01 序章
クラン「Loshforne」のクランハウスは世界の中心地からややはずれた所に位置する、ある浮遊島にある。
それはクランメンバーからの寄付と言う名目でたんまりせしめた”上納金”で購入したものだ。
小さいながらも浮遊島を全域占有し、その中央には5階建ての建物が鎮座し、周囲には冒険の手助けをする様々な施設が立ち並んでいる。
その最上階にあるクランマスターに割り当てられた専用部屋、通称執務室でヨシコは落ち込んでいた。
「ヨシコ、あんまり気にすることないよ。誰がやってるか知らないけどただのやっかみだし」
その言葉を聞き、ヨシコは深くため息をついた。
「私だってほんの言いがかりみたいなことで晒されたことあるし……。ヨシコみたく大きなクランのリーダーだと妬みや嫉みなんかもあるんじゃないの?気にしたら負けだって」
「私も最初はそう思っていたけどさぁ……アデル、専用スレが何度も立ってるんだよ?」
アデルはクラン「Loshforne」の立ち上げメンバーの一人で、私がクランマスターを引き継ぐ前から前任者の補佐役をやっていた人物である。ちなみに女性アバターだがリアル性別は不明だ。
ヨシコもクラン運営には出来る限り協力してきたが、「Loshforne」が末席ながら大手クランの一角に上げられるようになったのは彼女の功績も大きい。
「それは知っているけど……あ、そろそろ落ちていい?明日早いんだ」
「愚痴聞いてもらってごめんね~。ちょっと楽になった」
「ホントに気にしちゃダメだよ?じゃお疲れ様でしたー」
「お疲れ様~」
そう言い残し、アデルはコンソールを操作して掻き消えた。
部屋に残されたヨシコはコンソールのクランメンバー一覧からヨシコを除く全員がログアウトしていることを確認するとコンソールを閉じて椅子に深く座り直す。
(エゴサーチが良くないって事は知っているんだけどね……)
ネットの掲示板で初めてそのスレを見たとき、ヨシコの心臓はドキンと大きく鼓動を打った。
それは晒スレと言われる中でも、特定の個人を誹謗中傷する為だけに建てられたスレッドだった。
まったく覚えのない誹謗中傷が大半だったが、いくつかは実際の出来事を悪意をもって解釈しているのがあった。
曰く、クランメンバーから強制的に上納金と称してゲーム内通貨を私的に搾取している。
曰く、甘い言葉で男従者を作っては侍らせている。
曰く、いや実はネカマでみんな騙されている等だ。
確かにクランハウスを取得するためにクランメンバーからお金を集めた事はあったが、私的に流用したことなど一切なかった。そのおかげで2Lサイズのクランハウスと浮遊島を実装直後に取得する事ができたのだ。
大体3Lサイズ以上の拠点を持っている最大手クランはクランメンバーにノルマを課してまでお金を集めたとか聞いているし、寄付とはいえ金額はクランメンバーの善意に任せたウチは文句をいわれる筋合いもない。
とはいえ、全体的にみると小規模とはいえ一つの浮遊島を丸々占拠してるクランはそう多くないのは事実だった。
共同スペースがある大きな浮遊島の一角に小規模な建物を建ててるだけのクランが多いのだ。
従者やネカマに至っては失笑ものだった。ヨシコは極初期を除いてゲーム内でリアル性別を匂わすような事を言ったことが無いのだから。
従者云々は定期的にクランの新人をゲームシステムに慣れ挿すために連れまわしていたのが誤解されたかもしれない。
まぁそれでもアデルのように初期からいるメンバーには性別等は薄々バレていると思うけど。
(大体、ゲーム上のアバターとリアル性別を混同しするのはおかしいでしょ?)
