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おとうと  作者: 深月咲楽
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第6章

(1)


 寮のそばにある公園のベンチに、私は腰を下ろしていた。張り詰めた空気の向こう側には、キラキラ輝く琵琶湖と、孤高にそびえる近江富士。ここで都竹と話をしてから、ずいぶん長い時が経ったように思えるのは、色々なことがあり過ぎたからかもしれない。

「まだ3週間やねんな」

 思わずつぶやいた時、公園に入ってくる森野の姿が見えた。出迎えるため、立ち上がる。

「未玖ちゃん、こんにちは」

 森野が片手を挙げて微笑んだ。

「陽射しはあるけど、やっぱり寒いなあ」

「せっかくのお休みの日にすみません」

 私が頭を下げると、森野は「いやいや」と首を横に振った。

 私と樹はあの後、満源寺で正也へのお参りを済ませた。そして、この公園に、森野を呼び出したのだ。

「いやあ、それにしても、綺麗やなあ」

 森野が琵琶湖を見つめ、目を細める。

「空気が澄んでるんでしょうね。対岸までくっきり見えてますし」

 私は微笑みながら応じた。

「すみません。お待たせしました」

 そこに、樹が現れた。手には、コンビ二のビニール袋を提げている。

「おう、悪かったな」

 森野が微笑むと、樹は私達の方に駆け寄ってきた。

「森野さんが、飲み物でも買うてこいって、小遣いくれはったんや」

 ビニールの中身は、温かいペットボトルだった。ロイヤルミルクティーが2本とカフェオレが1本。

「未玖ちゃん、遠慮せんと飲んでや」

「ありがとうございます」

 森野に勧められ、ミルクティーを取り出す。

「森野さんは、こっちの方が好きでしたよね?」

 樹はそう言いながら、カフェオレを彼に手渡した。そして、残りの一本を取り出して脇に挟み、空になったビニール袋をクルッと結ぶと、ジーンズのポケットに突っ込んだ。

「あ、どうぞ座ってください」

 樹がベンチを手で示す。

「俺一人でか?」

 森野が苦笑する。

「ほんなら、未玖も座るか?」

 樹が私に向かって言うと同時に、

「おお、それがええわ」

 と、森野が嬉しそうに微笑んで腰を下ろした。

「そしたら、失礼します」

 私も隣に腰掛ける。

 森野が飲み物を飲むのを待って、私は話を切り出した。

「都竹さん、本当に残念でしたね」

「ああ。ほんまやな。あの時、無理にでも警察に連れて行っとったら」

 そう言うと、森野はうつむいた。しんみりとした空気が流れる。

「せやけど、正也君のお骨は、きちんと永代供養されるみたいですよ。彼のお兄さんって言う人からお申し出があって」

 私の言葉に、森野がこちらを見た。

「え? ほんまか。そうか。兄貴がなあ」

 そして、一瞬嬉しそうに微笑んだ。すると、樹がいきなり頭を下げる。

「実は俺、とんでもない勘違いをしとって……。正也の兄貴、都竹さんやなかったみたいなんです」

「何やて? 都竹は正也の兄貴やねんろ? お前、そう言うとったやないか」

 森野は眉間に皺を寄せた。

「それが、ほんとに都竹さんは、正也君のお兄さんではなかったんです」

 私は小さく咳払いをした。

「実は、さっき広美から…友達から電話があって。希世子ちゃんから、連絡があったそうです。昨夜から流れていた天皇杯のVTRをテレビで見て、思い出したって」

 森野と岡安の視線を感じながら、私は続けた。

「正也君が見つめていた二人組のうちの一人が、あのゴールを決めた人、つまり都竹さんやったような気がするって話やったんです」

「何やて? 二人組は、清人さんと高梨さんやなかったんか?」

 森野が困惑気味に私の方を見る。

「ええ。俺達は背の高い方が清人さんやと思い込んでましたけど、どうやら低い方が清人さんやったみたいで」

 樹が頭をかく。森野はペットボトルを脇に置くと、腕を組んだ。

「そうか。そう言われてみれば、たしかにそうやな。都竹は190センチ、清人さんは178センチ。10センチ以上差があれば、見た人は背の高い人とそうでもない人という印象を持ってもおかしくない。清人さんと高梨さんの二人組って言われるよりも、納得できるわなあ」

