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11 ほっぺでいいの?

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 楓が珍しく学校を欠席した日、僕は昼休みの時間が来るのが待ち通しような、気恥ずかしいようなもどかしさで午前を過ごした。数学の授業はロクに頭に入らなかった。昼休みの時間になって、僕は片手に弁当を持って岬に声を掛ける。

「とりあえず行きましょか」僕は言った。

「うん、とりあえず」岬は言うと、そそくさと支度をして席を立ち教室を出ていく。僕はその後を少し遅れて出る。他のクラスメートが見てないといいけど、と僕は思う。教室を出てすぐの廊下で僕らは合流し、例の漂流教室へ行って二人で弁当を広げた。岬は言葉数が少なく、僕はそのせいで妙に意識して会話し辛かった。不本意だが、楓の話を持ち出すことにした。

「楓が休むなんて珍しいな」僕は言う。「二学期以降は一度も休んでなかったけど」

「ね。風邪ひいちゃったのかな。最近寒いし」岬は言う。

 僕は岬の不安を察して、先回りをする。

「こないだ教室のベランダで楓と話し込んでた事を気にしてる?本当に楓とはなんでもないよ」

 岬は一瞬顔を上げて、記憶を辿るように僕のつむじの上あたりを眺め、それから僕の目を見てかすかに微笑んだ。

「そっか、こないだ二人で話してたね。きっとそれが原因だよ。ベランダ寒いから」

「まさか、楓は慣れてるはずだよ。毎朝じゃないにしろ、しょっちゅう早朝のベランダにいるんだし」

「この間は何を話していたの?」

岬は言った。今日に限って岬の弁当は質素で、特に美味しくもなさそうに箸を動かしている。

「楓に誕生日プレゼントを自慢したんだ」僕は言う。

「ふうん?」岬は言って、微笑んだまま黙ってしまう。

「岬は楓とは最近どうですか」僕はいたずらを仕込むような声で岬に言う。

 岬は印のように頬を緩ませて、むん、と鼻を鳴らした。僕は後に続く言葉を期待したが、岬は何も言わなかった。一人の世界に没頭するように、頬を若干紅潮させて弁当を食べ続けている。僕は岬の表情に胸中をざわめかせながら、黙って食事を続けた。

 お互いに弁当を食べ終わって、岬は僕に声を掛けた。僕は触っていたスマートフォンをポケットに入れた。

「智生くん、放課後さ、時間いい?」


 放課後、僕らは図書室に集合した。岬は僕を促すと、すぐに図書室を出て、僕の先を歩いて行った。僕らはずいぶん長い時間歩いた。校舎の中を歩き、渡り廊下を歩き、中庭を歩き、職員向けの駐車場を歩いた。途中、岬が自販機で温かいお茶を買ったので、僕もコーンポタージュを買った。特に飲みたくもなかったけれど、外は寒かったし、何となく間が持たなかった。歩いている間じゅう、昼に岬が見せた淡い微笑みと、むん、と鼻を鳴らした声が脳内に繰り返し現れた。いつもなら呆れるくらいのろけ話を聞かされるのに、岬は楓の話をしなかったのだ。

岬は用務員室の近くで歩くのを止めて、あたりを見回した。周りに人影はいない。岬は人影のいない場所を探して歩き回っていたのだろうか。用具入れに背中を預け、僕と岬は並んで同じ方向を見ていた。目の前には冬のグラウンドが無人のまま広っている。

「ねぇ、智生くん」

 岬は言った。改まった声だった。何らかの宣告がなされようとしている。不吉な予感に肺の空気がざわめいた。

「なんでしょう」僕は言う。

「智生くんと私は友達だよね」岬は言う。

「一応ね」僕は言う。何て残酷な事を聞くのだろう。

「友達だって言って。楓くんに対してしたみたいに、付き合うのはないよ、ないないって言って」

 岬の声はふてくされたような、不満げなトーンだった。それが表面だけのポーズである事ことぐらい、僕にだって分かる。僕は黙っている。岬に対して怯えていたし、苛立ってもいた。不吉な予感が確信へ変わっていく。岬と楓と何かがあったのだ。それも、かなりの決定的なところまで。

僕が爪先で土を払いながら黙っていると、岬は声のトーンを淡い懇願に変えて言った。

「決して智生くんの事を遠ざけたいわけじゃないの」言葉を喉から絞り出すのが辛いような、罪悪感に満ちた声だった。「楓くんの次に仲良くしていたい人なんだよ。恋人にはなれないけど、大切な友達だし、ずっと仲良くして欲しい」

 僕はうつむいて黙っている。頬が紅潮していくのが分かる。岬はこっちを真っ直ぐ見ている。何も言わなくたって、僕が喜んでいるのが伝わってしまうだろう。岬に必要とされて嬉しくないわけがない。友達であるという立場が辛いだけだ。

「僕は岬を悲しませたくない。それだけだよ」僕は言う。

「私だって、本当は智生くんに悲しい思いをして欲しくないよ」岬は言う。

「じゃあこの話は終わりにしよう」僕は言う。

 岬はうつむいて黙り込んでしまう。何かを言わなくてはいけないけれど、胸にわだかまる感情が邪魔をして言い出しかねているように見える。言いたいことがあるなら、早く言えばいいんだ。気遣えば気遣うほど、僕を傷つけることぐらい岬だって分かるはずだ。

「友達としてできる事があれば、何でもするから言ってね」

 それが、岬が絞り出して選んだ言葉だった。核心に触れる勇気がないのだろう。僕は岬に失望したし、自分でも驚くほど不満が溜まるのが分かった。

 長い時間、互いに黙っていた。僕は口をついて出た言葉に任せた。

「キスしてほしい」

 僕は言った。

 岬は、ふへっ、と息を漏らした。驚きと恥ずかしさに満ちた一瞬の息遣いだった。

 言った瞬間から、これで終わりだという確信が背筋に走った。高価なガラスの花瓶を床にたたきつけるように、確信は胸中に舞って広がった。

 岬が隣でこちらを凝視している気配がする。いま岬の顔はとても見ることができない。爪先の先端でグラウンドの土を掘る。僕は続けて言う。

「キスしてくれたら諦める」

 視界の隅で、岬が手のひらをスカートにこすり付けているのが見える。手にかいた汗をぬぐっているのだろう。いっそ軽蔑してくれた方が気が楽だったのに、こちらまで頬の紅潮が伝わってくるようだ。無意識に唇を舌で拭っている自分に気づき、余計に自己嫌悪に苛まれる。

「一回だけね」岬は言った。

 僕は目を見開いて顔を上げる。目の前には無人のグラウンド。

「ほっぺでいいの?」岬は言う。

 僕は聞き返そうと岬へと顔を向ける。すでに岬は僕の頬へ手を伸ばしている。冷たい指が僕の左頬に振れ、岬が目を閉じて近づく。

 唇がほんの一瞬重なった。まばたきをするような短いキスだった。僕は肩と首を縮めたまま、岬がゆっくり僕の頬から手を離しているのを見ていた。岬は酷く赤面した顔のまま、背中を壁に押し付け、まっすぐにグラウンドを見据えた。

 僕らはしばらく黙っていた。黙るしかなかった。僕からどんな言葉なら言えるというのか?心臓は狂ったように鳴り響いている。すぐ横にいる岬も、同じように鼓動が暴れるのを止められないでいるようだった。僕らは沈黙のまま、互いの血液が高速で循環する気配のなかに佇んだ。

 先に口を開いたのは岬だった。

「本気で友達で居たいってこと、信じてくれる?」岬は言った。

「たぶん」僕は言った。


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