逆さ虹の森 ~森の歌姫~
どこかの国の、どこかの山を越えた先に、逆さに虹の出ている『逆さ虹の森』と呼ばれる森がありました。その森で生まれた動物たちはとても感情が豊かで、とても忙しい毎日を送っていました。
そんな逆さ虹の森のあるところで、一匹のくまさんが涙を流しながらとぼとぼと、下を向きながら歩いていました。このくまさんはとても怖がりな性格で、何に対しても怖がっているので、他のクマたちからおどかされたり、からかわれたりしたいました。それがくまさんはとても嫌で、何度も怖がりを直そうと試みましたが、治る気配は全く見られず、遂に嫌気がさしたくまさんは、他のクマに会わないようにと、元に居た森から少しでも離れようとひたすらある続け、この逆さ虹の森にたどり着きました。
ある日、いつものように下ばかり見ながら歩き続けていると、奥の方からかすかに歌声が聞こえてきました。歌声に気付いたくまさんは久しぶりに顔を上げると、何かに操られるようにして歌声のする方へと歩いていきました。
少し開けたスペースにたどり着くと、その中心にある倒れた木の上で一匹のコマドリが歌を歌っていました。その様子を木陰からこっそり覗いていたくまさんでしたが、コマドリさんの美しい歌声により、気が付けばコマドリさんの目の前に座り込んでその歌声に聴き入っていました。そんなくまさんに対して、コマドリさんは驚いた様子なども見せず、ただひたすらに歌を歌い続けていました。
歌い終わるとコマドリさんは丁寧にお辞儀をして、
「初めて見るお客様ね、どちら様?」
と、くまさんに対して優しく尋ねました。自分のいる場所が木陰ではなく、コマドリさんの目の前だということに今さら気付いたくまさんは、動揺して
「えっと...。盗み聞きをしてすいません。」
と、答えになっていない応えをしてしまいました。しかし、コマドリさんは
「別に謝らなくてもいいのよ、あなたもはや盗み聞きなんてしていなかったじゃない。」
と、優しくからかうように言いました。照れながら言いよどむくまさんを横目に、コマドリさんは続けて言いました。
「それにね?聴いてくれている方が居てくれるって、歌っている者からするととても大きなエネルギーになるのよ?」
その言葉にくまさんは、他人の役に立っていることを実感し、とてもうれしい気持ちになりました。
「あ...あの!コマドリさんの歌、とってもお上手でした!他にもたくさん聴きたいです!」
瞳を輝かし、前かがみになってくまさんはそう言いました。
「ふふふ、そう言ってくれて嬉しいわ。毎日ここで歌の練習をしているから、気が向いたら是非いらしてね。」
それからくまさんは毎日、コマドリさんの歌を聴くためにコマドリさんの練習場所に通うようになりました。そんななかで彼らは、お互いの身の上話をするようになりました。
「コマドリさんはどうしていつも歌の練習をしているんですか?」
「私、幼いころから歌手になることが夢でしたの、でも両親を早くに失って...スクールに通えるような余裕もないから一人で練習しているの。」
一瞬、表情が暗くなったコマドリさんでしたが、瞬く間にいつもの優しい顔に戻り、続けて言いました。
「でも、十一月に隣の森で開かれるコンテストで賞を受賞できれば、歌手への道がぐぐっと近づくらしいの。だからそのコンテストに出るために、逆さ虹の森での予選会に優勝して、森の代表になる必要があるの。」
「ボク、他の方が歌っているところは見たことも聴いたこともないですけど、コマドリさんなら絶対に代表になれますよ!コマドリさんはこんなに練習してるんですし!」
きらきらした瞳でくまさんは言いましたが、コマドリさんはどこか浮かない様子でした。
「うん...、だといいのだけどね。それより!くまさんはこの森の生まれではないのでしょう?どうしてこの森に?」
不意に明るくなったコマドリさんとは打って変わって、今度はくまさんが浮かない様子でした。
「ボクってこんな見た目をしといてとても怖がりで泣き虫なんです。何度も何度も直そうとしたんですけど、やっぱり怖さには勝てなくて...。そしたら同じ森のクマたちに馬鹿にされたり、クマらしくないって仲間外れにばっかりされてきたんで、嫌になって飛び出してきたんです。」
実は、くまさんは自分の話をしたくはありませんでした。コマドリさんは、故郷を飛び出して初めてできた友達、いえ、憧れの存在だったからです。
「あら~クマなのに怖がりで泣き虫は致命傷ね。そのようなクマがいるなんて初めて知ったわ。」
驚いた様子のコマドリさんを見て、くまさんはなんだか拍子抜けしました。正直、くまさんは心のどこかで、コマドリさんなら慰めてくれるだろうと思っていたからです。
