20 プロローグ
天空城『Loshforne』の最上階、その一番見晴らしの良い場所に位置するヨシコの自室は豪華だ。
室内には数々の高級調度品が絶妙なレイアウトで配置されおり、もしこの手の事に興味があるプレイヤーが一目ヨシコの部屋に入ろう物なら感嘆の声を上げるであろう。
MMOといえば戦闘――バトルコンテンツ――にしか興味が無く、自室といえば装備品保管庫状態になっているプレイヤーも多いなかで、ヨシコはしっかりとハウジングも楽しむことができる数少ないプレイヤーの一人だった。
床には月霓布と呼ばれる高価な布を高い特殊技能で織りあげた絨毯が敷き詰められており、その絨毯は光の加減如何でぼんやりと七色に色を変え、訪れた者を驚かせる。
そして正面に目をやるとひと際大きな絵画に目を奪われる事だろう。最後の審判と呼ばれるそれはどんなに金を積んでも決して手に入る事は無く、現在までに所持を公にしたことがあるプレイヤーは数人、所持を公にしていないプレイヤーを合わせてもおそらく十数人程度しかいないと噂される、文字通りの最上級の希少品だ。
そんな物を所持していると公表しているヨシコではあったが、戦闘面に比重を置くことが多数派であるソルトアースオンラインのプレイヤーからは羨ましがられるということは特に無く、ただの珍しい調度品を持った上位クランのマスターと認識される事が多いのが実情だった。
そしてその絵画の真下に備え付ける様に置かれた緋色の机。そして合わせるように配置された緋色の椅子。今は無人であるがこの部屋の主人が座るのであろう。
そしてそこからほど遠くない場所には天蓋付きの超豪華なベッド。ソルトアースオンラインでの調度品としては超最高級に位置する、作成には複数の高位特殊技能が必要であり、高価で取引される素材を惜しげもなく使用したまさに『ロイヤル』の名にふさわしいベッドには今、二人の人影があった。
一人は横たわり、もう一人は半裸な体を晒すように身を起こし、もう一人の耳元で囁くように顔を近づけている。
「それでですね、お姉様、シャルロット様の協力は仰げないのでしょうか?」
ヤスコはニコリ、とするように笑顔を浮かべると、その声は静かな部屋に響き渡った。
「えっ!?」
シャルロットはソルトアースオンライン上でTrustworthyと言われるNPC群の一人だ。
簡単にいえばソルトアースオンライン上の有名NPCを呼び出す事ができる特殊な魔法である。
限定されたNPCのみが対象だが、多くの場所で呼び出すことが可能な上、戦闘に参加させられる事が出来、なおかつソコソコの強さを持つNPCが多い。
そのためソロでの金策や、あまり難易度の高くないコンテンツ攻略などでお世話になるプレイヤーが多い召喚魔法だ。
ただその魔法の名前、Trustworthy(信頼に足る)、が指し示すように不可視のパラメータであるNPCの好感度・信頼度をMAXまで上げないと呼び出せないため多少の手間がかかる事が難点であった。
「……それは……今まで考えた事なかったわね……。だけど……」
と、ヨシコは言葉を濁す、普通に考えれば有能なNPCを呼び出せるのであれば大いにやる価値はあるだろう。
しかし、彼ら、彼女らはベースが元々がソルトアースオンライン上に存在するNPCであり、ヤスコのようにヨシコが自ら作り上げた存在ではない。彼ら、彼女らがヤスコの様に自らの意思をもって行動した場合、何が起こるのかヨシコにも想像が付かなかった。人気のある、優秀なNPCというのは一癖も二癖もある性格を持つものが多いのだ。
しかし、何が起こるか分からないこの世界で身を守る、という意味で有れば多いに役にたってくれる可能性があった。彼ら、彼女らはその多くがプレイヤーには及ばずとも、プレイヤーに準ずる戦闘能力を持つものが多いためだ。初心者を戦闘に参加させるぐらいならTrustworthyでNPCを呼び出した方が良い、と言われるほどだった。
(でも……本当に呼び出せるとして……シャルロットで良い、のかな?)
