領主の館 3
僕とウルペスさんのやり取りを見守っていたオーガ族のおじいさんは、少し考えた後、緑髪の男の子を地面に下ろした。男の子はお腹の辺りを押さえて蹲っている。口から出たら駄目なものが出なくて良かったね。僕は男の子に生温かい眼差しを向けた。
「下見と言うのならば、もう用事は済んだでしょう。お引き取り下さい」
そう言ったのはオーガ族のおじいさん。いつの間にか元の姿に戻ったおじいさんは、男の子と僕の間に立ち、僕に冷ややかな目を向けていた。口調も冷たい。けどね。僕、そういう目で見られるのも、そういう口調でしゃべられるのも慣れっこなの。里ではいつもそうだから。
「えぇ~! まだ、迷路の出口、見つけてないのに! 見取り図だって描いてたんだよ! ほら! 力作なんだから!」
だから、僕は怯まず、おじいさん達に紙を掲げて見せた。あとちょっとで完成なんだから。もう少しくらい迷路の探検させてよ!
「ほう。どれ、見せてみろ!」
興味を示したのは、緑髪の男の子だった。いつの間にか復活してる……。この子、回復早いなぁ。そう感心していると、男の子がオーガ族のおじいさんを押しのけて前に出ようとした。そんな彼の首根っこを、おじいさんが慌てて掴む。
「坊ちゃま。いつも申し上げているでしょう。少しは警戒心を持って下さい」
「うるさい! じいがそうやって僕に人を近づけないようにするから、僕には遊び相手の一人もいないのだぞ!」
「遊び相手ならば、私がいるではありませんか。ご不満ですか?」
「ああ。不満だ!」
「チッ!」
あらら。言い争いになっちゃった。他の人達は、二人の言い争いを止める気は無いみたい。苦笑して事の成り行きを見守ってるけど……。それで良いの?
「これ、見たいんなら良いよ!」
喧嘩は駄目だよ。見たいなら見せてあげるから。そう思いつつ、見取り図を緑髪の男の子に差し出す。と、男の子は目を輝かせ、食い入るようにそれを見始めた。時々、何かを考えるように視線を彷徨わせている。白髪のお兄さんとウルペスさんも、僕が描いた見取り図に興味津々らしく、男の子のすぐ傍にしゃがみ込み、男の子の手の中の見取り図を見ていた。オーガ族のおじいさんだけは警戒心露わに、僕から目を離していない。赤毛の女の子は、そんな彼らを苦笑しながら見ていた。
「にしても、凄い迷路だね、ここ」
僕が周囲を見回しながらそう言うと、男の子が見取り図から顔を上げ、嬉しそうに笑った。
「そうだろう。父上が作った、自慢の迷路なんだぞ!」
「へ~。そうなんだ」
父上かぁ。この子、偉そうな子だなと思ったけど、領主様の息子なのかな? 身なり、凄く良いし。父上だなんて言葉、物語の登場人物以外で使っている人、僕、初めて見た。
「時々あった石板、あれも君のお父さんが考えたの?」
「そうだぞ! 僕にも未だ解けない、難解な謎なんだ!」
……え? 難解な謎って……? だって、あれ――。
「あれ、答えあるの? 石板のあった場所、正解の道から外れてるし、目くらましか何かだと思ったんだけど……」
あれを考えた人、かなりの曲者なんだろうなって思ったんだけど……。こんな広大な迷路に、わざわざ道に迷わせるような仕掛けまで施してさぁ。迷路に入った人を出す気無いでしょって、思わず言いたくなるつくりだった。
「そ、そんなはずは……!」
男の子は、迷路の仕掛けに全く気が付いていなかったらしい。石板の答えが分かれば、出口に向かうようなつくりだと思っていたようだ。でも、残念。それは違うんだなぁ~。
「赤い点が石板がある場所でね、石板の周りは行き止まりが少ないんだけど、それが仇になって、石板を追い始めると同じ場所をぐるぐる回る事になっちゃうんだ。こういう感じで」
螺旋を描くように指で石板の印を辿る。こういう複雑な動き、周りの景色が変わらない――目印になるような物が無い場所では、方向感覚が無くなって、どこを通っているのか分からなくなっちゃうんだよね。同じ道を辿っているのか、別の道を進んでいるのか。それの判別はかなり難しいと思うんだ。見取り図を作って、きちんと道順を追っていない限り。
「先生! 私、迷路探検行きたい!」
見ると、赤毛の女の子が頬を膨らませながらこちらを見ていた。それを見た白髪のお兄さんが苦笑しながら立ち上がる。今から迷路探検に行くなら、この地図は見たら駄目だよね。説明だって聞きたくなかったかもしれない。悪い事をしてしまった。
ウルペスさんも立ち上がったから、この話はここまでかな? と思ったけど、緑髪の男の子は、赤毛の女の子達と僕とを見比べている。でも、先約があるんなら、そっちを優先した方が良いと思うよ。という事で――。
「じゃあ、僕はこれで。見取り図の続き描かないとだから!」
