16 デスネル村にて――殲滅――
そしてその女――ヨシコ――は剣をつかんでいたマラーイカをまるで小石でも投げつけるように別のマラーイカに向かって放り投げた。
ドスン、と大きな音とともに二体のマラーイカはぶつかり、光の粒子と共に姿が薄れ消えて行った。
「あら、これでも攻撃した事になるのね。ダメージを受ける条件は物理法則にしたがうのかしら?ソルトアースオンラインではモンスターを投げて別のモンスターにぶつけるとかできなかったし……。まぁそれはおいおい検証しましょうか、この場は置いておきましょう」
カレリアーニョにはヨシコが先ほどから何を言っているのかさっぱり理解できずにいた。
いや、言葉だけではない。なぜマラーイカの剣をマトモにその身で受けて傷ついた様子が見られないのか、なぜ女の細腕で人の背丈ほどもあるマラーイカを軽々と放り投げる事ができるのか、理解不能な事ばかりだ。
「では次は私から攻撃させてもらうわね?うーん、何で攻撃しようかしら……。そうね、アレを試してみましょう」
そう言うと、ヨシコは大きく手を広げる。
〈ネクロノミコン〉
その言葉と現れたのは一抱えもあるような大きな本だ。そんな大きな物を何処から取り出したのか?それすらわからない。一見すると何の変哲もないその本からは、カレリアーニョが今まで感じた事のない計り知れないような禍々しさが漏れ出ているように感じられた。
〈黒魔術 霊魂顕現〉
台詞と共に本の表紙が漆黒に変わりヨシコがめくっていないのにかかわらず自動的にページが開かれる。
そしてヨシコは開かれたページの文字を指でなぞり満足したようにうなずくと呪文を唱え始めた。
しかし、その一連の動作を黙ってみているほどカレリアーニョも間抜けではなかった。
「何を惚けているのだ!すべてのマラーイカで全力攻撃するぞ!」
その指示で前方にいる全マラーイカが動き出しヨシコに向かって攻撃を仕掛ける。
それは一部の隙もなく、まさに圧倒的な波状攻撃に見えたが――しかしその攻撃が当たるよりもわずかにヨシコの呪文が発動する方が速かった。
〈小炎〉
その呪文と共に大気が燃える。
ヨシコを中心として炎の塊があたりを包み込み、熱風がカレリアーニョに吹き付けた。
直接炎が届く位置にいるわけではない、がそれでも無視出来ないほどの熱量だった。
熱風に耐え切れず顔をそむけるカレリアーニョ。しかしその熱は比較的短時間で感じられなくなり顔を再び正面に向ける。
そしてその視線の先に映ったのは美しさも感じられるような大地から沸きあがる光のカーテンだった。
その光の粒子は全て倒れ伏したマラーイカから立ち上っていた。
「ば、馬鹿な……」
その言葉は一体誰から発せられたのか?カレリアーニョではなかったが抱いた思いは全く同じものだった。
たった一つの呪文の行使で数十体ものマラーイカが大地に倒れ、光の粒子を放ちながら大気に溶け込むように存在が薄れていく。
それは極めて幻想的な光景だった。見る人が見ればその中央に微笑みながらたたずむヨシコはまるで神の使いのようにも見えた事だろう。
だが当事者であるカレリアーニョ一行には不遜な笑みを浮かべたたずむその姿は悪魔そのものだった。
カレリアーニョの全身からゾクゾクと悪寒が走る。そして思い出すのはアーデルハイドの最後の言葉。
『あ、あそこには……私より……強者がいる……手を出したら……お前たちでも……ただでは済まないぞ……』
ありえん!
カレリアーニョは必死に自分をを鼓舞するように考える。
カレリアーニョの知る限りあれだけのマラーイカを相手にしても勝てる者は極僅かだが存在する。カレリアーニョ自身もいかなる手段を使っても良いと言われ準備万端で戦闘出来るなら切り抜ける事は可能だった。
ヨシコもそんな強者の一人であり、何か分からないが特別なアイテム等を使って切り抜けたのかも知れない。
そう考える事で心を落ち着かせようとする。
しかし本当にそうなのだろうか?カレリアーニョの知る強者もたったあれだけの時間で数十体ものマラーイカを一撃で倒すことが果たして可能なのだろうか?
