領主の館 1
獣臭と血の臭い。それが僕の日常だ。里のおじさん達が狩で仕留めてきた獣を解体するのが、僕に与えられた役目だから。僕は、血と脂で汚れたナイフを黙々と振るった。
獣の解体は、誰もやりたがらない仕事だ。大きな獣を解体するのは骨が折れるし、肉が傷まないように作業場の中は年中真冬みたいに寒くしてあるし、獣の血や脂で汚れる仕事だから。それに、血抜きの出来不出来によって、お肉の味がかなり変わってしまうから、仕留めてきた人達に文句を言われる事だってある。
塊肉の余計な脂をこそげ取り、続いて筋を取る。脂はオイルランプの燃料にするから、専用の容器に入れておくのを忘れずに、と。
この里では、各家の照明はオイルランプを使っている。一応、光を灯す魔術があるにはあるけど、夜中それを使い続けるのは無理だ。魔力を消耗し過ぎてぐったりしてしまうから。
この里ではという前置きが付くのは、光を灯す魔道具を使う所もあるからだ。本で読んだから知ってるんだ。お金持ちの家には、そういう魔道具があるって。
うん。今日も綺麗に筋も脂も取れた。血抜きだって完璧だし、良い肉だ。丸ごと焼いて食べたら美味しいんだろうなぁ……。出て来た涎をじゅるりと啜る。一度で良いから、こんなお肉、食べてみたい!
そうは言っても、いつも食べてるすね肉や内臓が嫌だって訳じゃ無い。一晩コトコト煮込んだすね肉はとろける食感で、独特の旨みもあって、それはそれで美味しいと思うし。脂が乗った内臓だって、焼くと独特の食感と脂の旨みがあって美味しい。でも、柔らかくて肉汁溢れるお肉だって食べてみたい。けど、我慢、我慢。このお肉に手を付けたら、比喩じゃ無く、大変な目に遭うから。
僕の命は、このお肉よりも軽い。もっと言えば、果物一個よりも軽い。他の人はそうじゃないのに、僕だけはそう。僕には余所者の血が入っているから……。
僕のひいばあちゃんは、他の里から来た人だったらしい。ひいじいちゃんの結婚相手にって。それなのに、わざわざ来てもらったひいばあちゃんを、里の奴らは余所者だって除け者にした。その娘のばあちゃんも、そのまた娘の母さんも。そして、僕も。余所者の血は汚らわしいんだってさ。同じエルフ族なのに!
その割に、母さんは獣の解体作業の他に、娼婦の真似事をさせられていた。たぶん、ばあちゃんもそうだったんだろうし、僕も男じゃないって里の奴らに知られたら、母さんやばあちゃんの二の舞になるんだと思う。汚らわしいのはどっちさ! 本当、意味不明ッ!
僕には父親がいない。と言うか、誰なのか分からない。母さんに娼婦の真似事をさせていたら、いつの間にか僕を身ごもっていたらしい。母さんの出自も僕と似たようなものだったらしい。本当に、ここはろくでもない里だよ!
だから、母さんはそんなろくでもない里の連中から僕を守る為、僕を男だと偽っていた。名前だってアベルだなんて男の名前を付けて、服はいつも男物を着せて……。髪も短くしてあるから、どこからどう見ても男の子にしか見えない。
母さんは僕に、小さい頃から、男のフリをしなさいって言ってたし、里の奴らには僕が女だって知られてはいない。それを知っているのは、母さんが生きていた頃から良くしてくれているじーちゃんだけだ。
じーちゃんとは、血の繋がりは無い。病気で母さんが死んでしまった時、里の除け者の僕を引き取ってくれたくらいだから、僕の父さんかおじいちゃんなのかなって思ったけど、どうもそうじゃないみたい。じーちゃんは、僕や母さんだけじゃなく、ばあちゃんにも良くしてくれていたみたい。じーちゃんはばあちゃんより少し年上だし、じーちゃんが小さい頃、ひいばあちゃんと何かあったんじゃないかって、母さんが生前言っていた。
そんなじーちゃんにだけ、母さんは僕か生まれた時、僕が女であることを打ち明けていたようだ。それで、じーちゃんの助言に従って、僕を男として育てていた。それは母さんの死後、少しして、じーちゃんから聞いた。窮屈な思いをさせてしまって申し訳ない、と。お前を守れる方法が、それくらいしか思いつかなかったんだ、と。
血と脂で汚れた手を冷たい水で洗い流し、塊肉を持てるだけ持って、僕は作業場にしている建物から外に出た。里の周りの森の木々は、色鮮やかに紅葉している。秋がだいぶ深まって来たな……。過ごしやすい季節だし、紅葉は綺麗だし、森には木の実がたくさん実っていて食べる物には困らないし、秋は嫌いじゃない。けど、冬を思うと憂鬱だ。
獣の解体作業は、寒さとの戦いだ。室温が高くなれば、それだけ肉の傷みが早くなる。だから、夏場は冷気の魔術をガンガン使って室温を下げ、冬場は一切火を焚かずに解体作業を行う。夏でも冬でも、作業場の中は息が白くなる程に寒い。
夏場はまだ良い。身体が冷えたら、作業場から出れば暖を取れるから。でも、冬場はそうはいかない。作業場の中で火を焚く訳にも行かないから、家に帰らないと暖を取れない訳で。かといって、身体が冷えたからって家に帰るなんて許される訳が無い。それで作業が遅れたら、里の奴らに容赦なく殴られるだろうから、我慢するしかない。空気中の水分までもが凍り付くような中、素手で肉を触る。う~。考えただけで寒くなってきた!
