5
孤児院と病院の予定は外せないけれど、前夜祭の最後の一日。一番盛り上がる聖星節の前日であれば、どうにか予定を空けることができる。
慌てて手紙を書きなおし、セドリックに送ったのはいいけれど、いったいどんな返事が来るのだろうか。
――今さらかしら? もう無理かしら? それとも意外と、喜んでくれるかしら? いえ、期待はし過ぎてはいけないわ。平静に、平静に――――わ!
足元の段差に気がつかず、危うく足を引っ掛けるところだった。どうにか声は抑えたものの、心臓がどきどきしている。
「リディアーヌ様、どうかいたしまして?」
急に立ち止まった私を見て、少女が気取った声をかける。私と同じ聖女候補のロザリーだ。
「少し考え事をしていただけよ。問題ないわ」
「まあ、リディアーヌ様が考え事だなんて。どれほど高尚なことをお考えなのかしら」
そう言ったのは、やはり聖女候補のシャルロット。二人とも立派な貴族家の令嬢だ。
「きっと、わたくしたちには想像もつかないことでしてよ、シャルロットさん」
「ええ、そうに決まっているわ。だって未来の聖女になるお方ですもの。浮かれた他の聖女候補なんかとは違って、深遠なることをお考えに決まっていますわ、ロザリーさん」
「聖女を目指す身でありながら、前夜祭で過ごす異性のことばかり考えるなんて、情けない限りですわね、シャルロットさん」
「まったくおっしゃる通りですわ、ロザリーさん。殿方のことで頭を悩ませるなんて、はしたない。頭に綿でも詰まっているのかしら」
私は無言で両手を握り合わせる。静謐の神殿には、二人の会話が良く響いた。
私の胸にもよく響いた。私を挟んで繰り広げられる会話に、血の気が引いて行く。
――これからお祈りだっていうのに……。
今日は聖女候補が集まり、神殿で天地への祈りを捧げる日だ。それが終わった後は、神官長を教師とした座学が待っている。神殿の歴史と神話を学ぶのだ。
私は現在、神殿の奥にある祈祷室を目指していた。ロザリーとシャルロットは、その途中から一緒になった。というより、いつの間にか隣にいた。
気がつけばがっちりと私の両脇を固め、最初は私に向けた過剰な褒め言葉を。次第に他の聖女候補への悪口を言い募る。
「そんなことで、聖女候補としての自覚はあるのかしら。ねえリディアーヌ様?」
「聖女の品格を貶めて、わたくしたちまで恥ずかしいですわよね、リディアーヌ様」
「関係ないわ。私は私、彼女たちは彼女たちよ」
ついつい私が口を出すと、二人は揃って「まあ」と言った。
「さすがリディアーヌ様ですわ。わたしなんて腹が立って仕方がないのに、リディアーヌ様はその次元を超えていらっしゃるのね」
「きっと、目にも入らないってことですのよ。でも、わたくしは駄目みたい。特にあの平民が、あまりにも目に余りますの」
平民、とシャルロットが言えば、ロザリーも頷く。
「わかりますわ、シャルロットさん。殿方に媚びてばかりで、聖女をなんだと思っているのかしら。あんな方が聖女候補だなんて、冗談でも止めていただきたいわ」
「本当よね、ロザリーさん。あの方、神官長を誑かして聖女候補になったっていう噂までありますのよ。下々の人間らしく手が早くいらっしゃること。本当に平民って、汚らわしい」
「やめなさい」
私は足を止め、二人に体を向ける。
「言葉が過ぎるわ。神の前には、貴族も平民も同じこと。あなたたちの言葉も、聖女としての品格を落としていると知りなさい」
――私も、前世は平民だったのだし。
平民だからと言って、貴族となにか変わるわけではない。悩んだり苦しんだりもする。そのことを、生まれついての貴族である彼女たちはあまり認識していない。
平民は民草。草のように生えてくるもの。その思考は、前世の記憶を持つ私にはどうしてもなじめないものだった。
――それに、ジャンヌが苦労しているのも知っているもの。
ゲームをしていたからこそ、平民出身の彼女が聖女となるために、人一倍努力をしていたことを知っている。聖女になる以前も、十歳で両親を亡くし、孤児院でこき使われてきたのだ。
だからこそ感情移入し、仲間が増えていくのが楽しかった。でもさすがに、現実として起こるには、彼女の人生は過酷過ぎる。セドリックの件がなければ、もう少し同情していただろう。
「……でもお」
ロザリーがシャルロットを見ながら口をとがらせる。シャルロットはロザリーを見ながら、不満そうに眉をしかめた。
「彼女を不満に思っているのは、わたくしたちだけではありませんわ。だってあの方、常識知らずですし、自分勝手ですし――――」
さらに言い募ろうとしたシャルロットを遮ったのは、神殿中に響く怒声だった。
「こ、こ、この平民女! よくも神殿に足を踏み入れられたものね!!」
怒りに震えるその声は、直ぐ近くから聞こえる。
私たちが歩く回廊に面した、神殿の中庭だ。
初夏の日を受ける緑の中庭にいるのは――――地面に転がるジャンヌと、彼女を囲む、数人の聖女候補だった。