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 前夜祭の朝。私は当初の予定通り神殿を訪れ、祈祷室を目指して歩いていた。当初の予定通り。

「シャルロットさん、聞いていて?」

「なにかしら、ロザリーさん?」

「リディアーヌ様のこと。ジャンヌさんから教えてもらったのよ」

「まあ、いったいどんな話かしら」

 その途中。私は少し離れた場所から、ひそひそと囁く声を聞いた。

 目を向ければ、回廊の端で立ち話をするロザリーとシャルロットが見える。石造りのこの回廊に、二人の声はよく響く。が、本人たちは気付いていないらしい。

 今までさんざん私と一緒にいた、ロザリーとシャルロット。二人の声を聞いたのは久しぶりな気がする。最近は私に対してよそよそしく、距離を置くようになっていたからだ。


 原因はわかっている。先日の神殿での一件のせいだ。

 あれ以降、神官長を中心とした神殿の上層部に、『私がジャンヌをいじめている』という噂が広まってしまった。

 そして、日を追うごとに噂の内容に尾ひれがつき、悪辣になっていく。他の聖女候補たちがこれまでジャンヌにしてきたいじめは、すべて私が黒幕扱い。した覚えのないことをしたと囁かれ、果ては私に罪をなすりつけるために、わざとジャンヌを責める人間までいる始末。

 ――ジャンヌ同様、私も邪魔だったのね。

 聖女候補にとってみれば、聖女に最も近いと言われる私自身も排除したい存在だった。ただ、これまでその機会がなかっただけだ。蹴落とす隙を見せれば、一斉にそこを突く。直情型神官長が私を敵視している今の状況は、彼女たちにとっての追い風だ。

 ――あの神官長! ……い、いえ、博愛の精神を……でもやっぱり無理! お恨み申し上げるわ!

 子供じゃないのだから。仮にも長と名前の付く身分なのだから。もう少し冷静で客観的な目を持てないものか。

 ジャンヌもジャンヌだ。噂を放置するなんて、無責任すぎる。ジャンヌがきちんと神官長の誤解を解いてくれれば、ここまで大事にはならなかったはずなのに。

 ――ひどいわ、ジャンヌ。

 聖女の座も、セドリックの心も、ジャンヌは私から奪おうとしている。

 ゲームをなぞるように、ジャンヌは味方を増やし、私は孤立していた。あれからジャンヌと会話をしていないけど、神殿で彼女を見かけるたび、心がもやもやするのを感じている。

 ――だって、ジャンヌはゲームのその後を知っているのよ。

 ジャンヌにとって、リディアーヌは敵。イベントを進めるためには、絶対に対立する必要がある。彼女がセドリックを狙う限り、ゲーム通りに進めたいと思うはずだ。

 ――まさか、わざと?

 そう思いかけ、私は内心で否定する。疑って、妬んで、それこそゲームのリディアーヌだ。

 ――私がジャンヌを責めたのは事実だわ! 言葉もきつかったし、いきなり貴族に責められたら、ジャンヌにとっては怖かったでしょう。

 ジャンヌの目から見れば、私も他の聖女候補も変わらなかったのかもしれない。マナーも教えられずに、いきなりこんな貴族社会に連れて来られたジャンヌは、むしろ被害者。優しく諭すべきだった。

 ――そもそも、誤解されるようなことをしたのは私だわ。なのに、他人ばっかり責めるなんて、恥を知りなさい!

 ぱちん、と頬を叩き、私は自分を叱りつける。

 聖女は他者を愛するものだ。逆恨みなんてしては、とても聖女にふさわしくない。噂を自分で真実にするなんて、愚かにもほどがある。

 ――ロザリーとシャルロットが離れていくのも、仕方ないことだわ。

 噂抜きで私と付き合ってもらえるだけの信頼関係を、彼女たちと築けなかっただけのこと。

 ――それに、あの子たちは、私と友達だったわけではないもの。

 ゲーム内では、ただの取り巻き。現実も同じだ。

 ロザリーやシャルロットが私に近付いてくるのは、私が聖女になることを見越してのことだ。ジャンヌが聖女になるのであれば、私と親しくする旨みはない。それどころか、万が一ジャンヌが聖女になったとき、いじめっ子である私と親しいと思われては、取り入ることも難しい――そう考えているのだ。

 思えば、ゲーム内でも似たようなイベントがあった。リディアーヌの度を越した嫌がらせに辟易した令嬢たちが、ジャンヌと仲良くなるシーン。『本当はあの方の横暴にみんな参っていましたの』とのセリフには、一緒にいじめていたくせにそりゃないよ、と若干の理不尽を感じたものだ。

 でも、現実は実際に理不尽だった。

 ――こんなにあっさり離れていくなんて……別に、友達ではないからいいのだけれど。

 今までだって、ロザリーとシャルロットが二人で遊ぶときに、私が誘われたことはないし。混ぜてって言っても適当にはぐらかされたことあるし。私の名前を使って、他の子たちに威張っているのを叱ったこともあるし!

