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「――――待ちなさい!」

 私はロザリーとシャルロットを置き去りにして、中庭へ駆け出した。聖女候補たちが、ぎょっとした目で私を見ている。まさか、私が止めに入るとは思わなかったようだ。

「なにをしているの! 神殿でのもめ事は禁止だわ!」

「もめ事ではありませんわ、リディアーヌ様。この小娘が!」

「突き飛ばして、倒れている相手を蹴ろうとして、もめ事ではないというの!?」

「それも、この娘が悪いんですわ! 平民のくせにこの神聖な場所に足を踏み入れるなんて! 言葉がわからないから、態度で示して差し上げただけでしてよ!」

「そう。あなたは無抵抗な弱者に暴力で示す人間なのね」

 私は聖女候補たちを睨みつける。候補たちはびくりと肩をすくませた。

「それは、赤子に暴力を振るうのと変わらないわ。そんな人間が、聖女にふさわしくて!?」

「わ、私たちより、この女をかばうって言うんですの、リディアーヌ様!? これは平民ですわ! 卑怯な手で聖女候補になったに決まっている、卑劣で穢れた人間ですわ!」

「聖女に必要なものは、信仰心と高潔さ、そして他者への愛だわ。今のあなたたちに、それがあるのかしら」

 ぐ、と聖女候補たちが押し黙る。静かになったところで、私はロザリーたちに声をかけた。

「あなたたち、神官長をお呼びして。事情を説明して、彼女の服を取り換えないと」

「は、はい!」

 ロザリーたちは頷くと、早足に神殿の奥へと向かって行った。

「お、覚えてなさいよ!」

 神官長に見つかっては困ると思ったのか、聖女候補たちも捨て台詞を残して去っていく。

 静かになった神殿の中庭。私とジャンヌだけが取り残されることになる。


 新緑が眩しい。空を鳥が横切る。

 青空の下、私は内心で冷や汗をかいていた。

 どうしてこんなことになってしまったのか。よりによって、ジャンヌと二人きりなんて。

「…………だ、大丈夫かしら?」

 声を潜めて尋ねれば、ジャンヌが顔を上げる。

 土で汚れていてもなお、彼女の愛らしい顔は健在だ。絶世の美少女、というわけではないけれど、乙女ゲームの主人公らしい、同性にも好かれるような愛嬌がある。美人よりはかわいい系。よくゲーム内で『まぬけ顔』とからかわれる、ちょっと抜けてそうな顔立ち。目は大きく、星の瞬く藍色の瞳がきらめいている。肌は健康的な白さで、口元に一つほくろがあるのが特徴だ。

「……り、リディ――――リディアーヌ様?」

 愛称を言いかけて、ジャンヌはすぐに訂正する。ゲームならいざ知らず、今の私たちは初対面だ。いや、正確には聖女候補として挨拶をしたことはあるけれど、義務の接触を覗けば、今回が初会話となる。

「だ、大丈夫です! あ、あ、ありがとうございます!」

 ジャンヌは逃げるように顔を隠すと、首を振ってそう言った。どうにも接触を恐れられているらしい。

 ――まあ、ゲームの知識があれば、私が敵であることはわかっているわけだし。当然かしら。

 私だって、こんなところでジャンヌに相対したくなかった。こんなところでどころか、今後一切かかわりたくはない。聖女を目指す以上、そうもいかないのだろうけれど。

「まずは立ちなさい。神官長をお呼びしたから、あとで報告しておくのよ」

「ええと……でも」

「でもじゃないわ。いつまでうずくまっているつもり?」

「えっと……そうもいかないというか……」

 もじもじしたまま、ジャンヌは立ち上がらない。口の中でごにょごにょと言い訳じみた言葉を発する彼女に、私も苛立ってくる。

「いいから立ちなさい! 神殿内でみっともない姿を晒すんじゃないわ!」

「は、はいっ!」

 私の恫喝に、ジャンヌは体を震わせる。それから、怯えた様子で立ち上がった。

 白いワンピースにも似た、聖女候補の聖衣は、泥で汚れている。倒れたときに切ったのだろうか。腕にいくつか、小さな擦り傷がある。乙女ゲームの主人公なので、胸は控えめ。その分、『お前の体、折れそうなくらいに細いな……』と攻略対象に言わせるくらいに華奢だ。

