エピローグ
結局。
ジャンヌも、ジャンヌを危機に晒したフロヴェール家もお咎めなし。その後の騒動でうやむやになってしまったのもあるけれど、なによりセドリックが上手く握りつぶしてくれたらしい。
さすが、自分で言うだけのことはある、と思うと同時に、なんだか空恐ろしい。
ただ、神殿の聖女システムはやはり崩壊した。一足飛びだったけど、地母神を倒してしまったのだから仕方ない。祭る物のなくなった神殿は、今は大忙しだ。
聖女候補も解散。元聖女候補たちは、不満と不服を神殿にぶつけているらしい。神官長が槍玉となっているのは、因果応報と思いつつ、ちょっとだけ気の毒だ。
いずれは、神殿も解散することになるのだろう。
聖女になりたいという、私の夢も潰えた。
――ように見えた。
「聖女様だ……」
「聖女様がた……ありがたや……」
仮説病院の患者が、私たちを前に手を合わせる。まだ重傷者の治療中だからと、魔法をかけにきた私とジャンヌは、居心地悪さに顔を合わせる。
町での一件以降、私たちを聖女とあがめる人が少なからずいる。めったに見られない治療魔法を見てしまったせいだろう。大怪我を治す奇跡のせいで、勘違いされてしまっているらしい。
「私たちはただの元聖女候補よ。勘違いしないでちょうだい」
つんと突き放すように言いながら、怪我人に向けて魔法をかける。重症の場合、一度の魔法では治らない場合があるのだ。今仮設病院にいるのは、そういう一度では治りきらなかった人たちばかりだった。
それで、魔法に優れたジャンヌと、ジャンヌほどではないがそこそこ使える私が、今も病院に通っているのである。手はいくらあっても足りない。これも貴族として、奉仕活動の一環だ。
「ありがたやー……」
「だから、違うって――」
「この子、あんまり敬うと照れちゃうんですよ」
私の言葉を遮って、ジャンヌが笑いながら言う。
「恥ずかしがり屋だから。気さくにした方がいいですよ、おばあちゃん」
えへへ、とジャンヌが笑えば、私に魔法をかけられていた老婆も「あらそうなの」と頬に手を当て、つられたように笑う。
――照れるなんて、そんなことないわ。そんなことないけど……。
ジャンヌと一緒にいると、周りの人たちとの触れ方が変わる。遠巻きにしていた人々がちょっと近づいてくる。
――お父さまだって。
数日前のやり取りを思い出し、私は苦笑する。
〇
あの地震のあと。
フランソワから報告を受けてから、父はずっと部屋から出てこない。すっかり拗ねてしまったのだ、とフランソワから聞いた。
「――旦那様は、お嬢様を溺愛していらっしゃるから」
困った私に、フランソワが驚くことを言った。
「そうなの?」
初耳だったし、想像もしたことがなかった。
父は厳しい人だった。私の行動をいつも監視し、フロヴェール家の令嬢としてふるまうことを要求した。必ず聖女になるようにと、いくつもの家庭教師をつけ、礼儀作法を叩き込んだ。
「いえいえ、お嬢様! それは違います!」
私の抱く父の姿を、フランソワは慌てた様子で否定する。
「いつもお嬢様を見ているのは、お嬢様が心配だからです。奥様を事故で亡くされていらっしゃるので、二度と同じことのないようにと思っていらっしゃるんです」
私の母は、私がまだ幼いころに事故で亡くなった。たしか、父が仕事で屋敷を離れているときだ。
父はそれ以降、ずっと独身を貫いている。娘が一人しかいないのはそのためだ。跡継ぎの息子がいるだろう、と周囲からさんざん結婚を勧められても、断り続けてきた。
でも、聖女の方は? 私に聖女としての価値を見出しているから、対立するジャンヌを襲ったのではないのだろうか。
「旦那様がお嬢様を聖女にして差し上げたいのは、それが唯一の、お嬢様のご希望だったからです」
