誘拐 3
デブおじさんが魔法陣を展開した。それを見て絶句してしまう。だって、使おうとしてる魔術が……! こんな狭い所で使われたらひとたまりもない! せめて、サーシャだけは守らないと! デブおじさんに背を向け、僕はサーシャに覆いかぶさった。
デブおじさんが展開した魔法陣は、風属性攻撃魔術の上級の術、真空刃だった。風の刃を飛ばす術で、その刃は太い木の枝だってすっぱり切れてしまう程の威力がある。しかも、この術のやっかいなところは、しばらく風の刃が消えないって事と、術者の意図する通りに飛ぶって事だ。スマラクト様が初撃を避けても刃は消えず、流れ弾が僕達に飛んで来る可能性がある。万が一にでも当ったら、致命傷にもなりかねない術だ。身代わりの護符だって持ってないし! どうしよう、どうしよう、どうしよう!
「馬鹿め……。シュタインシーセン」
呆れたように呟いたスマラクト様が魔術を発動させる。初級魔術の良い所は、魔法陣の展開から発動までが早い事。でも、威力はあまり無い。はずなのに――。
「ぐぉ!」
デブおじさんから苦悶の声が上がった。恐る恐る振り返り、デブおじさんを見る。すると、彼は片目を手で押さえていた。彼が展開していた魔法陣は消えている。
魔術の行使には、高い集中力が必要となる。特に、魔術が高度になればなるほど集中力が必要になって、少しでも集中が途切れると魔法陣は消えてしまう。
スマラクト様がデブおじさんの目を狙って石を放ったんだろう。それで、それが目に命中して、デブおじさんの集中が切れた、と。分かってしまえば単純な戦法ではある。けど、これは場馴れしていないと出来ない事だと思うんだ。カインさんとの戦闘訓練で身に付けたんだろうけど……。普通に凄いと言うか、肝が据わってると言うか……。致命傷にもなりかねない魔術を展開している相手に対して、あそこまで冷静に対処出来るなんて……。
「お前、あまり頭が良くないようだな……」
やれやれと、スマラクト様が溜め息を吐く。目を押さえるデブおじさんの顔がまた一段と赤くなった。もうカンカンって感じ?
「おめえも黙って見てねえで手伝えッ!」
デブおじさんがヒゲおじさんに向かって叫ぶ。と、ヒゲおじさんが慌てて腰のナイフを抜いた。そして、魔法陣を展開する。あれは風属性攻撃魔術の中級の術、突風だ。強烈な風を起こして相手を吹っ飛ばす術。こんな狭い所で使われたら壁に叩き付けられちゃう! その前に、壁際に寄っておかないと! サーシャの腕を引っ張り、二人で檻の鉄格子にピッタリとくっ付いておく。
「ヴィントシュトース!」
「シュタインヴァント。はぁ……」
ヒゲおじさんとスマラクト様の魔術の発動はほぼ同時だった。ゴゥッという音と共に風が僕達の元に届く。でも、予想していたような強烈な風じゃなかった。少し髪が乱れる程度の風。スマラクト様が使った魔術が風の大半を跳ね返したから。
スマラクト様が使った魔術は、土属性の初級の術、石壁だった。床からせり出した壁のお蔭で、強烈な風の大半はヒゲおじさんとデブおじさんに跳ね返ってる。けど、耐久値を超えたのだろう石壁は砂になって崩れ去ってしまった。
その先には、見事に吹っ飛ばされたヒゲおじさんとデブおじさんが。でも、二人はすぐに起き上がる。ちょっと痛いくらいのダメージしかないよね。特にデブおじさん。体重があるから、ほとんど吹っ飛んでないもんね。
「本当に頭が悪いのな、お前達……」
「るせぇッ!」
顔を真っ赤に染めたデブおじさんが、僕達がいる檻に向かって突っ込んで来る。スマラクト様相手に魔術を使うのは諦めたのだろう。あれだけ冷静に対処されちゃうと、どんな魔術使えば良いか分からなくなるよね。それだったら、明らかに勝てる腕力勝負に出たくなるよね。うんうん。
「ズンプフ」
スマラクト様が新たに魔術を発動させる。土属性初級の泥沼の魔術だ。任意の場所に泥沼を出現させる魔術で、足止めなんかによく使われる魔術だってじーちゃんが言ってたのを覚えている。でも、足元が悪かった。外で使ったらすね辺りまで泥に埋まって身動きが取れなくなるんだけど、ここは石の床だからか、沼の深さがあまり無い。これじゃ、足を取られて歩き難い程度だろう。現に、デブおじさんは泥沼の中を一歩一歩着実に進んでいる。
「アイスプファイル」
続いてスマラクト様が使った魔術は、水属性中級魔術の氷矢だった。それを泥沼目掛けて放つ。デブおじさんの足がこれで止まった。もう少しで檻に手が届くところだったんだから、間一髪だ。
「あ、兄貴ぃ!」
「そこのヒゲ、動くなよ? 動いたらこのデブを丸焼きにする」
そう言ったスマラクト様の目の前に新たな魔法陣が展開される。火属性の初級魔術の火炎だね、あれは。初級魔術の中では一番殺傷能力が高い魔術だ。
「誰もブタの丸焼きなぞ見たくないんだ。大人しく言う事を聞いておけ」
「クソッ! クソォッ!」
叫んだデブおじさんは、何とか凍り付いた泥沼から足を引き抜こうともがいている。でも、そう簡単には抜けないと思う。だって、デブおじさんが履いてるの、すねまでのブーツだから。沼の深さ的に、凍り付いているのはくるぶしの下辺りだけだろう。けど、靴が脱げなければ脱出は不可能。くるぶしまでの靴だったら、もしかしたら抜けたかもしれないのにね。残念。
「さて。そろそろ迎えが来たようだ」
スマラクト様の言葉で気が付いた。さっきまで遠くから聞こえていた破壊音が、いつの間にか止んでいる事に。それに、今の言葉。スマラクト様の耳にはカインさんの足音が聞こえているって事だ!