そもそもヨシコが行使した呪文の〈小炎〉はカレリアーニョを始め、部下でも使用可能な極初歩的な呪文に過ぎない。
まともに直撃すればある程度のダメージは受けるだろうが、そんなもので消滅するほど招来されたマラーイカは弱くはなかったはずだ。
また、カレリアーニョの知る〈小炎〉は単体攻撃で有り十数体ものマラーイカをまとめて薙ぎ払うなど不可能だった。
そこまで考えた所でカレリアーニョは思考を停止させる。
それを考えてどうなるというのだろう。とにかく今はこの場を乗り切らなければならない。そう、あらゆる手を使ってもだ。
だが、多くの部下たちはカレリアーニョのように心を強く持つことができなかった。
「――げぇ!」
「……これって現実か?」
「――そ、そんな!」
多くの部下たちは一斉にどよめきながら、半ば混乱するように自分が使用可能な魔法をヨシコに飛ばす。
しかしヨシコは部下からそれらの呪文を受けても平然としていた。
「やっぱりダメージは受けないわね。あら?行動阻害の呪文も使えるの?ダメージ系はともかく行動阻害の呪文は要注意ね。……もっとも全部抵抗出来てるみたいだけど。知っている魔法ばかりだけどやっぱりここはソルトアースオンラインの世界なのかしら……」
わけのわからない事を言いながら再び足を進めるヨシコに対して、わずかでも冷静さを保っているのはカレリアーニョ一人だけだった。
「さ、下げていたマラーイカを前に出せ」
その言葉により後方に配置されておりヨシコを襲撃しなかったマラーイカサモナーとマラーイカテイマーが前に出る。
この二種類のマラーイカは他のマラーイカとは違い、それ自体が眷属を招来するため他のマラーイカより強いとされる。
後ろに下げていたのはもしもの為の予備戦力の意味と後方への備えの意味があったためだ。
しかし今はもはやそのような事を言っている場合ではなかった。
複数枚の羽を動かし前にでるマラーイカのそばにはそれぞれ炎の塊のような者と黒いウサギようなモンスターが付随している。
「マラーイカサマナーとテイマーね。招来しているのは炎の精霊とキラーラビットか……」
炎の精霊は炎系の攻撃と物理攻撃に対して非常に高い耐性を持ち、またキラーラビットは急所攻撃を得意という設定上クリティカルヒットの確率が高く設定されているためソルトアースオンラインのプレイヤーならば嫌な思い出を持つものを多いだろう。
この手の自身が招来術を使うモンスターはマラーイカを含め、職業をもつ一部のモンスターの中でも特にプレイヤーから敬遠される事が多い。
だがそれもあくまでプレイヤーが該当レベル帯であれば、の話だ。
ヨシコにとっては先ほど焼き払ったマラーイカとなんら変わる事はなかった。
ヨシコの元まで一直線に移動したマラーイカはそのまま招来した眷属と一緒にヨシコへ攻撃を加える。
しかし本を広げ、何事も無いように攻撃をうけ続けながら先ほどと同じように呪文を唱える。
〈大炎〉
マラーイカの体に比べれば非常に小さな球状の炎がマラーイカとその眷属たちにぶつかる。
その瞬間全身を燃やし尽くすような大きな炎となり先ほど以上の熱量が熱風となりカレリアーニョ達を襲った。
思わず顔を手で覆う。
そしてその熱が消え去り、顔を覆っていた手を下ろすとそこには先程のマラーイカもその眷属も姿が消えていた。
その光景に先ほどはかろうじて言葉を発しなかったカレリアーニョも悲鳴にた声を上げる。
「あ、ありえん!炎の精霊が炎でやられるはずが無い!」
それを聞いたヨシコはウンウンと頷きながら声を発した。
「プレイヤーでも勘違いしている人は多かったけど炎属性の敵、例えば今みたいな炎の精霊もそうなんだけど、別に炎系の呪文が一切効かないわけじゃないわよ?ただ魔法抵抗されて威力が1/8になるだけだから。今みたいにレベル差が大きい場合は強引に押し切れるわね。と、言ってもMPの無駄遣いであることには変わりないから普段は弱点属性の魔法を使うのがセオリーよ?今のはちょっとした検証の一部ね」
したり顔で得意げに説明するヨシコだったが、あいにくとカレリアーニョ達には何を言っているのか理解が出来なかった。
カレリアーニョには理解は出来ない、しかし直感では分かっていた。これはとてつもなく悪い状況だ、出来れば、いや出来なくても逃げる選択肢以外ありえない。
炎の精霊は炎では倒せない。呪文詠唱者なら誰でも知っている常識を目の前で覆された衝撃。
それだけではない、カレリアーニョの知るごく少数の強者でも、たった一つの呪文で十数体ものマラーイカを倒すなど不可能だ。しかもそれが極初歩魔法でだ。
それになぜマラーイカの攻撃をまともにその身にうけてダメージを受けている様子が見えないのだ?
