領主の館 2
次の日、僕は日が昇る前に家を出た。朝もやが立ち込める、絶好の逃亡日和! 薄明るくなってきた森を、カバンを背負った僕は小走りで進む。
無事に里を出られたけど、森を抜けるまでは見つかる訳にはいかない。何たって、僕は今日、仕事を放り出してしまったんだから。明日だって仕事を放り出して試験を受けるし、今日も明日も、みんなが寝静まった頃、誰にも見つからないように里に戻るとしよう。明後日以降は……。素直に謝って、一、二発殴られるか。知らんぷりして、何事も無かったように振る舞うか……。あるいは、そのまま里を出てしまうか……。う~ん……。じーちゃんとも相談しないとだなぁ。
この森は、里の奴らの狩場だ。のんびり進んでいて、狩りに出た奴らとばったり出くわすなんて、笑い話にもならない。まあ、見つかっても逃げ切れる自信はあるんだけどね。でも、余計な体力は使いたくない。だって、明日は僕の人生を左右する試験なんだから。明日に備えておかないと!
この先に、森を分断するように川が流れているって地図にあった。そこから先は、里の連中も来ない。だから、川を渡ったら休憩だ!
森を抜けると、目の前に広がっていたのは崖だった。下を覗くと、そこには川が。ほうほう。これが地図にあった川かぁ。初めて来た所だから、こうなっているとは知らなかった。橋は、と……。キョロキョロ辺りを見回すも、橋らしきものは見当たらない。でも、大丈夫!
「フルーク!」
魔力媒介のナイフを取り出し、得意魔術の一つ、飛行の術を発動する。ふわりと僕の身体が浮き上がり、ふよふよと進む。もっと早く飛ぶ事も出来るけど、追われている訳でもないし、周りの景色を楽しんでも良いでしょ。崖の下、川から吹き上がってくる風が気持ち良い!
「自由って最高ぉ~!」
思わず叫びたくなるほどの開放感。初めての大冒険だ。楽しまないと損だと思う。
短い休憩を挟んで、領主の館を目指して進む。食べられる木の実を見つけては、それを収穫しながら。これが今日の夕飯だ。後は、何か獣でも見つけられれば最高なんだけどなぁ。ラッセルボックとか!
ラッセルボックは、耳の長い小型の獣だ。季節によってその毛色が変わるこの獣は、夏は土の色、冬は雪の色をしている。大型の獣や人に見つかりにくい保護色をしているんだって、教えてくれたのは母さんだった。
ラッセルボックは身体が小さい分、血抜きに掛かる時間も短くて済む。今くらいの時間に捕まえられれば、夜には何とか食べられると思うんだ。熟成時間は取れないから、肉はちょっと硬いだろうけど。ラッセルボックや~い。ラッセルボック~。どっかにいないかなぁ? ラッセルボック~!
そうこうしていると、森の中の小道に出た。ええと……。地図を広げ、現在地を確認する。この小道が地図でいうところのこの道だから、左に行って、もっと大きな道に合流したら、そのまま道なりに進むと領主の館かぁ。ここらでちょっと休憩しとこっと。道端の岩に腰掛け、カバンから水筒を取り出す。水を飲んで一息吐いて、さっき取ったばかりの木の実を三粒食べる。
じーちゃん、今頃どうしてるかな? 流石に、里の奴らも、衰退期に入ったじーちゃんに手酷い事はしないと思うけど……。ちょっと心配になって来た……。
エルフ族を始めとした魔人族には、二度の成長期と一度の衰退期がある。成長期は生まれたばかりと成人する直前あたりにある。この時は、人族とあまり変わらない速度で身体が成長し、それ以外の時は、僕らに比べて寿命が短い人族にとってみたらほとんど歳を取っていないくらいの速度でゆっくりと歳を重ねていく。そして、衰退期は、寿命を迎える十年くらい前から始まるらしい。魔力も体力も急激に衰え、やがて死に至る。けど、全然怖いものじゃないって、じーちゃんが言ってた。あの世に行く前にやり残した事が無いよう、準備する期間なんだって。母さんやばあちゃんみたいに、病なんかで突然死んでしまう方がよっぽど怖いって。
衰退期に入った老人は、普通、みんなから大切にしてもらえる。力仕事はしなくて良いし、食事も、食べやすい物を優先的に回してもらっているのを見た。けど、じーちゃんだけは違う。僕を引き取ったから。他の人はやってもらえている力仕事なんかも、老体に鞭打って自分でやらなくちゃいけないし、食事だって捨てるような物しかもらえない。僕がいるから……。僕のせいで……! じわっと溢れてきた涙をごしごしと袖で拭き、僕は座っていた岩から立ち上がった。
僕が騎士になれたら、じーちゃんに仕送りをしてあげられる。仕送りと言っても、お金じゃあまり意味が無い。里ではお金での取引はほとんどしないから。だから、食べ物を送ってあげるんだ。お肉だったり、果物だったり。お菓子だって送ってあげられるんだから! 里の誰よりも贅沢な暮らしをさせてあげるんだ! だから、何が何でも騎士にならないと!