「『クマらしいクマらしくない』ってまたそうやって言うんだ...。コマドリさんなら僕という存在を認めてくれると思っていたのに。」
肩を落とし、小声でぼそっとつぶやくくまさん。その瞳には涙が溜まっていました。そんなくまさんなど露知らず、コマドリさんは続けて言いました。
「でもいいじゃない、それも個性よ。怖がりだっていい、泣き虫だっていいのよ。でも、そんなどうしようもないことで悩んで、下ばかり見ているなんて、毎日が楽しくならないじゃない。他人があなたを認めなくても、あなたがあなたを認めればいいのではないの?と、言うより、あなた自身があなた自身を認めないで、他に誰が認めるのよ?」
ふふっと、当たり前すぎて可笑しいという風にコマドリさんは言いました。コマドリさんのその言葉に、くまさんは目の前がぱあっと明るくなったような気がしました。
「ねぇくまさん?あそこに虹が出ているでしょう?」
コマドリさんが指す先にはこの森の名前にもなっている逆さ虹が出ていました。普通の虹の逆向きに半円を描き、その両端は雲に隠れていました。
「この森の住人は少なくとも一度は聞かされる話なのだけど、あの虹は神様の口だと言われているの。ほら、口だと言われてみるとそう見えないこともないでしょう?では、あの虹が口だとすると今、神様はどんな顔をしているかしら?」
「笑って...、笑っていますね」
「そう、笑っているの。ここで信じられている神様は雨が降っても、雲がかかっても、雷が鳴っても最終的にはいつも笑っているの。だから神様のように笑っていれば、神様がその笑顔に応えてくれるって言い伝えられているのよ。だからくまさんも笑いなさい。そうすれば少しずつでも気持ちが明るくなるはずよ。あら、おしゃべりしすぎたわね。もうこんな時間だわ、それではくまさん、ごきげんよう。」
そう言ってコマドリさんはどこかに飛んでいきました。いつの間にか空は赤く染まっており、それでも虹は笑っているかのように薄くかかっていました。
それからくまさんはコマドリさんの元へますます通うようになりました。緑々としていた木々は少しずつ赤や黄色に染まっていくなか、逆さ虹の森の予選会は着々と近づいてきました。予選会が近づいてくるにつれて、コマドリさんの練習中の表情が少しずつ焦りを含んだものになっていき、練習量もどんどん増え、くまさんはコマドリさんの身体を心配するようになりました。
予選会を一週間後に控えた頃、くまさんはコマドリさんのある異変に気付きました。声が少しガラついており、時々咳をするようになったのです。原因はすぐにわかりました。歌いすぎで喉を痛めたのです。くまさんは少しためらいましたが、心を決めてコマドリさんに声を掛けました。
「コマドリさん、今日はもう休んだらどうです?喉の調子も悪そうですし、最近歌いすぎですよ。」
「うん、ありがとう。でもまだ足りないの、私が歌いたい歌はこんなものでは無いの。このまま予選会に出るわけにはいかないわ。」
笑顔を浮かべるコマドリさんでしたが、明らかにその笑顔は作り笑いであり、瞳は笑ってはいませんでした。
「でも、このまま歌い続けても喉を痛め続けるだけですし、なによりコマドリさんの思い描く歌だ...」
「うるさいわね!」
初めて聞くコマドリさんの怒声がくまさんの耳に届きました。
「あなたに私の何がわかるの!?私がどんな気持ちでこの予選会に挑もうとしているかなんてあなたにわかるはずがないわ!だってあなたは私の指導者でも何でもないじゃない!!あなたはただのクマらしくもないよそ者のできそこないよ!」
と、そこまで言い、コマドリさんはハッとしました。
「あの...、今のは...。」
何かを言いかけたところでくまさんは当てもなく走り去っていきました。いつもの練習場所にはコマドリさんだけが取り残され、この日の空は、珍しく虹が出ていませんでした。
予選会を翌日に控えた日、くまさんは池の水面に映る自分の姿を見つめていました。考えていたのはコマドリさんのこと、予選会のこと、自分という存在のこと、様々なことを考えてすぎてくまさんの頭の中はぐちゃぐちゃになっていました。
「何故、ボクはクマとして生まれてきたんだろう。もっとボクらしい生き物があったはずなのに。いや、それ以前にボクはどうしてこんなにもできそこないなんだろう。コマドリさんの言う通りじゃないか。」
一人で落ち込んでいたくまさんでしたが、後ろの方に足音がするのを感じました。隠れる必要はなかったのですが、くまさんは反射的に木陰に隠れました。するとそこにやってきたのはコマドリさんと一匹のキツネさんでした。
