22 城塞都市ブリム――宿屋――
――ギギイィィィと嫌な音を立てて木製の扉が閉まった。
あてがわれた部屋は二階に上がってすぐの左側の部屋だ。部屋の広さは四畳ほどの狭さで備え付けられた古い木製寝台が二台ある他には何もない部屋だった。それでもこの世界では寝台で寝ることが出来ずに馬小屋やそれに類似した施設で寝泊まりする者も一定数いるため、それに比べれば恵まれている方だろう。小さな窓が一つだけあり、そこから差し込む日の光のみが唯一の明かりだ。
ソルトアースオンラインでのヨシコの自室と比べるのもおこがましい、粗末な部屋だった、とはいえ掃除はされているらしく目に視得るようなゴミは落ちてはいない。
「……本当にこのような部屋にお姉様がお泊りになられるのですか?」
部屋の様子を一瞥し、ヤスコが表情を顰めて尋ねる。
「まぁ仕方ないわね……。このような環境にも少しは慣れておかないとね」
ヨシコは肩をすくめながら「だってお金が無いから仕方ないじゃない……」と呟く。
正直ヨシコもこのような部屋で寝泊まりするのには抵抗があった。
窓にはガラスなど当然のように嵌っておらず、隙間風が漏れている。真冬などはかなり寒いだろう。
この場所は紹介してもらった宿泊施設の中では一番安価な宿屋だ。実際にはもっと安価な宿があるらしいのだか、そういう宿は一般人が利用するものではなく、所謂犯罪者やそれ類似するような人間が利用する事が多い様だ。
ヨシコは装備品を外そうと携劔帯に手を掛けた所ではっと気が付いて手を止める。そして苦笑いすると言葉を発動させた。
ヨシコの体躯から一瞬にして今まで身にまとってた装備品が消え、余り華美ではない黒いクロークを身にまとった姿へと変貌する。そして溜息のような息を吐くと寝台に腰かけた。
ソルトアースオンラインでは装備変更コマンドと言われる言葉を使ったのだ。
この世界では実際に装備品や衣服を脱ぐ事が出来るが、ソルトアースオンライン同様に言葉にて装備変更することも可能だ。
横を見るとヤスコは一生懸命装備品を外して、その外した装備を寝台に置いている最中だった。
「でも冒険者か……。薄々気がついてはいたけれどね」
冒険者、以前この名前を聞いた時はかなりワクワクしたものだ。
冒険者、冒険が出来る職業。
ソルトアースオンライン上でもプレイヤーは冒険者や傭兵などと呼ばれてはいたがそれはあくまでゲームの設定上での事、実際は運営が用意したクリアがほぼ約束されたコンテンツを周回していただけだ。
実際ヨシコも現実での現実逃避の一環として見知らぬ世界を冒険する姿を夢想した事はあった。その手の映画やドラマなどもよく見ていたのだ。
しかし今日この街の組合で実際に聞いた話はそんな夢を打ち砕く現実的な話だった。
現実で例えるなら日雇い労働者と同じ、それがヨシコの偽らざる感想だった。
物語にあるような未知への、未踏域への探検などは所謂極めて一部の冒険者の物であり、大多数の者は魔物と言われる生物の討伐や護衛などの荒仕事で生計を立てているようだ。
ヨシコは溜息を付きつつ懐から何かを取り出すとソレをじっと見つめた。現実な紙基準からはあまりに粗末に見える樹皮紙にティリスファル・グレイズ共和国冒険者組合が発行した旨と冒険者としての認識番号、登録者の名前が記述されている。
ヨシコはあまりに簡素で、いくらでも偽造できそうなその認識票を指で確認するように触りながら考えをめぐらす。心もとない現地通貨の中からいくらかを払って登録した時にもらった認識票は、ちょっとした事で破れて失いかねないような樹皮紙に何らかの文字が刻まれた物だった。
ヨシコ達の応対をしてくれた組合受付嬢の投げやりな説明を思い出す。
どうやら冒険者には階級という物があり上位の階級の認識票はそれ相応の材質で作られているらしいのだが、文字通り先ほど登録したばかりのヨシコ達の認識票は貧弱な樹皮紙でしかない。そして報酬の額や仕事の難易度なども階級に比例し上下するようだ。最下級の認識票が粗末な樹皮紙でしかないのは恐らく死亡率の高い初心者の認識票に費用などかけていられないからだろう。
ヨシコは当初、勘違いをしていたがこの世界の住人から視た下級冒険者というのは浮浪者よりはマシな程度の扱いしかされないし、それでも落ちぶれて犯罪者落ちする者も少なくない。
なにせ登録するのに身元の確認すらされないのだ。
それでも一応レベルで犯罪者かどうかの確認は行われるようだが、指紋の登録データベースなども無いこの世界で確認する材料は乏しく、それすら国をまたいでしまえば犯罪歴などないも同然になってしまうのだ。
事実としてヨシコ達が登録したときも名前等幾つか聞かれた程度でヨシコ達が困惑するぐらいスムーズに終わってしまった。登録にはもっと様々な手続きが必要で、聞かれた時のためにいくつかのプランを立てていたヨシコ達だったが、想像よりはるかにスムーズに物事が進むため不安になるほどだった。
しかしそのおかげでこのティリスファル・グレイズ共和国の人間どころかこの世界の人間ですらないヨシコ達が些少の金銭を払うだけで無事に冒険者になれた、という側面もある。
しかし反面、高い階級の冒険者がまるで英雄か何かの様に語られているのは事実だ。どんな功績を立てたのかは知らないが勲章を得たり、国政に携わるような立場になる者もいるらしい。
そこまで行かずとも一定の功績――階級を得た冒険者はそれなりの階級の兵士として雇用されたり、それまでに得た報酬でそれなりの農地を取得し引退する、などの道が開けるそうだ。
