04 ジルニアス大公国にて――始まり――
ジルニアス大公国の首都ジルニアスは狭い海峡によって分け隔てられた特殊な都市である。
海峡の両側にはそれぞれ家が立ち並び、そして海峡の一番狭くなった部分には通称タワーブリッジと言われる巨大な橋が架けられており、そしてそこには多くの家々が立ち並んでいる。
巨大な橋の上に住居が立ち並んでいる姿はまさに圧巻であり、ジルニアス大公国を訪れた人々を驚かせている。
そして海峡の両端に広がる市街地は、これまた立派な城壁で囲まれている。
城壁の長さそのものは近隣三国の都市と比べても甲乙つけがたいが、城壁の高さは他の三国を圧倒していた。そのため他国から訪れた者に、都市の規模以上の堂々とした景観を見せつけている。
城壁の内部は海峡から引き入れた海水を満たした水路が幾重にも走り、水上交通が頻繁に利用されている。
それでいて、ほぼ全ての道路が立派な石で隙間なくおおわれており、道幅も十分に広い。
何度も拡張を重ねた都市の例にもれず、内側には旧市街地、城壁に近い外側は新市街地と呼ばれている。
現在の城壁は造成されてから百年以上もたっているため、旧新市街地は他国の人間からみれば大して変わらなく見えるだろう。
ただし最も城壁に近い部分に造成された街並みは、通称新々市街地と呼ばれ簡素なアパートメントが極めて密集して建てられており、下町の風景が広がっていた。
街の中心部にはこの近辺では最大規模を誇る神殿とそれと併設するように巨大な塔が建っており、その上層には大公宮とよばれる宮殿がある。
大公宮は別名空中庭園とも呼ばれている。その名前の通り部分的に吹き抜けとなっており、その一部は民衆にも開放されジルニアスの代表的な観光名所の一つにもなっていた。
この空中庭園は大公宮殿を始め、各国の大使館、大公私邸など国政の中枢施設が集まっており、侵入者対策に周りは深く大きな堀に囲まれ、重要施設によく見られるように四方を尖塔で囲まれている。
遠目からでも尖塔内部には複数の衛兵が詰めているのが見える。人の眼と合わせて様々な侵入者対策を施しているそれらの施設へ不法侵入は通常の手段では困難であると思える。
そして大公宮のあるその巨大な塔は、その歴史ある趣とは別にまだ建造されてから百年とたっていない。にもかかわらずその如何にも歴史を重ねたような内装外装は、当時の建築責任者の美学が反映されていると言っていいだろう。
かつての首都ジルニアスはさびれたような漁村であったと歴史は伝えるが、それを聞いても信じられない者も多い。だた今でも残る近海から取れる魚を一手に扱う魚市場が当時の漁村だった面影をわずかに残すのみである。
そしてこの都市のすべてを一望できる美しい白亜の宮殿こそが大公宮だ。
以上が首都ジルニアスの主な概要である。全てを含めた城壁内の面積は30平方Kmほどでありこのまま発展が続けばさらに拡張されるだろう。
この城壁内の登録人口は三十万人を超えており、その他にも城壁内に住むが登録されてない者がおよそ数万人、城壁外に住むが市民権を有する者が十万人ほど済むと言われ、これらを合わせた人数が俗にいう首都にすむ市民と言われている。
登録外の市民の多くは他国を含む首都以外から商売で来てる者、観光で訪れた者、留学生のどれかである。
そして今、そんな首都ジルニアスの石畳の上を一台の馬車が走っている。
馬車を引くのは複数の馬、御者台には同じく複数の人物が陣取りそして荷台ににも同じように複数の者が乗り込み周りに鋭く視線を飛ばしている。
一見、過剰な警備と思う人がいるかもしれない。しかし馬車の乗り手を知ればそれがそうでは無いと気がつくだろう。
馬車の中には複数の者が乗り込んでいる。その誰もが黒いローブ姿だ。
その黒のローブはジルニアスの国政を担う評議会メンバーの証だ。
しかしその身分は対等ではない、はっきりとした上下関係があった。
彼らは大公宮から迎えの馬車に揺られながら、深い堀に駆けられた跳ね橋を渡る。
カレリアーニョがいつも乗る馬車とは比べ物にならないほど、乗り心地は大変に良かった。しかしながらカレリアーニョを含めてその乗り心地を楽しんでいるような者はいない。