「それに、都竹さんは、滋賀県内の大学のサッカー部に所属してはりましたしね。『滋賀でサッカーやってる人』にも当てはまるんですよね」

 樹が辛そうに補足する。

「つまり、リオナを殺したんは、清人さんと都竹やったってことか」

 森野が低い声で言った。

「ええ。もしかしたら、正也君のことも」

 私が応じると、森野はペットボトルの蓋を乱暴に開け、カフェオレを喉に流し込んだ。そして再び、脇に置いて口を開いた。

「となると、都竹が清人さんに高梨さんを殺させたことや、清人さんを自殺に見せかけて殺した動機は、例の詐欺グループ内の仲間割れってことになるんか?」

「いえ、高梨さんも岩田さんも、都竹さんが殺したわけではありません」

「え? どういうことや?」

 森野が険しい顔で私を見る。

「昨日弟から、正也君の話を聞いて……。私達はとんでもない間違いをしていたことに気付いたんです。いや、間違いをさせられていた、と言った方が正しいかもしれませんけど」

「どういう意味や?」

 森野が眉間に皺を寄せる。すると、樹が辛そうに口を開いた。

「つまり、俺らは、森野さんの話に、まんまと騙されてしまったってことですよ。そうですよね? 森野さん」

「何やねん、ヤブから棒に」

 森野が苦笑する。

 樹は何も答えずふっと息を吐くと、ペットボトルに口をつけ、ミルクティーを飲み込んだ。

「正也君、高校の時まで、信頼できる人に出会えなかったらしいんです」

 私はゆっくり話し始めた。

「せやけど、樹に出会って初めて、人を信じることを覚えたって。彼が心から信頼できる人物は二人。一人は樹、そしてもう一人は、みつともで出会った先輩やったそうです」

 私の言葉に、森野がぎゅっと目を閉じる。

「森野さん、あなたやったら、正也が信頼していた先輩って、誰のことかおわかりですよね?」

 樹が辛そうに口を挟んだ。森野は目を閉じてしばらく何かを考え込んでいたが、やがて目を開けた。

「正也がみつともで親しくしとったんは、お前と清人さんと俺や」

 少し間を空けて、森野は自虐的に微笑んだ。

「お前は先輩ではない。清人さんは高校からの知り合いや。となると、消去法で俺しかいてへんわな」

「私もそう考えました。正也君が『信頼してる先輩』と言っていたのは、森野さん、あなたですよね。そう考えたら、すべて説明がつくんです」

 私の問いかけには答えず、森野は手にしていたペットボトルに口をつけた。構わず続ける。

「岩田さんがテーブルにぶつかった時、あなたは落としたビールと青酸カリ入りのビールを摩り替えたんですよね? 足元に置いてあったバッグの中に、あらかじめ用意していたものを取り出して」

 すると、森野は口元を手の甲でぬぐって顔を上げた。

「それは、清人さんにもできたはずやろ? まあ、ええわ。ここは仮に、俺がビールを摩り替えたとしよう。せやけど、高梨さんの上着のポケットに青酸カリの入った入れ物を入れることは、俺にはできへんかった。それは、この間、みんなで確認したよな?」

「いえ、あれはあくまでも、高梨さんが倒れはった時に、容器を入れることができへんかったってことを確認しただけです」

 私は森野の目を見つめながら続けた。

「サイレンの音がして私と都竹さんが寮に戻った時、あなたは高梨さんと一緒に救急車に乗り込んでいました。上着のポケットに入れ物を入れたのは、その時なんとちがいますか?」

