墓穴 3
と、そこへ廊下を走る足音が近づき、書庫の扉がバンと勢い良く開いた。その先にいたのはバルトさん。大慌てって風情だ。
「団長! 重大なご報告が!」
「エルフの隠れ里の件ですか?」
そう答えたのはラインヴァイス様。ラインヴァイス様はバルトさんの上司らしい。団長って呼ばれていたから、かなり偉い人っぽい。
それもそのはず。王族であるスマラクト様の従兄って事は、ラインヴァイス様も王族って事だ。若くてもそれ相応の地位があるのは、それ程おかしい事ではない。ただ、この国は血筋よりも実力を重視する傾向があるのは、僕でも知っている。だから、ラインヴァイス様は血筋が良いだけじゃなくて、実力も相応にあるって事だ。
「は! 昨日お話したご老体から、里の大まかな場所を聞く事が出来たのですが――」
「やはり、人族の領域内にありましたか……」
憂鬱そうな顔で呟いたラインヴァイス様を、呆然と見つめるバルトさん。と、ラインヴァイス様が無言で僕を見た。その視線を追うように僕を見たバルトさんが、驚いたように目を見開く。
「里で姿を見ないと思ったら……」
「下見に来たんだそーですよ。知っているかもですが、彼が他の里から嫁いで来た女性の子孫だそーです」
そう言ったのはウルペスさん。大方、昨日、じーちゃんからその辺の話をちょろっと聞いて、今日、バルトさんはそれを詳しく聞きに行ったのだろう。けど、何で? 昨日、この二人は騎士の登用試験の勧誘に来てただけのはずなんだけど……。
バルトさんはエルフ族だし、同じ部族の他の里に興味を持った、のかな……? 知らない里があれば、興味を持って当然だろう。僕だって、バルトさんの故郷の町に興味が無いと言えば嘘になる。どれくらい大きな町なんだろうとか、町に住んでいるのはエルフ族の人だけなのかな、とか。
「では、彼から話は聞いたか?」
「へ~い。今さっき、聞いたばっかりなんですけど――」
バルトさんの問いに答えるウルペスさんは頬杖を付き、不真面目な感じ。昨日も思ったけど、そういう態度、良くないと思う!
「返事ははい、だ」
だから、バルトさんの注意に、僕はうんうんと頷いた。そうだよ。返事は姿勢を正して、「はい」って言わないといけないんだよ! じーちゃん、言ってたもん!
「もぉ~。返事の仕方なんて、今はどうでも良いじゃないですか。それよりも、こっちは人族の領域に里があるくらいしか聞けなかったんですけど、どこら辺にあるんですか?」
「返事ははい、だ!」
「はい! はいはいはいはい!」
んもぉ。返事は一回なんだよ。ウルペスさんってば、バルトさんに反抗的だなぁ。いっつもこんな感じなのかな? 見ると、みんな「仕方ないなぁ」って呆れたように笑っていた。そっか。ウルペスさんって、いつもこんな感じなのか。
「バルト、里の場所を」
ラインヴァイス様が苦笑しながら口を開く。と、バルトさんは一つ頷いた。
「スマラクト様、地図などありますか?」
「うむ。じい、地図を」
「はっ!」
頭を下げて書庫の奥に走って行ったカインさんが持って来てくれたのは、大きな一枚の地図だった。城や砦が黒丸で、人族と魔人族の領域の境にある城壁は線で、村や町が家っぽい形の印で入ったそれは、国内の詳細地図のようだった。
「現在地はここですね」
テーブルの上に広げられた地図のうち、ラインヴァイス様が指差したのは、黒丸の一つだった。丸から少し離れた所に川が流れていて、その向こうに――。
「あ。僕の里、あった!」
村の印の一つを指差す。詳細地図で見ると、ここと僕の里は目と鼻の先だ。それに、こうして見ると、近隣にはかなりの数の町や村があるみたい。けど、こんなにいっぱい町や村があるのに、交流があるところは一つも無い。やっぱりちょっとおかしいよね、ウチの里って。
「ここから遥か北、隣国との国境の山脈の麓、そこに広がる大森林の中に隠れ里があるそうです」
地図の上、北の端っこに山脈が広がっている。その麓が大森林らしく、緑色に塗られていた。大森林を分割するように城壁の線が入っていて、人族の領域に大森林の三分の一が、こちら側の領域に残りの三分の二がある。そのどちらにも、村や町の印は無い。
