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墓穴 2

 スマラクト様から本を借りて席に戻ると、アイリス様は既に勉強を始めていた。真剣な表情で魔道書を読み、少し考えた後に写本に何かを書き込んでいる。あの魔道書、何の魔術のだろう? 気になる。けど、僕のお隣ではスマラクト様がお仕事をしているから、お話する訳にはいかない。だから、借りた本を読む事に集中する。


 書庫には、スマラクト様やアイリス様がペンで何かを書く音、僕やラインヴァイス様、ウルペスさんが時々本のページを捲る音だけが響く。実は僕、こういう雰囲気、大好きなんだ。ピンと、緊張の糸が張りつめている空気。だんだんと周りの音が聞こえなくなって、目から入ってくる文字情報だけが僕の頭を占めて――。


「……そろそろ休憩にしませんか? アイリスの集中力が切れたようですし」


 そんな僕を現実に引き戻したのは、ラインヴァイス様の声だった。本から顔を上げてアイリス様を見る。と、アイリス様は頬を赤く染め、もじもじとしていた。


 意外。真っ先に集中力が切れたのがアイリス様だなんて。僕の予想では、スマラクト様かウルペスさんが「疲れた~」って言うと思ったのに。アイリス様ってあんまり集中力が続かないタイプなのかな? それとも、年齢的なもの? 大人っぽく見えても、スマラクト様の妹な訳だし。


「うむ。僕も少々疲れた。休憩だ、じい」


「かしこまりました」


 スマラクト様の言葉に深々と頭を下げたカインさんが、ティーセットの乗ったカートでお茶の準備を始める。僕は立ち上がって、そんな彼の元に向かった。


「どれ運ぶの?」


「え? ああ……。では、これを」


 僕が声を掛けると、カインさんは少しだけ驚いたようだった。けど、すぐに何でもない顔になって、僕にお盆を手渡してくれる。お盆の上には焼き菓子のお皿。さっき食べた焼き菓子はお腹に溜まる感じだったけど、これはそこまででもなさそうだ。この時間にずっしりした焼き菓子を食べたら、夕飯が入らなくなるもんね。


 それにしても、お金持ちの家は凄いなぁ。一日に二種類もの焼き菓子が食べられるなんて。


 焼き菓子をテーブルに並べ終わると、僕はとととっとカインさんの元に戻った。そして、淹れ終わったばかりのお茶を受け取る。


「熱いので気を付けて」


「うん!」


 お盆に乗せてもらったお茶を慎重に運び、一人一人に配っていく。


「アベルは、普段からこういう事をやっているのか?」


 そう聞いてきたのはスマラクト様。僕はそんな彼に、はてと首を傾げてみせた。


「こういう事って?」


「今、ごく自然にじいの手伝いをしただろう? そういう事だ」


「あ~。僕、親がいないんだ。だからね、世話をしてくれてるじーちゃんの手伝い、よくしてるんだ!」


 ごはんの仕度は、僕が仕事をしている間にじーちゃんがしてくれている。けど、配膳や片付けなんかは僕がやっている。だって、じーちゃんは衰退期に入ってるから。ちょっと動くのだってしんどいはず。だから、若い僕が労わってあげないとね!


「そうだったのか」


 スマラクト様が納得したようにうんうんと頷いた。と、スマラクト様のすぐ傍に控えていたカインさんが不思議そうに首を傾げる。


「親がいない? ご両親共にですか? 貴方のお母様は人族だったのですか?」


 魔人族は、女の子が生まれる確率が人族に比べて極端に低い。どれくらい低いのかと言うと、魔人族に百人赤ちゃんが生まれたら、その中に女の子が一人いれば良いくらい。人族はだいたい半分くらいが女の子だから、ざっと計算すると五十分の一の確率だ。だから、多くの魔人族は人族の奥さんを迎えている。


 但し、エルフ族は例外だ。人族程では無いけれど、比較的女の子が生まれやすいから。そういう部族は幾つかあって、そのどれもが妖精種に属する部族なんだってじーちゃんが教えてくれた。けど、それは世間一般ではあまり知られていない。何でって? それはもちろん、どの部族も隠しているからだ。「うちの部族は女の子が生まれやすいんですよ~」なんて言った日には、他の部族から里ごと狙われかねないと思っている。少なくとも、僕の里では、みんながそう思っているらしい。うちの里が他の部族とほとんど交流が無い理由の一つはこれだったりする。


 でも、思うに、女の子が生まれやすい部族とそうじゃない部族があるの、薄々気が付いている人達っていると思うんだ。だって、どう考えたっておかしいもん。


 里の奴ら、人族の事、大嫌いなんだ。人族は野蛮人なんだってさ。何でそんな風に思うのかと思ったら、じーちゃんが教えてくれた。エルフ族は元々、メーア大陸――今は人族しか住んでいない大陸に住んでいて、人族に追い出された歴史があるんだって。


