7.
書店のすぐ近くにレトロな看板が出ている喫茶店がある。遠山さんは迷いなくそこに向かった。
結構利用する通りなのに、こんなところにお洒落な喫茶店があるなんて、今まで全く気付かなかった。
扉を開く。カランコロンという音さえノスタルジック。温かい気持ちになる。
たまには外でお茶するのも悪くない。さっきのOL達とのやり取りが嘘のようだ。
それは、夢の中で怖い場所から居心地の良い別世界に逃げ延びられた感覚と似ている。なんだか、異次元の避難所……みたいな雰囲気のある喫茶店だった。
先に入った私がボーっと立っていると、マスターらしき人が、
「お好きな席へどうぞ」
と声を掛けてきた。
カウンター席にお客さんは一人だけ。
窓側のテーブル席に座る。当然、遠山さんは私の向かいに座った。
置いてある砂糖壺の中のスプーンは金色で、上には猫のモチーフが付いていた。とてもかわいらしい。
本当に良い雰囲気のお店だなと思った。オレンジの照明もあたたかくて良いし、何だか初めてとは思えないほど、この薄暗さが馴染んで気持ちが落ち着く。
「紅茶にする?」
と遠山さんが私に聞いた。
メニューを見ずに、温かいミルクティーに決める。遠山さんはコーヒーを注文した。
私はコーヒーが飲めない。
正確には飲めないわけではなく、ましてや嫌いなわけでもないのだけれど、飲むと何故だかどうしてもお腹が緩くなってしまうから、外では絶対に飲まないようにしている。
それは本格的な炭焼コーヒーの飴でも駄目なくらい敏感な割に、カフェオレやコーヒー牛乳なら全く平気で、自分のお腹がどうなっているのか自分でもよく分からない。
乳製品が中和してくれるのだろうか。多分カフェインの割合で、勝敗が決まるのだと思う。
試したことはないけれど、コーヒー八、牛乳ニくらいの割合でも、牛乳が入っていればギリギリ勝てるだろうと推測する。
ちなみにカフェイン中毒とか、一度なってみたい。馬鹿馬鹿しい理由だけど、なんだか響きが潔くて格好いいから。
初めて遠山さんの自宅にお邪魔したとき、全て省いて、ただ「コーヒーが飲めない」とだけ言った。だから多分彼は、私がコーヒー嫌いだと理解して、いつも私に紅茶を出してくれるのだと思う。
面倒だしお腹が緩くなる話なんて格好悪いから、コーヒー嫌いを今更訂正する気はなく、もうそれでいいと思っている。
「防御本能あったんですね」
私は思わず失礼なことを言ってしまう。
「え?」
「さっきの逆ナン」
「ああ」
「遠山さんってフワフワしてるから、断りきれずにどこかに連れ込まれちゃうかと思いましたよ」
「ひどいなぁ。フワフワしているように見えるかな。いい歳の大人だよ」
「よく知りもしない女子高生、ほぼ初対面で家に上げてみたり」
遠山さんはしばらく考えていたけれど、分かった途端、優しい顔になって言った。
「君はみさとさんの幼馴染じゃない」
『みさとさん』の?
何故そんなに、あのみさとちゃんに絶対的な信頼を寄せるのか理解できない。みさとちゃんは、自分勝手でいつだってあなたを裏切っていた人なのに。
何股もかけられて、騙されていたって気付きもしないで、優しい顔でみさとちゃんの名前を呼ばないで欲しい。
やっぱり、どう考えたって遠山さんはフワフワしているし、ずれている。
マスターが注文した飲み物を運んできた。
私、遠山さんの順番でテーブルに置く。
私は砂糖壺を手前に移動させて、
「何杯入れますか?」
と遠山さんに聞いた。
「じゃあ、一杯」
私は遠山さんのコーヒーに、猫のスプーンで山盛り一杯、黒のザラメ砂糖を入れた。
それからお皿にのってきたシンプルなクローバーのスプーンに持ち替えて、かき混ぜた。猫のスプーンは小さいから山盛りでもほんの少量だ。
自分の紅茶に砂糖を入れながら、ふと、この間のラブレターの話をしてみようかと思った。
「同性からの告白ってどう思いますか?」
なんて切り出していいか分からなくて、いきなり核心を突いた質問をしてしまった。
遠山さんは驚いた顔もせず、しばらく考えてから、
「勇気があると思うよ」
と答えた。
「どうして?」
私はすぐに聞き返す。
「普通、同性を好きだという自分の気持ちを認めたくないんじゃないかな。自分が同性愛者だと自覚できている人は、それだけで勇気があると思うよ。その上、拒絶される可能性が高いのに気持ちを伝えようなんて、僕から見たら尊敬に値するよ」
尊敬……。私にはそんな発想無かった。
勇気ある人に対して、私は酷い仕打ちをしてしまったのではないだろうか。結局自分のことしか考えず、シミュレーションなんかして、どこかふざけた気持ちであの場に臨んだような気がする。面倒だと思って、適当に避けて終わらせてしまっただけかもしれない。
あの時の罪悪感が甦る。
挙句の果てに、手紙を突き返すなんて、今になって考えてみたら、なんて失礼な行為をしてしまったのだろう。
相手を深く傷つける行い……。
ラブレターは履歴書なんかじゃない。駄目だったから返して欲しいなんて思うわけもない。
そんなことしなければよかった。
今更だけど、本当に胸が苦しくなった。
「遠山さんは、同性愛者からの気持ちに応えられますか?」
私は、そんなことを聞いても仕方がないと思いながらも、つい馬鹿げた質問をしてしまっていた。
「僕は女性しか愛せないよ」
至って普通の答えが返ってきた。
それから遠山さんは何も言わないし、何も聞かなかった。黙ってコーヒーを飲み続けた。
帰り際に「また家に遊びにおいで」とだけ言ってくれたので、私は丁寧にお礼を言って別れた。