13
「……………………えっ」
唖然とする私を前に、物事は淡々と進んでいく。
「フロヴェール家を陥れるため、不当な噂を流し、ありもしない罪を作り上げようとしたこと、知らないとは言わせない。今、この状況がすべて証拠だ」
えっ。えっ。
「今日……いや、もっと前から、君の行動はすべて監視させてもらっていた」
待って。待て待て。
頭が追い付かない。
セドリックは、ジャンヌに向けて言ったの? 私ではなく?
「リディ、辛かっただろう。もう大丈夫、ようやく尻尾を掴んだよ」
「えっ、えっ」
セドリックは困惑する私を見やり、にこりと微笑む。いつも私に見せている、優しくて柔らかい笑みだけど、今は素直に受け取れない。さっきと顔つきが違い過ぎる。
「あの、わ、私を捕まえるんじゃないの……?」
「僕が、君を?」
セドリックは虚をつかれたように目を丸くする。が、すぐに合点がいった様子で笑い出す。楽しそうだ。本当に楽しそうだ。それを見る私は、唖然とするほかにない。
「君が捕まるようなことをするわけないだろう。万が一そんなことをしたって、僕が揉み消すよ」
「揉み……えっ」
「だから、心配しなくていい。魔力も腕力もないけど、僕は絶対に君を守るよ」
どこかで聞いたようなセリフだ。
きゅんとしたいけど、今はちょっと無理。
「さて」
戸惑う私を差し置いて、セドリックはさらに一歩踏み出す。視線の先には、倒れたジャンヌが転がっている。痛ましい姿だが、彼の目には同情は見られない。
「ジャンヌ、君を拘束させてもらう。君はわざと黒マントの集団に追われたふりをして、リディ――リディアーヌ嬢を巻き込み、彼女に傷つけられた振りをした。それも、僕たち騎士団が来るのを見計らって」
ジャンヌは動かない。かろうじて、呼吸をしているらしいとはわかる。
――そんなことより、まずは治療じゃないかしら。で、でも口を挟めないわ!
「リディアーヌ嬢を陥れるための罠だったのだろう? 僕に騎士団を呼ぶように言ったのも、黒マントの集団も、すべて君の自作自演――いや」
セドリックは、ふと思いついたように言葉を止める。
黒マントの集団に視線を向けると、彼はにやりと笑った。
ぞっとするほどおぞましい笑みだ。その顔には、蟻を踏みつぶすような、嗜虐的な愉悦が見える。
「あわよくば、リディアーヌ嬢を消すつもりだったんだろう。黒マントに襲われ、不幸なことがあったとしても、君も被害者になれる。いじめを捏造し、同情を引きたい君にはぴったりな考えだ」
「ま……」
「黒マントたちは、君が雇ったのだろう? 奴らはきっと、どこの誰ともしれないごろつきたちだ。問い詰めれば、すぐに白状するだろうね――――」
ま。
ままま。
「待ったあ!!」
私の上ずった声が、暗い路地に響き渡る。セドリックが驚いた顔で私を見やる。黒マントも見る。一方私は冷や汗をかいている。
「ストップ、セドリック! 冤罪だわ!」
「リディ。……君が止めるのかい?」
セドリックは眉間にしわを寄せる。私のことを、信じられないと言いたげに見ている。もっとありていに言えば、「ちょっとこいつアホすぎるんじゃないか」と思われている。
いや、いや、私だってわかる。セドリックの言わんとすることに、まるで見当がつかないほど鈍くはない。はずだ。
黒マントの集団が私たちを襲ってきたのは紛れもない事実。相手は平民とはいえ、聖女候補。それも、今一番、聖女に近い存在だ。
これが明るみになれば、彼らを雇った人間はただでは済まない。我欲のために他の聖女候補を蹴落としたと非難されるだろう。
だからセドリックは交渉していたのだ。彼は黒マントたちの正体を知ったうえで、すべてジャンヌのせいにして黙っていると、そう言った。
つまりは現在、揉み消しの真っ最中。確かに……確かに私の家のためになるけど!
――さすがにそれは駄目でしょう!
「聞きなさい! あれはジャンヌの自演じゃないわ!」
周辺一帯に響くほど、私は声を張り上げた。黒マントたちにも、騎士たちにも、もちろんセドリックにも聞こえている。
私は彼ら全員を見回し、宣言した。
「顔の布を取りなさい、フランソワ! 卑怯な真似はさせないわ! ジャンヌを襲ったのは、お父さま――いいえ、私たち、フロヴェール家よ!」
「リディ!?」
セドリックが制止する。
「リディアーヌ様!?」
黒マントの一人――フランソワがぎょっとしたように声を上げる。
「うわああん、リディ!!」
ジャンヌの感極まった声がする。
――――ジャンヌ!?
