09 デスネル村にて――奇襲――
デュラハン、それはソルトアースオンラインではアンデッドに類するモンスターである。
通常の個体はLV100を超え、ボスと呼ばれる個体であればLV120をも超える。
ヨシコの召喚したデュラハンがLV50なのは、闘獣場に出場させるとモンスターは全てLV1からスタートであり、LVキャップが50で有る為だ。
内部職業は暗黒騎士が割り振られており、大盾を持った騎士タイプの例に漏れず防御力も高い。
また数秒ではあるがあらゆるダメージを0にする無敵技やヒューマンキラーという特性を併せ持つため好んで狩るプレイヤーは少数だった。
ただ時折、デュラハン固有の素材をドロップし、それが市場にてソコソコの値段で取引されるため金策や素材狩りなどで狩るプレイヤーは存在した。
ヨシコもそんなプレイヤーの一人である。
§ § §
その身体をくまなく包み込んだその漆黒の鎧は、まるでソレが闇から湧き出てきた、といっても多くの者が信じてしまうような不気味さだった。
例え得るならまるで墨汁を全身に振りまいたかのような、それでいて金属であることの光沢は失われていない。
しかしその漆黒の鎧は光を反射するどころか逆に無限に吸い込んでしまう、そんな思いを見る者に抱かせている。日の光がある現状でもそうなのだ、おそらく日の光が完全に落ちてしまえば、その大きな身体にも関わらず闇に溶け込んでしまうだろう。
そして漆黒なのはその鎧だけではない。手に持つ巨大な戦斧や盾すらも同じように闇から湧き出たような色合いなのだ。
視線をやや上にずらすとそこには当然、あるべきものがなかった。
魔物は人からみれば畏怖するような形相をしていることが多い。燃えるような真紅の眼で、睨み付けた者をまるで石にしてしまったかのように動けなくさせてる大蛇のような魔物などがいるが、それらも今目の前にいるソレに比べれば何倍もマシだろう。
ソレには本来あるべきもの―頭部―が無かったのだ。
その為、表情などは当然うかがい知れない。それは獲物を発見したことによる歓喜なのか、それとも敵を発見したことによる憎悪なのか。
それともそのような感情自体持っていないかもしれない。
手に持つ巨大な戦斧には先ほどまで人の形をしていた肉体の一部がこびりつき、本来の色合いである漆黒と合わせて赤黒く汚れている。そして時折、その血濡れた戦斧から血が滴り落ちるのだ。
もし、その大きな体躯を上から見下ろすことが出来れば、その頭部に空いた穴からは鎧以上の漆黒の闇が溢れ出そうとしているのが見えただろう。
その姿はまさに異形の化け物と呼ぶにふさわしい姿だった。
ペドロは戦闘に関しては決して素人ではない。もちろん自信をもって経験豊富と言う事も出来ないが魔物を退治したことは何度もあった。そして自身の経験だけでなく人から聞いた話や、書物によって得られたものなども合わせれば、魔物に関してはそれなりの知識があると思っていた。
しかし目の前のソレは頭の中にある知識をフル回転させても似たようなものすら思い浮かばなかった。
しかし知識など無くても、目の前のソレが尋常ではない存在だと確信することができていた。
そして人一人を一瞬にしてただの肉塊に変えた巨大な戦斧は、それを振り回す腕力のおかげか、はたまた武器自体の切れ味なのか凄まじい威力を秘めている。
しばらく獲物を見定めるように停止していたソレが動き出した時、ペドロは直感してしまった。戦えば命は無いと。
今まで見たどんな敵、どんな戦場よりもソレは恐ろしかった。それを仲間を屠った一振りで分かってしまったのだ。
ペドロは心の中で神へと祈る。それは今まで行ってきたようないい加減な物ではない。文字通り必死になって神へ祈りをささげていた。
恐らく今までに祈りをささげた指標などが見えるとしたら、この短時間でこれまでの何倍もの祈りをささげた事だろう。
しかし神を動かすにはまだまだ祈りが足りないのか、神による奇跡が行われるような気配はない。
不心得者ならそこで手のひらを反すように神を罵倒し始めるのかもしれない。しかし神官達がいて、神の奇跡の一部を代行する者がいる以上、神は『いる』のだ。僅かでも可能性がある以上、罵倒して神の機嫌を損ねるわけにもいかなかった。
