6.
週末になり、ずっとこのままの気持ちで居ても良くないし、気分転換になるかもしれないと思い、学校帰りに本屋に立ち寄ることにした。
二階建ての大きな有名書店。学校から遠いということもあり、来ても月に三回程度。自宅近くにもう少し小さい書店があるので、普段はそちらに行くことの方が多い。
帰りの時間帯のせいか雑誌のコーナーは立ち読みの人で埋め尽くされていた。
こんなに広い書店なのに、その場所だけまるでバリケードが張られているかのようだ。
そこに割って入り、ファッション誌などを手に取る気分になれず、なんとなく私は人の少ないコーナーへと移動する。
ふと視線を移すと、遠山さんに似た人が奥に見えた。見間違いかもしれないと思いながら、ゆっくりと近づく。
そこは専門書の建築のコーナー。彼に間違いないと確信する。
彼から建築関係の仕事をしているのは聞いていたし、よく見ると着ているストライプのシャツにも見覚えがあった。きっと仕事の資料を買いに来たのだろう。
ただ、彼は一人ではなく、三人の若い女性に囲まれていた。
若いといっても学生には見えない。仕事帰りのOLだろうか。
私は咄嗟に、そこからは見えない通路の本棚の陰に隠れた。
立ち聞きなんて悪いと思ったけれど、どうしても気になって耳を澄ましてしまう。建築のコーナーは静かで、彼女たちの声は大きく聞き取りやすい。
「だからぁ、飲みに行きましょうよぉ。あたしたち奢りますからぁ」
「お兄さん、すっごいチヅのタイプなんですぅ。とりあえずちょっとだけ、お話しませんかぁ」
交互に迫るOL達。甘えたような声を聞いていると、なんだか気分が悪くなってくる。
こんなに甘ったるい作り物のような声を出すOLって、実在するのだと驚いてしまう。まるでドラマでも見ているみたいだ。
でも、何故だか遠山さんが返事をしている様子はない。
「彼女、居るんですかぁ?」
「居たって、チヅは気にしないじゃん。ホント、魔性の女だよ」
「そういうこと言わないでよぉ」
「っていうか、私も彼、タイプなんですけど。大体チヅは彼氏居るんだから、少しは遠慮してよ」
一番おとなしそうに見えた人まで、容赦なく笑いながら参戦してくる。
「やだよ。チヅ、今の彼氏と別れたっていいもん。お兄さん、私達の中で誰が一番好みですかぁ?」
「お名前なんて言うんですかぁ?」
恐ろしいくらいの質問攻めだ。
見つからないよう隠れながら近づいてみると、彼女達が遠山さんの腕をべたべたと触っているのが見えた。それはもうすでに酔っているのではないかと思うくらい強引で、とても馴れ馴れしい。
遠山さんは難しい顔で考え込んでいる。
「行きましょうよぉ」
一番おとなしそうだった人が、遠山さんをお店の外へ連れ出そうと腕を引っ張る。
彼は表情を崩さず、未だ無言のままだ。
一体、何を考えているのだろう。
「お兄ちゃん、待たせてごめんね」
私は思わず、わざとらしいセリフとともに遠山さんの前に飛び出していた。
突然現れた私に、遠山さんは一瞬だけ驚いた顔をしたけれど、
「奇遇だね、空美ちゃん」
と笑って言った。
「……いいんだよ。妹のフリなんかしなくて」
近づいて来て、優しく私に寄り添った。
スーパーで再会してから、もう何度呼ばれたことか。
私の名前は空美という。陽気な母は歌が好きで、その名は音符のソラミをイメージして付けられた。
母は今でも事あるごとに「いい名前でしょ。響きが素晴らしくて」と言ってくる。聞くところによれば、ソラミとミソラ、どちらにしようか最後まで悩んだらしい。
「彼女、空美ちゃん。可愛いでしょ。僕、ロリコンなので君たちに興味ないのです。ごめんなさい」
遠山さんはしれっとした顔で、迷いなく流暢に言ってのけた。
ロリコン……。
私は驚きながらも、頭の一部は冷静で、まんざらそれも嘘ではないなと思ってしまった。だってこの間まで、実際十ぐらい年下のみさとちゃんと付き合っていたわけだし。
彼女達は驚いて、「キャー」とか「ええ?」とか奇声を発し、当然私に疑いの目を向けてきたけれど、最終的にはあきらめて去っていった。
彼女達の気配が完全に消えた後、遠山さんは深く深く息を吐いた。
「逃げて行ってしまったね。やっぱり、ロリコンは罪なのかな」
独り言のようにポツリと言う。
それから私に向き直り、
「ごめんね。でも、ホントに良いところに来てくれたね。同性愛者とロリコンとどっちを言ってみようか、迷ってたところだよ。あ、セーラー服フェチとかでも良かったかな?」
と惚けている人の如く、あからさまに視線を逸らして言った。
彼女達の影響なのか、どうも芝居がかっている。
同性愛者と聞いて『折原夏帆』さんの姿が脳裏に浮かび、一瞬動悸が早くなる。
「お茶でも奢るよ。危ないロリコン男の彼女役をさせてしまったお詫びに」
彼は、今度はしっかりと私の目を見て、申し訳なさそうに言った。
どういうわけか、嫌な感情が湧き出しそうだったけれど、気付かないフリをして笑った。