、偶にはこういうことも起こる。そう、戦いの基本――相手をチェックするために『剣を持ち、剣で戦う』という酷く当たり前のことさえできていれば、これは当然の結果なんだ。この間までのカナミは、余りに魔法道具に頼り過ぎていたんだよ」
至極当然のことのように、エルは闘技場に散った自分の胸花を拾い集めながら話す。
それに学院の事情通でミーハー気質なアニエスが、声を震わせて答えていく。
「いや、確かに、もう千回以上は決闘しましたが……。『胸花落とし』のルールなら、回数をこなせば、ありえなくはないと思ってましたけど……、でもこんなにも早く……」
「確かに、想像以上に早かったね。しかし、僕はカナミが基本さえ知れば、すぐにこうなるという確信があったよ。なにせ、カナミの記憶力は異常も異常だ。こちらの魔法と戦術を全て覚えることができる。そして、実力は足りずとも、それに対応した手札を、魔法道具を作って用意できる」
全てが全て、エルの言うとおりだろう。
ただ、一つだけ僕は否定したいところがあった。
それは、異常も異常だったのは僕の『記憶力』でなくエルの『教える力』だったということだ。
彼は本当に教えるのが得意だった。
生徒に気づかせるのが得意だった。
生徒を導くのが得意だった。
全ての魔法に精通しているからこそ、どんな属性の生徒相手でも無駄なくわかりやすく説明をすることができる。
はっきり言って、この学院で最も教師に向いている男と言っていいだろう。
ただ、その性格は教師に向いているとは言い難いが……。
「そう、この僕の敗北は運命だったんだ……。ふっ――、そして、全ての準備は終わった。ああ、やっと基礎が終わったんだ。ふふっ、ここからは僕が楽しむ番だ……!!」
エルは王子と呼ばれる美貌に似合わない邪悪な笑みを浮かべた。
そして、この千を越える決闘の間、ずっと言っていた約束の履行を僕に求める。
「――約束どおり、次は、カナミが僕の目標になるんだ。この状態でレベルを上げれば、千に一つだった勝率は何倍にも膨らんでいく。そして、すぐに学院最高の――いや、大陸の『英雄』にだってなれるはずだ。間違いなく。君に必要なのは研究資金でも研究室でもなかった。その手に持った剣っ――! 剣一振りだけだったんだ――! ははっ!!」
僕に強いライバルであることを、彼は強く望む。
スノウさんとの恋敵としてだけでなく、『英雄』へ至る道の競争相手にもなって欲しいというのが、彼との約束だった。
僕は少しの不安を抱きながらも、それに頷き返していく。
「うん。エルのおかげで、僕は強くなれた。だから、この恩は絶対に返すつもりだよ」
「いい返事だ。……これで君は飛び立てる。学院の縛りなど関係なく、アレイス家の保護など必要なく、何者も届かない領域まで、その剣一振りだけで、どこまでもどこまでも。この僕が、それを保障しよう」
エルは自分で鍛え上げた僕に手を伸ばして、とても期待した目を向けた。
どこか歪んでいると思いながらも、いまはその手を僕は握り返すしかなくて――
「――《フレイムアロー》」
しかし、その握手の間に、魔法の矢が飛来した。
咄嗟に僕は身をそらしたが、手に持っていた剣を手離してしまう。
カランと、剣が闘技場の砂の上を転がっていく。
その転がった先には、魔法を放った少女が立っていた。
僕がスノウに挑戦すると宣言してから、ずっと学院から姿をくらましていた僕の雇い主――薄紅色の髪の少女、カラミア・アレイスだった。彼女は転がった剣を手にしながら、ぼそりと呟く。
「――いいえ。カナミ君に剣など必要ありません。これは私だけが持っていればいい」
明らかに様子がおかしかった。
それをエルも感じ取ったようで、僕を庇うように立つ。
「里帰りをしていると聞いていたが……。いつの間にか学院に戻っていたんだね、カラミア嬢。ちなみに、それを選択するのは、彼だ。君じゃない」
「私です。私はカナミ君の主人。全てを決める権利があります。そう約束をしました。確かに、私はカナミ君と誓い合いました。この書文にて」