僕がすちゃっと手を挙げて軽い挨拶をすると、僕の上に影が落ちた。目の前に立ちはだかったのはオーガ族のおじいさん。オーガ族の本性の方の姿になった訳じゃ無いけど、それでも十分迫力ある顔つきで僕を睨んでいる。あはは。やっぱり、この人は誤魔化されてくれないかぁ。迷路探検、ここまでかなぁ……。と、そんなおじいさんを、緑髪の男の子が手を挙げて制した。
「じい、よせ」
「しかし――!」
「僕は、彼が見取り図を描いているところに興味がある。アベルとやら、同行しても良いか?」
あれ? 僕、名乗ったっけ? ……あ。ウルペスさんが言った僕の名前、覚えてくれたのか。
「うん。でも、見てて面白いものじゃないよ? 地味な作業だから」
それでも良いなら、僕は良いんだけど。減るもんじゃないし。
「良い」
「あ。それ、俺も興味ある!」
緑髪の男の子が一つ頷くと、ウルペスさんまでもが興味津々の顔で手を挙げて叫んだ。止めるのを諦めたのだろうおじいさんが溜め息を一つ。
見取り図や地図を描くのは地味で根気がいる作業だから、あまりやりたがる人はいない。僕の里でも、この技術を持っているのは、じーちゃん始め、片手で数えられる人数しかいない。まあ、元々、僕の里は住人自体が少ないんだけどね。
もしかしたら、この二人は、身近にそういう技術を持っている人がいなくて、こういうの、初めて見るのかもしれない。だとしたら、興味を持って当然だ。この二人に着いて来てもらえば、見取り図の続きを描ける訳だし、僕に異存はない。という事で――。
「じゃあ、行こっか。ウルペスさんと、ええっと……」
「僕は領主代行スマラクトだ」
何と。この子が領主代行様だった! ……今分かった。昨日、バルトさんがわざわざ領主代行だって訂正した気持ちが。こんな小さな子なんだもん。領主じゃないよ、領主代行だよって、あえて言いたくなるよね。
それにしても、スマラクト様が領主代行様って事は、登用試験の主催者なのかぁ。下見で思わぬ人に出くわしてしまったものだ。人生、何があるか分からないなぁ。
「よろしく、スマラクト様」
「ああ!」
そうして僕達は、迷路探検の続きを始めた。同行者はスマラクト様、ウルペスさん、オーガ族のおじいさん――カインさん。スマラクト様達が来た道を戻るように、迷路を進む。
見取り図の残りは、あっという間に描き終わった。だって、すぐそこに出口があったから。見取り図に無かったのは、出口とその付近だけ。それだけ書いて、と。完成!
「距離は歩幅で測るのだな」
迷路の出口を出たところで、スマラクト様が感心したようにそう口にした。僕は一つ頷く。
「そう。だからね、見取り図を描く前に、自分の歩幅を測っておかないといけないんだ」
「でもさ、歩幅って一定じゃないよね?」
そう言ったのはウルペスさん。もっともな疑問だね。
「うん。歩く度に微妙に変わるよ。だからね、平均値を使うんだ」
「そんな大雑把で大丈夫なのか?」
スマラクト様が不思議そうに迷路の見取り図を見る。僕もそれに視線を移した。よく見ると、壁が薄い所と厚い所が出来てしまっている。じーちゃんなら、もっと綺麗な見取り図を描けるんだろうけどなぁ……。熟練してくると、一歩のずれが小さくなるんだってじーちゃんは言ってたけど……。僕もまだまだ修行が足りない!
「ん~……。見取り図は、こういう迷路とかの構造を把握する為のものだからなぁ。壁が若干厚い所と薄い所が出来る程度で、そこまで大きな問題にはならない、と思う……」
ちょっと自信が無いのは、今回の迷路が隠し通路も無く、広さもそこまでじゃないからだったりする。何日もかけて踏破するような広い迷宮だと、小さなずれがやがて大きなずれになってしまうかもしれないし、隠し通路を見逃してしまう可能性もある。でも、そんな複雑な迷宮の見取り図を描く予定は、今のところは無い。騎士になれなくて、冒険者にでもなったら、描く機会があるかもしれないけどね。
「曲がった方向の確認は羅針盤だったよね? いつもそんなの持ち歩いてるの?」
そう言ったのはウルペスさん。彼は僕の肩掛けカバンを不思議そうに見ている。
「これは、その……。あ。ほら、僕、ここまで来たの、初めてだったから。もらった地図を頼りに進むにしても、あった方が良いかなぁって……」
いつでも里を出られるように、旅に必要な物を準備していたなんて言えない。里を出たい事情を詮索されるのも、それを自ら話すのも嫌だから。それに、何て話せば良い? 里の奴らに除け者にされているからとか、女だって知られたら、将来、娼婦みたいな事をさせられるからなんて、里の恥でもあるし、知り合ったばかりの人達に言える訳が無いよ。