「よし、着いたわね。本当はくまさんとも一緒に来たかったのだけれど...。」
「アンタさっきからそればっかりじゃない。」
くまさんが久しぶりに聞いたコマドリさんの声は、最後に聞いた時よりも枯れていました。
「喉の調子は相変わらず良くないけれどこのドングリ池でお願いして、早く寝ればきっとよくなるわ。そうは思わない?」
コマドリさんは隣にいるキツネさんに問いかけ、握りしめていた二つのドングリを池に投げ入れました。そして、
「喉の調子が良くなりますように、そして予選会で優勝できますように。」
と、手を合わせてお願いしました。一方のキツネさんはというと気が気でないように池の一点を見つめていました。
「これで明日は大丈夫ね。さぁ戻りましょう。」
「えぇ。」
コマドリさんとキツネさんは踵を返して来た道を戻っていきました。一部始終を見ていたくまさんは木陰から出てくると、先ほどドングリが投げ込まれた池を見ていました。辺りを見渡すと先ほどは気づきませんでしたが、看板が立てられていることに気付きました。看板には『ドングリ池』とだけ書かれていました。どんな池なのか考えていると、後ろから聞き慣れない声が聞こえてきました。
「ここで何してるの?」
振り返るとそこには先ほどコマドリさんと一緒にいたはずのキツネさんが不審がるようにくまさんを見ていました。
「あぁ、すいません。ボクは他の森から来ていて、この森について詳しくなくて、この池がどんな池なのか悩んでいたんです。」
ふーんとだけ言い、キツネさんはためらいなく池に足を踏み入れ、歩みを進め始めました。
「ちょっと、何をしてるんですか?」
「何って、探し物よ。あんたが気にすることじゃないわ。」
くまさんなど気にも留めず、キツネさんは探し物を探し始めました。
「もしかして、コマドリさんが投げたドングリを探してるんですか?」
言い終わってからくまさんはハッとなりました。その瞬間、キツネさんの動きがビクリと止まりました。
「あんた、何でそれを知ってんの?」
「いや...そ、それは...。」
覗いていました。と言えるわけもなく、くまさんは黙り込んでしまいました。
「はっ!?まさかあんたストーカー!?」
と恐ろしいものを見るような目で見られ、このままではと思い、決心したくまさんはこの森に来てからのことをキツネさんに説明しました。
「そーゆーことだったのね。だったらあんただってわかるでしょう?コマドリさんの声の現状を。」
「はい、もちろんわかります。」
「アタシはコマドリさんの歌がとっても好きなの、もちろんコマドリさん自身も好き。でも、予選会で選ばれちゃったら、コマドリさんはきっとさらに練習量を増やすはずよ。アタシ嫌なの、コマドリさんの歌が聞けなくなるのは。」
「ボクだって嫌です。ボクはコマドリさんと、コマドリさんの歌に救われたんです。」
「どーやらその点に関してはアタシたち気が合いそうね。アタシは今からコマドリさんの投げたドングリを探すわ。」
「そのことに何か意味があるんですか?」
「アンタどうやら本当に他の森から来たらしいわね。いい?この池は『ドングリ池』と呼ばれていて、ドングリを池に投げ込んで願い事をすると、願い事が叶うって言い伝えられているの。この森にいるなら誰でも知っていることよ。でもねアタシ、お母さんから聞いたことがあるの、『池の中のドングリを拾うと逆にそのドングリに込められた願いが叶わなくなってしまって、さらにドングリを拾ったものに災いが起こる』ってね。」
「えっ、そんなことしたら...。」
「わかってるわ、だからアタシがドングリは拾うわ。元々これはアタシのわがままだもの、コマドリさんの願いを取り消すのだから、そのくらい平気だわ。」
「わ、わかりました。」
キツネさんは口調はきついけれど相当なお人好しなんだなと、くまさんは心の中で思いました。
二人は一緒に池に入り、コマドリさんの投げたドングリを探しました。
「こうやって見ると、結構たくさんのドングリがありますね、探し出すことなんてできるんですか?」
池の底を見ながらくまさんはたずねました。
「その点に関しては大丈夫よ、わかりやすいように葉っぱがついているものを選んだから。」
なるほどと感心していると、キツネさんは声をあげました。
「あったわ!これよ!」
キツネさんは葉っぱのついた2つのドングリを高らかに掲げ、くまさんに見せました。
「すごい!よく見つけましたね!」
「まぁね!もっと褒めてもいいのよ。あっ!こんなことしちゃ居られないわ!コマドリさんの元に戻らなきゃ!」
