4.
「セージ、おいで」
私はセージをゲージから出して、腕に抱く。
セージは焦げ茶色のオスのウサギだ。確かにいつもより元気がないように見える。
体を撫でてみるが反応が薄い。
「シエロ」
呼びかけたゲージに残っているシエロの頰に触れる。
シエロはセージと対照的で、真っ白いメスのウサギ。
反応はするものの、シエロまで心なしか元気がないようだ。
「なんだか、シエロまで元気がないみたい……」
私は、少し離れたところに立つ遠山さんに話しかける。
「多分、セージの元気がないせいだよ。シエロもセージが心配なんだろうね」
「病院には連れて行きましたか?」
「いや。……でもあまりにもこのままの状態が続くようなら、連れて行こうかと思ってる。二匹とも飼って七年くらいになるから、結構歳をとっているしね。食欲もないし、もしかしたら老衰の症状かもしれない」
ウサギは大体平均してだけど、七、八歳までしか生きられない。
私はゆっくりと一撫でして、セージをゲージに戻す。
「今日は、もう帰ります」
「車で送って行こうか?」
私は首を横に振った。
遠山さんはカーテンを少しだけ開けて、外を確認する。
「相変わらず雨脚、強いよ。薄暗くなってきたし、遠慮しないで。送って行くよ」
彼が心配そうに言う。彼から見たら、きっと私はほんの子供なのだ。
「大丈夫です。セージとシエロの側に居てあげてください。部活やっている子なんて、もっと遅いし、例え雨に濡れても風邪なんてひきません。頑丈ですから」
私はきっぱりと断る。
彼氏でもない遠山さんから、そんな好意は受けられない。
私が一方的に押しかける関係が丁度いい。
「そう……。気を付けて」
遠山さんは少し残念そうに言った。
決して無理強いをしない人だ。
「また、来ます」
私は笑って、彼の家を後にした。
一歩マンションを出たら、雨音が煩くて急に現実に引き戻された気がする。
足早に自宅へ向かう。唯一、風が弱まっているのが救いだった。
何故だか遠山さんの雰囲気が、私を追ってきていると感じた。
追ってきているのではなく、捕らえられているのかもしれない。
遠山さんを覆っている薄い淋しさの膜みたいなものが、肩や背中に張り付いて離れないまま、黙々と歩き続けた。
疲れていたのだろう。
自宅に戻り、お風呂に入ると、うとうとと眠くなった。
遠山さんの膜は、お湯に少しずつ溶けていくようだった。
彼自身の芯は冷え切っているのに、それでも他人に優しくしようとする異様な感じ。異様だけれど、別に不快な訳ではない。
無理をしていたとしても、彼の優しさは偽りではないと思うから。
それは、例えるならアイスクリームが乗ったパンケーキみたいなものかもしれない。
冷たさと温かさ。相反するものの、絶妙なバランス。
遠山さんの危ういバランスが崩れてしまわないように願いながら、私は眠りについた。
翌日は快晴だった。
光の強さは気分まで明るくする。
……なんて眩しい。
見上げると、輪郭のくっきりとした綿雲が、青空にいくつも浮かんでいる。
それでも、午後の授業の体育に校庭を走らされることはないだろう。何時間かのうちに、校庭の大きな水溜りが消えてなくなるなんてありえない。
さすがに昨日の遠山さんの淋しさは消えていた。
昇降口の下駄箱に手紙が入っていた。
今時、ずいぶん古風な真似をする人がいるものだと吃驚する。
封筒の表には丁寧な手書きの文字で、きちんと私のフルネームが書かれていた。
送り主を確認しようと封筒を返すと、『折原夏帆』と女性の名前が書かれてあった。
ラブレターではないようだ。
私はその手紙を鞄にしまい、教室へと向かう。
『折原夏帆』
綺麗な響き……。
聞いたことのない名前だった。
自分の席に着くなり、少し緊張しながら、早速手紙を読み始めた。