「せやけど、俺は小山さんが殺された時、祇園にいてたんや。それは、樹と岡安が証明してくれるはずや」

 森野の言葉に、樹が頷いた。

「たしかに、森野さんはずっと僕らと一緒にいてはりました。長い時間抜け出すこともなかったし」

「それは、問題ありません。小山さんを殺したのは、恐らく都竹さんでしょう。そして、岩田さんの部屋に包丁を隠した」

「それやったら、正也の名前を使って、清人さんを呼び出したのは誰やねん」

 森野が試すように私を見る。

「都竹さん自身やったんと違うでしょうか。岩田さんを部屋から遠ざけておかなければ、凶器を隠す時間がとれませんし」

「何でそんな手間がかかることを?」

 森野に尋ねられ、私は首を傾げた。

「さあ、はっきりしたことはわかりませんけど。もしかしたら、都竹さんは、岩田さんに小山さんを殺した罪を押し付けて、口を封じるつもりやったのかもしれませんね」

「そんなことして、万が一、清人さんが警察で詐欺のことや正也の殺害まで話してしまったら、都竹自身の首を絞めることにならへんか?」

「せやから、すぐにアリバイを主張し、証拠不十分で釈放されるように仕向けたんでしょう。そういうことやな?」

 樹が私に確認をとる。私は頷いた。

「でも、それやったら、清人さんを自殺に見せかけて殺したのは、やっぱり都竹ってことになるんとちがうか?」

 森野は表情を変えずに尋ねてきた。

「高梨さんが飲んだ缶ビールと、岩田さんの手元に残された缶ビールは、ロットナンバーが同じやったそうです。やっぱりこの二人を殺害したのは、同一人物と考える方がしっくり来るんですよね」

 私の言葉に、森野が苦笑する。

「しっくり来るっていう理由だけで、犯人にされてもうたらかなんわ」

「森野さんは、リオナさんを殺されたことを、恨んではったんでしょう? 正也の話を聞く限りでは、『信頼してる先輩』、つまり森野さんは、本気で彼女のことを愛していたという印象を受けましたし」

 樹が必死の形相で訴える。森野は何も語らず、目を閉じた。

「自首してください。お願いします。森野さんが殺害したのは二人、しかも恋人の仇を討つためや。それやったら、情状酌量も……」

「森野さん。あなたが彼らを殺害した理由は、リオナさんの仇を討ちたかっただけではありませんよね」

 樹の言葉を遮り、私は森野に話しかけた。

「正也君まで巻き込んでしまったこと、ずっと気にしてはったんとちがいますか? これらの殺人には、正也君への罪滅ぼしの意味もあったんでしょう?」

 森野が驚いたような表情を浮かべて、顔を上げる。

「最後に都竹さんに向かって言わはった『正也の遺骨だけは何とかしてやってくれ』って言葉、あれは心からの叫びやったように、私には思えましたけど」

「心からの叫び、か」

 樹がぼそっとつぶやいた。青い空には似つかわしくない重苦しい沈黙が、私達を包みこむ。

 しばらくして、森野が立ち上がった。顔には笑みを浮かべている。

「お前ら、寒くないか?」

 突然の行動に驚く私達の顔を交互に見ると、森野は公園の裏を指差した。

「ここから5分くらい歩いたところに、俺の行きつけの寿司屋があるねん。昼は特に割安でええランチを食わせてくれるんや。そこでゆっくり話させてくれ」

「ってことは」

 樹が不安げに森野の方を見た。彼は樹を見つめたまま、小さく頷いた。

「さすがは未玖探偵や。俺も、真相の究明を依頼した甲斐があったわ」

「森野さん……」

 樹が泣きそうな顔でつぶやく。

「ほら、行くで」

 森野はポンと樹の肩を叩くと、私達に背中を向け、スタスタと歩き出した。


(2)


 その寿司屋は、住宅街の中にあった。暖簾がなければ、ただの民家にしか見えない。知らずに通り過ぎてしまう人も多そうだ。

 森野は、手馴れた様子で暖簾をくぐると、引き戸を開けて店の中に入って行った。

「大将、奥の個室、空いてる?」

「おう、空いてるで。なんや、今日はおツレさんがいはるんか」

 大将と呼ばれた五十代後半くらいの男性が、カウンターの向こうから嬉しそうに微笑む。

「うん。いつものやつ、3人分頼むわ」

 森野が言うと、大将は「任しといてや」と答えて、いそいそと動き始めた。

「さて、奥行こか」

 森野はカウンター席と椅子席の間の土間を抜け、正面にある襖を開けた。そこには、中央に掘りごたつを配した、6畳ほどのこじんまりした和室があった。靴をそろえて、畳に上がる。

 銘々、上着を壁のハンガーに吊るすと、掘りごたつに腰を下ろした。上座の奥には森野、その向かい側に樹が座り、私は樹の隣に陣取った。掘りごたつにまだ火は入っていないが、「コタツ」と聞くと何となく温かい気持ちがしてしまうから不思議だ。