 別に、僕が追い出された訳じゃないから、僕はその話を聞いても何も思わなかった。けど、多くのエルフ族は人族が嫌いらしい。先祖代々の恨みってやつなんだろう。他部族が好きなじーちゃんですら、人族とは積極的に関わりたいとは思わないんだとか。


 そんなエルフ族が人族の奥さんを迎えなくても滅亡しないのは、女の子が比較的生まれやすいから。そう考える人がいてもおかしくはないと思う。現に、カインさんの今の言い方。エルフ族の母親はエルフ族なんじゃないのってニュアンスを僅かに含んでいた。


「ううん。エルフ族だよ。母さんは、だいぶ前に無理が祟って死んじゃった」


「お父様は?」


「知らない……」


「知らない? 里を出たいというのは、その辺りが原因ですか?」


「え……。うん、まあ……」


 グイグイ来るなぁ、カインさん。これ、あんまり聞いて欲しくない話なのに……。


「昨日勧誘に行った二人に、こんな小さな村でじじばばに囲まれて暮らすのはもう嫌だとおっしゃったそうですが、可愛がってくれているおじい様を独り残す事に、呵責の念は無いのですか?」


「だって……。じーちゃん、もう歳だし。あんまり迷惑かけるのも悪いし……。僕と血、繋がってないし……。それに、僕のせいでじーちゃんまで除け者にされるの、可哀想だし……」


「除け者? 除け者とは何です?」


 カインさんの顔には、聞き逃せない単語を聞いたぞと書いてあった。まずいな。墓穴掘った……。捲くし立てるみたいに質問されるの、僕、苦手……。


「う……。ええっと、除け者とは、仲間外れにされたり、爪はじきにされたりする――」


 誤魔化すように、言葉の意味を口にする。けど、それくらいでカインさんが誤魔化されてくれる訳はなく……。


「言葉の意味を聞いているのではありません」


 ぴしゃりとそう言われてしまった。僕は思わずしゅんとしてしまう。


「貴方は里で除け者にされているのですか? ご両親がいないせいで?」


 そう言ったカインさんの声は、幾分か柔らかかった。心配だか同情だかしてくれているようだ。でも、当たりが強かった人が急にこうなると、僕も戸惑ってしまう訳で……。


「いや、まあ、親がいないのは関係無いと言うか、そもそも、親の親の親のせいと言うか……」


「アベル、意味が分からないぞ。きちんと説明しろ」


 スマラクト様がフンと鼻を鳴らす。見ると、ラインヴァイス様もウルペスさんもアイリス様も、スマラクト様の言葉に同意するようにうんうんと頷いていた。でも――。


「これ、里の恥になるから、あんまり話したくないんだけど……」


「だが、それが里を出て騎士になりたいという理由なのだろう? 誰が登用試験の主催者か分かっているのか?」


「う……」


 それを言われると……。ああ~! もう! 完全に墓穴掘った! 今日初めて会った人達に、初めて出来た友達に、僕の事情なんて話したくなかったのに!


「その……僕のひいばあちゃん、他の里から来た人だったらしいんだ……。ひいじいちゃんの結婚相手に丁度良い年回りの人がいないからって、他のエルフの里からわざわざ来てもらったんだって、じーちゃんが言ってた。でも、みんなして、ひいばあちゃんを余所者だって除け者にしたって……。その娘のばあちゃんも、そのまた娘の母さんも……。嫌な事とか辛い事とか、他の人がやりたがらない事とかを押し付けて、その見返りに里に住まわせてやっているんだって……。余所者の血が入ってるんだから当たり前だろうって、僕も言われた事があって……」


「排他的な里だとは思っていましたが、そこまでだったとは……」


 そう言ったカインさんは同情的な視線を僕に注いでいた。カインさんだけじゃない。この場にいる全員が僕に同情しているようだった。そんな目で僕を見つめている。


「も、もちろん、じーちゃんみたいに良い人だっているんだよ!」


 これだけは誤解して欲しくなくて、精一杯声を張った。嫌な奴らばかりの里だけど、じーちゃんだけは僕の味方になってくれた。母さんが死んでしまってから、ただ一人の味方。じーちゃんだけが僕の心の支えだった。


「でも、僕……僕は……!」


 ずっとじーちゃんと暮らしてはいけない。僕が女だから。女だって里の奴らにばれたら、母さんやばあちゃんと同じ目に遭ってしまう。じーちゃんは、そうなるくらいだったら迷わず逃げろと言った。それに、里にいたら絶対に幸せになれないから、独りで生きていけるようになったら里を捨てろとも言った。母さんやばあちゃんが出来なかった選択も、男だって偽っている僕になら出来るからって。


