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「リディ? 浮かない顔をしているけど、どうかしたのかい?」

 私の顔を覗き込み、セドリックが心配そうに言った。柔らかい口調に、思わず私は顔を上げる。

 すぐ目の前には、セドリックの端正な顔がある。ゲームの攻略対象になるだけあって、かなり整った顔立ちだ。

 うっすらと青みがかった髪。青空を映し込んだような、澄んだ空色の瞳。温和さのにじむ優しい顔立ち。少し眉根を寄せているのは、私のせいだろう。

「なんでもありませんわ。考え事をしていただけです」

 なのに私は、ツンと返してしまう。候補とはいえ、この国を担う聖女になる身で、人に心配をかけるなど恥だ――と、無意識に考えているせいだ。

 いつでも力強く、人々を引っ張っていける存在にならなければ。そのためには、内心の不安だって隠すし、気取られてはならない。

 ――特に今回のことは、セドリックには知られてはいけないわ。

 だって、なんて話をするべきなのだろう。

 舞踏会でジャンヌと一緒にいたのはなぜ? あの子とどういう関係? どうしてあんなに仲良さそうにしていたの?

 ――まるで私が嫉妬しているみたいじゃない!

 聖女は嫉妬なんてしない。

 そもそも、舞踏会は社交の場。男女関係なく、多くの人々と言葉を交わすものなのだ。こんなことで邪推して問い詰めるなんて、聖女でなくとも貴族令嬢として恥ずかしい。

 ――それに……。

 私がやきもきしてしまうのは、彼らの未来を知っているからだ。

 この世界が乙女ゲームで、ジャンヌは主人公、セドリックは攻略対象。ジャンヌはセドリックルートを目指していて、いずれは彼とのハッピーエンドを迎えるはずだ。その際に私は邪魔者となり、いずれはこの婚約も破棄される。

 ――こんなこと、絶対に言えるはずがない!!

 間違いなく、頭がおかしくなったと思われてしまう。セドリックにそんなことを思われたら、ジャンヌのことがなくたって、婚約を白紙にしようと言われるだろう。

「セドリック様には関係ないことです。ご心配いりませんわ」

 ――あっ違う言いすぎ!

 ちょっと突き放しすぎだ。でも今さら、言い過ぎたとも言えない。一度口に出したことを引っ込めることは出来ず、私はなんてことないように背筋を伸ばす。が、視線だけは遠くに逃げる。

「そう……? それならいいけど」

 幸いなことに、セドリックは機嫌を悪くはしなかったようだ。少し首を傾げつつ、くすくすと笑っている。追及がなくてほっとした。

「そ、そんなことより、今日はお招きくださり感謝いたしますわ!」

 さっきの会話を忘れようと、私は強引に切り出した。努めて平静に言いながら、私はあらためて周囲を見回す。


 目に映るのは、赤と黄色の鮮やかな薔薇たちだ。

 季節は初夏。大輪の薔薇は、ちょうど開花を始めたばかり。膨らんだつぼみたちの中に紛れて、気の早い薔薇が一つ二つ、花びらを広げて見せている。

 ここに咲く薔薇は、ラフォン家の奥様が自ら色を選んだという。春には小粒のピンクの薔薇が、夏には赤と黄色の大輪の薔薇が、秋になれば、深紅の薔薇が咲く。

 その中でも、私は春の薔薇が一番好きだった。

 きつい顔立ちや性格のせいか、赤薔薇が似合うとよく言われてきたけれど、本当はもう少しかわいらしい花が好きだ。派手な色より淡い色が好き。だけどイメージにそぐわないから、口にすることはない。

「……相変わらず、ラフォン家の薔薇園は見事ですわ。満開でないのがもったいないくらい」

 ラフォン家の薔薇園――それが、いま私たちのいる場所だった。

 ラフォン侯爵家の屋敷、その中庭にある薔薇園にテーブルと椅子を運び入れ、私とセドリックは茶会をしていた。

 このお茶会は、婚約者としての交流の一環だ。お茶を運ぶ給仕たちは、ここでの様子を逐一両家の主人に報告する。常に見張られているようなものだから、言葉一つ一つに慎重になる。楽しむ余裕もないし、義務みたいなものだ。

 ――それでも、セドリックと二人でいられる数少ない時間だわ。

 男女ともども恐れられ、町を歩けば避けられる。キッと目を向ければ、相手は恐れて顔を逸らす。鮮やかな金髪も、私のきつい顔立ちと合わさると、妙にけばけばしく見える。赤みを帯びた瞳は威圧的で、私の背丈で見下ろせば、誰もが委縮してしまう。