間髪入れず、カラミア様は手に持った紙を広げて見せた。
それをエルは眉をひそめながら見つめて、すぐに笑い飛ばす。
「ははっ、よくある雇用契約書だ。そんなもので人生を束縛する権利は生まれない」
「……よくある? いま、よくあると言いましたか? 私とカナミ君の絆を、よくあると? シッダルク」
エルは一般論を軽く返しただけだが、それにカラミア様は異様なまでに食いついて、虚ろな目で睨む。
そして、ずっと僕が危惧していた感情が、いま彼女の口から爆発していく。
「あの日、この書文の上で、彼とはたくさんの話をしました。互いの願いと夢を打ち明け合い、心と心を交わして、話し合いました……。夜通しずっと、私の部屋で、二人きり、ずっとずっと、とても真剣にあなたは聞いてくれた! ずっとずっとずっと――!!」
その虚ろな目に色が塗られ、エルでなく僕に向けられる。
その瞳に塗られた感情を、僕は知っていた。
それはつい最近、僕自身が瞳に塗りたくっていたものだ。
「誰もが、私の本性を知れば、怯え、屈し、理解を諦めていく! しかし、カナミ君だけは違った。どんなときでも、まっすぐに私の目を見つめ続けて、私の理解を諦めようとしなかった……! そして、とうとう彼は、私の初めての理解者となったのです。――だから、彼は私の婚約者なんです。私の恋人なんです。私のカナミ君なんです。シッダルク、わかりますか? この尊い絆が……!!」
「恋人や婚約者という話は……、あくまで噂でしかなかったはずだ」
「全て事実です。事実になると、もう決まっています。学院の根回しだけでなく、アレイス家の紹介も終わり、既成事実は完璧です。あとは、一押し。たったの一押しだけ――」
いま、彼女は恋焦がれているのだろう……。
それも尋常じゃなく……。
スノウさんを想う余りに、今日僕は奇跡的な勝利をエルからもぎ取った。
その執念と全く同じものを、いまのカラミア様からは感じる。
だからこそ、僕は雇い主に向かって、それが間違いではないかと確認していく。
「カラミア様、どうか冷静になってください。いま、あなたは目標を大きく間違えています。あなたが欲しがっていたのは学院だったはずです。それなのに、どうして僕を――」
「ええ。いつだって、力で支配することだけが私の全てです。ただ、いまはその優先順位が、少し変わって、あなたが一番上になっているだけ。それだけなんです、カナミ君」
にっこりとカラミア様は僕にだけは笑いかける。
まさしく、恋は盲目という言葉を体現していた。
人生をかけた目標を、あっさりとずらして、僕の支配を優先する姿は、もう――
「カナミ君、これから先ずっと、あなたのレベルは変わりません。ずっとずっと、レベル1で十分です。あなたは私の執事で、私の専属錬金術師で、私の最大の理解者のままで――十分。『英雄』なんて、私の支配には必要ありません。もちろんカナミ君の幸せは私が全て用意しますから安心してください。これからあなたは私の管理の下で、永遠にレベル1のまま、私の傍に居続けるのです。これからのカナミ君の全ては、私が決めます。寝る時間も起きる時間も、明日の朝食も昼食も夕食も、朝の挨拶も夜の挨拶も、着る服も話す相手も、微笑む相手も優しくする相手も、過ごす時間の何もかもを、この私が管理する。それが幸せなんです。それが、これからのカナミ君の幸せなんです。だから、安心してください。ずっとずっと私の手の中で、あなたは――」
「カラミア様!!」
聞いていられず、僕は名前を叫んで止めた。
しかし、続きの言葉が出てこない。
なにせ、いまの僕はそれが……わかってしまう。
方向性は違えども、同じ恋焦がれる者として共感できてしまう。
同じくらいに、僕はスノウという少女が好きだったから、言葉が出ない。
「ええ。この気持ちをカナミ君はわかってくれますよね? ――いえ、聞くまでもないですね。カナミ君はわかってくれる。この支配したいという気持ちを認めて、受け入れてくれたカナミ君なら……! これからの私の全ても理解して、支配されてくれる……! その身体の隅々まで! ずっとずっとずっと、永遠に……!!」
