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――どうしよう、セドリックがあの子と一緒にいる。
王家主催の舞踏会。気疲れをして少し休もうと、ひっそり会場を出たところで、私は自分の婚約者であるセドリックの姿を見つけてしまった。
セドリックの傍には、亜麻色の長い髪を垂らした少女が一人。セドリックの腕に白い手を回し、親しげに並んで歩いている。二人は何事か言葉を交わし、笑いあっているようだった。
彼女のことを、私は知っている。
名前はジャンヌ。平民の出自である彼女に、姓はない。
そして彼女は、私と同じく、地母神の神殿の聖女候補だ。
地母神は天を支える世界の守護神であり、神々の中で唯一、人間たちの味方をしてくれた神と言われている。地母神の加護がある限り、この国は天と地が分かたれ、魔物が栄えることはない。
その地母神の力を身に宿し、現人神として国と人のために祈るのが、聖女という存在なのだ。
聖女は神殿の最高権力者であり、この国で最も名誉な身分でもある。
たとえ候補とはいえ、選ばれるのは至難の業だ。候補に至るまでには、知性、品格、魔法力を証明するための、無数の試験がある。試験は当然有料であり、かつ、神殿権力者からの推薦が要るのだ。
すなわち、金と人脈がなければ、候補の試験すら受けられない。そのうえ、聖女試験自体が十数年に一度。十代後半から二十代前半の女性にのみ受験資格が与えられるため、運さえも味方につける必要があった。
この名誉ある地位に、候補とはいえ平民が選ばれたのは初めてのことだった。彼女はこれらの試験を受けることなく、地母神自身に見出されて候補に躍り出た、ぽっと出の異端児なのだ。
当然、他の聖女候補は、彼女を快く思ってはいない。候補となる娘はみな、一流の貴族の娘だ。平民風情が並び立つのもおこがましい、と。
女たちの恨みを買う一方で、彼女は王子や神官長、先代聖女など、気難しい大物たちを懐柔し、味方を増やしていた。
こうして王宮の舞踏会にも呼ばれ、大手を振って歩ける平民は、彼女の他にいない。嵐のように現れた彼女のことを、今やこの国で知らない人間はいない。
――――だけではない。
私はなぜか、もう少し彼女のことを知っていた。
ジャンヌは孤児だ。十歳の時、『忌まわしき流星雨』によって両親を失い、孤児院へ引き取られる。
ジャンヌは流星雨の夜に自分を助けてくれた少年を探して、この慣れない貴族社会に飛び込んだ。人々の好奇や嫌悪を受けながらも、彼女は聖女としてたくましく成長していく。
そして最終節。聖女として成長した彼女は、『忌まわしき流星雨』の真実を暴き、真の悪たる堕ちた地母神――――恋情に焼かれ、理性を失った神を、幼いころに出会った少年と共に打ち倒すのだ。
なおこの少年役は、ルートごとに正体が変わる。
たいていは攻略対象本人だけど、現在四十代の神官長や、六十代の騎士団長を選んだ場合は、少年の正体は地母神が恋した天の神だったということになる。
なにせジャンヌは十六歳。六年前では、二人はどうやっても少年にはなれないのだ。
当然、天の神も攻略できる。中年二人からのみ派生する特殊なルートで、難易度高めの隠しキャラ扱いだ。
――最終節、ルート、攻略対象、隠しキャラ……。
すらすら浮かぶ異質な知識に、私は頭をおさえた。
――私はリディ。フロヴェール伯爵家の一人娘、リディアーヌだわ。
確かめるように、私は頭で繰り返す。年は十七歳。裕福なフロヴェール伯爵家の一人娘で、幼いころから聖女となるべく教育されてきた。
母は幼いころに事故で他界。父は厳格な人間で、甘えることを知らないまま、勉強と稽古に明け暮れる日々。
友人はいないし、遊んだこともない。流行りの恋愛小説を読むことすらも許されなかったのだから、ゲーム――それも乙女ゲームなんて、もってのほかだ。
もってのほかだけど、知っている。
乙女ゲームとは、主人公の女性キャラクターを操作して、男性を攻略していく恋愛ゲームだ。ステータスを鍛えていくシミュレーション系のゲームもあれば、選択肢だけで進む述べるゲーム形式もある。
目を閉じれば、経験したことのない記憶がよみがえる。
私の今の居室とは、似ても似つかない狭く簡素な部屋の中。誰もいないその部屋のベッド上で、だらだら寝転がったまま、光る四角い魔法陣を睨む私がいる。魔法陣は板の上に描かれていて、その板にはボタンと十字キーもついている。
魔法陣にはデフォルメされた平面の男性が浮かんでいる。彼の上には、「選択肢」と呼ばれる文字が重なっていた。
選択肢は三つ。『似合っているね!』『あんまり似合っていないみたい……』『汚水に住むドブネズミみたいなセンスだね』
――最後の選択肢を選ぶな!
どう考えても地雷だろう。エンジョイ勢には攻略する気がまるでない。しかし、これが正解であるルートがあるから驚きだ。
六十代騎士団長。屈強な肉体を持つ最強の兵士は、通称マゾヒスティックマッスル。略してMM。強くなりすぎた故に責められるのが好きという、業の深いキャラクターだった。
かつて私のお気に入りキャラだった。
――信じたくないわ。
薄暗い部屋の中、妙に抽象化された平坦な絵を前にして、ネタルートをニヤニヤ遊ぶ人生のエンジョイ勢。
これがおそらくは、前世の自分なのだというから、重い気持ちにもなるものだ。
そう、私には前世の記憶がある。
ぼんやりとだけれど、幼いころからずっと私自身と共にあった、もう一つの人生の記憶。遠い昔、リディアーヌ・フロヴェールではない自分として生きて、死んでいった記憶だ。
その世界には魔法がなくて、代わりに科学と呼ばれる信仰があった。その世界の私はゲームというものが好きで、RPGから乙女ゲームまで、なんでも遊んでいた。
遊ぶだけ遊んで、クリアせずに途中で投げ出すことも多かった。不真面目で飽きっぽく、根性なし。自分も周囲も顧みない適当人生だった。最後は不摂生がたたって寝たきり生活。周りに迷惑をかけながら、若くして人生まで途中で投げ出した。
だからこそ、今生は立派に生きようと心がけた。きちんと学び、規則正しく生活し、遊びすぎも控え、両親を泣かせるようなことはしないようにしよう、と。
聖女を目指したのもその一環だ。身分があり、金があり、周囲にも期待されていた。だからこそ、私は応えようと努力し続け、ついに聖女候補にまで上り詰めたのだ。
――――なのに。
ジャンヌに出会い、思い出してしまった。
前世の記憶の、さらに詳細な部分。
前世で遊んだ乙女ゲームの一つ。『聖贄少女と流星の記憶』と呼ばれる、この世界にそっくりなゲームを。
自分が、ゲームの主人公であるジャンヌをいじめ抜き、いずれは破滅する悪役であることを。