雪 4
少しの間、僕とスマラクト様、サーシャの三人で雪玉を投げ合って遊んでいた。でも、小さいサーシャは雪玉を上手く僕やスマラクト様にぶつけられなくて。いつの間にか、僕専用の雪玉作り係になっていた。つまり、二対一の構図だ。足元に次々出来上がる雪玉を拾っては投げ、拾っては投げ――。
「ず、ずるいぞ! 二対一は卑怯だ!」
「問答無用! そりゃ! そりゃ!」
立て続けに雪玉をスマラクト様に投げつける。これだけたくさん投げても、雪玉はサーシャがせっせと作ってくれるお蔭で全く減らない。
「ま、待て! こ、降参だ! 降参!」
『やった~! 勝ったー!』
僕とサーシャ、二人、手を取り合ってピョンピョンと跳ねまわる。勝った、勝った! スマラクト様に勝った!
「流石に、あの量の雪玉をぶつけられたら服が濡れるな……」
見ると、スマラクト様のコートは、所々濡れて色が濃くなっていた。僕のコートやサーシャのコートにも、スマラクト様程じゃないにしても、点々と濡れてしまっている。
「アベル―。手、冷たい」
そう言ったサーシャが手袋を脱ぐ。あらら。サーシャの手袋、濡れちゃってる。それに、夢中になってて今の今まで気にしてなかったけど、僕の手袋も濡れてるや。
「屋敷に戻って休憩でもするか。こたつで暖まろう」
「うん。そうだね」
「あたい、温泉入りたいー!」
温泉か。それは魅力的な提案だ。でも、まだ大人達はお祭りの準備してるし……。僕達だけで行っても大丈夫なのだろうか?
「温泉か。確かに、そっちの方が良いな。じいに行っても良いか聞いてみよう!」
そう言って、スマラクト様はカインさん達が作業している所へと足を向けた。僕とサーシャもそれに続く。
「――温泉ですか……」
スマラクト様の話を聞いたカインさんは思案顔。やっぱり、子どもだけで温泉に行くのは駄目なのかな?
「服も濡れているし、手足も冷えているのだ。このままでは風邪をひいてしまう!」
「それはそうなのでしょうが……。せめて、今日の作業が終わるまで待っていてもらえませんか?」
カインさんの答えは芳しくない。やっぱり、僕達だけで温泉へ行ったら駄目みたい。
「父ちゃん、見てー! 手、真っ赤なの! だから温泉行きたいー!」
「連れて行ってやりたいのは山々なのだが……。我が抜けたら人手がな……。これを作り終えねば、祭りを楽しめなくなるぞ、サーシャ」
「うー……」
獣王様も駄目、と。あとは……。カインさんと一緒に作業していた師匠やヴィルヘルムさん、アキムさんに視線を向けるも、スッと目を逸らされてしまった。この三人も駄目、と……。
「い~よぉーだ! もう頼まない! 行こう、アベル、スマラクト!」
そう言って、サーシャがむくれながらくるりと背を向けた。諦めたのだろうか? それにしては、お屋敷に戻る方向じゃないような……。
「サーシャ? どこ向かってるの? お屋敷に帰るんじゃないの?」
「ルカのとこ! 一緒に温泉行こうって誘うの!」
「そうか! その手があったか!」
スマラクト様はパアっと顔を輝かせてそう言ったんだけど、そもそもルカって誰よ?