 何を話すこともなく、私達は沈黙を通していた。何からどう話していいかわからない、というのが正直な気持ちだった。閉められた襖の向こうからは、時々、いらっしゃいという大将の威勢のよい声が聞こえてくる。

 少しして、襖が開いた。着物を着た女性が、お盆を手に座敷に入ってくる。

「おお、美味そうやな」

 お茶と共に運ばれてきた突き出しを見て、森野が嬉しそうに微笑む。イカの白造り。有田焼の赤絵の小鉢に敷かれたシソの葉のグリーンが、その上に載せられたイカの綺麗な白を引き立たせている。さりげなく散らされた黄色いゆずの皮も、心憎い。

「これで酒が飲めたら、もっと楽しいんやろけどなあ」

 白造りを突きながら、森野がぼやく。塩辛すぎないまろやかな味で、私も樹も、あっという間に平らげた。

 すると、再び襖が開き、先ほどの女性が黒い木箱を手に座敷に上がってきた。目の前に置かれて、思わず歓声を上げる。4つに仕切られた松花堂弁当。お造り、揚げだし豆腐、秋鮭の西京焼きに秋鱧と舞茸の天麩羅。器も色鮮やかで、箸をつけるのがためらわれるほどだ。

 さらに、6貫の握りが載せられたゲタと、松茸の土瓶蒸しも並べられた。

「秋色一色ですね」

 香りを堪能しながら、私は森野に話しかけた。

「ああ。俺のおごりやし、思う存分食べてや」

 森野が微笑む。すると、樹が申し訳無さそうに切り出した。

「それで、話っていうのは……」

「まあ、食うてからにしよう」

 森野が鯛の刺身をつまみながら、樹の方を見る。

「樹、そうさせてもらおう」

「わかった」

 樹は私の言葉に頷くと、目の前に置かれていた箸を手に取った。

 皆、無言で料理に手をつけていく。これが楽しい会だったら、もっと美味しく感じられただろうに。

「ああ、美味かった」

 すべて平らげた森野が、満足げにお腹をさする。

「ほんまに美味しかったです」

 続いて樹が食べ終わった。私も、最後の一貫を口に入れて、箸を置く。

「ご馳走様でした。堪能させていただきました」

「そうか。それはよかった」

 森野は嬉しそうに微笑むと、湯飲みを持ち上げてずずっとお茶をすすった。そして、意を決したように私の顔を見た。

「俺が正也から電話を受けたのは、福岡に出張してる時やった。去年の10月27日。リオナが殺されてるって、慌てた声でな」

「正也はリオナさんの部屋に行ったことがあったんですか?」

 樹が尋ねる。

「ああ。あいつには、リオナのことを相談しとったしな。プリペイドの携帯を買いたいっていう相談を受けた時に、俺が使ってる携帯ショップを紹介したんや。その時、ついでにリオナの部屋に連れて行ったことがある」

 森野は照れ臭そうに続けた。

「リオナと知り合ったのは、高梨さんに連れて行ってもらった合コンやった。ひと目惚れやったわ。必死で付き合うてくれって頼み込んでな。他に男がいてるんは、わかってた。それでも、俺はあいつに惚れてもうたんやな」

「他の男性と、別れてほしいとは思わへんかったんですか?」

 樹が不思議そうに聞く。

「もちろん、リオナの身体にアザがあるのを見た時には、俺が別れさせてやるって言うたで。せやけど、あいつは絶対やめてくれって。俺のことは、相手には何も話してないし、自分できちんとカタをつけるからってな。その表情があまりに必死やったから、俺はそれ以上何も言われへんかった」

 森野は湯飲みを持ち上げてお茶をすすると、再びテーブルの上に戻した。

「あいつは、俺にすべてを打ち明けてくれたんや。OLやのうてソープに勤めてること、アダルトビデオにも出たことがあること。その男とはきっぱり別れて、仕事も辞めるって、あいつは約束してくれた。俺は、それを信じて待つことにした」