カレリアーニョには目の前のヨシコがもはや人間には見えていなかった。
「お、お前は何者だ?……なぜこんな場所にいるんだ?」
叫ぶように言葉を放つカレリアーニョだったが、残念ながら求める答えは返ってはこない。
「私は私よ……。この場所にいる理由は……そうね、これはただの偶然かな?」
コイツは人間じゃない。何かは分からないが人間で有るはずがない。
攻撃は通用しない、逃げようとしてもおそらくは逃げられないだろう。そう今のままでは。
カレリアーニョには切り札がある。国から渡されたたった一つの切り札が。
それは今まで使用したことがなく、使用した結果どのような事が起こるかは全く見当がつかなかった。
だがこのままでは死を免れないという事実と、目の前にいるヨシコから受ける得体のしれない恐怖心が切り札を使用するためらいを消していた。
「切り札を使用する……。お前たち!わずかでも時間を稼げ!」
一度も使ったことは無いが使用方法は知っている。必要なのは少しばかりの時間だけだ。
カレリアーニョが発した『切り札』という言葉に隊員達の顔にわずかな希望の色が浮かんだ。
しかしだからといってヨシコの前に立ちふさがる者はいない。
その事実に顔を顰めながらもカレリアーニョは身に着けている収納袋から一枚の板を取り出した。
それは鏡のようになっておりマラーイカに似た絵が表面に描かれている。
その鏡を見たヨシコは前に踏み出そうとした足を止めた。
「えっ!?うそ?あれは封魔獣鏡?この世界にもソルトアースオンラインのアイテムがあるの?やっぱりここはゲームの中なのかしら……。それにあれはマラーイカを封じているの?切り札って言ってたけど四大マラーイカ?まさかとは思うけどジブリールじゃないわよね、あれが出てくるならまずいわ……」
ソルトアースオンラインではマラーイカの中でも固有名をもつジブリール、ミーカール、イズラーイール、イスラーフィールは通称四大マラーイカと呼ばれ、フィールドに通常POPするマラーイカよりも強い。
中でもジブリールは他とは隔絶した強さを誇っていた。
ジブリールを『安定』して狩れるクランが上位と呼ばれるクランの指標の一つになっているのだ。
そしてヨシコがクランマスターを務める『Loshforne』でも十数人程度でジブリールを狩る事が出来る。
しかし、それでも確実に勝利するとはいえず勝率は八割程度にとどまっていた。
もちろん毎回準備万端、参加者の職業やPSを厳選してでの話しだ。
つまりは十回戦えば二回は負ける計算なのだ。
それでも下位クランはジブリールを狩る事すらままならない。
例え百人プレイヤーを動員しようと経験の浅いクランはあっさり負ける程ジブリールは強いのだ。
もちろんヨシコがソロで勝てるような相手ではない。
イズラーイール、イスラーフィールならソロでも問題なく勝てる。
ミーカールはソロなら若干負ける可能性もあるがヤスコと二人ならまず勝てる自信がある。
しかしジブリールだけはそんな次元の話ではない。逃げられるかどうかの話になるだろう。
とは言ってもヨシコは逃げるだけなら100%に近い確率で逃げる方法を持っているのだが。
ヨシコが考え事をしてる間にもカレリアーニョは封魔獣鏡を高く掲げ叫ぶ。
「見よ!魔獣召喚ッ!!!」
その言葉と共に鏡の表面から眩い限りの光があふれ初め、そして現れたのは――。