ヨシコは自分に言い聞かせるように呟くと、再度椅子に深く腰掛け直し目を瞑る。
(私も、そろそろ落ちるか……)
リアル時間はもう深夜1時を回っている、それでも普段ならクランメンバーの幾人かがまだログインしているはずだが今夜に限ってはもう一人もいない。
コンソールを呼び出しメニューからログアウトを選択する、それでこの仮想世界から自らのアバターが掻き消え現実に戻るはずだったが……
しかし、その日は何かが違っていたようだ。
「……?ナニコレ?緊急メンテ?」
そこに表示されたのはいつもとは違うシステムメッセージが表示された、ある画面だった。
『ユーザーID:00-0000126 ?L?????N?^?[?ヨシコ??Q?[???i?s?d???????????B
早急な対策が必要です。
?S??保護プログラムをタ?s?????H』
>OK キャンセル
「えっ……!?なに?文字化けしてるわよね?対策……?保護?」
その時のヨシコは他者からみればきっと間抜けな顔をしていただろう。
何度見返しても文字化けが邪魔をしよく分からない。
「この00-0000126って私のIDよね?早急な対策が必要ってこの文字化けのせい?」
ヨシコはβ版からこのゲーム、ソルトアースオンラインをやっているがこんなメッセージを見るのは初めてだ。
無論、文字化けなんてものも初めての事である。
保護プログラム。
初めて起こるシステムメッセージの文字化け。
疲れているせいか脳の中で理解が追い付いていない。
それでももう夜中の1時過ぎ、急いでログアウトしないと明日がつらくなるだろうという事を思いだした。
GMコールをしても返信がいつ来るかわからない。
「【OK】……してもいいわよね?なんか問題が起こっているのは明らかなんだし……」
おそるおそるOKボタンを押すヨシコ。
(スグ治るのかしら?それとも時間かかるの?早く落ちたいんだけど時間かかったらやだなぁ……)
そんな事を思いながら画面を見つめていたヨシコは、『おまちください』と、表示された文字下、ゆっくりと動く読み込みバーが一番右端に達したのを確認した瞬間。
────それが、ヨシコが覚えている最後の記憶だった。
そして、ヨシコのアバターがゲーム上から掻き消えた。
< Welcome to ?r??????? >
気がつくとヨシコは執務室の椅子に腰かけていた。
しばらくぼーっとしてたヨシコだったがスグに思い出したようにシステムメニューを呼び出そうとして……
「えっ!?ウソでしょ?」
メニューが呼び出せなかった。
ヨシコは困惑しながらも他の方法を試してみる。
「システムコマンド『logout』」
何も起こらない……一人きりの部屋に空しく声が響くだけだった。
「システムコマンド『shutdown』」
「システムコマンド『helpdesk』」
その他知っている限りの方法を試してみるが全て同じ……無反応だ。
「どういう事なの……」
ヨシコは目の前が真っ白になった。
§ § §
そのまま誰もいないクランハウス内部をさまよい歩いていかほどの時がたったのか、気が付くとヨシコは自室の前に来ていた。
クラン「Loshforne」ではクランへの貢献度によって各メンバーに個人部屋を割り当てていた。
といっても個人部屋でできるのは荷物の収納や、個人部屋内部のインテリアの変更などのささやかなものだ。
余談だがクランハウス全体の内装変更権限はクランマスターであるヨシコしかもっていない。
フラフラと吸い込まれるようにヨシコは自室へのドアを開け中にはいる。
すると……
「おかえりなさい、お姉様」
鈴の鳴るような声が聞こえた。
ヨシコは辺りを見回して声の発生源を探る。
部屋の奥には調度品としてロイヤルベッド、ゲームの設定上も王族が使用している物と同等、という設定の豪華な寝台だ。
そして、そこからほど遠くない場所に佇んでいたのは――
エメラルドブルーのドレスを纏った可憐な少女だ。
ヨシコよりも若干低い身長に蒼い眸、銀色の髪の下には非常に整った顔。そしてセレモニアルドレスといわれる希少な素材をふんだんに使用した衣服を身に着けている。
大人と少女の境目にいる、非の打ちどころのない美少女だった。
「どうかしましたか?お姉様?」
このNPCはヤスコという名前でヨシコが自ら作成したNPCの一人……だった。
この機能はサービス開始から3年程たったころに実装された機能の一つで、コンセプトは『自分だけのNPCを貴方に!」とかそんなキャッチコピーだったと思う。