 そして、ふうっと息を吐いた。

「結果的には、それがアダになってもうてんけどな」

「10月27日の正也君からの電話、他に何か話はなかったんですか?」

 私が話を戻すと、森野は辛そうに答えた。

「リオナの部屋に行く直前、清人さんともう一人の男が出て行ったって。もう一人の男って誰やって俺、聞いたんや。そしたら、よくわかれへんかったって。多分……いや、やっぱりちょっとって、言い淀んでな」

「それが、都竹さんやったんですね?」

 樹が尋ねる。

「ああ。そういうことやったんやろな。都竹のいてた大学とも練習試合をしたことがあるし、正也も都竹の顔は知っとったはずや。せやけど、確信はもたれへんかったんやろう。でも、俺は、何かの陰にでもなってて、顔が見えへんかったんかなと思ったんや。それで……」

 森野は目を伏せた。少し時を置いて、再び口を開く。

「正也に、『もう一人が誰なのか、探ってくれ』って頼んだんや。相手は殺人犯やっていうのに、『警察に通報しろ』でも、『お前も気をつけろ』でもなく、俺は、『もう一人が誰なのか、探ってくれ』って……。

 少しして、正也から、リオナの携帯電話を探したけど、みつからへんかったって電話があったんや。そしたら、その背後でチャイムの鳴る音がしてな。正也のやつ、慌てて部屋を出て行ったんやろな。そのせいで、犯人にまでされてもうて」

「それで、部屋のあちこちに正也の指紋が付いてたんですね」

 樹が納得したように頷く。

「正也から最後に電話を受けたんは、同じ日の午後3時前やったかな。これから、清人さんと話をするって。それきり、正也の消息はわからんようになってもうた」

「どうして、正也君が犯人にされてしまった時、警察にほんまの話をしてくれへんかったんですか? そこで警察が岩田さんを調べていたら、こんな事件は起こらへんかったでしょうし、正也君かって、1年間も暗い土の中にいなくて済んだんとちがいますか?」

 思わず責めるような口調になる。樹に腕を突かれ、私は唇を噛んだ。

「ほんまにその通りや。俺がアホやったんや。自分で何とかしたいっていう気持ちが強過ぎたんやろな」

 森野が自嘲気味に微笑んだ。

「清人さんと一緒にいたもう一人が誰なんか、俺はずっと探っとった。せやけど、どうしても掴みきることがでけへんかってな。ところが、この10月の終わり頃、俺は小山さんから相談を受けたんや」

「相談、ですか?」

 樹が尋ねる。

「ああ。普段から、選手の食事について、小山さんと話し合ったりしとったからな。俺のことを信用してくれとったんやろう。深刻な話やった」

 森野は大きく深呼吸をすると続けた。

「小山さん、忘れ物して食堂に取りに来たらしいんや。その時、隣の喫煙室で話をしている声が聞こえてきたらしくてな」

 独身寮は全室に煙感知式の火災警報器が設置されている。これが、まれに煙草で誤作動するため、煙草を吸う時には喫煙室を利用することになっているのだ。樹は煙草を吸わないのだが、前に一緒に食事をした樹の同僚が、会社でも寮でも禁煙でたまらないと愚痴っていたのを聞いたことがある。

「清人さんと高梨さんやったらしいわ。リオナが死んでもうたせいで、恐喝のネタが消えて金が入らへんとか……」

「恐喝?」

 樹が聞き返す。

「ああ。リオナはソープで働いとったからな。まあ、色々と客の秘密を知ることもあったやろう」

「それをネタに、恐喝をしていたってことですか? じゃあ、やっぱりリオナさん……」

 私の言葉に、森野は頷いた。

「清人さん達に、ええように利用されとったんやろ。それに、まさか正也に殺した現場を見られたとは思ってへんかったって話もしとったらしいわ。――小山さん、怖くなって、その場から離れたらしいねんけど、うっかり物音をさせてしまったそうやねん。『誰や?』って声かけられて走って逃げたって言うてたわ」

 森野は苦笑しながら続けた。

「これで、清人さんと一緒にリオナの部屋から出てきたっていうもう一人が、はっきりしたと思ったわ。高梨さんやなって。実際には違っとったわけやけどな」

「それで、高梨さんを殺そうと?」

 私が尋ねると、森野はお茶を一口飲んで、ゆっくり口を開いた。

「清人さんでも高梨さんでも、どちらでもええと思ってた。高梨さんの方が酒好きやし、可能性は高いと思っとったけどな。青酸カリ入りの缶ビールがダンボールに仕込まれとったように見せかけるために、俺は目を盗んでダンボールの横の部分を開けておいた。そうすれば、無差別殺人でたまたま殺されたということになるやろうと考えたんや。