 だが、彼女の体なんてどうでもいい。どうでもいいくらいに大変なものが、彼女の腕の中にある。

「あなた、それ――――ま、ま……魔物じゃないの!」

 ジャンヌの腕の中には、子犬ほどの大きさの大蜥蜴がいた。全身が黒い鱗に覆われ、瞳は赤くぎょろりとしている。額には三つ目の目が付いており、それがその生き物を魔物たらしめていた。

「あ、ま、魔物じゃないです! この子は竜の子で」

「竜は魔物でしょう!」

 この世界に存在する生き物は二種。神々によって作られた生物か、神々よりも以前から存在していた魔物か。どちらかだ。

 竜といえば、魔物の中でもさらに別格。人よりはるか古から生きる、賢く強き存在だ。神の仇敵である邪神の化身ともみなされ、人々に恐れられている。

 そんな生き物の子供が、どうしてこんな神殿にいるのか。

 ジャンヌはかわいがるように、竜の子の頭を撫でる。

「魔物は、人が勝手に決めつけただけ。竜は竜です。神殿に迷い込んでしまったみたいで、逃がしてあげようと思ったんですけど……」

 そこで、あの聖女候補たちに見つかってしまったのだ。私は頭に手を当て、深く息を吐き出す。

 ――だからずっと、うずくまっていたのね。魔物を隠すために。

 ジャンヌに対し、彼女たちが怒るのも無理はない。魔物をかばうなんて、聖女としてあるまじき行為だ。

 ――でも。

 他者を愛するのもまた、聖女のあるべき姿。

 ――私がこの竜を神殿で見つけたら、ジャンヌのようにかばえるかしら?

「…………逃がすなら、早く逃がしておしまいなさい」

「いいんですか!?」

「私が駄目と言って、あなたは従うわけ? そうでないなら、さっさと逃がしなさい!」

 腕を組み、私はジャンヌを睨みつけた。私の視線を受け、彼女は面食らったように瞬いてから、大きく頷く。

「はいっ!」

 快活な声を上げると、彼女は空に向けて子竜を放した。それとともに、ささやかな風の魔法も添える。子竜が無事に自分の巣に戻れるよう、祈りを込めた魔法だ。

 子竜は風に乗って、小さな翼を羽ばたかせる。そうして、夏雲の中へと消えて行った。


「……あの、ありがとうございます」

 子竜が去った後、ジャンヌは改めた様子で、私に向けて頭を下げた。素直で嫌味のない態度だ。貴族のような過ちを認めたがらない人間たちの中にあっては、これをかわいいと思う人間もいるかもしれない。

 が、私は思わない。思わないったら思わない。

「早く乱れた髪を直しなさい。泥も落とすのよ。みっともないわ」

 ジャンヌを見下ろし、私は顔をしかめる。乙女ゲームの中では、彼女はこういう役割なのだと知っている。破天荒な庶民の彼女が、がんじがらめの貴族社会に新しい風を吹かせる。それが彼女の魅力であり、物語のテーマの一つでもある。

 対照的な私は、だからこそ悪役だった。選民思想が強く、変化を拒む、形式ばった貴族の代表格。最後に自滅をすることこそが、既存社会の崩壊、新しい時代の幕開けを示すのだ――と、どこかの考察サイトに書いてあった。

 事実かもしれない。私は今、破滅に向けて歩いているのかもしれない。でも、リディとして言わずにはいられないのだ。

「博愛は偉大なことだわ。でも、時と場合をわきまえなさい。それにもちろん、手段も」

 口から出る言葉には、端々から私のプライドが溢れている。聖女たるもの、泥臭くあってはいけない。なにかを救うために、誰かの反発を得るようではいけない。

「ここは神殿。神々の御前よ。清く美しくなければいけないの。なのにあなたは子竜のために、泥にまみれ、騒動を起こし、静寂を穢したわ。これは紛れもなく事実」

 ジャンヌはうなだれている。垂れた両腕の先、手のひらが固く握りしめられている。悔しいのか、泣いているのかはわからない。しかしこんなことで泣くようでは、聖女は務まらない。