 取り巻きはできるが、友人はできたことがない。私を恐れず話しかけてくるのは、亡き母と父と――――彼くらいだ。

「気に入ったかい? それなら、満開の時期にもう一度招待しよう。もう十数日もしたら見ごろになるはずだ」

 優しい声でそう言うと、セドリックは目を細めた。

 その笑みの柔らかいこと。きちんと私の目を見て、私の顔を映して、穏やかに微笑んでいる。思わずため息が出そうだ。

 でも出さない。未来の聖女は、婚約者とはいえ異性に見とれたり、ましてや骨抜きになったりしないのだ。

 自らを律し、毅然とし、婚約者とは清く正しく付き合っていく。だいたい、『セドリックの笑みにメロメロでした』なんて報告をされては困るのだ。所詮は政略結婚だし、メロメロではないし!

 ――それに、セドリックは誰にでも優しいし。

 セドリックは社交的で、誰とでも上手くやれる。私みたいな人間とも一緒にいて、笑いかけてくれるのだから当然だろう。この笑顔は、私だけに向けられたわけではない。いつも遠くから見ているから知っているのだ。

 だから、ついツンとした態度を取ってしまう。

「では、お誘いをお待ちいたしますわ」

「ああ。……ちょうど、聖星節せいせいせつのころになるな。星の美しい時期だ。夜の薔薇園も悪くないだろう」

 聖星節とは、天の神を祭る夏の節句だ。夜の空が、最も地上に近付く日とも言われている。星々が瞬く夜に、盛大な祭りが行われるのだ。

 だが、一番盛り上がるのはその前夜祭。三日かけて行われる聖星節までの夜の祭りは、恋人たちのための舞踏祭だ。当日は神妙にして神聖な祭りだが、前夜祭は信仰心を忘れて遊ぶための日。

 ――私には関係のないことだけれど。

 聖女候補に遊んでいる時間はない。こういう周りが浮かれている時こそ、差をつけるチャンスなのだ。この日には、だいぶ前から予定を入れてある。神殿での祈祷に、魔法の訓練と、聖典の書き写し。神官長と先代聖女への挨拶もしておかなければ。

 ぐ、と内心でこぶしを握っていると、給仕が茶菓子を運んできた。

「誘いの手紙は、頃合いを見て君の家に届けよう。後の話より、今は僕のもてなしをどうぞ」

 セドリックは微笑んだまま、運ばれてきた茶菓子を示す。

 白い陶器の皿の上には、手のひらサイズの丸いケーキがある。白く滑らかなクリームがケーキの表面を覆い、その上部を花の形のクリームで飾る。

 淡いピンクの可憐な花だ。薔薇ではない。小指の先よりも小さな花が、三日月状に散りばめられている。

 三日月の空洞、花のない場所には、星のような砂糖粒。まるで、かわいらしい夜空だ。

「わ――――」

 ――わあ……! こんなの、食べるのがもったいないわ!

 歓声を上げかけて、私はすぐに口をつぐむ。

 ――いけない、いけない。はしたないわ。だいたい、そんな柄じゃないのよ。

 ケーキで浮かれる食いしん坊キャラも、可愛いものに歓声を上げる少女趣味も、リディには似合わない。誰かに見られたら失笑されてしまう。

 私は何気ない顔でケーキから視線を外し、紅茶のカップを手に取った。砂糖ひとさじミルクはなし。たまにミルクティが飲みたくても、茶葉の味をきちんと見極めるために、余計なものは入れないのだ。

「か…………かわいらしいことですのね、セドリック。あなたの趣味なのかしら?」

 セドリック――二つ年上の婚約者の名を呼ぶとき、今でも少し緊張する。敬語も敬称も要らない、と出会ったときに言われたけれど、敬語だけは抜けきらない。もともとの口調がきついから、少しでも柔らかく見せようとしているせいだ。が、逆によそよそしくはないだろうか。

 などという内心の悶々も、表情には出さない。人々を導くべき聖女が、迷ってどうする。

「……そうだね」

 くすっと笑って、セドリックが頷く。どちらかといえば、苦笑じみている。呆れられていないだろうかと、内心で少し不安に――いや、ならない。聖女は不安になんてならないのだ。