 僕はギュッと口を引き結ぶと下を向いた。その拍子に、涙が一粒零れ落ちる。じーちゃんを独り残すのに、呵責の念が無い訳が無い。生まれた時から僕を守ってくれていたいじーちゃんだ。出来るなら、この先もずっと一緒に暮らしたい。それで、寿命が来たじーちゃんを看取ってあげたい。じーちゃんがそれを望んでくれたら、僕は――。


「他のエルフの里へ行こうとは思わなかったのですか?」


 そう口を開いたのはラインヴァイス様だった。彼の顔を見る。と、彼は優しく微笑んでいた。この人の微笑みは、人の心を静める作用でもあるのだろうか? 高ぶっていた感情の波が静まっていく。


「例えば、そうですね……。昨日、里へ勧誘に行ったバルトの故郷。あそこならばある程度の規模があるエルフの町ですし、国中で広く知られていますから、誰か場所くらい知っていたのでは?」


「そうなの? そんな町、あるの?」


 それは初耳だった。エルフの里が他にもいくつかあるんだろうなとは思っていたけど、まさか、町があるとは。


「知りませんでした?」


「うん……」


 無知が恥ずかしい。ラインヴァイス様やウルペスさんが驚いたように目を丸くしているところを見るに、これは知っていて当たり前の話なんだと思う。けど、僕の里は他のエルフの里との交流なんて全く無い。ひいばあちゃんが嫁いで来た時が最後の交流だったらしいから、きっと、里の奴らやじーちゃんも知らなかったんだろう。外の世界に一番詳しかったじーちゃんだって、近隣の町や村にしか行った事が無かったみたいだし。だって、じーちゃん言ってたもん。里の奴らの目を盗んで他の町や村に行ったんだって。それってつまり、日帰りが出来るような場所にしか行っていないって事だ。


「じゃ、じゃあさ、ひいおばあさんの故郷は? 行こうとは思わなかったの?」


 気を取り直したように問い掛けて来たのはウルペスさん。ラインヴァイス様やアイリス様も、ウルペスさんの言葉に同意するように頷く。


「行こうと思ったけど、人族の領域の中にあるから無理だって、じーちゃんが……」


 母さんが死んでしまった時、僕は一度、里を出ようとした。ひいばあちゃんが生まれた里になら、遠縁でも親戚がいる。だから、受け入れてもらえるんじゃないかって。じーちゃんにそう相談したら、返って来た答えがこれだった。


 魔大陸では、魔人族と人族が住む領域が城壁で隔てられている。その昔、人族に悪さをした魔人族がいたからそうなったとか何とか、物語で読んだ。その城壁を越えるのは、各地にある連絡口からしか出来ないらしい。各地の領主様がその管理者で、領主様の許可が無いと城壁は越えられないんだとか。


 魔人族が城壁を越える許可はそうそう下りないらしい。逆に、人族は結構簡単に許可が出る。けど、魔人族の領域に来たがる人族は少ないらしい。だから、この連絡口、数年に一度くらいしか使う人がいないんじゃないかって、じーちゃんは言っていた。そんな連絡口だ。何のコネも無い僕なんかが親戚の元に行きたいと言ったところで、許可が下りるとは思えないとじーちゃんは言っていた。


「人族の領域の中にあるの? エルフの里が? それ本当?」


「うん。そう聞いた……」


 僕の答えは予想外だったらしい。ウルペスさんもラインヴァイス様もアイリス様も目を丸くしている。と、難しい顔でカインさんが口を開いた。


「しかし、ひいおばあ様は、その里から嫁いで来たのですよね? 人族の領域にある里から? 少々おかしくありませんか?」


 何がおかしいのか僕にはよく分からない。城壁を越える手段はあるんだから、それを使って越えて来たんじゃないの……? けど、そう思ったのは僕だけだったらしい。みんながみんな、怖いくらい真剣な顔になっていた。


「本当にエルフの里が人族の領域内にあり、そこからこちら側の領域に嫁いで来た女性がいたとなると、これは重大案件ですね……」


 ラインヴァイス様が難しい顔のまま口を開く。スマラクト様もウルペスさんもカインさんもアイリス様も、大真面目な顔で頷いていた。


 重大案件って……? ひいばあちゃんが嫁いで来た事が? もしかして、ひいばあちゃんは、いけない事をしてしまった、とか……?


「あの、僕、まずい事、言った……?」


 おずおずと口を開く。僕を含めてうちの里の住人は、あまり世間を知らない。自分達の里に閉じこもって、外の世界に全く目を向けていないから。だから、一般的には責められる事も、分からなくてしてしまっている可能性がある。そう言うと言い訳みたいに聞こえるけど、それが事実だ。僕が不安でいっぱいになっていると、スマラクト様がニッと笑った。


「いや。そんな事はないぞ。逆に、とても参考になった」


「そ、そう……?」


「ああ!」


「そっかぁ」


 ホッと息を吐く。スマラクト様の反応を見るに、ひいばあちゃんは決していけない事をした訳じゃ無いみたいだ。良かったぁ。

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