確かにシャルロットは最も戦闘能力の高いNPCとして知られ、ソルトアースオンライン上では、最初に取得するオススメのNPCのうちの一人だ。
その戦闘能力はTrustworthyの中でも突出しており、攻撃方法は魔法攻撃がメインであるが決して物理攻撃も出来ないわけではない。その魔法も光属性以外は完備しており、ごくまれにいる、魔法無効などの敵には物理でも攻撃できるという、オールラウンダーな働きが期待できる。
しかしソルトアースオンライン上の設定では、非常に気位が高く、厄介なNPCの代表でもある。
Dr.シャルロットとも呼ばれ、数多くの物事に精通した博識ながら、倫理観が非常に薄く気性も荒い。数々の国を騒がせた事件により、何度も国外追放になりながらも、その類まれな戦闘能力と知識を持って、呼び戻され特例にて許されているという設定だ。
彼女を主役にしたクエストではプレイヤーに悪事の片棒を担がせ、共犯に仕立て上げて口止めするという物も多い。
そんな彼女が意思を持ち、自らの考えで行動をしたら一体どうなってしまうのだろう……。ヨシコの命令を聞くことはあるのだろうか?それにもし攻撃してきたら……。
(でも知識面でも戦闘面でも、一番頼りになるNPCではあるわね……)
仮に戦闘になったとしても、正面から準備万端で戦えば敗北する可能性はかなり低いだろう。此方にはヤスコもいる。正直ヤスコの戦闘能力はシャルロットよりもかなり落ちるが、それでも牽制程度にはなるはずだった。
「ヤスコ、今日ひと段落したら……そうね、昼あたりでいいかしら。戦闘準備して中庭にきてちょうだい。貴女の言う通りシャルロットを呼び出せるか試してみるわね」
そう言い終えるとヨシコは天井に目を向け、再び目を瞑った。
§ § § § §
〈システムコマンド magic trustworthy シャルロット〉
唱えながらヨシコの脳裏に一瞬後悔の念がよぎる、しかし、もうキャンセルすることは出来なかった。
手を伸ばしつつ発したその言葉と共に、眩い光の塊が前方に現れる。その光は次第に眩しさを増し、ヨシコにはもう、辺りを確認する事さえできない。
そして、ヨシコにはその光の中から、何か聞きなれない声がしたような気がした。
そして、その眩いばかりの光が徐々に薄れ始めた時、そこには一人の女性の姿が現れた。
漆黒の外套を纏う、年若い女性である。
腰まで届きそうな長いストレートな白金髪、それは光の当たり方次第では灰銀色にも銀白色にも見間違う事が出来る不思議な光を纏っていた。
その髪の色からは似合わないようなやや小麦色の貌膚と視る者を一瞬怯ませるような紅い両眸。
それらの身体的特徴は、その華奢な体躯に纏っている漆黒の外套に幾分か隠蔽されているものの、視る者の興味を引き付けるのは間違いないであろう。
その女がヨシコに笑みを湛えているような貌つきで話掛ける。
「あら……?ヨシコじゃない?ここは何処なの?」
ソルトアースオンラインと変わらない、その声にヨシコは何とも言えない安堵を覚える。
「シャルロット……。私が分かるわよね?」
「何言ってるの?まさかヨシコの姿してヨシコじゃないとはいわないわよね?」
「いえ、なんでもないわ……。お久しぶりね、シャルロット」
「おかしなヨシコね。それでさっきも言ったけど、ここは何処なのかしら?後、後ろの女は誰なの?」
シャルロットは見慣れない場所にあたりをキョロキョロしながら、興味深そうな表情をする。
外見とは裏腹に時には苛烈な行動に出る事も多いこの魔術師が、このような行動を取るのはヨシコとしても初めて視るものだった。
(やっぱり……ヤスコと同じ。NPCとしての行動ではないわ。自分の意思を持ってるわね)
「そうね……まずは紹介からしておくわね。この娘はヤスコよ。私の…、そう、妹分みたいなものなの」
そう紹介したとたん、ヤスコはスカートの裾を両手で軽くつまみ上げると、腰と膝を深々と曲げて挨拶をする。
「初めまして、シャルロット様。お噂はかねがね、お姉様より伺っております」
「あら、そうなの?ヨシコがわたくしの眼が届かない時に、どのように言っているか興味があるわね」
「……とても博識で頼りがいのある方だと。それに類まれな魔法使いであるとも」
「まぁそんな言葉ではわたくしの事を言い表せないけれどまぁ良いでしょう、それで?ヨシコ。ここは何処なの?」
「……ここは私がマスターを務める天空城よ。何から説明すればいいかしらね……。その前に立ち話もなんだし私の部屋に移動しましょう、お茶ぐらいはごちそうするわよ?」
歩きながらヨシコは慎重に、慎重に言葉を選びながら今までの事を説明していく。彼女に何処まで打ち明けるべきかをよく考えながら、言葉を選んでいく。
ここはソルトアースオンラインの世界ヴィクトリアではない事、気が付いたらこの世界にいた事、この世界で人同士の争いに巻き込まれたこと、ソルトアースオンラインにいたのと同一に思えるモンスターがいた事、などなどだ。
最初は、何を言っているのか分からない、というような貌をしていたシャルロットだったが話が進むうちにだんだんとその真紅の両眸を輝かせ始める。
テーブルにカップが置かれる音とともに、ヤスコがテーブル中央に紅茶の注がれたカップを置いた。ヤスコの「どうぞ」という声が静かな部屋に響き渡る。ヨシコは「ありがとう」と声を掛けてからカップを持ち上げるとそのまま口に運んだ。
「あら?これはなかなか美味しいわね。これは希少品だったりするの?」
同じように紅茶に口を付けていたシャルロットがそう言って笑みを浮かべる。
「あら分かるの?これは素材そのものは希少品ってわけでは無いけれど、需要が少なくてなかなか市場には出回らないのよね。それに飲料系の強化は特殊技能のランク的にも微妙でしょ?だから私自ら採りに行ったのよね、それに……って今はその話をしてる場合じゃなかったわね。ごめんなさい、話を戻すわ」
この手の希少アイテム系の話になると口が止まらなくなるヨシコを知っているヤスコはクスクスと笑っている。
「話を戻すけど空間移転の魔法?いや次元移転かしら?わたしくしでもまた未解明の魔法ね。……確かなのはここは約束の地ではないという事ね?」
「そうよ。……現状、帰還方法は分からないわ……」
「よござんす、大体の事はわかったわ。ヨシコは私に任せてドーンと大船に乗った気でいなさいな」
「ホホホホホ」と高笑いをしながらそう自信ありげな態度を見せるシャルロットにヨシコは「貴女に任したら大変なことになりそうね、泥船にならなければ良いけど」、と小さな声で呟いたが、幸か不幸か、その声はシャルロットの耳には届かなかった。
「じゃヨシコ、早速だけど、どんどん呼び出してしまいなさいな。いくらわたくしでも一人で何でもはね。奴隷……じゃなくて手足になる者が必要だわ。わたくしほどじゃないけど魔法技能が高い者はいるでしょう?例えばプロフェッサー――」
「ちょっとまってシャルロット。その件だけどね」
ヨシコは慌ててその声をさえぎる。
「あら?どうしたの?」
「今は貴女以外呼べないみたいなのよ……」
「あらら……」
ヨシコは苦い笑みを浮かべると天井を仰いだ。




