3.
「遠山さん。みさとちゃんのどこが好きだったんですか?」
私は冷めかけの紅茶を一口飲み、思い切って聞いてみた。
「え? さあ? まだ好きになる途中だったからね」
笑った顔が痛々しかった。
ああ……この人は……。
私は大きく息を吐き出す。なんて惚けた返事だろう。
「それっておかしいですよ。普通、好きになってから付き合うものですよ」
私は大人びた口調で返した。
「好きになれると思ったんだよ。淋しそうで、可愛かったしね。結局、僕では力不足で振られちゃったんだけど」
淋しそうなのは、あなたです。
私はそう言いたかった。
実際のところは、ただの誠実な男というわけではないのだろう。彼は天然で、世間一般からは、かなりずれている。
それでもこの薄汚れた世界で、綺麗な心を持っている人なのだと信じてみたくなる。
「遠山さん、シエロとセージは元気ですか?」
私は話題を変えた。
「最近セージ、元気がないんだよ」
彼はウサギを二匹飼っている。
不思議な話だが、彼がウサギを飼っていなければ、私がこうして彼の家に上がりこむ関係にまで至らなかったと思う。
二人が別れた後、しばらくして偶然近所のスーパーで彼に再会した私は、彼が声を掛けてくれるまで全く気付かなかった。
彼の方は、一度しか会ったことのない私の顔を、良く覚えていたものだと思う。
そして、覚えているだけでも驚きだというのに、彼は私を「みさとさんの……」とは言わなかった。
その時突然、最初から自分の友達のように、親しみを込めて私の名前を呼んだ。
何故か嫌な感じはしなかった。
思い出して、「みさとちゃんの……」と先に彼女の名前を出したのは私のほうだった。
遠山さんは買い物袋一つを腕に引っ掛け、両手でダンボールに入った野菜のくずを持っていた。
私がじっとダンボールを見つめていると、少し笑って、
「ウサギを飼っているんだよ。ここのスーパーの店長と知り合いでね」
と言った。
そうじゃないかと思ってはいたけれど、鳥かもしれないと考えているところだった。先に答えを言われてしまったのがなんだか悔しくて、
「私も、昔飼っていました。でも、死んでしまったとき、あまりにも泣いて塞ぎこんだら、それ以来家族から動物を飼うことを許してもらえなくなりました」
と抑揚のない声で淡々と返した。
瞬間、飼っていたウサギの姿がくっきりと頭に浮かんだ。右の目の周りが茶色い、ぶちの可愛いウサギだった。
飼っていたウサギが死んでしまったのは、もう七年も前の話だ。
「そう」
彼もそっけなく返事をした。
「良かったらウサギ、見においでよ。ここから僕の家、近いから」
遠山さんは、自宅に私を誘った。
その時、彼の中で二度と動物を飼うことを許されない私に対して、同情めいた気持ちが生まれたのかもしれない。
哀れまれているのは嫌だったけれど、躊躇うことはなかった。
一人暮らしの男性の家……。
みさとちゃんと別れた経緯を思い出して安全だと悟ったからでも、どうしてもそんなにまで頑なにウサギを見たいと思ったわけでもないのに、自然と私は頷いていた。
今考えてみると、ただこの時の彼の雰囲気だけが気になって、後を追ったような気がする。
彼は笑っていても、何故かいつも淋しそうに見える人だから。
どうしてそんなに痛々しいのだろう。
それはいつだって、思い切って泣いて欲しいくらい。何かに縋り付いてでも、みっともなくても構わないから、堂々と全てを曝け出して泣いて欲しいと、そう思えるくらい。
私より大分年上の人だというのに、なんでそんな風に思えるのか自分でも分からない。何の根拠もないのに、何でそんな風に思ってしまうのか、何度考えたって分かるものではない。
遠山さんにはなんだか穴が空いているのだと、そう感じる。
その日から、今の不思議な関係が始まった。
ウサギに会いに来ている……と遠山さんは今でも思っているだろう。
それ以外に、私が彼のマンションに通う理由なんてないのだから。