それにあこがれ、また貧しさから逃れたい、だからといって犯罪者になる覚悟も無い、そのような者が定期的に組合を訪れては運と実力に恵まれた者はお金と組合からの評価を手に入れ、運も実力も足りてない者はお金の心配する必要のない――死体へと姿を変える。
「まぁしょうがないか。……それよりもね、ヤスコ良い?私達の当面の目的だけど――」
「はい、分かってます、まずはお姉様と同じような立場の人間……『ぷれいやー』の噂や情報収集ですね!」
「えぇ、そうよ。もし『プレイヤー』がいた場合、それの脅威は最上級になるわ。まず居るか居ないか、もしいた場合は……ソレはその時考えましょう」
ヨシコのLVはソルトアースオンラインのLV上限である119だ。だがソルトアースオンラインでは現役プレイヤーの大半がLV上限の119なので強さの証明にはならない。それでもヨシコの装備品込みのステータス上はLV128~129相当ではあるが、これもまた多くのプレイヤーはLV120代後半なので大きなアドバンテージにはならないだろう。ソルトアースオンラインではLV上限が119で止まって久しく、現役プレイヤーはステータスを1上昇させるのに血眼になっている。
そしてヨシコは対人戦は得意ではない。
実装当時にちょろりとやった程度で対人戦の経験は大幅に欠けているのだ。
それでも『Loshforne』には非常に対人戦に手慣れた者もいて、時折話題の端に登る程度には知識はあった。
それゆえにもし他のプレイヤーがいた場合は注意しなくてはならない。対人戦なれしている相手に勝てる見込みは低いからだ。
ヨシコの付与魔術師という職業は攻撃力や防御力もそれ専門の職業にはかなり見劣りするため、プレイヤーとの接触などは慎重を期した方が良いだろう。
安全のために天空城へ閉じこもる事も考えなくも無かったが、それだと情報は一切入らない。また、物資の補給の為、定期的に地上へとおりる必要があるのだ、それならばこちら側からもある程度アプローチをした方が良い、との考えからだった。
それに……
「あとは……恥ずかしいけど現地通貨ね……。これを何とかして稼がないと……」
無論、ヨシコが所持しているソルトアースオンラインの素材や装備を売ればなにがしかの金銭は得られる予測はついている。しかしヨシコは売却を極力したくなかった。もう二度と手に入るかどうか分からない品物だという事は勿論のこと、現地での価値もよく分からないのだ。下手に売却をして余計な面倒を抱え込む可能性もあった。
と、いろいろ理屈を捏ねていたものの、本来のヨシコが吝嗇家の傾向がある事も否定できないだろう。様々なソルトアースオンライン上のアイテムを極力処分せず、収納が許す限りため込む性質なのだ。
今持っている現地通貨は全てデスネル村の出来事で手に入れた装備品などを組合から紹介された店舗で売り払って手に入れた物だ。正直な所、相場なども全く分からなかったがそれなりの金額を手に入れる事が出来た。しかしこのままでは現地通貨は減る一方であり、何らかの方法で現地通貨を稼がなければ早晩、無一文になるのは眼に見えていた。
「それならば先ほどの女性に現地通貨を渡さなければ良かったのではないでしょうか?」
「……それはしょうがないのよ、この宿屋に何日止まる事になるか分からないしね……。次から宿泊を断られたりしたらまた安宿屋を探すのは面倒でしょ?」
「なるほど」といってヤスコはうなずく。正直にいって渡す時にヨシコも少し迷ったのだが、さすがにあそこまで騒ぎを起こしてしまったのでは仕方がないだろう。それに渡したのはあくまで彼らから奪った金銭だけであり、その他の品物は鞄に格納してある。もしこれ以上現地通貨が乏しくなってもそれらを売却すれば何日か分の宿代にはなるだろう。
「まぁ、現地通貨の問題は後々考えましょう、今あれこれ考えても実際どう転ぶかわからないしね。何とかなるでしょう。とりあえず今日は休んで、明日また組合に行きましょう」
そう言ってヨシコは今日視た組合の様子を思い出す。
多数の冒険者と呼ばれる者達がわいわいがやがやと騒がしくしていて、ボードに依頼表と思われし紙がびっしりと貼られていた場所に集まっている。恐らく何枚も重なって貼られていたと思われた依頼表様子からヨシコ達みたいな初心者でも何かしらの仕事を見つけ出すことは出来るだろう。
とにかくヨシコ達には現地通貨が必要で、今以上に窮乏すれば仕事を選択する余裕すらなくなってくる。お金が無ければどの世界でもどうする事も出来ない、というのは何という皮肉な事だろうか。
「わかりました。割りの良い仕事が見つかれば良いですね」
「そうね、見つかる事を祈りましょう。その後は周辺施設の探索ね。明日の事で何か質問や意見はある?なければ寝る前に下に降りて食事でもいただきましょうか」
「特にありません、お姉様。ここの食事がお姉様のお口に合うと良いのですが望み薄ですね」
「そればかりは仕方ないわね。何事も少しづつなれて行かないとね、一応最低限の用心で武器はもっていきましょうか」
そういって二人は改めて武器を身に着け、身に着けていない装備をヨシコの鞄に格納するとゆっくりと下に降りて行った。
そして席に着くと必死に何かを押し殺しているような表情をして急いで駆けつけて来た店員へ夕食を頼むのだった。
幸いにしてその日はもう、トラブルは起きなかった。