「ねえ? ルカさんって? 誰?」
「族長の息子の奥方だ! 女手ならば無くなっても大丈夫だろう、きっと!」
ルカさんって、僕達がお世話になってる家の奥様か。スマラクト様が言うように、女手なら、抜けてもそこまで影響は無いだろう。だって、お祭りの準備は力仕事だから。子ども達が遊んでいても何も言われないのも、このお祭りの準備が力仕事だからだと思う。
サーシャはそこまで考えて奥様を誘いに行く訳じゃ無いだろう。ただ単に、あのメンバー以外で、誘ったら来てくれそうな人だからだと思う。
「――温泉ですか?」
サーシャの誘いを聞いた奥様は、ちょっと驚いたようだった。目を丸くして僕達を見ている。
「みんな一緒に行ってくれないのー! だから一緒に行こうよぉ!」
「すみません。でも、子どもだけで温泉行くの、駄目みたいだから……」
図々しいお願いをしている自覚はある。でも、奥様に来てもらえるなら来て欲しい。だから、僕はそう言ってぺこりと頭を下げた。
「そうねぇ。確かに、見守りが必要でしょうけど……」
僕達を見つめつつ、奥様は思案顔で頬に手を当てた。そんな奥様の肩に、族長さんの息子さん、つまり、奥様の旦那さんがポンと手を置く。
「準備は問題無く進んでいるし、行っておいで」
「そう、ですか……?」
「せっかくのお誘いなんだから。それに、今日は混みそうだしね」
そう言って、旦那さんはぐるりと辺りを見回した。そこにはせっせとお祭りの準備をする人達が。普段は里を出ている人達もいるから、かなりの人数だ。それが一斉に温泉に向かったら……。芋洗いになるのは想像に難くない。
「では、お言葉に甘えさせて頂きますね。すみません、義父様、皆様」
「気にするな。こっちは適当にやっておく」
そうして僕達は、旦那さんや族長さん、族長さんの弟さん、その息子さん達に見送られて温泉へと向かった。
一旦お屋敷に戻って着替えを持って。いざ! 四人で温泉へと続く道を進む。道中は一応、歩けるくらいには雪かきはされているけど、地面は踏み固められた雪でツルツルだ。油断すると転びそう。
「温泉、温泉!」
サーシャはよっぽど温泉が楽しみみたい。奥様と手を繋いで先を歩く彼女の頭には獣耳が、お尻には尻尾が出ていた。それが「ワクワクしてるんだよ!」とでも言うように、ピコピコ跳ねるように動いている。遠くから微かに香る温泉の香り。何だか僕までワクワクしてきちゃった!
と、突然、サーシャが足を止めた。つられて奥様も足を止める。
「アベルぅ、スマラクトぉ、あれ、何……?」
あれって? そう思って、サーシャの視線の先に目を向ける。そこには真っ白く、巨大な体躯の獣、いや、魔物が! 魔物のすぐ近くにある温泉の脱衣所よりも大きな身体は、間違いなく魔物のそれだ。それに、獣だったら「お腹が空いた」なり何なり聞こえてくる声も、僕の耳には届かない。
それよりも、僕、あの魔物とバッチリ目が合っちゃったよ! じりじりと、こちらを窺うように魔物が動き出す。
「まずい! 雪熊だ! サーシャ、急いで木に登れ! てっぺんまで! アベル、奥方を!」
『う、うん!』
サーシャと二人同時に返事をし、僕は奥様の元に駆け寄り、サーシャは手近な木に駆け寄った。
「二人で奥方を木の上まで抱え上げるぞ、アベル!」
「ま、待って……!」
慌てて魔力媒介を召喚する為に作った護符を取り出し、魔術を発動させる。ついこの間、無事に完成した護符だけど、まさか、こんなに早く出番があるとは!
『フルーク!』
スマラクト様と二人同時に、魔術の発動言語を叫ぶ。途端、雪熊がこちらに向かって走り出した。ひぃぃぃ~! 気力を振り絞り、上昇速度を上げる。
「きゃあぁぁ!」
奥様の悲鳴と布が裂ける音。見ると、奥様のズボンみたいな伝統衣装が裂け、くるぶしの辺りが血に染まっていた。上昇が間に合わなかったんだ。魔物の爪で引っ掻かれたんだ……! 僕がモタモタしたせいで……!
「アベル! 集中しろ! 魔術をちゃんと制御しろ! もし墜落したら、三人ともあれの餌食だぞ! 僕はこの術の初心者なんだ! お前が頼りなんだ!」
スマラクト様の叫びで、ハッと我に返る。僕達は二人で抱えてやっとの事で奥様の体重を支えている。僕が魔術の制御をミスったら、三人揃って墜落だ。そして、下には魔物がいる。スマラクト様の言う通り、三人揃って魔物に食べられてしまうだろう。
「ご、ごめん……!」
「あの太い枝に降りよう!」
「うん」
術を制御し、スマラクト様が目で示した木に近づく。そして、無事に三人揃って木の枝に着地した。これで一先ず、絶体絶命の危機は脱した。
「奥方、足は? 感覚はあるか? ちゃんと動くか?」
スマラクト様の言葉に、奥様がこくりと頷く。どうやら、骨や腱は無事だったようだ。後は魔物の傷特有の魔力浸食なんだけど……。この場所じゃ、患部を確認する事は出来ない。どうにか安全を確保して、傷の手当てをしないとなんだけど……。
「転移でじいの所に跳ぼう。奥方、手を」
スマラクト様がそう言って、奥様に手を差し出した。でも、奥様はフルフルと首を横に振る。
「私よりもサーシャ様を。安全な所に連れて行ってあげて下さい」
「し、しかし――」
「私は大丈夫ですから。契約印もありますし。ウチの人がすぐ来てくれます」
奥様は微笑み、左手の中指に嵌っている指輪を掲げて見せた。そんな奥様の額には脂汗が浮かんでいる。無理しているのが一目で分かる顔だ。
因みに、契約印とは、魔人族から人族へ贈られる婚姻の証だ。人族は魔人族に比べて寿命が極端に短い。でも、契約印を嵌める事で、贈り主と寿命を共に出来るとか。そして、契約印の副作用なんだろうけど、持ち主の居場所と感情が贈り主に繋がるなんていう効果があったりする。そんな記述を、じーちゃんが持っていた本で読んだ覚えがある。
「スマラクト様! 話し合いする時間無いから! サーシャを連れて転移して!」
そして、一刻も早くカインさんを呼んで来て! 僕が強い口調でそう言うと、スマラクト様は渋々って顔で頷いた。
「分かった。フルーク!」
スマラクト様が木の枝から飛び立ち、サーシャが登った木の方へ向かう。僕と奥様は、そんな彼の背を無言で見送った。木の下からは、魔物が木の幹を引っ掻くガリガリという音が聞こえてきている。この状況、怖くないって言ったら嘘になる。
と、突然、ドスンという衝撃が僕達を襲った。ミシミシという嫌な音も響く。これ……。もしかして、魔物が木に体当たりした……?