 小山さんがそのダンボールを抱えてビールを配り始めた時には、正直焦ったで。俺らのいてた反対側から配って行きはったからな。缶ビールが俺らのテーブルまで来んうちに配り終わってしまったら、せっかくの計画がパーや」

「そう言えば、森野さん、小山さんに声をかけてテーブルにビールを置いてもらってましたね」

 樹が思い出したように言う。

「ああ。そして、清人さんが立ち上がろうとした時に合わせて、わざとテーブルを傾けたんや。ビールは床に転がり、俺は計画通りに用意していた缶ビールと摩り替えることができた」

「摩り替えた缶ビールはどこに?」

 荷物検査で、森野のバッグからは見つからなかったはずだ。私は尋ねた。

「清人さんのバッグの中に放り込んでおいたわ。摩り替えた時、ふと見たらファスナーが開いとったしな。清人さん、後で気付いてビビッたんちゃうか」

 森野がふっと鼻で笑う。私は質問を続けた。

「缶ビールの銘柄は、どうしてあらかじめわかったんですか?」

 不思議に思って尋ねる。

「未玖ちゃんのお店に行った時、清人さんが『この銘柄が好きなヤツが多くて』って話してるのを聞いてな。多分、その銘柄のビールを持ってきてくれはるんちゃうかなって思ったんや」

「そうやったんですか」

 母親は「岩田君達」と言っていた。その中に森野が入っていたのだろう。納得して頷く。

「森野さん、お疲れ会の時、俺にもビールを勧めはりましたよね? あれは?」

 今度は樹が質問する。森野は微笑んだ。

「別に、お前を殺そうと思ったわけとちがうで。既に高梨さんが青酸カリ入りの缶ビールを手にしとったからな。飲み終わったお前に何も勧めへんのも不自然かと思って、勧めたんや。怖い思いさせて、すまんかったな」

「もし、高梨さんと岩田さん以外の人が、青酸カリ入りの缶ビールを手にしたら、どうしはるつもりやったんですか?」

 私は質問を重ねた。

「一応、食紅でしるしは付けといたしな。もし、他の人が手に取った時には、『汚れてる』とか何とか言うて、回収するつもりやった」

 森野が溜息を吐いた。

「胸のポケットに青酸カリの入った入れ物を入れたんは、未玖ちゃんの推理通りや。救急車に乗り込む時のドサクサに紛れて、入れ込んだんや」

「一体なんでですか? 自殺に見せかけるためですか?」

 樹が尋ねる。

「いや、違うねん。俺は、あの缶ビールのトリックでほんまに効果があるか、自信がなくてな。それで、もし上手く行かへんかった時のために、予備の青酸カリをポケットに入れておいたんや。ところが、警察が持ち物検査をするって言うてるのんを聞いて、ヤバイと思ってな。上手い具合に救急車に乗り込んで寮を出ることはできたけど、すぐに警察も病院に来るやろうし。もし、病院で青酸カリを捨てて見つかりでもしたら、一発で俺やってばれてまうし……。結局、高梨さんの上着のポケットに入れるしかないって結論に達したんや。上着の袖で指紋を拭いてな。まったくドジな話やで」

 森野が頭をかいた。

「それに、小山さんが疑われてもうたことも、計算外やった。調理室には不特定多数の人達が出入りするわけやし、まさか小山さんに絞られてまうとは思わへんかったんや」

「小山さんが殺されてしまったのは、高梨さんと岩田さんの話を聞いてしまったせいなんですか?」

 今度は私が尋ねた。

「俺もそう思い込んどった。清人さんが殺しておいて、自分ではないように見せかけてるだけやと思ったんや。せやから、清人さんに高梨さん殺害の罪を着せてやろうと考えた。ただ、そのためには清人さん自身の口を封じなアカンし、罪を悔いて自殺するというシナリオが一番自然かなって。清人さんは自殺するような人ではないけど、状況がそろえば警察は自殺と判断するやろうと思ってな。

