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13.

 翌日の日曜。

 よく眠れなくて、頭がぼんやりとしている。体も重い。

 それでも、必死で私はみさとちゃんの家に向かっていた。


 みさとちゃんの家は自宅から歩いて十分程の場所にある。

 いつも二人で行き来した道。様々なことが思い出された。

 そうだった……。子供の頃のみさとちゃんは本当に引っ込み思案で、いつも私の後ろに隠れていた。だから、男の子に近付こうともしなかった。

 それから、アイスの当たり棒を差し出して言うお決まりのセリフ。

「みさとのこと嫌いにならないで」


 ずっとみさとちゃんは変わってしまったのだと思い込んでいたけど、もしかしたら遠山さんの言うように、あの頃から何一つ変わっていないのかもしれない。

 彼女は私を……。

 放置されて、当たり棒を握ったまま、馬鹿みたいに私を待っている。なんだかそんな気がする。



 懐かしい電子音。みさとちゃんの家のチャイムを聞くのも久しぶりだ。

 玄関前の花壇には昔と変わらず、色取り取りの綺麗な花が植えてある。

 少しして、玄関のドアが開いた。

 みさとちゃんのお母さんに会うのも久しぶりだった。


「……空美ちゃん、お久しぶり。みさと、部屋に居るからどうぞ入って」

 おばさんはそう言って笑った。けれど、その笑顔と裏腹に、何故か声は疲れて聞こえる。

「すみません。おじゃまします」

 私はお辞儀をして家に上がった。


 階段を上がり、勝手にみさとちゃんの部屋までいくと、急にみさとちゃんが飛びついてきた。

 玄関でのやり取りを聞いていたのだろうか。


「もう会えないかと思った」

 彼女はそう言った。


 みさとちゃんは、寝癖がついたままの髪の毛で、薄汚れたようなゆるいパジャマを着ている。部屋に閉じこもっていたのが一目瞭然だ。

 よく見ると眼鏡越しの目は腫れていて、眉毛の形もおかしかった。その上、肌も唇もガサガサに荒れている。

 美貌なんて、少しも感じられない。魔性の女の見る影もない。


「聞きたいことがあって来たんだ」

 私は言った。


「うん……。こっちに座って」

 みさとちゃんがそっと私の手を引く。

 促がされるまま、彼女の部屋の小さいテーブルに向かい合って座った。



「みさとちゃん、私に嘘ついてない?」

 私はそう聞いた。


「空美ちゃんに……嘘ついたことなんてない」

「じゃあ、自分に嘘ついてない?」

 更に追及すると、彼女は下を向いて黙り込む。



「例え望んでしたことではないにしても、私、誰とでも寝るような人間、大嫌い」

 私ははっきりと言った。

 みさとちゃんは項垂れている。長い髪のせいで、表情は全く見えない。


「そういう汚い行為やめないんだったら、もうみさとちゃんとは絶交する」

 わざと子供のような言い方をした。

 いつの間にか、みさとちゃんの肩は震えていた。


「……空美ちゃん……怒ってるの?」

 そう聞き返す声も震えている。

「そうだね。怒ってる」

 私は口調を強めた。


「みさと、もうしない。空美ちゃんがやめてって言うなら、もう絶対に」

 それから、一呼吸置いて、

「……嬉しい。嬉しい。嬉しい」

とみさとちゃんは何度も繰り返し、泣いた。

 怒られているのに、嬉しいという気持ち、今なら理解できる気がする。

 遠山さんが泣いてくれたら嬉しいのにと思う気持ちに似ている。

 彼が見ていたみさとちゃんが、きっと正しかった。

 私は今まで、偽りの彼女を見ていたのだ。


 それから、おばさんが作ったクッキーやケーキを二人で食べた。とても懐かしい味だった。

 さっきは汚いと思ったみさとちゃんの顔はやっぱり整っていて、笑った顔はとても可愛かった。

 私にばかり執着するみさとちゃんを、いつかどうにかしないといけないのかもしれないけれど、今は一緒に笑ってあげたいと思う。嘘のない、美しいみさとちゃんと。

 そうして、ゆっくりと彼女に向き合っていきたいと思った。




 二、三日、雨が降り続いて、その間少しだけ気持ちの整理ができたように思う。

 遠山さんと話してから一週間が経っていた。

 私は思い切って彼に会いに行くことにした。

 あの日聞いたウサギの話は、遠い夢のように思えていた。





 遠山さんは、消えていた。

 マンションの表札は外され、部屋の中に人の気配がなかった。


 ああ……と思った。

 全身の力が抜けた。何度も通ったマンションだけど、全く知らない場所に思えた。

 単純に、置いていかれたと感じた。

 私がみさとちゃんを置き去りにしたように、今度は私を……。


 穴を塞げないまま、消えてしまった。

 どうしても、彼の穴を塞ぎたかった。

 彼のことを何も知らないのに、私はいつの間にか遠山さんの暗い穴に入って、死んだって構わないとさえ思っていた。彼の寂しさが埋まるのなら。

 遠山さんの一部になって、一つになりたい。それは、彼がシエロとセージを食べた気持ちと違わない気がする。彼のことを食べることはできないけれど、やっぱり私も壊れているのだと思った。


「待ってるよ」

 最後の遠山さんの言葉が胸に響く。


「嘘つき」

 呟くと、涙が流れた。


 その時、ようやく分かった。

 ただ、私は遠山さんのことが好きだ、と。

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