1.
なんて憂鬱なんだろうと思った。窓際から見える風景は何もかもが黒ずんでいる。退屈な授業より、いつまでも降り続ける激しい雨が気になり、私は窓から目を離すことが出来ずにいる。
今日は、絶対に遠山さんに会うと決めていた。彼とはもう十日も会っていない。
授業が終わると真っ直ぐに昇降口へ向かい、青と黄色の二色の傘を勢いよく広げて外へと飛び出す。
スカートやソックスに泥が跳ね返ろうとも、決して速度は緩めない。
鬱陶しく髪が舞う。
思っていたよりもずっと風は強く、傘の柄を持つ右手に力が篭る。
不安定な心。風の激しさに内側から掻き乱され、何かを抉り取られそうで嫌になる。
ただ前へ進みたいだけなのに、圧倒的な力を持つ見えない敵と戦っている、そんな気分……。
遠山さんは、私の彼氏ではない。幼馴染の元カレで、私は彼の携帯番号もメルアドも知らない。
でも、今向かっているのは彼の家。
とても不自然な関係だと思う。
校門を出て二十分、彼の住むマンションは近いようで遠い。もっともそう感じてしまうのは、私に体力がないせいかもしれない。
いつものようにインターフォンのチャイムを押すと、誰かも確認せずに遠山さんは勢いよくドアを開けた。
クリーム色の扉は重そうに見えて、ギーという音がうるさいのだけれど、いつだって不思議と滑らかな動きだ。
「雨、凄いね」
彼は左手にタオルを持っていた。
私のセミロングの髪は頰や額に張り付いて、毛先からはぽたぽたと濁った滴が落ちていた。雨の粒は塵が混じっているせいか、透明ではなく、綺麗なものだと感じられない。
傘は殆ど役には立たなかった。
黙ってタオルを受け取る。タオルからは洗剤だか柔軟剤だか、微かに花のような匂いがした。
私が来ることを予測して待ち構えていたのだろうか。
例え私じゃなくて、宅配のお兄さんだったとしても、彼は笑ってタオルを差し出すだろう。
気が利きすぎていて恐いくらいだ。きっと、この世に悪人が存在することを考えもしていない。
一人暮らしをしている彼は、数多にある新聞の勧誘、その他諸々のセールスを断ることができるのだろうか。
昔風の黒いサングラスを掛けた押し売り(今時無いかもしれない)が、遠山さんに迫ってくる姿なんかを想像して心配になってしまう。
ずぶ濡れで、勝手な想像をしている私は、客観的に見たら少し変かもしれない。
遠山さんが他人の頭を覗ける人じゃなくて良かった。出来れば、変わった子だなんて思われたくはないから。
みさとちゃんは、彼の顔が好きだと言った。
『みさとちゃん』は、私の幼馴染で遠山さんの元カノの名前。
当時、彼が自分の好きな芸能人の誰だかによく似ていると騒いでいて、紹介されたときも、そのことを真っ先に説明してきた。
きっと、それが彼女にとって一番重要なことだったのだろう。私はその芸能人を全く知らず、今となっては名前の一文字すら思い出せない。
どうしても思い出したいときにやってみる、ゆっくりと『あ』から順に五十音を思い浮かべて、何か頭に引っかかってこないかで無理に思い出す、もの凄く時間のかかる方法も試したけれど成果はなかった。自分でも芸能人にあまりに疎すぎると思う。
彼の顔なんてたいして関心はない。
私はただ、彼の持つ雰囲気がなんとなく気になる。取り残されたような現実感のない、独特の雰囲気が。
笑っていたって、彼は。
最初に出会ったときから、今も印象は変わっていない。
笑っていたって。
それは想像力豊かな、私の思い過ごしなのだろうか。