竪琴 3
とうとう春のお祭りの日となった。春のお祭りは、秋のお祭りや冬のお祭りと違って、昼前から始まるらしい。だから、自由時間は限られている。ゆっくり寝ているのはもったいない!
いつも通り、日の出前に起きた僕は、朝の鍛錬へと出掛けた。お屋敷の廊下を歩き、サーシャ達が泊っている部屋を目指す。
例のごとく、スマラクト様は起こしても起きなかった。だから一人で部屋を出たんだけど、独りは何となく心細くて。サーシャを誘う事にした。
「サーシャ。起きてる? 僕だよ、アベルだよー!」
サーシャ達が泊っている部屋の前に来た僕は、そう声を上げた。とたん、奥の方からドタドタとした足音が聞こえて来て、スパンと勢い良く襖が開いた。そこにいたのは、朝の準備をしっかり終え、満面の笑みを浮かべるサーシャ。前から思ってたけど、サーシャって、普段からかなり朝型の生活をしてるみたいだ。うちの寝坊助スマラクト様とは大違い。
「アベル! おはよー!」
「おはよ、サーシャ。あのね、今から朝の鍛錬に行こうと思うんだけど、サーシャも行く?」
「うん! 父ちゃん! 朝の鍛錬行って来るね!」
「ああ。行っておいで。アキム、着いて行ってやってくれ」
「はっ!」
そうして僕は、サーシャ、アキムさんと共に、冬にヴィルヘルムさんに投げナイフを教えてもらった中庭へとやって来た。そこには、剣の素振りをするヴィルヘルムさん。彼は今日も独りで朝の鍛錬をしていたようだ。
「ヴィルヘルム兄ちゃ~ん! おはよ~!」
サーシャって物怖じしない子だよね。笑顔でブンブン手を振りながらヴィルヘルムさんに挨拶するサーシャを見て、思わずそう思ってしまった。誰とでも仲良く出来そうな子なのに、お城ではお世話係の人達とうまくいっていないとか、分からないものだ……。
持って来ていた靴を履いて、みんな揃って中庭に出る。そうしてヴィルヘルムさんに挨拶をして、サーシャとアキムさんは朝の日課だという、地面に描いた丸の中という限られた空間での鬼ごっこを始めた。冬よりは少し丸が大きい。そこを変幻自在に動き回るサーシャとアキムさん。何度見ても感心してしまう動きだ。
「アベルも鍛錬をするのでしょう? 投げナイフ、見てあげましょうか?」
ぽけ~っとサーシャとアキムさんの鬼ごっこを見ていたら、ヴィルヘルムさんにそう声を掛けられた。ハッとして彼を見る。彼は安定の無表情。でも、どこか優しい目をしているような気がした。
「えっと……。良いの……?」
もじもじしながら問う。ヴィルヘルムさんだって、自分の鍛錬をしたいはず。それを分かっていても、僕はここに来てしまった。だって、せっかく練習した投げナイフ、見てもらいたかったんだもん。
「ええ」
「じゃあ、お願いします」
ぺこりと頭を下げる。そうして僕とヴィルヘルムさんは、鬼ごっこを続けるサーシャ達から少し離れた。
ジャケットの裾、腰のあたりから仕込みナイフを一本引き抜く。そうして狙いの的へと放った。毎日隠れて練習した甲斐もあって、予備動作無しで投げられるようになったんだから。えっへん! それに、狙いから大きく外れる事も無い。ただ、的の真ん中より少し右寄りにナイフが刺さってるのがなぁ……。いつも少し右にずれちゃうんだ。続けて二本目、三本目のナイフを放つも、的の真ん中に刺さらない。
「悪くはないですね」
「ホント?」
「この短期間で、ずいぶん上達しています。ただ、半身になった時、的に肩が真っすぐ向くように上半身をもう少し捻って――」
ヴィルヘルムさんが僕の肩に優しく触れ、上半身の向きを直してくれる。
「あと、足の向きも悪いですね」
そう言った彼は僕のそばに屈みこみ、僕の右足の位置を手で直した。
「足、内側向いてない?」
感覚的に、少し内股になっているように感じるんだけど……。
「これが真っすぐ的に向かう位置ですね。普段、少しガニ股気味なのかと」
「ガニ股……」
そんな自覚は全く無かったんだけど……。そうか。僕はガニ股だったのか……。ちょっとショック……。
「この向きで投げてみて下さい」
「うん」
言われた通り、ナイフを投げてみる。すると、ナイフが的の真ん中に命中した。
「筋は良いので、この感覚を身体に叩き込めば、命中率は上がると思います」
「うん! ありがとうございました!」
「いえ」
そんなやり取りの間に、サーシャの朝の日課が終わったらしい。満面の笑みでサーシャがこちらに駆けて来た。
「ヴィルヘルム兄ちゃん、あたいにも朝の鍛錬して!」
「投げナイフはまだ早いと冬に――」
「違うよぉ! アキムと交代!」
鬼ごっこに付き合え、と? それは流石に図々しいんじゃ……。そう思ってヴィルヘルムさんの顔色を窺う。すると、彼は顔色一つ変えずに頷いた。近寄りがたい雰囲気のわりに、意外と付き合いが良い人らしい。
「アキムとの鍛錬、いつもあたいが鬼だから、今回もあたいが鬼ね!」
「分かりました。制限時間は、あの砂時計ですか?」
ヴィルヘルムさんが視線をやった先、地面の丸の近くの縁側に砂時計が置いてあった。
「そう! 砂時計の砂が全部落ちるまでにあたいがタッチ出来たらあたいの勝ちで、一日、あたいの言う事、聞かなくちゃいけないんだよ!」
「分かりました」
ヴィルヘルムさんは何てことない顔で頷くと、丸の中に入った。彼は負けない自信があるのだろうか? 一日サーシャの言う事聞かないといけないなんてルール、僕だったら絶対に受けないけど。だって、何やらされるか分からないもん。
「準備はよろしいか?」
砂時計のすぐそばに立ったアキムさんの言葉に、ヴィルヘルムさんが静かに頷く。サーシャも爛々とした目をしながら頷いた。サーシャってば、今にも飛び掛かりそうな顔して……。一応、お姫様じゃないの……?