ヨシコ自身のアバターは早くゲームを始めたい、という思いもありある程度で妥協した部分もあるがヤスコについては違う。
公式にはサポートされていない外部ツールで解析までして十分な時間をかけて作ったソレはヨシコの理想のアバターそのものだった。
そのNPC……ヤスコが今まで聞いたことのない台詞を話して……ヨシコと会話しようとしている。
それは本来ありえない事だった。
もちろん声を発することは出来る。だがそれはあくまで定型文と言われる運営側で用意した台詞だけであり、しかもこちらからアクションをしなければ返答すら返ってこないのだ。ヤスコ自らが話掛けてくるなどは不可能なはずだった。
「……お姉様?どうされましたか?」
再度声を掛けられたヨシコはやっとの思いで口を開く。
「ヤスコ……よね?」
その言葉にヤスコは可愛らしい顔を少しだけ悲しそうにする。
「はい、ヤスコですよ。お姉様もしかして忘れてしまいましたか?」
「い、いやそんなことはないけど……」
「よかった、もしお姉様に忘れられていたら私は死んでしまいます」
と、言いながら抱き着いてくるヤスコを支えるヨシコ。
フワリといった風にたなびく髪からはとても好ましい香りが漂ってくる。
(なにこれ……ありえない……ありえないんだけど……)
ソルトアースオンラインの推奨年齢は15歳以上のゲームということもあり所謂五感という物に制限がかかっている。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のうち味覚や嗅覚は実装されておらず触覚についても極めて制限されている。
プレイヤーを含むアバター同士は基本的に接触することができず、それでも接触しようとするとすり抜けてしまうようになっていた。
にも関わらずヨシコはヤスコの体をしっかりと受け止め、あまつさえ香りまで感じる事ができる。
しばらくそのまま抱きあうようにしていた二人だったが、ヨシコははっとしたようにヤスコの体を押しもどそうとするとヤスコは残念そうに体を離した。
「ねぇ……ヤスコ、貴方自分が何者なのか分かってる?」
「私ですか?私はお姉様に作られたと聞いています、そうですよね?」
「そ、そうね。確かに貴方は私が作ったわ」
『変なお姉様』と言いたげな目でこちらをまっすぐに見つめている。その蒼い目はとてもきれいだった。
「あ、貴方、自分がNPCなの分かっている?」
「NPC……ですか?何でしょう、それは?」
「貴方は私が作ったNPCなの!本当は!」
思わず語気を強めてしまったせいかヤスコは若干たちろぎながら口を開く。
「NPC……?私の名前はヤスコでは無く本当はNPCという名前なのですか?」
「違う違うそうじゃなくて!あぁもう、なんて説明したらいいのかな?」
頭を抱えるヨシコだったがヤスコはそんな苦悩をしってか知らずか、微笑みを浮かべながら話す。
「変なお姉様。でも私がそのNPC?って名前ではなくヤスコで良かったです。この名前、気に入っているんです」
(これからどうしたらいいんだろう……)
と、ヨシコが悩んでいるとヤスコから声がかかった。
「お姉様はお疲れのようです、そろそろお休みになってはいかがですが?」
「休む……?」
「えぇ、もう深夜といってもよい時間です、いろいろとお悩みの様ですが明日になれば良いアイディアも浮かぶかもしれませんよ?」
その言葉をきいて部屋を見回して時計を見るともう2時近くになろうとしていた。冷静に考えてみると、先ほどからありえないことばかり起こって酷く疲れていたし、これは寝落ちしたヨシコが見ている夢なんじゃないか?とも考え始めていた。
「わかった……もぅ、寝る……」
そう言うな否やフラフラとベッドに近づき腰を下ろすとそのまま横になろうとする。
「あ、お姉様!お着替えをお手伝いします」
というヤスコを手で制す。
どうせクランハウス内では戦闘装備では無く、所謂見た目だけのおしゃれ装備に着替えているのだ。このままベッドに入っても問題は無いだろう。
「いい……そのまま寝る……」
そしてそのまま横になるとスグに睡魔が襲ってきた。
最後に何かを言う事はあっただろうか?
「お休み、ヤスコ、貴方も休みなさい」
NPCにお休みをいう、そんな気恥ずかしさもあったのかヨシコはそのまま目を開けず流されるように睡魔に身を任す。
(明日になれば……きっと現実に戻っているわよね……)
そんな事を考えながらヨシコは深い眠りに落ちるのだった。
「お休みなさいお姉様……」
ヤスコが微笑みながら発した言葉は聞こえなかった。