8.
その日は、早めに布団に入った。眠れないような気がしていたけど、なんだか体だけは疲れて早く横になりたかった。
少しだけ眠った。
怖い夢を見た気がする。内容は全く思い出せない。夢の中ですら安定感はなく、誰かに追われていた気がする。もしかしたらその怖い夢のせいで、目が覚めてしまったのかもしれない。
ふと横を見ると、暗闇の中で携帯が七色に点滅している。
手を伸ばして確認してみると、みさとちゃんからのメールが届いていた。私はずっと彼女からの電話もメールも無視し続けていた。
ため息をついて、メール画面を開く。
[何かしちゃったなら謝るから、無視しないで。みさとのこと嫌いにならないで]
読んでいて恥ずかしいくらい、子供染みた文面だった。
幼いときからそこだけは何も変わらない。彼女は、男に執着しないけれど私にだけは……。
昔食べた棒付きアイスのことを思い出した。
みさとちゃんは運がいいのか、よく棒付きアイスの当たりくじに当たる子だった。当たりが出たら、当然またもう一本同じアイスがもらえる。
「いいなー。みさとちゃんはホントに運がいいね」
私がそう言って、みさとちゃんを見ると、
「あげるよ。だから、みさとのこと嫌いにならないで」
といつも泣き出しそうな顔で、アイスの当たり棒を私の前に差し出した。
私は子供ながら、なんで頼みもしないのにくれるのだろう。例えくれなくても、そんなことで嫌うわけがない。なんだか変な子だなぁとぼんやりと思っていた。
『遠山さんあげるよ。だから、みさとのこと嫌いにならないで』
みさとちゃんの声が聞こえた気がした。
イライラした。
メールの返事はしなかった。
私は欲しいなんて今まで一度も、一言だって言ってない。アイスの棒も、当然遠山さんのことも。
土日は何もせず、無気力状態のまま時間だけが過ぎていった。
月曜の朝、重い足取りで学校へと向かう。
「三田さん、おはよう」
先に来ていた前の席の三田さんに声を掛ける。
三田さんは不自然なくらい肩を震わせて、ゆっくりと振り返る。
「あ、おはようございます」
彼女は言った。
私は三田さんのこういうところが嫌いだ。
最初は、怖がりなのかなとか、緊張してしまう性格なのかなと思い、微笑ましい気持ちで見ていた。
けれど、近頃はいつ声を掛けたって他人行儀で、その拒絶とも取れる反応に、私自身が人ではなく何か怖い得体の知れないものになった気がして、また、三田さんがわざとそうした反応をしているのではないかという疑惑が生まれて、そうされる度に彼女を冷たい侮蔑のこもった目で見てしまう。
当然、後ろから声を掛けたせいではない。どう声を掛けたって彼女の肩は激しく上下に動いた。
それでも、彼女と私はこのクラスで仲がいい方だ。一緒にお弁当を食べたり、教室移動したりする。
なんて浅い人間関係……。
これで友達。拒絶され、こちらは侮蔑しながら。
私はため息をついて、窓の外に視線を移す。
外はどんよりと曇り空。
優しくないな……と思った。私は誰に対しても、そして誰よりも優しくない。三田さんにも、私に好意を寄せてくれたあの先輩にも、みさとちゃんにも、遠山さんにも。
いつだってとげとげとしていて、ちっとも温かくなれない。そんな自分が嫌だと思う。
他人を傷つけるのだから、自分も傷つくのだ。それこそ、自業自得。
私は両手で顔を覆って、そのまま机に顔を伏せる。
「若宮さん、大丈夫ですか? 具合悪いなら、一緒に保健室に行きますか?」
顔を上げると、三田さんの心配そうな顔があった。
ああ、それでも、彼女のこの優しさは本物だと思う。
「ごめんね」
それは、素直に出て来た言葉だった。
「え?」
「大丈夫だから。……ごめんね」
私はもう一度言った。
三田さんは安心したように微笑む。
ふと、シエロとセージのことが心配になった。
喫茶店では聞くこともなかった。あれからどうしただろうか……。
今日は帰りにスーパーで人参を買って、遠山さんの家に行ってみようと思った。