声に振り返れば、倒れていたはずのジャンヌが立ち上がって泣いていた。先ほどまでぴくりともしなかったくせに、まるで何事もなかったかのようだ。元気そうに私の元へと駆けてくる。
――平気だったの!?
「リディ! 私をかばってくれるの!?」
ジャンヌは驚く私の手を取ろうとした。その姿は、服こそ汚れているものの、傷一つない。微かな魔力の残り香から、瞬時に防御魔法をかけていたのだとわかった。
――ということは……演技?
「リディに近づくな」
ジャンヌが私の手を掴む直前、セドリックがそれを制する。ジャンヌよりも先に私の手を握り、首を振った。
セドリックが私の手を取るのは初めてだ。細身でちょっと女性的なセドリックだが、握られてみて初めてわかる。彼はしっかり男性だ。大きくて節ばっていて、力強い。
などと、当たり前にときめいていられる状況ではない。
「騙されるな、リディ。君の悪評を流したのは、間違いなくこの女だ」
「お嬢様! お嬢様の清廉な御手になんてことを! 結婚までは絶対に手を出させるなと、旦那様の厳命ですよ!!」
黒マントの一人が、顔を隠す布をかなぐり捨てる。その顔は、意外なことはなにもなく、やっぱりフランソワだった。彼女はこんなときまで、私のはしたない真似をとがめる。
――そういう状況じゃないでしょう!
と思うけど、どういう状況なのかは、私自身もわからない。私の目の前で、私を取り囲みながら、三者三様、好きなことを口々に主張する。
「リディ、ここは雑音が多すぎる。後で僕がゆっくり説明するから、君は先に戻って――」
「させるか!」
「させません!」
セドリックの言葉を、ジャンヌとフランソワが揃って遮る。
「耳を貸す必要はない。リディ、さあ」
「さあ、じゃない! この性悪腹黒男が!」
「お嬢様の手を離しなさーい!」
「待って! 落ち着いて! まずは落ち着いて!」
私の静止の声は、まるで届かない。
場は混迷を極め、騎士たちは呆気にとられた様子で立ち尽くす。黒マントの集団はおろおろしつつも、顔の布を剥いでいく。息苦しかったのか、彼らの顔にはちょっとした安堵が浮かんでいた。もちろん、全員フロヴェール家の使用人たちである。
――し、収集がつかない……!
もうしっちゃかめっちゃか。投げ出して逃げようにも、手はしっかりとセドリックに握られている。しかし、誰もが私を蚊帳の外で、なんやかんやと罵りあうのだ。
「この性根最悪の陰険男!」
「なんて侮辱だ! ジャンヌ、君にだけは言われたくないな! かわいげのない!」
「いいから、お嬢様から離れなさい! 旦那様がお許しになりませんよ!」
それはさながら、子供の喧嘩である。
「もう……もう……」
私の口から、震える声が絞り出される。命からがら逃げていて、騎士まで引っ張り出していて、どうしてこうなってしまうのか。
ラフォン家ともあろう者が。
聖女候補ともあろう者が。
フロヴェール家の使用人ともあろう者が!
――――大人げない!
私はぐっと唇を噛み、顔を上げた。肩を怒らせ、胸を張る。
「あなたたち」
口から出る声は低く、しかしよく通る。
「いい加減に――――」
セドリックが最初に私に振り返り、ぎょっとする。
ジャンヌが口をおさえ、フランソワが背筋をのけぞらせる。
騎士や黒マントたちさえ、口をつぐんだ。
「――――みっともない真似をやめなさい!!」
静寂の中、私の声が響き渡る。
先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。誰も身じろぎさえせずに、私へと視線を向ける。
そして――――その視線は、ゆっくりと上空に移動する。
――…………上?
天と地が最も近くなる日の、前夜祭。
空にあるのは、無数の星々だ。藍色の空に穴をあけたように、星々の光があふれ出している。
はずだった。
「――――流星」
空の星々が落ちてくる。儚い線を描いて空を滑り、消えていく。
星空が暗闇に変わる中、私は思い出した。
聖星節の前夜祭最終日。
本当のイベントは、これからだ。
地面が大きく揺れる。
地母神が目覚めたのだ。
この国を――世界を混迷に落とすために。
――――ただでさえ混迷極まっているのに!?