今日解体した肉を、各家庭に配って歩く。お礼を言われないのはいつもの事。だから、あんまり気にしない。けど! 「肉の色が悪い」とか、「脂が多い」とか、お肉の文句を言うのは止めて欲しいなッ! 僕が丹精込めて解体した肉なんだから! 最低の奴らの為にしている仕事とはいえ、僕は手を抜いたりなんてしてないんだからッ! フンッ!
「ただいま、じーちゃん!」
ひとりプリプリしながら家に帰ると、見知らぬ二人組がじーちゃんとお茶をしていた。一人はエルフ族特有の長い尖り耳をしている金髪のおじさん。けど、この里じゃ見掛けない顔だ。もう一人はエルフ族ですらない。銀色の柔らかそうな髪をした、ちょっと小柄なお兄さんだ。
二人とも、お揃いの、一目見て上物だと分かる赤い上着を来て、黒いズボンを穿いている。腰に剣まで差して……。初めて見たけど、この人達、騎士なのかな?
「おかえり、アベル。身体、冷えたろう? お前もこっちに来て温かい物でも飲みんさい」
「う、うん……」
見知らぬ人を見ると警戒したくなるのは、この里で生まれ育ったからなのだろう。大嫌いな里だけど、僕の価値観はこの里に染まっているらしい。何だかそれが無性に悔しい! 僕は、こんな里の奴らとは違うんだッ!
「じーちゃん、この人達は……?」
僕はおずおずとじーちゃんのお隣の席に腰を下ろすと、そう口を開いた。
「竜王様お抱えの騎士様だよ。何でも、領主様が騎士の登用試験を行うとかで、受験者の勧誘にいらっしゃったらしい」
「正しくは、領主ではなく、領主代行のスマラクト様です」
そう言ったのは、エルフ族のおじさんの方だった。領主でも領主代行でも大して変わらないと思うんだけどな……。細かい性格なのかな、この人。
「ほほほ。そうじゃった、そうじゃった。こんな小さな里にまで勧誘の遣いを出して下さるとはなぁ。ほんに有り難い」
「そう思ってくれてるの、じーさんだけですよ」
そう言ったのは、銀髪のお兄さん。テーブルに頬杖を付き、溜め息を吐いている。エルフ族のおじさんはピシッと姿勢を正しているのに、こっちのお兄さんはダラ~っとしている。対照的な二人だ。
それはそうと、この二人、里の奴らにまともに相手にされなかったんだろうな。んで、それを見かねたじーちゃんが家に招いた、と。まざまざと想像出来る。
「気を悪くなさらんで下さい。どうも、この里の者達は、外から来た者が苦手なようでして……」
じーちゃんが渋い顔でそう言った。でも、正しくは、苦手じゃなくて嫌いなんだよね。異分子は里の結束を乱すだなんて、馬鹿げた事を大の大人が大真面目に言うくらいに。誰かを仲間外れにしないと乱れる結束なんて、クソ食らえだッ!
「と言う割に、じーさんは俺らを歓迎してくれるんですね」
銀髪のお兄さんがニッと笑う。と、じーちゃんが微笑みを返した。
「わしゃ、どうも昔から、余所者だとか他部族だとか、そういう感覚が里の者達よりも鈍いみたいでしてなぁ」
そうだよね。じーちゃんの愛読書、『部族基礎知識』だしね。里の奴らが嫌っている本を、じーちゃんは好んで読んでいる。世界にはこんなにたくさんの部族があって、それぞれに素晴らしい文化があるんだって。僕にもそれを教えてくれて、いつの間にか、僕も『部族基礎知識』を好んで読むようになった。でも、こんな里に住んでるから、他部族に会ったのは今日が初めてだったりする。この銀髪のお兄さん、何族なのかな?