僅かに扉が開く音が僕の耳に届いた。この隠し部屋に繋がる地下室に誰か入って来たようだ。死角になっていて見えないけど、足音と重い物を引きずる音がする。スマラクト様の言葉を信じるならカインさん、かな?
「ひぃぃ……!」
人影を確認したのだろうヒゲおじさんが情けない声を上げる。その顔は見事に青くなっていた。腰を抜かしたのか、ヒゲおじさんはその場にへたり込んでしまった。意外と小心者なのか、ここに来る前に恐ろしいくらい強いカインさんの姿を見たのか……。たぶん、どっちもだな。
「案内ご苦労様です」
カインさんの声に続き、重いものを投げ捨てたような音がする。もしかしなくても、上でボコボコにした人を引きずって来たんだろうな……。そして、投げ捨てた、と。
「じい、こっちだ。アベルもちゃんといるぞ。あと、知らない子が一人!」
「そちらでしたか」
足音が近づいて来る。良かった……。これで帰れる。安心したとたん、身体の力が抜けた。今気が付いたけど、僕、サーシャの事、力一杯抱きしめてた……。それに、今になって、ヒゲおじさんに投げられた時にぶつけた背中が痛くなってきた。
「おや、坊ちゃま。一人行動不能にしましたか」
「うむ!」
「しかし、詰めが甘いですね。このままではその檻から出られないのでは? 出た途端、この男に捕まりますよ?」
「む……」
「それに、魔力媒介はきちんと取り上げておかなければ。反撃されたらどうするのです?」
そう言ったカインさんが、ナイフを握り締めたままだったデブおじさんの腕を取った。と思った瞬間、その腕を捻り上げた。ゴキッという鈍い音とデブおじさんの絶叫。そして、ナイフが床に落ちる乾いた音が響く。もしかして、カインさんてば、今、デブおじさんの腕折った……?
「るせぇな……」
呟いたカインさんが裏拳をデブおじさんの顔面に叩き付ける。今、キャラが違かったような……。凄く柄が悪かった。でも、これがカインさんの素で。これはこれで、僕は好きだったりするんだよね。
重い音を立ててデブおじさんが仰向けに倒れた。だ、大丈夫……? 足が固定されてるせいで、思わず心配しちゃう倒れ方したんだけど……。
「じい! 早く出してくれ。狭くてかなわん。鍵はそこで腰抜かしてるヒゲが持ってるはずだ」
「必要ありませんよ」
そう言ったカインさんが檻の前に屈み込むと、その鉄格子に両手を伸ばした。そして、鉄格子を掴んだ手を無造作に左右に広げると、鉄格子が歪む。僕達なら、これくらいの隙間があれば何とか通れそう。オーガ族の怪力って便利だね。檻の脱出に鍵要らずとは!
スマラクト様がまず初めに檻を出る。続いて、サーシャに先に出るように促して、最後に僕。やったぁ! やっと出れたぁ!
「坊ちゃま、お怪我は?」
「僕は大丈夫だ」
「二人は……。アベル。背中がやけに汚れていませんか?」
そう言ったカインさんが僕の傍に屈み込むと、背中を叩いてくれた。でもね、そこ、ヒゲおじさんに投げられてぶつけたから凄く痛いの!
「いたぁ~い!」
「……失礼」
カインさんが僕のブラウスの背中を捲った。と思ったら、すぐに元に戻してくれた。
「その背中、どうしたのです? 地図のようになっていますけど」
地図のようにって……。それって、巨大な痣が出来てるって事? そりゃ、触られたら痛いはずだ。許すまじ、ヒゲ!