よしっ! 気合を入れ、領主の館を目指す。試験は明日だ。けど、下見にだって気合を入れても良いと思うんだ!
そうしてしばらく歩くと、遠目に領主の館が見えて来た。初めて見る、でっかい建物に圧倒される。でも! これくらいで怯んでいたら、騎士になんてなれないんだから!
興味の赴くまま、領主の館の敷地周りをウロウロする。と、目に付いたのは生垣だった。裏庭だろう広い庭に、何故か生垣で囲いが作られている。あの中、何があるんだろう? 興味津々、生垣に近づき、入り口を探す。
入り口だろう生垣の途切れはすぐに見つかった。中を覗くとまた生垣がある。もしかして、これ、生垣の迷路? 本の挿絵で見た事ある! 凄い! 領主の館には、こんなものまであるのか! いそいそとカバンから紙とペンを取り出す。早速、探検開始だ!
じーちゃんにずっと前に教えてもらった、迷宮の見取り図の書き方を参考に、迷路の見取り図を作って行く。冒険者には必須の技術だからって教えてもらったけど、まさか、こんなに早く役に立つとは! 右手を壁に付けて迷路を進み、曲がり角まで来たら歩数を元に道の距離を計算して、紙に道筋を書き込んでいく。羅針盤で曲がり角の向きを確認して、と。おぉっとぉ! これは何だ!
発見したのは石板だった。よく分からない記述が彫り込んである。一応、内容をメモして、と。あと、発見した場所も記しておかないと! 赤インクを取り出し、見取り図に石板の場所の印をつける。
冒険してる感じで、これ、凄く楽しい! こっちの道に進んではそれを見取り図に落とし込み、あっちの道に進んではそれを落とし込む。そうして夢中になって見取り図を描いていると、迷路の全貌が見えてきた。思っていた以上に広いし、手の込んだ迷路だ。流石は領主の館! 良い物がありますねぇ!
上機嫌に迷路を進み、曲がり角に差し掛かった所で、ばったりと人に出くわした。先頭は緑髪をした男の子。僕と同年代だろう小さな男の子だった。その後ろに赤毛の女の子。先頭の男の子よりも少し年上っぽい。その後ろに白髪のお兄さんと昨日会ったウルペスさん。そして、最後尾に白髪のおじいさんと続いていた。
誰かと出くわすなんて思っても見なかった。相手もそう思っているんだろう。ギョッとしたようにこちらを見ていた。
「坊ちゃま!」
叫んだのは、最後尾のおじいさんだった。素早い身のこなしで先頭の男の子を小脇に抱えたかと思うと、バッと飛び退き、僕と距離を取った。
「何者です?」
静かにそう聞いてきたおじいさんの姿が、一瞬の間に変貌していた。鋭い牙と頭から生える二本の角。この姿は――!
「うわぁ! オーガ族だぁ! 格好良い!」
悪魔種オーガ族は、石を片手で握りつぶせるとか、岩を素手で砕けるとか、そういう逸話があるような力自慢の好戦的な部族だ。それぞれの部族に必ずある固有魔術だって、オーガ族は痛覚遮断だなんて戦闘特化なものだ。「力尽きるその時まで戦い続ける戦闘部族」って、部族基礎知識に書いてあった。
戦士って感じがして、僕、オーガ族、大好きなんだ! 一度、会ってみたいなって、部族基礎知識を初めて読んだ時から思ってたんだ!
「じい……苦しい……。口から、出てはならぬものが……出る……!」
あ。オーガ族のおじいさんに抱えられてる子、お腹締められてもがいてる。そりゃ、オーガ族の怪力で締められたら、口から出たら駄目なものが出ちゃうよね。でも、出たら駄目なものは、出したら駄目なんだよ? ばっちぃからさ。
「あ~。隊長、大丈夫ですよ。その子、不審者じゃないですから」
そう声を上げたのはウルペスさん。困ったような顔で後ろ頭をガリガリ掻いている。
「えーっと。アベル君だったっけ? 登用試験、明日だよ?」
ウルペスさんの言葉に、僕はこくりと頷いた。彼は僕が日にちを間違えたと思ったようだ。けど、違うもん。
「うん。知ってる! 今日は下見に来たんだ。明日、迷子になったら困るから!」
「そ、そっかぁ。でも、何で迷路の中にいたのかな? 下見なら、屋敷の場所が分かれば十分だったでしょ?」
「何でって……。そこに迷路があったから。迷路が僕を呼んでた!」
こんな迷路があったら、誰でも入りたくなると思うの。好奇心に負けて。僕だけじゃないと思うよ!