あからさまに嫌な表情を作っている者はいないが、喜ぶ者もまたいない。馬車の中にいる者は決して大公宮からの呼び出しを喜んで受けているわけではないのだ。
皆一様に普段は決して着用しない正装用である深黒のローブを着用している。あとは表情さえ整えれば大公への尊敬があふれる、模範的な臣下に見えるだろう。
門を抜け、大公宮の入り口につらなる広い階段の前に差し掛かった所で、「止まれ!」と大声がかかり、馬車が停止する。
馬車から降りたカレリアーニョ達を統一した制服と片手剣で武装した検問の兵士が出迎える。
そしてカレリアーニョ達の身分を確認すると恭しく一礼し塔の中に案内した。
如何にも高級そうな立派な絨毯が敷き詰められた内部は、その荘厳さとは裏腹に得体のしれない静けさが感じられる。本来の大公宮とはそのようなものなのかもしれない。しかしカレリアーニョはここを訪れるたびに一見不気味な感情が沸きあがるのを抑えきれなかった。あるいはもう少し騒がしい場所であったのならもう少し別の感情を持ったのかもしれない。
大公との謁見は、謁見室と言われる王座の間で行われると聞いていたが、それもカレリアーニョにとっては意外なものであった。
「わざわざ謁見室で、われらに何の用だ?」
誰に語り掛けるともなしに小さく呟いたつもりのカレリアーニョだったが、静寂に包まれた廊下ではその言葉が案外に響き、前を歩いている高弟の一人が歩きながら振り向き厳しい顔をした。自らの声が予想外に響いたことに慌ててカレリアーニョも口を閉ざす。大公宮内に配置されている大公直属の親衛隊は、ジルニアス大公国兵士の中から心技体ともに特筆する者を選び抜かれた精鋭部隊だ。その忠誠心は高く、下手な事を聞かれたら評議会の末席いるカレリアーニョでもその場で捕縛されかねない。抵抗などしようものならその場で討ち取られてしまうだろう。
先頭に立つ兵士に案内されるまま、やがて謁見室の両開きで巨大な扉が目の前に迫って来た。その扉は歩みを進めるのにつれ少しずつ開かれてゆく。
そしてその正面には立派な椅子に腰かけた大公の姿があった。
謁見室は広さも高さも通常の室内とは一線を画していた。
とても高い天井には何百もの宝石をちりばめたとても大きなシャンデリアが吊り下げられており、床には美しい大理石の上に、汚れがひとかけらも無いような真っ赤な絨毯が敷かれている。壁には貴金属の糸を織られて作られた豪華絢爛なタペストリーや旗の数々が吊るされており、その財力をの一端を見せびらかしていた。
カレリアーニョ達がいる謁見室の入り口からは、まるで血の色を思わせるような真っ赤な敷物がまっすぐ大公の方に伸び、その両側には何人もの兵士がまるで人形のように微動だにせず並んでおり、それと共に大公の重鎮たる面々の姿も見える。なるほど、これでは大公の私室たる応接間では手狭だっただろうと思えた。
そして、その血が滴ったような敷物の先には沢山の装飾で飾られた椅子が鎮座し、ジルニアス大公国の君主たる大公が座っている。
何時ものながら大公の姿に内心驚愕を覚える。
大公は公称であれば五十歳を超えているはずだ。
にも拘わらずそのきめ細やかな肌や、金色の髪。そしてそのすべてを見通すような謎めいた漆黒の眼。
とても五十代に思えない若々しい要望を保っており、例えようもない異様な雰囲気を漂わせている。
金銀の糸が織り込まれた真紅の衣装をまとい、大公の体格よりもやや大きめに作られた豪華に椅子にもたれかかるように、それでいて優雅に座っていた大公は、カレリアーニョ達が入り口で深く一礼するとゆっくりと威厳のある声で口を開いた。
「よく来たな、もっと近くに」
カレリアーニョ達は再度深く一礼した。『そっちから呼び出したんだから来ざるを得ないじゃないか』などど思いはしたがそれを口に出すほどカレリアーニョは愚かではない。しかしよく観察している者がいたら顔を伏せた瞬間にカレリアーニョの口元が少しゆがんだのが見えただろう。
顔を上げるとカレリアーニョ達は左右からの視線に晒されつつも前に進んだ。
左右に居並ぶ者はあくまで無表情だ。まるで無表情に正面を見つめていることが仕事であるように感じられる。