と言って、池から出て濡れた体を乾かそうと体を震わせました。
「それじゃ!アタシは戻るから!手伝ってくれてありがとね!あんたたち早く仲直りしなさいよ?コマドリさん、あんたに言ったことばかり後悔してたわ。」
そう言ってキツネさんはコマドリさんを追って森の中に駆けていきました。
「コマドリさんがそんなことを...。」
少しだけくまさんの悩みが軽くなった気がしました。
その後、くまさんはコマドリさんとは会うことが出来なかったので、仲直り出来なかったまま予選会の当日を迎えました。くまさんはどうも予選会を見に行く決心ができず、朝からひとりでいつもの練習場所でポツンと座っていました。
どのくらい時間が経ったのでしょうか?くまさんはただひたすらに座っていました。ここで待っていればもしかしたらコマドリさんに会えるかもしれない。そう思っていたからです。しかし現実はそうはいきませんでした。とっくに予選会は終わっている時間でしたが、一向にコマドリさんは現れず、気づけば夕方、空は赤くなりかけていました。
「あぁ、またコマドリさんという存在に甘えてしまった。本当は自分から動かないといけないはずなのに...。今日はもう帰ろう。」
重たいお尻を上げて立ち上がったその時、待ち望んでいた声が聞こえてきました。
「くまさん...?」
「コ、コマドリさん!?」
そこにはコマドリさんとキツネさんが居ました。
「あ、あの...ボク...あの、なんって言ったらいいか...。」
しどろもどろになるくまさん。
「予選会は3位でした。」
コマドリさんは急に話を切り出しました。まさかの発言に、くまさんはなんと言ったらいいか分からなくなりました。
「代表に選ばれなくて本当に悔しかったわ。でも私、気づきましたの。あの歌では代表になんてなれないわ。私、ここ最近は自分の夢のためにとばかり歌っていたわ。でもそんな独りよがりの歌を、誰も聴こうなんて思わないのよね。初めてくまさんと会った時に言ったでしょう?『聴いてくれている方からエネルギーを貰っている』って、だったらなおさら聴いてくれている方のために歌わなきゃダメじゃない。次は聴いてくれている方のために歌うわ、だから、くまさん。その...来年は絶対に聴きに来てくださいね。」
コマドリさんは笑っていました。その笑顔はくまさんとコマドリさんが、初めてあった時のようなとても優しい笑顔でした。
くまさんはこれ以上ないほどに幸せな気持ちでいっぱいになりました。その一方で、くまさんのなかで、ある気持ちがとても大きくなっていきました。
「あんたたちほんとに良かったじゃない。」
祝福するようにキツネさん。と、そこでキツネさんはくまさんにだけ聞こえるように言いました。
「ちょっとこっち来て。」
キツネさんはくまさんの手を引きました。
「キツネさんたちいつから仲良くなっていらしたの?」
コマドリさんの不思議そうな問いに、「最近からー」と適当に答え、木々の中に入っていきました。
「上手くいって良かったわね。」
「うん。」
「アタシのおかげよね?」
「うん、そうだよ。」
照れるなぁと言いながらもキツネさんは下を向いたままでした。コマドリさんと別れてから一度も顔を見ていません。
「ねぇ、ドングリ池のドングリを拾った時の言い伝え、覚えてる?」
「うん、覚えているよ。」
「ねぇ、災いってほんとに訪れるのかな?アタシ怖いんだ。」
ここに来て初めてキツネさんと顔を合わせたくまさんでしたが、そのキツネさんの顔は目に涙を溜めて身体は小刻みに震えていました。前日はコマドリさんを救うためだと、お人好しなキツネさんが勢いでドングリを拾いましたが、いざコマドリさんが救われてみると、自分に残っているのはこれから起こるであろう災いだけだと気づき、怖くなってしまっていたのです。
くまさんは何も言わず、キツネさんを抱きしめました。最初は驚いていたキツネさんでしたが、途中から身をくまさんに任せて泣きました。
「コマドリさんのあの笑顔を見て、心の底からキツネさんへの感謝の気持ちが溢れてきたんだ、ありがとう。今度はボクの番、何があってもキツネさんを災いから守ってあげるから。」
そこに居たのは、今までの様な怖がりでオドオドしたくまさんではありませんでした。くまさんのその瞳は、見えない何かと戦う、勇敢な瞳でした。
泣き止んだキツネさんの顔は、くまさんの胸の中で今の空のように、とても赤く染まっていました。
今日も逆さ虹の森の赤い空には、色鮮やかな逆さの虹が美しく架かっていました。
結構、頑張りました。
予定的にもキツキツだったので、スケジュール管理必須だなと感じました。
意見や感想やコメント待ってます!!