「エルフの里でお茶を淹れてもらえる日が来るなんて、思ってもみなかったですよ、俺」
銀髪のお兄さんはそう言って、手元のカップを手にすると、ぐいっと中身を飲み干した。見ると、エルフ族のおじさんの手元のカップは空だ。この二人、結構な時間、じーちゃんと話をしていたのかもしれない。
二人はじーちゃんにお茶のお礼を言うと、席を立った。じーちゃんも外まで見送る為にだろう、席を立つ。僕も慌てて席を立った。
「ま、待って! 聞きたい事があるんだけど!」
僕が慌てて呼び止めると、エルフ族のおじさんと銀髪のお兄さんが不思議そうな顔で振り返った。
「登用試験って、僕でも受けられるの? 僕、里を出たいんだ! こんな小さな里に閉じこもって、じじばばに囲まれて暮らすのはもう嫌なんだ!」
「年齢制限は特に無いが……」
そう答えたのはエルフ族のおじさん。その顔は渋い。彼はじーちゃんの顔色を窺うように視線をやった。銀髪のお兄さんもじーちゃんに視線を送る。
「そうか。アベルは騎士になりたかったんか」
「うん。冒険者になって世界中を見て回るのも楽しそうだけど、出来るなら、収入が安定した騎士になりたい!」
「先々を見据えてか。しっかり者だなぁ、アベルは」
じーちゃんは目を細めると、僕の頭をよしよしと撫でてくれた。そもそも、僕に里を出るように勧めているのはじーちゃんだったりする。ずっと里で暮らしていたら、いつかは僕が女だって里の奴らに知られてしまうから。それに、不測の事態が起きて、明日にでも僕が女だって里の奴らに知られる可能性だってある。だから、いつでも里を出られるように準備しておきなさいって、一緒に暮らし始めた時に言われた。それゆえ、僕の部屋には旅の道具――最小限の着替えと道具、魔力媒介のナイフ、今まで研究してきた魔術の資料が入ったバックが、いつでも持ち出せるようになっている。
「登用試験はいつでしたっけかな? 先程聞いた気もするのですが……」
「明後日ですよ。けど、本当に受けるの? 登用試験って、受験者同士で決闘するんだけど……」
銀髪のお兄さんは優しい人のようだ。小さい僕を心配してくれているらしい。けど! 僕だって戦えるんだから! そんじょそこらの男の人よりも強いんだから! 猛獣のべへモスだって、里の奴らとは違って、独りで狩れるんだからッ! まあ、独りで狩っても、良い部位のお肉は里の奴らに取られちゃって割に合わないから、家の近くに出て来て危ないとかじゃない限り、積極的には狩らないけどさ。
「小さいからって馬鹿にしないでよね。僕、腕には自信があるんだから!」
「そ、そっかぁ……。で、どうします?」
銀髪のお兄さんはそう言って、エルフ族のおじさんに視線をやった。エルフ族のおじさんが、受験させてくれるかどうかの決定権を持っているのだろうか? 期待を込めて、エルフ族のおじさんをジッと見つめる。
「部族、年齢、性別問わず、ただ力あるのみ。それがこの国の騎士の在り方だ」
「じゃあ――!」
「これが参加申込書だ」
エルフ族のおじさんがカバンから紙を一枚取り出す。おお! これが! 僕をこの里から解放してくれる紙!
「書き終わるまで待っている」
「うん! ありがとう、おじさん!」
「おじっ――!」
「ぶふぉっ!」
思わずといったように、銀髪のお兄さんが噴き出した。それを見たおじさんの目が……。怖い……。
「お兄さん、だ! ついでに、名はバルトという」
「俺、ウルペス、ねっ……!」
「僕、アベル!」
エルフ族のおじさん(お兄さん?)がバルトさんで、銀髪のお兄さんがウルペスさんね。何が面白いのか、ウルペスさんってば必死に笑いを堪えている。けど、堪えきれていないよ。
「ぷ、ふふ……! おじさん……!」
「ウルペス、お前、一度痛い目に遭わないと分からないようだな?」
バルトさんがウルペスさんの頭をわし掴む。そして、ギリギリと力を込めた。
エルフ族は力自慢の部族じゃない。どちらかと言うと非力な部族だから、頭をわし掴んでも、あんまり痛く出来ないんじゃない? と思ったけど、どうやら違ったようだ。ウルペスさんから悲鳴が上がる。騎士は毎日鍛えているからなのかな? エルフ族でも、それなりに力が強くなるんだぁ。僕も見習わねば!
「いだいっ! いだだだだっ!」
「試験は領主の館で執り行われるが、場所は分かるか?」
「ん~ん!」
「では、地図も必要だな」
そう言って、バルトさんは片手で涙目のウルペスさんの頭をわし掴んだまま、もう片方の手でカバンを漁って地図を取り出した。この里から領主の館までの大雑把な道のりが分かる地図。僕が実際に行った事があるのは、この地図でいうところの、四分の一くらいまで。そこから先は未知の世界だ。ワクワクすると共に、少し不安になって来る。
当日、道に迷ったら嫌だな……。と言うか、迷う訳にはいかない。そんなんで試験を受けられないなんて、笑い話にもならない。という事で、明日、早速下見に行ってこよっと!