そんな彼らを横目で見ながら、ゆっくりと大公に近づく。大公の表情がはっきりと見えてくるがその謎めいた表情からは相変わらず何を考えているか分からなかった。
カレリアーニョ達は大公の手前で歩みを止めると、その場で膝をつき、ゆっくりと頭を下げた。
「バグナード以下三名、大公陛下の命により参上しました」
この場で最上位の者、カレリアーニョの師であるバグナードが打ち合わせ通りに口を開いた。
「うむ、ご苦労。顔を上げよ」
これにて形式的な挨拶は終わりだ。カレリアーニョや高弟達はともかく師であるバグナードは大公の私室にたびたび出入りしているほどの親密さだ。このような仰々しい挨拶は本当に形式的なものでしかない。
言われるがままカレリアーニョ達が顔を上げると、そこには大公が椅子のひじ掛けに頬杖を付きながら座っていた。そのまま何かを思案するような様子だ。
そしてしばらくの沈黙が流れた。
「陛下、われらにどのようなご用件でしょうか?」
バグナードの問いに大公は頬杖をやめると顔をやや上に向け口を開く。
「いや、何。少し考え事をしていた」
それは大公に相応しくない、やや取り繕うような態度だった。カレリアーニョ達はそのまま口を開くことなく静かに大公を様子を見守る。
「そなた達にやってもらいたいことがある。詳細はそのほうらに任す」
「……はっ。して何を……」
§ § §
大公宮を出て再び馬車に乗り込んだカレリアーニョ一行は、しばらく誰も口を開くことは無かった。
しかしながらそのいつまでも続くような静寂に耐え切れなかったのか、口を開くものがいた。
「――様は師にどのようなご用事だったのでしょう?」
顔色をうかがうようにして話しているのは、先程謁見の場にいなかった者だ。
「……ここでは詳しくは言えないが、捕り物があるので力を貸してほしいそうだ」
この場の最上位の者、バグナードは一度目を閉じてからゆっくりと答えた。
「師が自ら出無ければならない相手なのですか?」
高弟の問いにバグナードは再び目を閉じ、何かを思い出すようにした後、静かな声で答えた。
「いや、私はではないが手の者から信頼できるものを貸してほしいと仰せだ」
「……それは誰になるのでしょう?」
その質問に答える前に馬車が目的の場所へ到着する。敷地は高く分厚い塀に囲まれておりそして何人もの兵士が内外を警戒している。そしてその兵士達は決して雑兵ではなかった。
そして止まった馬車から降り立ったバグナード達に対し最敬礼で出迎える。
「……後ほど弟子たちを集めて謁見室へ来るように」
バグナードはそれ以上口を開くことはなく、警備の者に軽く手を挙げる事で返礼とすると、建物の中に入り慌てて高弟達もその後を追った。
§ § §
カレリアーニョを含む高弟達が謁見室に入ると、数名の弟子を従えた高弟の中でも筆頭の者がすでに待ち構えていた。
周りを見れば誰もがある一定以上の力を持つとバグナードに認められた者ばかりだ。
そしてこの場所にはいないが建物の内外を警備する者達もただ物ではない。
大公直属の親衛隊に勝るとも劣らない、実戦をそれなりに重ねた彼らは歴戦の兵士達にも決して見劣りしない風格を漂わせている。
そのほかにも魔法により生み出された決して披露する事のない肉人形などが要所に配置され侵入者に対し眼を光らせている。
そんな厳重な警備の中心地に存在する者こそ、カレリアーニョが師事するバグナードという人物であった。
バグナードは、謁見室に備え付けられた一番高くなった場所に上がると、筆頭高弟が控えていた弟子達から数枚の紙を受け取りバグナードの隣に立つ。
「バグナード導師の命によりカレリアーニョは『飛龍』を率いて任務を遂行せよ」
筆頭高弟が大げさとも思えるような大声で出した。
「カレリアーニョ」
筆頭高弟の声でカレリアーニョが謁見台の下に移動すると筆頭高弟からバグナードへ一枚の紙が手渡された。
カレリアーニョはそれを恭しく頭を下げたまま両手でバグナードから受け取るとそのままズリズリとあとずさりする。
「カレリアーニョ、頼んだぞ。」
「はっ。師の望まれるままに」