みんなは広げられた地図を見ながら、物語だどうだとか、城壁の綻びがどうだとか話し合っていた。それを僕はぼ~っと眺める。
地図に無い、未知の里。けど、みんなのお話を聞く限り、何かの物語に出てくる里らしい。バルトさんが興味を持ったのは、たぶん、そのせいなんだろう。
いったい、どんな里なのかな? ひいばあちゃんは、そこでどんな幼少期を送っていたのかな? みんなに愛されて、大事にされて、幸せな生活を送っていたのかな? それがウチの里に来て……。
新しい生活に胸を躍らせていたはずなのに……。待っていたのは虐げられる生活だった。僕が生まれるずっと前に死んでしまったひいばあちゃんも、ばあちゃんや母さんと同じく、決して幸せな生活ではなかったんだろうな……。
少しして、お話し合いは終わった。エルフ族の隠れ里に関しては、竜王様に報告するらしい。そうして話がまとまると、みんなはやるべき事を再開させた。バルトさんも書庫にある本を適当に見繕う事にしたようだ。本棚の方に歩いて行く。そんな彼の後を、真っ白い小さな獣が付いて行った。
そう言えば、あの獣、昨日もバルトさんと一緒にいたような……。昨日はあんまり気にして見ていなかったけど、足元に寄り添うようにいた気がする。そんな事を考えながら、僕は本を手に取り、パラパラとページを捲った。
少しして、バルトさんは本を片手に戻って来た。白い獣も一緒だ。白い獣は、空いている席に着いたバルトさんの正面、テーブルの上に飛び乗り、寛ぎ始めた。
あの子、バルトさんが飼ってるのかな? 僕、あんな獣、初めて見た。この辺りではもちろん、本でも見た事が無いから、きっと、とっても珍しい獣なんだろう。ちょっと触ってみたい。けど、僕が遊び始めたら、きっと、スマラクト様も遊び始めてしまう。だから、我慢だ、我慢。
そうして本を読んで過ごしていると、あっという間に時は過ぎて行った。窓の外が赤く染まり、僕はそれを見て溜め息を吐いた。流石に、そろそろお暇しないと。僕くらいの歳の子は、普通、暗くなる前に家に帰るんだから。みんなに変に思われちゃう。
「心配せずとも、この後、じいがちゃんと家まで送って行くぞ?」
スマラクト様の言葉に、カインさんが真面目な顔で頷いた。意外な事に、送って行ってくれるのはカインさんらしい。僕の里での扱いを聞いて、彼なりに、出来る限りの事をしてくれようとしているみたい。それは嬉しいんだけど……。
「うん……」
スマラクト様の言葉に頷いたけど、本当は帰りたくなかった。誰もやりたがらない獣の解体をさせられるのも、聞こえるように悪口を言われるのも、ストレス発散や悪戯で石や泥団子を投げられるのも僕の日常だ。けど、そんな日常が心底嫌になった。だって、ここにいるみんなはそんな事をしないから。優しくしてくれるから。居心地が良いって思っちゃったんだもん……。出来るなら、ずっとここで――。
「お家、帰りたくないの?」
そう尋ねて来たのはアイリス様だった。ハッとして、ブンブンと首を横に振る。
「じ、じーちゃんが……心配する……から……」
じーちゃんはきっと、僕の帰りを待ってくれている。朝から姿が見えない僕を凄く心配してくれている。だから、帰らないとなのに……。
里に帰るのが嫌だ……。あんな場所に帰りたくない……。もっとここにいたい。ずっと、ここにいたい……。身の程知らずなのは分かっている。けど……。
「ねーねー、兄様。アベル君、お泊まりさせてあげれば? 明日、もう一回、ここまで来るの、大変だと思うし!」
「おお! そうだな!」
アイリス様の提案に、スマラクト様は乗り気のようだった。けど、盛大な溜息が一つ。
「明日の準備があるだろうに……」
そう言ったのはバルトさんだった。呆れきった顔で、アイリス様とスマラクト様を見ている。
「下見に武器など持って来て――」
「彼の魔力媒介ならば、私がお預かりしておりますが?」