ソレがこちらにゆっくり踏み出すたびにペドロも、いや同じ境遇の仲間たちも後ろに下がる。
皆一様に恐怖の表情を受かべ、抜き放った剣の切っ先はブルブルと震えている。
それでもペドロは、いや仲間たちも逃げようとはしなかった。
それは勇気からでも、蛮勇からでもない。逃げればどうなるか分かっているからだ。
先程逃げようと背中を見せた仲間達が肉塊になってさえいなければ、ペドロはとっくに逃げていただろう。
この目の前のソレはペドロ達を逃がすつもりは全くない様だ。逃げようとすればその大きな体躯に似合わない素早い動きで戦斧を振るう。
しかし逃げようとさえしなければジリジリと間合いと詰めるだけで、スグさま殺される事は無いようだった。
ペドロ達が村をおそった時、反撃は微々たるものだった。
もちろん皆無ではない、家族を守る為か短剣のようなもので反撃した来た者はいたし、狩人だったのか弓を持った者もいた。
しかしそれだけだ。軽い怪我を負った者はいたが、死人などは出る事がなかった。
あとは金目の物があればそれを奪い――もっともそんなものがある家などほんのわずかだったが――、そして一部の者は女を欲望のはけ口にし、コトが終われば建物に油を流し込み火をつける。その後で村人を撫で切りにし、意図的に数人だけ残してそれで終わりだ。
……終わりなはずだった。
ソレは生き残っている村人を追い立てている時に現れた。
突然と現れたソレは背後から仲間の一人に戦斧を振るうと、その身体を切断した。
切断された上半身は何メートルも吹き飛び、そして別の仲間に激突して止まった。
それはあまりに常軌を逸した光景だった。
人の身体を一振りでたやすく切断する事はもちろんの事、その切断した上半身まで、まるでおもちゃの人形のように何メートルも吹き飛ばされるなど、実際に見ていなければ一笑に付されても不思議ではない。
しかし今起こっている出来事は決して夢などではなく現実なのだ。
むしろ夢だったらどんなにかよかっただろう、いかなる悪夢でもいつかは覚めるものであり、死ぬ事は無い。
しかし今、悪夢のような地獄は始まったばかりだった。
デュラハンが一歩ずつ近づいてくるのを座してみている者達ばかりでない。
兵士の中には短弓を持っている者も複数おり、恐怖で手が震えながらも弓をデュラハンに向かって構えている。
そしてゆっくりとではあるが悠然と向かってくるデュラハンに対して震える声が飛んだ。
「ゆ、弓で射殺すんだ!」
その声は誰が発したのであろうか?恐怖で声が震えている為、誰の声か判断しずらい。
しかしそれは恰好の合図になったようだ。その声を待っていたかのようにデュラハンの元へ複数の弓矢が飛ぶ。
だが、全身を漆黒の鎧で包まれているデュラハンに対して、弓矢はわずかなダメージも与えられない。
飛んできた矢はそのまま漆黒の鎧にはじかれ地面に落ちる。ペドロの眼には鎧にわずかな傷さえついていない様にみえた。
歩みを止めないデュラハンに対し狂ったように矢を撃っていた一人の兵士が叫んだ。
「そ、そんな!」
兵士の間からどよめきが広がる。
デュラハンは矢を連射していた兵士を犠牲者に選んだかのように向きを変えると、矢を撃ち尽くしたその兵士は弓を捨て震える手で剣を抜き放った。
デュラハンは足を止めず、そのまま巨大な戦斧を振り下ろす。
「ぐえぇ」
その声は戦斧が振り下ろされる前に発した言葉なのか、それとも振り下ろされた後に発した言葉なのか。
もし後者であれば身体が左右へ真っ二つになった後に発した言葉ということになる。
人と言うものは文字通り真っ二つになっても言葉を発する事が出来るのだろうか?などとペドロが思っていると、振り下ろされた戦斧はそのまま横に薙ぎ払われた。
そしてたまたまその方向にいた兵士の肉、いや骨が断たれ上半身と下半身が生き別れになる。
「はへぇ?」
間抜けな声を発して吹き飛びながらその兵士は、自らの身体から下半身が分離したのを眺めていた。
そして『ベチャリ』と嫌な音を立てて地面に落下した後、急に思い出したかのように声を発した。