 災害、病気、戦争。人々に不幸があれば、矢面に立つのが聖女だ。理不尽な言葉をかけられる。それを責めてはいけない。傷つけてはいけない。受け入れ、認めてあげる強さが必要なのだ。

「救う手が泥だらけで、誰がその手を取りたがるの。毅然となさい。さもなければ、あの子たちの言う通りよ。彼女たちも含めて――――今のあなたは、聖女候補の格を貶めているわ。あなたみたいな平民は、聖女にふさわしくない」

 ――そう言われても仕方のない姿をしていることをわかって?

 続く言葉を言う前に、言葉を遮られる。

「――――言い過ぎだ!」

 低く落ち着いた男性の声だ。聞き覚えがある。

 振り返れば、中庭に向かってくる男性の姿がある。傍にはロザリーとシャルロットがいるので、彼女たちが連れてきたのだろう。

「リディアーヌ、それは聞き捨てならない。彼女は地母神自らがお選びした聖女候補。いわば、もっとも聖女に近い存在なのだぞ」

「……神官長様」

 私は肩をこわばらせ、どうにかそれだけを呟いた。

 彼は中庭に踏み込み、ジャンヌを守るように背に隠す。生真面目な顔を険しく歪め、私を見下ろしていた。

 眼鏡の美中年、神官長。真面目すぎて四十代まで独り身だったという彼は、ジャンヌの最初の味方になってくれる相手だ。地母神への信仰心が強く、それに選ばれたジャンヌもまた、深く信頼をしている。

 真面目すぎて融通が利かず、そのくせ妙に純粋で、思い込みの激しい猛進型美中年。彼は恐ろしいほどにちょろくて、手玉に取るのが楽しいという、ニッチな層を狙ったキャラクターだった。

 その設定は、この神官長にも健在らしい。

「それにジャンヌが泥だらけじゃないか! 傷もついて……まさかお前……」

「し、神官長様、誤解です! リディアーヌ様は」

「ジャンヌ、お前泣いているじゃないか! かばうことはないんだぞ!」

「あの、いえ、これはそういう涙じゃなくて」

「いいから、無理に話すな。本人を前に言いにくいこともあるだろう。まずは落ち着いて……医務室に向かおう。傷の手当てが最優先だ」

 口を挟ませる隙もない。思い込んだら、こう。

 ――まあ、ラスボスの地母神を疑うことなく心酔するようなキャラだし、仕方ないのかしら……。

 などと呆れている場合ではない。この状況を誤解したまま、彼はジャンヌを連れて立ち去ろうとしている。

「弱い者をいじめるなど。リディアーヌ、博愛の聖女にふさわしくないのはどちらか、考えなさい」

「ま、待って! ちゃんと話を――」

 聞かない。だって神官長なのだ。

 神官長はそのまま、ジャンヌを連れて立ち去って行ってしまった。

 私は中庭で、呆然と立ち尽くす。


 ――これ、ゲームのイベントシーンだわ。


 リディアーヌが、はじめてジャンヌをいじめた問題のシーンだ。これが、リディアーヌが聖女失格といわれる布石になる。周囲からの叱責を受けたリディアーヌは、ジャンヌを逆恨みし、前にも増して彼女をいじめるようになるのだ。

 でもたしか、ゲーム内では子竜を逃がすことができなかったはず。子竜は王宮の研究室に捕われ、ジャンヌが救出に向かうイベントがあるのだ。

 ――いえ、些末な差だわ。

 だってあの子竜、その後のイベントに全然絡んでこなかったし。ジャンヌの優しさを見せるために配置されたフレーバーだ。

 子竜一匹では、なにも変わらない。

 ここからリディアーヌの――私の転落がはじまるのは間違いなかった。


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