 でも、紅茶のカップで顔を隠しつつ、そっとセドリックの顔を覗き見る。

「かわいいものが好きなことは否定しないよ――――リディ、どうかしたかい?」

 私の視線に気がつき、セドリックが首を傾げる。私は慌てて――さりげなく視線を逸らす。

「なんでもありませんわ。い、意外な趣味だと驚いていたところですのよ」

「そうかな。かわいいものには、誰だって惹かれてしまうものだよ」

 セドリックはふわりと笑う。彼はずっと穏やかに笑っているけれど、今は少し崩れるような、溶けるような笑みだった。

 もともとの顔立ちは、ラフォン家特有の寒色系で、やや鋭さがあるセドリック。未来の宰相の座を争う彼の二人の兄は、政争の真っただ中でいつも険しい顔をしており、私とは異なる近寄りがたさがある。対するセドリックは三男だ。ラフォン家は継げないが、将来はフロヴェール家に婿養子に入り、伯爵の地位を継ぐ。その、ある意味安泰さが、彼を穏やかにしているのだろう。

 少し気の抜けた笑みは、とてもかわいい。

「そ、そうかしら」

 視線を泳がせつつ、私は努めて平静に答えた。

 ――今こんなことでどうするの……!

 今は婚約者の身。しかし一年後、彼が二十歳になったら、婚約者から結婚相手に変わるのだ。結婚したら、月に一、二度のお茶会では済まない。毎日同じ家に暮らすことになるのだ。

 そこで、はたと気がつく。

 一年後の今ごろは――ゲームがエンディングを迎えた後だ。聖女のシステムは崩壊し、リディアーヌは死亡、ジャンヌは選んだ攻略対象とのハッピーエンドを迎えている。

 セドリックと私の結婚する未来は、訪れない――――。

「リディ?」

「なにかしら」

 私はテーブルの下に隠した手を、きゅっと握りしめた。平静に、平静に。

「そういえば、次のお茶会の日取りを決めなくてもよろしくて? 私もあなたも多忙の身ですもの、早めに予定を立てておかないといけませんわ」

「…………ああ、そうだね」

 セドリックは少しの間のあと、すぐに私の言葉に頷いた。表情は先ほどまでと変わらない、優しい笑みだ。内心、私は息を吐く。

 ――上手くごまかせているけれど、今日のお茶会は失敗だわ。こんなにぼーっとしてしまうなんて。

 この調子だと、セドリックにも気を遣わせてしまう。きちんと気持ちを切り替え、目の前のことに集中しなければ。

「あまり間をあけるのもなんだし、十日後はどうだい? 陽が落ちるころに、君の家まで迎えに行くよ」

「十日後……は、ごめんなさい。孤児院への慰問がありますの」

「じゃあ、その翌日」

「病院を回って、魔法治療師たちに訓練をつけなきゃ。治療魔法が使える人間は少ないから、休むわけにはいきませんわ」

「その次は?」

「神殿でお祈りをする日ですわ。その日と、翌日は。聖星節とその前夜ですもの」

「相変わらず、君は忙しいね」

 困ったようなセドリックの声に、思わず視線を伏せる。

 前世とは比べ物にならないくらい、今の私は忙しい。子供のころから魔法の訓練に家庭教師との勉強。父とともに事業を学び、社交界へ挨拶に回る。

 ――でも、これくらい聖女なら当たり前だわ。倒れるほど無理をしているわけじゃないもの。

 聖女たるもの、努力するのは当然。かといって、倒れるほど根を詰めるのは、それはそれで自覚が足りない。一日無理をして三日倒れるくらいなら、一日休んで三日努力する方が効率的だ。ちゃんと、追い詰めすぎない程度の自己管理はできている。


 なのに、罪悪感がある。


 せっかくセドリックが誘ってくれたのに断るなんて、呆れられていないだろうか。腹立たしいと思われていないだろうか。

 微笑むセドリックの表情からは、判断がつかない。

「ではまた後日、改めて予定を決めようか。君の都合の良い日を、手紙で送ってくれ」

「ええ……」

 後ろめたさから視線を伏せ、私は両手を握り合わせる。

 ――セドリックだって忙しいのに。

 宰相の家系でありながら、まったく無縁のフロヴェール家の家業を継ぐのだ。新しく学ぶことが山のようにある。厳しい父が手放しで褒めるくらいだから、彼は相当に勉強をしているはず。

 それでも、彼は私に合わせてくれているのだ。


 ――なのに私がこんな態度じゃ、婚約を破棄されるのも当たり前だわ。


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