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「せ、セドリック……? どうしてここに?」

 言いながら、私は自分の声が震えていることに気がついた。

 胸に当てた両手を、知らずぎゅっと握りしめている。

「今日は神殿に用事があったから。ついでに、君の顔を見たいと思ったんだ。祈祷室にいないと聞いて、探し回っていたんだよ」

 セドリックは、少し照れたように頬をかく。いつも通りの、見るだけでほっとするような、優しい表情だ。

 でも、今の私はいつも通りではないようだ。

「用事って」

 ――ジャンヌを迎えに来たの?

 言葉を吐き出すことはできなかった。

 喉の奥から感情がこみあげてくる。これ以上言葉を吐けば、一緒にあふれてしまいそうだった。

「野暮用だよ。君が気にすることはない」

「そ、う……」

「それよりリディ、薔薇の花が咲いたんだ。枯れる前に、またお茶会をしよう。日取りの返事を、まだ返してくれていないだろう?」

「え、ええ…………」

 声の震えを押し殺し、私はどうにかして答える。セドリックの顔は見られず、視線は伏せたまま。握り合わせた両手に力がこもる。

 ――ちゃんと聞かなきゃ。

 ジャンヌと前夜祭に行くって、本当?

 ジャンヌのことをどう思っているの?

 もしも彼女に好意を持っているのなら、彼女をいじめたとされる私のことを、どう思っているの?

 私が聖女でなければ、ラフォン家が格下であるフロヴェール家と繋がる意味は薄い。伯爵家の跡を継ぐ、という利益はあるにはあるけど、それならもっと格式の高い他家がいくらでも待っている。

 ――セドリックルートでの私は、どうなるのかしら。

 ふと浮かんだその考えは、私の思考を泥沼に引きずり込む。

 ここは乙女ゲームの世界。セドリックはジャンヌに惹かれていく。リディアーヌは――私はセドリックと結ばれない。

 聞くのが怖い。こんな不安、はじめてだった。

 もしもジャンヌに惹かれていると言われたら。そうでなくとも、言葉に詰まらせ、目を逸らされただけでも疑ってしまう。

「……リディ? どうかした?」

 黙り込む私に、セドリックは困惑しているようだ。

「なにか困りごとでも? …………いや、実は君の心配事には、想像がついているんだ。僕たちの方でも噂になっていて」

 僕たち、とは、セドリックにとっては宮中のことだ。城に仕える上流貴族たちが、噂をしている。いったい、どんな――――。

「根も葉もない噂というのは、困ったものだね。流した人間には責任を取ってもらわないと」

 セドリックはそう言って、はははと冗談めかして笑った。

 本当に冗談なのか、それとも嘘を隠しているのか、私にはわからなかった。一度疑惑を持つと、なにもかもが怪しくて、頭の中で渦を巻く。

 ただうつむき、両手を握りしめる。唇を噛みしめる。きつく、きつく。

「リディ…………リディ?」

 セドリックの声に、少しだけ驚きがあった。

 うつむいた私の前に、彼の手が伸びてくる。頬に触れるほど近づいた時。

 ぱた、と水のしずくが神殿の床を濡らした。

 セドリックは私に触れることなく、はっとしたように手を引っ込める。その隙に、私は地面に落ちた一滴を足で隠し、ついでに顔も引き締める

 ――自制心がなっていないわ!

 なんたる恥。なんたる不覚。聖なる神殿で、自分の悩みに気を取られるなど。たるんでいるとしか言いようがない。

 こんな弱い人間に、誰が導かれるものか。聖女は力強く、決して折れない強さがなければ。

「なんでもない。なんでもないですわ!」

 ――大丈夫、顔も見られていないはずだし、一瞬だし! なにも! なかったわ!

 両手は握りしめたまま、私は勢いよく顔を上げ、セドリックを睨んだ。

 セドリックは――様子がおかしい。私から距離をとり、周囲を警戒するように、何度も見回している。

 見回したところで、神殿にいる人間は神官くらいなものだ。あとは、聖女候補につけられた世話係が数人。私の世話係も、もちろんいる。世話係と言っても、例によって父の監視なのだけれど。

 と、考えたところで、都合よくその世話係――フランソワがこちらへ向かってきているのが見えた。いつまでも祈祷室に来ない私を、探しに来たのだろう。

 セドリックが、フランソワを見て苦い顔をする。まあ、彼にとっても監視されているようなものだし、気分も悪くなるだろう。

「リディ、それじゃあ僕はこれで。…………辛い思いをさせてすまない」

 忙しなくそう言うと、彼は立ち去りかけ――ふと、思い出したように付け加える。

「君は本当に、なにも心配する必要はない。大丈夫、なにもかも――――今日までだ」


 〇


「お嬢さまあ! 大丈夫ですか! 傷物にされていませんか!?」

「傷物ってなによ!?」

 セドリックが去った後は、フランソワが私に駆け寄ってきた。彼女はセドリックの去った方向を一瞥すると、慎重に私の全身を確認する。

「まったく男というものは、油断も隙もありません! お嬢様、あなたはフロヴェール家のたった一人のお嬢様なのですから、もっと毅然とした態度でいらっしゃらないと!」

 フランソワの叱責に、私は口をつぐむ。

 神殿での情けない姿を、フランソワに見られてしまっていたらしい。たしかにこれは、フロヴェール家の令嬢として恥ずかしい。聖女にふさわしくないと思われても仕方がない。

「……お父さまに報告するのね」

「もちろんでございます! お嬢様の行動を逐一伝えるようにと、旦那様からの厳命ですから。このことは、旦那様からしっかり注意していただきますわ!」

「……そう」

「フロヴェール家に傷をつけるわけにはいきませんからね。旦那様からは、後ほど適切な沙汰が下ることでしょう」

 フランソワの言葉に、私はため息を吐いた。

 父は苦手だ。いつも仕事で忙しく、直接顔を合わせることはほとんどない。というのに、こうして四六時中監視されている。たまに顔を合わせても、交わす言葉はほとんどない。ただ、「お前はフロヴェール家のただ一人の娘なのだ。自覚を持て」と念押しをされるばっかりだ。

 でも、聖女になることを期待されているとだけはわかる。幼いころから金と人脈を湯水のように注ぎ込まれてきたのだ。母が事故で亡くなり、唯一の血筋となってからは、監視にも膨大な人員を割くようになった。

 聖女になることが、フロヴェール家にとっての私の価値。だから人前で弱みを見せてはいけない。誰よりも優れた人間にならなければいけない。

「…………お祈りしましょう。明日の聖星節の無事を祈らなくちゃ」


 明日は、天と地が最も近くなる日。

 ――ゲームでの聖星節のイベントは、なんだったかしら?


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― 新着の感想 ―
[一言] 実はリディアーヌが鈍い(回りを見る余裕がない)だけで、 大量の父からの監視は半ば護衛、セドリックはリディアーヌの隠してるかわいい物好きな性格を見抜いている…と信じていいのか…?
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