 清人さんが警察から釈放された夜、俺はこっそり彼の部屋に向かった。冷やしたグラス二つと缶ビールを持ってな。グラスのひとつに青酸カリを塗っておいてんけど」

 森野は腕を組んで続ける。

「清人さんは、かなり参ってる様子やった。俺がせっかくグラスに注いでやったビールも飲まんと、頭抱えてな。飲んでくれな、俺の復讐が完結せえへん。

 俺は仕方なく、小山さんから相談を受けてたって話をしたんや。そしたら、怯えたような表情をしてな。たしかに、小山さんを殺そうとしたことはあったけど、実際に殺したのは自分ではないって、必死で言うてはったわ」

「殺そうとしたことがあった?」

 樹が聞き返す。

「ああ。あのお疲れ会の日や。清人さん、会場にバッグを持ち込んどったやろ? あの中にロープが入っとったらしいんや。隙を見て小山さんを呼び出し、首を絞めるつもりやったそうや。ところが、気持ちが高揚して、飲み慣れへんビールを飲んで酔ってしまって……。そのうちに高梨さんがああいうことになったし、諦めたみたいやけどな」

 森野が苦笑する。

「それで、警察に調べられる前に、部屋にバッグを持って行きはったんですね」

 警察が持ち物検査をした時には、彼のバッグは会場にはなかったという話だった。中にそんなものが入っていたら、慌てて隠したいと思うのは当然だ。

「ああ。そうやったみたいやな。清人さんは、小山さんが警察に自分らの話をしてしまうのをおそれとった。それで、いつか殺害せなアカンと考えてたら、誰かが先に殺してもうたって」

 森野は樹の顔を見た。

「清人さんは、高梨さんと小山さんを殺した犯人は、樹やと思い込んでたみたいやな。何かの加減で、自分と高梨さんが正也を殺したことを知って、復讐しようとしてるんちゃうかって」

 そう言えば、樹は岩田から責められて大変な思いをしたと言っていた。

「何で関係のない小山さんを殺して、清人さんに罪をなすりつけるなんてまどろっこしいことをせなアカンのですか。二人に復讐する気やったら、他の人に迷惑かけんと、面と向かって二人を殺しますよ。それがフェアプレーってもんでしょう?」

 樹が憤慨して言う。どこかずれている気がしないでもないが。

「清人さんは、ダンボールに缶ビールが仕込まれとったと思い込んでたからな。樹がビールを仕込んでるところを小山さんに見られて、口封じのために殺したんちゃうかと、考えてたみたいやな」

「ああ、なるほど。理屈は合いますねえ」

 樹はあっさり納得したようだ。

「清人さんの話を聞いて、俺は混乱した。小山さんは、清人さんが殺したものとばかり思ってたからな。それやのに、他に小山さんを殺した人物がいてるとなったら、清人さんが、高梨さんと小山さんを殺した罪を悔いて自殺するというシナリオが狂う。

 そう思った時に、清人さんは、俺がグラスに注いでおいたビールを一気に飲み干してもうたんや。しまったと思っても、もう後の祭りや」

 森野はお茶を飲むと、湯飲みを置いて続けた。

「死んでもうたら仕方ない。俺は手袋を着けて、他に用意しておいた缶ビールを取り出した。指紋を綺麗に拭いてから、清人さんの指紋をつける。そして、中に青酸カリを入れ、自殺であるかのように装った。青酸カリの入った入れ物もその場に置いてな。グラスもそのまま置いておいてもよかってんけど、何から足がつくかわかれへんしな」

 森野は頭をかいた。

「そこからが大変やった。もう一人っちゅうのんが、誰かわかれへん。都竹と清人さんが話してるとこなんて、ほとんど見たこともなかったしな。まさかつるんどったとは思いもせえへんかったし」

「そうですね。あの時は、都竹さんもジョギングしてたって話でしたし、アリバイもあると思ってましたしね」

 樹が頷く。

「俺は、正也の遺体が埋まってることを警察に通報した人間が、その犯人やろうと考えた。でも、まったく見当がつかへん。何から手を付けたもんか、悩んどったんや。そしたら、未玖ちゃんが、あの青酸カリのトリックを解いたっていう話を聞いてな。それがドンピシャやったんや。