カラミア様は手に持った剣を握り締めて、一歩前に出た。
その魔力は、年若い学生の纏っていいものではなかった。
おどろおどろしく濃く、かつ粘着質のある魔力だ。
近くにいたライナーとアニエスは気圧され、恐怖で硬直していた。しかし、エルだけは余裕を保ち、涼しい顔で僕を庇い続ける。
「はあ……。独占したいがために『英雄』の羽化を認めない、か。わからなくもないが、許容はできないな。なにせ、いまカナミの意中の相手はスノウ・ウォーカーで、君では――」
「――っ!! シッダルク!! その名をっ、出すなぁあアアッ――!!」
スノウさんの名前が出たとき、カラミア様は初めて激昂した。
その反応を見たエルは嘆息しながら、挑発を繰り返す。
「ああ。やはり、結局はよくあるコンプレックスか。本当によくある嫉妬で、目新しくもない。よくありすぎて、いま僕は君の陳腐さに落胆を覚えているよ。アレイス」
「シッダルク。……ならば、本当によくあるものかどうか、いまから確かめるといいでしょう。ここで決着をつけましょう。私のカナミ君を賭けて」
「いいだろう、決闘だ。僕が勝てば、君も『カナミ英雄化計画』に協力するように」
こうして、どっちが勝っても微妙に僕は得しない決闘が始まろうとしていた。
どちらもルールを口にしようとしない。
それは先ほどまでやっていた『胸花落とし』のようなお遊びではない本物の決闘である証明だった。
「勝てませんよ、序列二位。あなたが自分の力をカナミ君に与えている間、ずっと私はカナミ君の力を私のものに換えてきた。専属の錬金術師として、あなたを倒すための魔法道具をたくさん作らせました。その全てを、いま私は身につけている。なにより、我が家に伝わる最高の魔法道具が、いまの私にはある。――あなたたちに勝つ為に」
そう言って、カラミア様は僕の作った腕輪や指輪を見せつけ、その腰に下げた自らの魔力以上に禍々しい剣も見せ付ける。
「ふむ……。アレイス家は大陸中の呪いの武具を管理しているとは聞いていたが……。まさか、管理者の跡継ぎがそれに手を出し、悪用するとは……。ハッ、小物っぷりが極まったな。序列三位」
エルは一切気後れすることなく、剣を抜いて言い返した。
ただ、決して前には出ない。
僅かに後退しつつ、僕たちに近寄り、小声で話す。
「――ライナー君、アニエス君。いますぐカナミを連れて、ここを離れろ。挑発で標的を僕に変えたものの……、僕では彼女に勝てないだろう。明らかに、複数の呪いの魔法道具によって、リミッターが外れている」
そして、自らの敗北を先んじて告げた。
その明らかに囮となるような行為を、僕は受け入れられず大声を出しかける。
「エル……!? なら、君も一緒に……!」
「いま捕まれば、さっきの話が実現するぞ。それだけの権力や財力が、彼女にはある。あっさりと夫婦にされるどころか、一生飼い殺しの監禁生活だろうな。それを跳ね除けるだけの力を、君は手に入れるしかない。スノウ君もカラミア君も納得するだけの力を、恒久的にだ。僕のライバルなら、わかるな?」
そう言って、エルは僕たちから離れた。
その意思をライナーは汲み、迅速に僕の手を引いて動き出す。
「ご武運を、エル先輩。行きましょう、先輩っ!」
それに僕は逆らわない。
この事態を解決するには、僕がレベルを上げて、カラミア様を上回る力を手に入れるしかないとわかっていた。
――ただ、一つだけ僕の中には疑問があった。
果たして、本当にレベルを上げて、力でカラミア様を倒して……それで終わりになるのかどうか。
それは例えば、僕が圧倒的な力によって敗北したとして、それで終わりと諦めるかどうかの問題と同じだろう。
その答えを僕はわかっていたからこそ、闘技場から離れながら、エルたちとは違う道筋を頭に浮かべていた。
僕にしか選べない道を――