カインさんがしれっとした顔でそう言うと、バルトさんがたじろいだ。意外。カインさんも、僕のお泊まり、賛成してくれるの? 今のはそういう事だよね? 驚いてカインさんを見る。けど、カインさんは表情一つ動かさない。無表情でスマラクト様の傍に控えている。
「アイリスが言っていた通り、明日またここまで来るのも大変でしょう。魔力媒介を持って来ているのならば、今日の所は泊まって行ってもらっても良いと思いますよ?」
「ちゃんと遣いの人を出すんですから。領主代行のスマラクト様に気に入られたって説明すれば、誰も心配しないと思いますよ、バルトさん」
ラインヴァイス様もウルペスさんも賛成してくれる。
「しかし――」
けど、バルトさんだけはなかなか納得してくれなかった。何かを言おうと口を開く。と、それを遮るようにウルペスさんが口を開いた。
「それに、帰りたくないのには、それなりの理由があるんですよ」
ウルペスさんの言葉に、みんながうんうんと頷いた。みんな、僕の里での扱いを聞いて、思う所があったんだろう。……そう言えば、バルトさんだけはその話を聞いていないんだった。
「そうは言っても、これだけ幼いんだ。里の皆が心配しない訳が――」
「ど~でしょ~かねぇ」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味ですよ。逆に聞きますけど、バルトさんが里に行った時、アベル君の姿が見えないって心配してた人、彼の面倒を見てるおじいさん以外にいました? 小さな村なんですよね? 村人の一人、しかもこんな幼い子がいなくなったら、普通、村中大騒ぎになると思うんですけど、なってました? 探しに行こうとしている人、いました?」
厳しい顔つきでウルペスさんが問う。と、バルトさんは少し考えた後、緩々と首を横に振った。
「いや……」
「そーゆー事なんですよ」
バルトさんはそれ以上、何も言わなかった。表情を見る限り、僕の里での扱いを察してくれたようだ。ちょっと気まずそうにしている。意地悪で反対した訳じゃ無いのは分かってるから、そんな風に気にしなくても良いのに。
バルトさんはきっと、凄く真面目で誠実な人なんだ。それは、昨日や今日の姿を見ていれば分かる。僕が泊まる事に反対したのだって、きっと、じーちゃんを慮っての事だったんだろう。
じーちゃんは、姿の見えない僕を凄く心配していたんだと思う。里の奴らに僕が女だってばれてしまったんじゃないかとか、独りで狩りに出て怪我でもして動けなくなっているんじゃないか、とか。バルトさんとじーちゃんがお話したのだって、きっと、昨日みたいに座ってゆっくりって感じじゃなかったんだろうな。二人で僕を探しながら話をしたんだろう。だって、じーちゃんはそういう人だから。凄く愛情深くて、何よりも僕を大切にしてくれているから……。
自然と、この場にいるみんなの視線が僕に集まる。みんな、帰りたくないなら無理に帰らなくても良いんだよって言ってくれているようで……。みんなの優しさに、胸の奥がジンと熱くなった。墓穴を掘る形で里での僕の扱いを話したけど、結果的に話して良かったのかもしれない。
「あ、あの、えっと……。今晩、お世話になります……」
「うむ」
顔を上げ、スマラクト様と笑みを交わす。初めて出来た友達の家に、初めてのお泊まり。僕の帰りを心配しながら待ってくれているだろうじーちゃんには申し訳ないと思いつつも、何だかワクワクしてきてしまった。
じーちゃんには、この後、お手紙を書こう。心配しないでって。友達の家に泊まらせてもらう事になったからって。それを読んだら、じーちゃんだって安心するだろう。
……はっ! よく考えたら、家を出る時、置手紙をしてくれば良かったんだ。そうしたら、じーちゃんに余計な心配をさせずに済んだんだ。誰にも見つからないように里を出る事しか頭に無くて、そこまで気が回らなかった。
お手紙でそれも謝っておこう。自分の事しか考えられなくてごめんねって。もう勝手にいなくなったりしないからって。