10
路地裏で、私はジャンヌの背中を見つけられた。
セドリックの姿はまだないようだ。ジャンヌ一人が逃げている。
――攻略対象が助けに来るのはどのタイミングだったかしら? 騎士団長のときは、もっと早かったような……。
MMルートでは、路地裏を逃げている時点で傍にいた気がする。ただ、今回のジャンヌはセドリックルート。攻略対象ごとに差異があるのは当然だ。
こんなことになるなら、ゲームをきちんとやり込んでおけばよかった。前世と今の自分は違うけど、後悔の念だけは、いつまでも頭の中にこびりついている。今さらもう、手遅れだけど。
ジャンヌが路地裏の奥へと向かう。しかし、あっちは袋小路だ。
王都に来たばかりの彼女は、町の構造に詳しくない。私だって普段、一人で町を歩くことなんてめったにないけれど――。
――たしか、先回りできる道があったはず。
勉強だけはしてきた。町の地図も頭の中にある。引きこもりで地図も読めなかった、過去の自分とは違うのだ。
〇
祭りの喧騒から離れた、家々の影。
ここまでは、祭りの灯りも届かない。空は建物にさえぎられ、星々さえも遠いように思えた。
夏でも、夜風は少し肌寒い。だというのに、私は汗をかいていた。
冷や汗だ。
路地裏には打ち捨てられた木箱が重なっている。道は狭く、人が一人通るだけで精いっぱいだ。入り組んだ裏道は、どこが袋小路に向かっているかわからない。
その狭い通路の木箱の影に、私はジャンヌと隠れていた。
いや、私がジャンヌを押し込んだと言う方が近いか。
「んー! んー!!」
私はジャンヌの口をふさぎ、暴れようとする体を押さえつけていた。
私たちのすぐ傍を、黒マントの男たちが駆け抜けていく。
「探しなさい! 必ず例の娘を捕まえなさい! これは旦那様の厳命です!!」
足音とともに聞こえた声は、意外にも女のものだった。だが、気迫は男顔負けだ。勇ましく、空気が張り詰めるような強さがある。
――――でも今の声、聞き覚えが……。
私がそう思うより早く、彼女の叱責を受けたマントの男たちの咆哮が上がる。耳を澄ませてはいられない。
私はジャンヌをおさえたまま、肩を震わせた。
ゲームとして見ていたときは、よくあるイベントとしか思わなかった。実際に体験してみて、その恐怖がよくわかる。
このままシナリオ通りに進むのなら、ジャンヌはこの後も、ずっとこんな事件を繰り返すのだ。
――ヒロインだから大丈夫、なんてはずないわ。ゲームの通りに進むなんてわからないのに。
ゲーム通りなら、私は悪役。地母神に憑依され、ジャンヌたちに追い詰められるまで死ぬはずはない。
でも、今、どうしようもなく怖い。見つかったら殺されるんじゃないかと怯えている。
ジャンヌだって同じだ。押さえつけた体から、微かな震えが伝わってくる。
足音が遠ざかってから、私はジャンヌの体を解放する。
彼女は慌てて私から離れると、木箱の影から這いだした。
「な、なにをするの……! なんでリディ……アーヌ様、あなたが!」
「なぜって? 見知った顔が追いかけられていたからよ。当たり前でしょう」
「だから私を助けたっていうの!?」
路地裏に、ジャンヌの困惑が響く。彼女の顔は渋い。複雑そうなその顔に、助かったことを喜んでいる様子は見られなかった。
――もしかして、ここって本当はセドリックが助けに入るシーンだったの?
私の存在が、イベントシーンの邪魔をしてしまったのだろうか。この状況でまだイベントを考えられる彼女は、もしかして私よりも、ずっと肝が据わっているのかもしれない。
「助けないほうが良かったのかしら?」
私は眉間にしわを寄せ、腕を組んでジャンヌを見やる。
ジャンヌは、びくりと体を震わせた。怯えさせてしまったのだろうか。そんなつもりはなかったのに。
「……そういうわけじゃないけど。ああでも、これじゃ計画が……いやでも、このイベントちょっとおかしかったし、これはこれで……? だけどそれじゃルート分岐がおかしなことに……」
「ジャンヌさん?」
「ひゃい! な、なんでしょう、リディ…………アーヌ様!」
「リディでいいわ。言いにくそうだし。私もジャンヌと呼ばせてもらうわね」
「……リディ」
ジャンヌは口元に手を当て、遠慮がちに言った。リディはゲーム内でもたびたび出ていた、リディアーヌの愛称だ。プレイヤーなら、そっちの方に馴染みがあるだろう。
私としては、呼ばれ方などどうでもよい。それより、本題だ。
「ジャンヌ、あなた、どうしてあの男たちに追われていたの?」
「………………わかりません」
私が尋ねると、ジャンヌは警戒心を残したまま、首を横に振った。
「前夜祭で、セド――連れとはぐれてしまって。一人で迷っていた時に、突然襲ってきたんです……」
ジャンヌは難しい顔で、慎重に言葉を選ぶ。隠し事をしているような口ぶりだ。
――まあ、当然ね。
ゲーム内では、そもそも私がけしかけたはずの男たちだ。本人を前にすれば、用心深くもなるだろう。
でも、私は男たちをけしかけてはいない。
だからこそ、あの男たちが謎だった。
――他の令嬢の仕業? それとも、セドリックルートでは別に犯人がいるの?
考えたところで、今の私にはわかりそうにない。明日にでも、人を遣って調べさせるべきだろう。少女が襲撃されるなんて、聖女候補として見過ごせない事件だ。
「とりあえず、今日はもう帰りなさい。一人じゃ危険だから、私が家まで送っていくわ。あなた、たしか神殿で生活しているのよね?」
ジャンヌは孤児院にいたため、王都に自分の家を持っていない。だから神官たちの暮らす、寮の様な場所で生活をしていたはずだ。
その寮は男女別の二人部屋で、ジャンヌは女装した見習い神官と相部屋だった。もちろん、この見習い神官も攻略対象だ。
攻略対象六人中、中年二人、女装一人、うち一人はマゾ兼任。今思うと、けっこうな色物ゲームだ。まっとうなセドリックに向かうのは、考えてみれば当たり前なのかもしれない。
「はい。……あ、でも大丈夫です! セドリ……連れも探さないといけないので!」
「セドリック、って言ってもいいわよ」
私はふん、と息を吐き、空を睨みながら言った。平静を保とうと顔に力を込めれば、つられて組んだ腕にも力がこもる。ぎゅっと自分の腕を握りしめる。
「セドリックと一緒に、前夜祭に来たんでしょう? 知っているわ」
「……そう、ですか」
ジャンヌは視線を落とす。二人向かい合っているのに、視線は一向に合わない。
「セドリック、優しいでしょう。……素敵な人でしょう?」
「ええ……そう、優しい。ああ、まあ、表向きはそうかあ……」
ジャンヌがうつむきながら、私にそっと視線を投げかける。
迷うような口が、ささやく。哀れみのこもった声で。
「……あの人は――セドリックは、優しいだけじゃないですよ」
言外に告げている。
ジャンヌは、私の知らないセドリックの顔を知っているのだ、と。
だが、傷ついている暇はない。
私たちは追いかけられているのだ。
「いました! あそこです!」
路地裏の奥から声がする。立ち話をし過ぎたのだ。
黒マントの男たちが私たちに気がつき、向かってくる姿が見える。
私はジャンヌの手を取ると、一目散に逃げだした。
「追いなさい! …………い、いえ、待ちなさい! 隣にいるのは――――」