「アッー!!」
辺りに叫び声が響き渡る。その兵士は叫びながらもシタバタと手や上半身を動かし、それに合わせて上半身からあふれ出た臓物をまるで動物のしっぽのように揺らしてしたが、しばらくすると急に叫ぶのをやめると同時に動かなくなってしまった。
その光景をまるで惚けたように見ていたペドロだったが、視界の端に仲間の一人がなにやら叫びながら逃げ出そうとする様子が見えた。
もう恐怖が限界に達していたのだろう。だが不思議と同じように逃げ出そうとする者は現れなかった。
デュラハンはその身体に見合わない速度で猛然と向きを変える。
そして逃げ出そうとした仲間が数歩程駆け出した時、デュラハンが盾を持った方の腕を大きく振ると、『バキボキ」と骨が折れる音と共に近くの仲間が放物線を描いて吹き飛んだ。
その吹き飛んだその方向には逃げ出そうとした兵士がいた。当然の結果のように二人はぶつかると『グチャリ』と柔らかい果物同士を勢いよく叩きつけたような音がし、重なり合ったまま数メートル程吹き飛ぶと、そのままの格好で二人は動かなくなってしまった。
姿勢を元に戻したデュラハンはとても言葉にできないような唸り声とも叫び声ともつかない音を発する。
ペドロはその一連の光景を惚けたように眺めながら、その頭部のない身体のどこからそんな声が出るのだろうか?と、取り留めの無い事を考えていた。
頭部のないその身体からはもちろん表情など伺い知る事は出来ない。しかし目の前のデュラハンは楽しんでいる、そうペドロは確信していた。
まるでネズミをもてあそぶ猫のように、楽しんでいるのだ。若しくはその悪魔のような姿に相応しく、人々の恐怖や絶望の感情を糧にしているのかもしれない。
そしてその光景を目の当たりにしたペドロ達にはもう逃げだそうとする者はだれ一人としていなかった。
もちろん、戦って勝てるとも思えない。そして神の軌跡はいまだ訪れる気配もなかった。
このまま何も行動しない事こそが、寿命をわずかでも伸ばすことができるのだ。
誰かが泣いているのか、どこからか嗚咽や怨嗟の声が聞こえてくる。このような万に一つも生還の目がない状況ではそれも仕方がないだろうな、などとまるで人ごとのようにペドロは思った。
それは決して自分だけが生き延びられる、と思っているわけではない。しかしペドロにはこの状況がどうしても現実離れした人ごとにしか思えないのだ。
ひょっとしたらそうやって感じる事で、心が押しつぶされるのを必死で耐えているだけなのかもしれない。現に抜き放った剣先は先ほどからずっと震えたままだ。
「お、お前ら、い、一斉に飛び掛かれ。さすればあの化け物も倒せるかも知れんぞ!」
暫くの静寂を破るかのように、突然大きな声が響く。その声は例に漏れず恐怖や嗚咽で声が震え、声からは誰のものか判断がつかない。しかしペドロをは始め、仲間には誰が発した声かの確信があった。
「隊長……」
仲間の誰かが声を漏らす。
普段から威張り散らし、自分には甘く部下には厳しく、そしてミスは部下に押し付け、手柄は自分のものにする人望のかけらもない男。
そんな男の為に、命を張るような者などはこの場には存在しない。
そしてその大声に反応したかのように、デュラハンがゆっくりとそれでいて大きく動いた。
「な、何ぃ!?」
慌てて周囲を見回す隊長だったが、もちろん飛び掛かるような者はおらず、それどころか周りの者が少しづつ離れて始めていた。
(おのれおのれおのれぇーー!!なぜ飛びかからない!俺はこんな場所で死ぬような人間ではない!)
部下たちが一斉に飛び掛かればさすがのデュラハンとて隙ができるであろう。そのすきに逃げるつもりであったのだ。
しかし状況は逃げるどころかデュラハンの次のターゲットに選ばれてしまったようにも見える。
「……ああっ……嫌だ、お、おいお前ら、助けるんだ。国に帰ったら金はたっぷりやるぞ。……嫌だ、いやだ、やめて、だれか、助けてくださいっ」
だがそんな必死な懇願など存在しないかのようにデュラハンがゆっくりとその強大な戦斧を振り上げ、そして振り下ろすと――。