「私の?」
「お嬢様は昔から、わがままを言いませんでしたから。やりたい、とはっきりおっしゃったのが、聖女だったのです」
言われてみれば、たしかに。
前世のわがままを反省し、私は今世、ほとんどわがままを言った記憶がない。なにか欲しがることもなく、婚約相手も父の決めるがままに受け入れた。その相手がセドリックだったのはただの幸運で、もし好きになれない相手であっても、私は受け入れていたのだと思う。
「やり方はさておき、お嬢様の望みを叶えて差し上げたかったのです。最愛の奥様の残された、たった一人のお嬢様ですもの。
私はうつむいた。
これまで、きっとすごい勘違いをしてきたのだ。父のことも、セドリックのことも、ジャンヌのことも。
「……不器用な人だわ」
私が言うと、フランソワは肩をすくめた。そして、心底おかしそうに笑った。
「そうでしょう。――お嬢様にそっくりですよ」
〇
父と直接話はできなかったけど、フランソワを介して、私はもう一つわがままを言っていた。
それは、監視の目を減らすこと。いつも見張っていなくても大丈夫。危ないことはしないから、もう少し信頼してほしいということ。
父はしぶしぶ了承して、私は今、従者なしでここにいる。
――だって、見せられないもの。こんなはしたない姿。
腕をまくったり、大声を上げたり。ジャンヌや病院の人たちと、フロヴェール家の令嬢らしくもない、くだらない話をしたり。
「……リディ、よく笑うようになったよね」
私の横顔を見て、ジャンヌが満足げに笑みを見せる。彼女の頭上では、子竜があくびをしていた。
魔物だけど愛嬌のあるこの子竜は、今ではすっかり町の人たちに受け入れられている。ペットセラピーとでも言うのだろうか。まだベッドから動けない人々の癒しになっていた。
当の子竜は、ジャンヌの頭が一番居心地いいらしい。ふらっといなくなって、ふらっとジャンヌの頭へ戻ってくる。
「そうかしら」
私は、自分の頬を叩く。監視の目がなくて、表情が緩みやすくなってしまったのだろうか。
あるいは、気持ちが楽になっているのかもしれない。もう私は、悪役ではなくなったのだから。
「そうだとしたら、ジャンヌのおかげだわ」
お、とジャンヌが口を開く。思いがけなかったらしい。その口の形のまま、彼女は私を見上げた。
「私、悪役だったのに。本当は死ぬはずだったのに」
友達もいなかった。父とは上手くいかず、セドリックは私が一方的に好きなだけだと思っていた。
ゲームでなくとも、きっとずっと、私は孤独でいるはずだった。でも――。
「今こうしていられるのは、ジャンヌがいてくれたからだわ」
「んん」
ジャンヌは唇を噛み、喉の奥から唸るような音を出す。
どうしたのかとよくよく見れば、頬が赤い。照れているのだ。
「んん……ええと、嬉しいけどね、それは違うわ。私はリディを嵌めようとしただけだし」
ジャンヌは絞り出すような声を出す。落ち着こうと努めているのだろうか。出てきた言葉は思いがけず、冷静なものだった。
「こうなったのは、あなた自身が頑張ってきたからよ。今のリディが嫌なやつだったら、私は助けたいとは思わないもの」
ジャンヌは私に人差し指を向ける。照れの残る顔には、不敵な笑みが浮かんでいる。
「頑張る女の子にこそ、ハッピーエンドが似合うのよ。あなたが今、楽しそうでよかった」
ジャンヌの藍色の瞳が、私をまっすぐに映し出している。
私は少しの間息を止め、彼女の瞳を見つめ返す。
泣き出してしまいそうな気がした。でも、泣きたいわけじゃない。
こういうときこそ、そう。
胸を張って、顔を上げて、笑ってみせるのだ。
ここで本編完結。
残りおまけ一話あります。