「そのヒゲおじさんに攫われた時にね、大声出したの。誰か助けてって。そしたら投げられてね、背中ぶつけたんだよ!」
「ほう……。投げられたとはどんな感じで?」
「こう、肩に担いでたのをね、ぽいって投げ捨てる感じで」
「頭は? 打ちませんでした?」
「うん。不完全だったけど、受け身は取れたから」
「それは不幸中の幸いでした。アベルは反射神経が良いのでしょうね」
そう言ったカインさんは、にっこりと笑って僕の頭を撫でてくれた。へへへ。何だかこそばゆい。だって、スマラクト様になら分かるけど、僕に向かって笑顔って。うへへ。
「さて……」
屈んでいたカインさんが立ち上がる。そして、ヒゲおじさんに向き直った。彼の背を見てすぐに分かった。物凄く怒ってるって。
「こういう輩は、同じ目に遭わないと人の痛みなど分からないのでしょうね……」
「ひぃぃぃ! お、俺は悪くねぇ! あ、兄貴に教えてもらった通りにしただけだ!」
腰を抜かしたままでも何とか逃げようとしたのだろう。ヒゲおじさんがお尻を床についたまま後退る。そんな彼を、カインさんがよっこいしょと肩に担いだ。この後の展開は予測出来る。
「いけ、じい! アベルの敵討ちだ!」
スマラクト様ってば……。面白がってるでしょ?
「やっちゃえ、おじちゃん!」
サーシャまで……。でも、まあ、人の不幸は蜜の味ってね。
「それでぽいって投げられたんだよ、僕!」
やっちゃえ、やっちゃえ! 鈍い音と振動。僕が思ってたよりもえげつない攻撃を、カインさんはしてくれた。床じゃなくて壁に向かって投げ捨てたのだ。あれじゃ、受け身は取れなかっただろう。痛いどころの騒ぎじゃないような……。ヒゲおじさん、白目剥いてるけど……。どうか死んでませんように……。
「さて。これで全員片付きましたね。この後は――」
「無論、自警団の詰め所に行くぞ!」
「あぁ……。帰る時間がどんどん遅く……」
カインさんが深い溜め息を吐く。その気持ちも分かる。だって、もう夕飯時過ぎてるもんね。買い食いをしたからあまりお腹は減ってないけど、本来だったら、そろそろお屋敷に着いていただろう時間だ。
「仕方ないだろう! 領主代行として、町の治安悪化は捨て置けん!」
「こんな時だけ変に真面目なんですから……」
「悪いか?」
「いえ。旦那様にそっくりで、むしろ好ましいと思います」
「そうか! 上にいた連中はどうなっている? 逃げられないようにしてあるのか?」
「もちろんです。罠も張って、万が一仲間が救出しようと思っても出来ないようにもしてあります」
「そうか。流石はじい。抜かりないな」
「お褒め頂き光栄です」
そんな事を話しながらカインさんとスマラクト様は並んで階段を上って行く。僕もサーシャの手を引いてその後を付いて行った。
外に出ると、とっぷりと日が暮れてしまっていた。裏路地のこの辺りは人通りが無いけど、遠くの方からは賑やかな音楽と人の声。お祭りはまだ続いているようだ。
「父ちゃん……」
手を繋いでいたサーシャがぽつりと呟く。見ると、サーシャは半泣きになっていた。真っ暗になった町を見て、不安が一気に押し寄せて来たんだろう。
「自警団の詰め所に行けば、きっとお父様は見つかりますから。と言うか、見つけさせます」
おう。これは、自警団の人達、サーシャのお父さんが見つかるまで休憩すら取れないの、決定。
「自警団の詰め所ってここから近い?」
僕、あんまり歩きたくない。だって、くたくたなんだもん。精神的にかなり疲れたよ、今日は。それに、背中も痛いし。
「少し歩きますね。町の反対側なので」
そう答えたのはカインさん。と、それを聞いたサーシャの手に力が篭った。
「うぅ……! 父ちゃん……! と~ちゃぁぁぁん!」
サーシャはとうとう、おいおいと声を上げて泣き出してしまった。ご近所迷惑になるくらいの大泣きだ。ど、どうしよう……! 泣くサーシャを見て、カインさんは苦笑い。スマラクト様はオロオロしている。
「お、おい、じい! 何とかしろ! お前、こういうの、得意だろう!」
「はいはい……」
溜め息を吐いたカインさんがサーシャの前に屈み込む。そして、泣き続ける彼女を徐に抱き上げた。
「お父様は絶対に見つけますから」
「と~ちゃぁん……!」
「詰め所までは、このまま抱っこで行きましょう。ね?」
「う~……」
カインさんがサーシャの背中をトントンすると、サーシャがカインさんの首元に顔を埋めた。……そりゃ、サーシャは僕より小さいよ。僕よりも長く閉じ込められてたよ。でもさ、僕だって疲れてるのに……!
「行きましょう。坊ちゃまはアベルと手を繋いで下さい。今度は絶対に離さないように」
「うむ!」
こうして僕達四人は自警団の詰め所を目指し、暗い夜道を歩き出した。




