2.母
あれは陽炎が揺らめく気の遠くなるような真夏の日だった。
町の野球チームの補欠だった俺は脱水で倒れたやつの代打でバッターボックスに立った。
そこで逆転ホームランを打ち、チームに勝利をもたらした。
生まれて初めて人に喜ばれ、長身とはいえ細い俺の身体は軽々と胴上げされた。
そして浮き足立ってバットを掲げて家に帰った。
ヒーローになった俺を早くお袋に教えたかった。
家にたどり着く前に、玄関から洒落た服装の小綺麗な男が出てくるのが見えた。
歩幅を緩めゆっくり近づくとその男はひきつった顔で走り去った。
家の中から物音がする。入ると物が散乱していて寝室からお袋の叫び声が聞こえた。
「や、やめとくれ、あんた……」
「おう? そんなに若い男が好きか? 俺が寝ている隙に、ふざけた真似しやがって!」
親父がお袋の首を絞めていた。
歯をむき出した親父と口から泡を吹いていたお袋。
俺は唸り声を上げ、手にしていた金属バットを親父の頭に振り下ろした。
鈍い音だった。
血が飛び散り、シーツを赤く染めた。
お袋が洗ったシーツを汚し、お袋がいつも磨いていた床を汚した。
それでも俺は憑かれたようにまたバットを振り下ろした。
お袋は気を失っていた。
俺は我に返りお袋の肩をさすり、介抱した。
目を覚ましたお袋はよれた髪を汗と涙で濡らした。
「ああ、ウィル……どうして……」
俺はぶるぶる震え、彼女の肩にただすがりつく。
俺たちはそれからしばらく、血を流し横たわる親父を見て固まっていた。
時間は容赦なく過ぎてゆく。
柱時計が冷酷に胸を叩いた。
お袋は両手で俺の頬を撫で、言った。
「……ウィル。この人を山へ埋めよう」
落ち着いて落ち着いてとキスをする。
「……ご、ごめんよ、母ちゃん、俺……」
「あんたが悪いんじゃない。きっと父ちゃんも悪くない。……私が悪いんだ」
「どうしてだよ! 母ちゃんは悪くない!」
「……きっと……世の中がこんなだから。いいかい、これは事故だよ……あんたは、母ちゃんを守ってくれたんだろ?」
お袋は人に見られないように納屋へ行き、芋を入れる大きな麻袋を持ってきた。
仕方なかったんだと俺を慰めながら親父の遺体を血のシーツに包んで麻袋に詰め込む。
床を流し雑巾で拭き親父の遺体もバットも何もかも車の後部座席に二人で押し込んだ。
外が暗くなってから遠くの、人気のない遠くの山中へお袋は車を走らせた。
俺はまだ手も唇も震えが止まらない。
「……ど、どうして、父ちゃんは……母ちゃんの首を?」
「父ちゃんはね……早とちりしたんだよ。農協の人に父ちゃんの仕事の面倒見てほしくて家に来てもらったのに……。早とちりしたんだよ……」
そしておよそ人が寄りつかない山の麓に穴を掘って親父を埋めた。
「ウィル。この事は黙っていなさい、絶対に。父ちゃんは事故で亡くなった。あんたは生きるんだ。償いたいと思うなら……生きて、父ちゃんの分まで生きなきゃ、だめだよ」
泥まみれで泣きながらお袋は俺を悲しく抱きしめた。
数日後、お袋は家で高熱を出し倒れた。
病院に運ばれ、肺炎で還らぬ人に。
俺を産み、愛してくれたただ一人の人をそこで失くした。
俺は嗚咽し、がたがた震えた。
お袋の母親、祖母がやってきて俺を抱きしめた。
葬儀で帰ってきた兄貴たちとはそれっきりだった。
もともと孤児だった親父のことは誰も気にも留めず行方不明とされたまま、俺は祖母のもとに預けられた。
目の悪い祖母と何年か暮らした。
つらかったろう、つらかったろうと口を開いては言う祖母は優しく、よくカプチーノを淹れてくれた。
何も知らされなかったそんな祖母もやがて老いて死んでった。
一人になった俺は導かれるように戦地へ狩り出された。