 ぜんぜん友達ではないから、寂しくはない。

 別に、だからどうということはない、けど。


 自分の名前が出たら、ちょっと気になる。これは、人間だから仕方のないことだ。

 廊下を歩く足取りが遅くなっているのは、明日に控えた聖星節の準備で疲れているからだ。

 足音を忍ばせ、息も殺しているのは、悩み事が多いからだ。だから、ちょっと会話が聞き取りやすくなっているけど、まったくぜんぜん、他意はないのだ。


「あのお方、前々からジャンヌさんをいじめていらっしゃったのはご存じのとおり。先日のあれも、助けるふりをして本当はこっぴどく責め立てていたらしいのよ。神官長を呼びに行け、なんて言って、わたしたちを体よく追い払ったのね」

「ええ、ええ。本当にひどい話。わたくしたちにはあんなに偉そうにお説教をしておいて、影では博愛なんてほど遠いことをしていらしたなんて」

「あの一件で神官長に悪行が知られて以降、ますます嫌がらせをしているそうなのよ。それでジャンヌさんも辟易して、なんでもリディアーヌ様の婚約者である、セドリック様に相談したらしいの」

 ――――セドリック?

 私の足はすっかり止まっている。柱の影に立つ私に、二人は気がつかない。

 会話が良く聞こえる。

「セドリック様も、ほとほと呆れていらっしゃったようなのよ。それで、今日はそのことでお話し合いをするために、ジャンヌさんは午後からお休みを取るそうなのよ」

「今日? ……聖星節の前夜祭の、今日?」

「そうよ、シャルロットさん。お祈りの日なのに、途中で少し抜ける、などではなく、午後から丸ごとお休みするの。そのために、セドリック様自身が神殿へ迎えに来られるそうなのよ。きっと、さぞや大変なお話し合いをするのでしょうね」

「まあ。まあまあまあ。なんてこと。さすが平民のお方。やることがはしたなくていらっしゃるわ」

「堕ちた聖女もいたものだわ。神官長様に、騎士団長様に、王子殿下までたぶらかして、ついにセドリック様まで。みなさま、社交界の憧れを一身に集める、格別に麗しい殿方で……本当に、平民らしい単純さだわ」

 そう。ゲームの中でも、ジャンヌは複数の男性を味方に付けていた。全員の好感度がある程度以上にならないと、トゥルーエンドが見られないのだから仕方ない。ロザリーが挙げた人物たち以外にも、二、三人くらい味方となる攻略対象がいたはずだ。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

「だからこそ、取り入りやすいのですけれど。ちょっと声をかけただけで、すぐに友達だなんて言ってきて」

「まったくだわ、シャルロットさん。わたしたちみたいな高貴な人間が、下賤の民と友達になるなんて、夢を見過ぎだわ。図々しい」

「本当。あんな野良犬みたいな女が聖女なんて、世も末ね、ロザリーさん」

「ええ、ええ。…………ああ、でも、ちょっといい気味よね、セドリック様の件は」

 ロザリーたちは顔を見合わせ、くすくすと笑った。

「あの高慢なリディアーヌが婚約者を奪われるなんて。事実を知ったときの顔を見てみたいわ」

「あんなに偉そうにしていて、聖女の座も婚約者も平民に取られるなんて、わたくしなら恥ずかしくて生きていけないわ。ねえロザリーさん」

「そうよね、シャルロットさん。本当に誇り高い貴族なら、自ら命を絶ってしかるべきだわ。これで生き恥を晒せるのなら、あの女の本性もそれだけ生き汚い、獣めいた下劣な人間ってことよ」

 私は柱の影で立ち尽くしていた。

 両手を胸に当て、浅い呼吸を繰り返す。無意識のうちに、目を固く閉じていた。

 ――大丈夫よ、こんな陰口。

 人に好かれていないとは思っていた。友達などいないと知っていた。この性格なら、仕方のないこと。理解している。

 聖女には、断固たる意志が必要だ。他の追随を許さない強さが必要だ。それは、上に立つ者としての強さ。見上げる分には良くても、横に並べば疎ましい。

 だが、横に並べる人間には、私の助力は必要ない。自分で自分を救うことができるから、分かっていて切り捨ててきた。この立場は、私自身が選びとったものだ。

 ――聖女になれば、こんなものでは済まないのよ。

 罵倒も罵声も覚悟してきた。恨まれることも、裏切りも、すべて飲み込むと決めて聖女を目指した。

「……大丈夫」

 小さくつぶやき、私はゆっくりと目を開く。


 朝の静謐な神殿。中庭に面した、白い大理石の回廊が、朝日を受けてきらめいている。

 落ち着きかけた鼓動は、またすぐに荒く脈打ちだす。光の中に立つ、彼の姿を見てしまったからだ。


「――リディ? こんなところでどうしたんだい?」


 影に立つ私の前に、朝日を浴びたセドリックが立っている。


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