15
「リディ!」
呆然と立ち尽くす私の手を、ジャンヌが握りしめた。
「さすが私の最推し! 地母神をこんなに早く倒すなんて!」
「ジャンヌ…………ん?」
最推し?
「リディアーヌルートはここにあったんだわ! どうなることかと思ったけど、良かった! 完璧なハッピーエンドだわ!」
「……ま、待って! 待ってジャンヌ!」
一人陶酔するジャンヌに、私は慌てて呼びかける。なんだかちょっと、私が思っているのと違う。
「さ、最推し? ジャンヌはセドリックのことが好きなのではなくて?」
「冗談じゃない!」
「で、でも、今日は一緒に前夜祭を回っていたんでしょう? それに舞踏会の日に……」
――私の最推しを、あんな性悪なんかにくれてやらないわ!
ジャンヌは確かにそう言った。
「リディ、もしかして私の独り言、聞いていたの……?」
私は遠慮がちに頷く。ジャンヌとしては、たぶん誰かに聞かれると思っていなかっただろう。恥ずかしそうに頬を赤らめている。
でも、聞いてしまったものは仕方ない。
「セドリックが最推しなのではないの? だって、彼は優しくて、親切で、少しも性悪なんかじゃないもの」
性悪と最推しでいったら、自然とセドリックが最推しの位置に来る。そうなると、性悪にあてはまるのは私だ。なにせ、セドリックの婚約者なのだから。
「いつも笑顔で、意地の悪いことなんてしないもの。わがままも聞いてくれて、私が強情を張っても、辛抱強く相手をしてくれるのよ。こんな素敵な人、私は他に知らないわ」
言いながら、どんどん恥ずかしくなってくる。私はいったい、なにを言っているのだろう。
ちらりとセドリックを窺えば、彼は片手で顔を隠している。きっと呆れているに違いない。フランソワも両手で頬をおさえ、失望の表情を浮かべている。
人前で婚約者の自慢話なんて、はしたない。そもそもセドリックは、ジャンヌと前夜祭に行くような仲なのに。横恋慕なんて情けない。
「……リディ」
ジャンヌが同情するような目を向ける。
私は視線を伏せた。ジャンヌは失恋する私にも同情するくらい、心根の優しい子なのだ。
「あなた、騙されているわ」
「…………えっ」
「セドリックが優しいって、本当に思っているの? 話した感じ、私と同じで、前世でこのゲームやったことあるのかな、って思ってたけど、違うの?」
「や、やったことあるけど……騎士団長ルートだけ。で、でも、ゲームのセドリックも、『笑顔の絶えない親切な青年』って設定だったでしょう」
遠い記憶の中から、説明書に書いてあるセドリックを思い出す。二次元にデフォルメされたイラストは、目の前のセドリックの特徴をよくとらえていた。少し大人しめの笑みで、押しが弱そうなところもそのままだ。
もちろん、イラストよりも目の前のセドリックの方がずっと素敵だ。イラストからは思慮深さは読み取れないし、角度によって変わる瞳の色もわからない。
「ゲームで出てくる『笑顔の絶えない男』は、腹黒フラグに決まっているでしょう!」
ビシッと叩きつけるように、ジャンヌは言い捨てた。
「腹……黒……?」
「攻略対象のくせに、宰相の三男! これ、どう考えても上の二人を蹴落とすための設定でしょ! 攻略対象のくせに婚約者持ち! これって愛はないけど利用しているっていう設定でしょ!」
「…………そうなの?」
「セドリックルート、本当にえげつないから! 本人が戦えないぶん策略が多くて、自分たち以外、関わった人間全員不幸にしているのよ! あいつが!」
あいつ、と言ってジャンヌはセドリックに人差し指を突きつける。セドリックが不愉快そうに眉を曲げた。
――あんな顔、はじめて見た。
優しいだけじゃない――聞いたばかりのジャンヌの言葉を思い出す。ジャンヌに向ける表情は、私が見てきたセドリックのどの表情とも違う。底冷えのするような冷たさがあった。
「上の兄は失踪して、下の兄は不幸な事故に、リディは国外追放! 私に危害を加えた人間は、もれなく行方知れずになっているのよ!」
ひえっ。
「で、でも、それならジャンヌは、どうしてセドリックとデートを……?」
「ここしかリディの生存ルートがないのよ!!」
「私の」
「そう!」
ジャンヌの肯定は力強い。
「セドリックルートのハッピーエンド以外、リディの死亡イベントに直行するの! じゃなきゃ私だって、リディにあんなことしたくなかったんだから……!」
ジャンヌは唇を噛む。
あんなこと、とはきっと、セドリックに近付いたことだけじゃないのだろう。セドリックが言っていたとおり、私の悪い噂を流したのも彼女なのだ。ゲームの通りにイベントを進めるために。
「どうしてリディの救済ルートがないの……!」
「どうしてって、だって私は敵役だから、仕方ないでしょう」
わがままで傲慢な性格だし、そもそも聖女としてのライバルだ。ジャンヌに意地悪もする。ラスボスに取り込まれる弱さもある。
「……推されるような人間じゃないのよ」
「わかってないわ、このライトオタク!」
はい?