「始め!」
アキムさんの合図と同時に、サーシャがヴィルヘルムさんに飛び掛かった。でも、ヴィルヘルムさんは眉一つ動かさず、一歩横に避けるように動く。サーシャの手がむなしく空を切る。でも、勝負はまだ始まったばかり。これくらいじゃサーシャはめげない。地に足が着いた瞬間、サーシャは低い位置でヴィルヘルムさんに向かって飛んだ。そうして手を伸ばす。ヴィルヘルムさんは後ろに一歩下がりながら身体を捻った。再びサーシャの手が空を切る。
見ていて思う。ヴィルヘルムさんって、動きに全く無駄が無い。サーシャやアキムさんは縦横無尽に――それこそ飛んだり跳ねたりも入れていたけど、ヴィルヘルムさんは必要最低限の動きで逃げている。部族の差なのか性格なのか、はたまた実力の差なのか、僕には判断がつかない。ただ、ヴィルヘルムさんの動きを見る限り、サーシャが勝つ未来が想像出来ない……。
そうして砂時計の砂が全て落ち、勝敗がついた。鬼のサーシャが制限時間内に捕まえられなかったから、サーシャの負けだ。しかも、サーシャはかなり息切れしているけど、ヴィルヘルムさんの息は全く上がっていない。
「全然、敵わなかった……!」
地面に大の字に寝転がり、ゼーハーゼーハーしながらサーシャがそう呟く。アキムさんと僕はそれに苦笑するしかなかった。敵う気でいたんだ、サーシャってば。
「面白い訓練ですね。アキム殿が考えたのですか?」
「ええ。姫様は遊びには全力の方ですので。こういう方法でしたら、楽しんで身体を動かして下さるのではないか、と」
「これ、意外と実戦的ですよね。サーシャ様だけでなく、アキム殿の鍛錬も兼ねているのですか?」
「分かりました?」
「ええ。難点は、幼子と遊んでいるようにしか見えないところですね」
「そのせいで、姫様が私と遊んでばかりいると誤解されているのですが……。数年後には、そんな陰口叩く奴らを見返してやりましょうね、姫様!」
アキムさんがニカッと良い笑顔をサーシャに向ける。サーシャは地面に寝転がってゼーハーしながら、その言葉にこくりと頷いた。
「アベルもやってみますか?」
唐突なヴィルヘルムさんのお誘いに、僕は目をぱちくりとさせた。
「ぼ、僕……?」
そりゃ、ちょっと楽しそうだなとは思ったけど……。ヴィルヘルムさんやアキムさんに勝てる未来が想像出来ないんだけど。
「興味があるのでしょう?」
「え……。あ、うん……。まあ……」
「姫様はあまり魔術が得意ではありませんので、まだ魔術使用ではやった事がありませんが、魔術を使う相手だとまた一味違いそうですね」
アキムさんが興味津々って顔でこっちを見る。たぶんだけど、ヴィルヘルムさんが僕を誘ったのも、アキムさんと同じ理由だと思う。魔術を使う相手だとどんな感じなのか、と。
「じゃあ、僕は魔術使って良いんだね? 二人は――」
「普通に逃げます」
真顔で答えたヴィルヘルムさん。だよねー。想像してた。
「じゃあ、ルールはそれで、僕が勝ったら、何してくれる?」
「望みを一つ叶えるというのは?」
答えたのはアキムさん。ノリノリだ。ヴィルヘルムさんもそれに異論はないらしく、静かに頷く。
「分かった。じゃあ、それで。順番は――」
「私から」
アキムさんがはいと手を挙げた。もうね、ワクワクしてるのが空気で分かる。良い意味で童心を忘れない人なんだろう、彼は。サーシャにも、獣王様やローベルトさんにも通ずるところがあるそれは、血筋なのだろう、たぶん。
そうしてアキムさん、ヴィルヘルムさんと順番に鬼ごっこをしてみた。でも、全然捕まえられなくて。父さんとの毎日の訓練で、少しは魔術の制御が上手になったように思ってたんだけどな……。まだまだ鍛錬が足りないらしい……。