立て続けに、ドスン、ドスンと衝撃が響く。堪らず、僕と奥様は木の幹にしがみ付いた。衝撃が響く度、ミシミシ、ミシミシと木が嫌な音を上げる。
ま、まずい……。非常にまずい。いくら太い木だとはいっても、巨大な魔物に立て続けに体当たりされ続けたら……。最悪の想像が脳裏を過る。
僕だけじゃ、奥様を抱えて別の木に飛び移る事は出来ない。だったら、選択肢は一つ。
「奥様、ここにいて。僕が魔物をこの木から引き離すから。人が来るまで絶対に降りちゃ駄目だからね?」
「駄目よ、アベルさん!」
「大丈夫。僕、空飛ぶの得意だから。魔物に捕まるようなへまはしないよ!」
ニッと自信満々に見えるように笑い、魔術を発動させる。そして、手始めに、すぐ隣の木に飛び移った。ここからなら、魔術、当てられそうだな。僕が使える魔術で、単体の敵に対して一番有効な魔術は……。やっぱ、真空刃だな!
「シュツルムシュナイデン!」
風の刃が魔物の背中を切り裂く。かと思いきや、魔物はほぼ無傷だった。まさか、だ。獣だったら、今ので一刀両断になっているはずなのに……。魔物がここまで頑丈だとは……。
で、でも! 倒せたらラッキーくらいにしか思ってないもん! 魔術を放った本来の目的は、魔物の注意を僕に引き付ける事なんだもん! ショックじゃないもん!
僕の思惑は成功した。魔物がこちらに注意を向ける。そして、凄い勢いで僕がいる木に突進してきた。
「フルーク!」
魔物が体当たりをする直前で、すぐ近くの木に飛び移る。これを繰り返せば、奥様がいる木から魔物を引き離せるはずだ! そう思って再び真空刃を放ち、別の木に移る。
何度も何度もそれを繰り返し、奥様がいる木からだいぶ離れる事が出来た。遠くの方からは人のガヤガヤする声も聞こえてきているし、もうすぐ助けが来てくれる! 頑張れ、僕!
「アベルー!」
「どこだー! 返事しろ、アベルー!」
遠くの方で、カインさんや師匠が僕を呼ぶ声が聞こえる。
「カインさん、師匠! こっちー!」
木の枝に着地した瞬間に大声で叫び、また別の木に飛び移る。僕の声だけじゃ無く、魔物が木に体当たりする音もしているから、その音を頼りに来てくれるはず。そうじゃないと困る!
「アベルー!」
「ここだよー! 早く来てよー!」
さっきよりも近くなった! もうすぐだ! すぐそこまで来てる!
「カインさん、ししょ――!」
別の枝に着地してカインさんと師匠を呼ぼうとした瞬間、大きな衝撃が襲って来た。もしかして、飛び移る木、魔物に読まれた……? 魔物って、そんなに頭が良いの……? 衝撃で足元が揺らぎ、バランスを崩して枝から足を踏み外す。落ちる!
「っ!」
咄嗟に木の枝を掴んだ。でも、そのせいで魔力媒介のナイフを取り落す。最悪……!
「カインさん……! 師匠……!」
低い気温でかじかんだ手では体重を支え切れなくて。ずるりと手が枝から離れた。