「一途で頑張り屋なの、わかるじゃない。強情でプライドが高くて、絶対に屈しないの、わかるでしょう! 聖女候補の中で、私を最初から対等に扱っていたの、あなただけなのよ! わかる!?」
―――わ、わからない……。
わからないが、すごい熱量だ。ぐいぐい来る。
「で、でも、それはゲームの中のリディアーヌでしょう? 今の私は、あなたの推しとは違うのよ」
「より推せる!」
ジャンヌは私の手を握りしめた。痛い。
「リディ、あなた、いろんな孤児院に慰問に行っているでしょう」
行っている。ジャンヌに話したことはないし、ゲームの中にもそんな設定は出てこなかったはずだけど、どうして知っているのだろう。
「立派なことよ。子供に好かれているんでしょう?」
「そんなことないわ、怖がられてばっかりだし……。慈善活動は、貴族として当然のことだわ」
「職員の教育もしているでしょう。子供を虐待する奴はクビにしたり、代わりに人を寄越したり」
「目に余るときだけだわ。それに、仕事を求めている人は少なくないし」
「寄付もしているでしょう。定期的に、結構な額を!」
ぐぐい、とジャンヌが顔を寄せる。気が昂っているのか、瞳が少し潤んでいる。ぐす、と鼻をすするジャンヌを正面から見られず、私は視線を泳がせた。
「……誇ることじゃないわ。使わないお金だもの」
父の類稀なる経済手腕によって、フロヴェール家の貯蓄は増える一方だった。由緒正しき名門のラフォン家が、三男とはいえ息子を差し出すほどの資産だ。どれほど贅沢をしても使い切れないその金を、私は病院や孤児院への寄付に回している。
「倉庫に置いておいても、腐らせるだけだわ。使わない金なんて、置物と変わらないでしょう」
「それを偉いって言っているのよ」
「そんな高尚なものじゃないわ。見返りを求めていないわけじゃないもの。私は無償で寄付をしているのじゃなくて、お金を使って縁を買っているのよ」
父の受け売りだけど、と小声で付け加える。
私とは上手くいかない父だけど、父自身は多くの人に好かれていた。フロヴェール家の使用人たちはその代表みたいなものだ。フランソワをはじめ、父をよく慕う忠義者ばかりが集まっている。
だから私は、父のことは苦手だけど――――尊敬しているのだ。
「私は真似をしているだけ。立派だって言うのなら、きっとお父さまのことだわ」
顔を上げて、私は胸を張る。父を語るのに、俯いていてはいけない。
視界の端で、フランソワがじょばっと涙を流しているのが見える。「お嬢様ぁ!」と言いながら、もしかして黒マント全員、泣いているのではないだろうか。……なんで?
「そういうとこ」
ジャンヌは私を見上げて、まっすぐに指をさす。
「すごく偉いのに、偉ぶらなくて、当然っていう顔をして、そういうとこが――――」
「――――そこまで」
短い声がジャンヌの言葉を遮る。
同時に、誰かが私の肩を、背後からぐっと引き寄せた。
耳に優しい声。視界に映る水色の髪。私を見下ろす青空の目。私の顔が、思わず緩んでしまう。
「セドリック」
「立ち話はここらへんで中断だ。僕は騎士たちと町の様子を見に行くから、君たちは家に帰るといい」
町。その言葉に、はっと私は我に返る。
「そう、町! 私も行くわ!」
町には、地母神による地震被害が出ているはずだ。救助の手がいる。
「でも危険だ」
「このまま放って帰れないわ! 力じゃ役に立てないけれど、治療魔法なら使えるわ。怪我人の治療には、いくら手があっても足りないでしょう?」
治療魔法の使い手はさほど多くはない。病院に二、三人いればいい方だ。神殿に行けばもう少し数が確保できるが、駆けつけるまでに時間がかかる。
騎士がいたのは幸いだ。力仕事に不足ない。黒マント――フロヴェール家の使用人たちも、特別手当付きで被災者救助に駆り出さないと。それから、それから――――。
緩んだ顔を引き締める。ジャンヌとの話も気になるけど、今はもっと優先することがあるのだ。
「こんなときに動かなくて、なにが聖女よ。――ジャンヌ、あなたも行くのよ! フランソワ、フロヴェール家で至急救援物資を用意しなさい!」
ジャンヌが顔を上げる。フランソワが涙をぬぐう。
セドリックは私を見下ろし、いつものように笑んだ。
「リディ――――君は、まさしく聖女だ」