バレへんと思っとったのにってビックリすると同時に、未玖ちゃんやったら、もしかしたら小山さんを殺した人間を見つけ出せるかもしらんと思ったんや。それが、リオナと正也の殺害に関係しとったとしたら、復讐の相手がもう一人増えるわけやしな」

「俺らから、都竹さんが正也の兄貴かもしれへんって聞いて、もう一人が都竹さんやと気づきはったんですか?」

 樹が悔しそうに尋ねる。

「ああ。そうや。兄貴やったとしたら、正也の復讐をするためにみつともSCに入ったということも考えられるしな」

「でも、森野さんは本当に、都竹さんが正也君のお兄さんやと思ってはりましたか?」

「え?」

 樹が驚いたように私の方を見る。森野も視線を私に向けた。

「どういう意味や?」

「私、森野さんが犯人やと気づいた時、同時に疑問もわきあがってきたんです。森野さんは、正也君のことを大切に思っていてくれはったんですよね。その人のお兄さんに、自分の罪までなすりつけるようなことをするやろうかって。森野さんは、都竹さんが正也君のお兄さんではないことを知っていた。そう考えたら、その行動もありなのかなって」

 そして、私はずっと言おうか迷っていた言葉を口にした。

「せやから、森野さんは、都竹さんを殺すようなことができたんかなって」

「は? 都竹さんは自殺やろ? 窓の内側から目張りがしてあったし、全部のドアもロックされとったって」

 樹が目を見開いた。

「樹、車のキーって、閉じこみしてまうこともあるやろ?」

 私の言葉に、樹は少し考え込んだ後、力なく頷いた。

「ああ、たしかに、車のドアロックは、キーがなくてもできるわな」

 窓の内側から目張りをした後、火の付いた練炭をトランクルームに置く。そして、内側からドアロックをして外に出る。それだけで偽装自殺の現場はできあがるのだ。ターゲットが睡眠薬を飲み熟睡していたとしたら、容易に細工することができただろう。

「都竹が正也の兄貴ちゃうかって話を聞いてから、俺なりに都竹に探りを入れてみたんや。正也から、少しやけど兄貴の話は聞いとったからな。たしかに、当てはまることは多かったけど、ひとつだけ、決定的に違うことがあったんや」

「何ですか?」

 樹が尋ねる。

「何かの時に、正也が言うてたんや。あいつ、兄貴の影響でサッカーを始めたらしいねん。最初は兄貴と同じボランチをやらせてもらっとったけど、自分は視野が狭くて向いてへんってすぐに気付いたって。コーチに相談したら、足も速いし、フォワードをやってみたらどうやって勧められて転向したんやって」

「ボランチ?」

 樹が驚いたような声を出す。

「ああ。俺、都竹に聞いてみたんや。お前はフォワード以外のポジションやったことあるか? って」

「で、何て?」

「やったことないって言うてたわ。サッカー始めた時から、ずっとフォワードやって」

 樹が静かに目を閉じ、片手でコメカミを押さえる。

「俺、そこまで聞いてへんかったなあ」

「都竹が兄貴やないとわかった時、それなら何で都竹は、正也のことを調べてるんやろうと考えた。そして、答えが出たんや」

「小山さんを殺した、謎の一人なんと違うかってことですね?」

 私が確認すると、森野は頷いた。

「ああ。間違いないと思った。そして、あの正也の『よくわかれへんかった』の意味に気付いたんや。陰になってわかれへんかったんと違う、誰なのか自体が『よくわかれへんかった』んやってな」

「つまり、都竹さんが、リオナさんの部屋から出てきたもう一人やったってことに……」

「ああ。気付いたんや。そこでやっとな」

 森野が溜息を吐く。

「俺が都竹を犯人であるかのように話したのは、あいつを動かすためやった。案の定、あいつは俺を誘い出してきた。俺を殺す気やと思ったわ」

「それで、先手を打ったと?」

 虚しい思いで尋ねる。

「ああ、そうや。青酸カリは使い切ってもうたからな。俺はバッグにロープを入れて行ったんや。都竹の方が体はでかいし、返り討ちに遭うかもしらんなとは思ったけど」

「でも、睡眠薬は都竹さん自身が持っていたものやったんですよね?」

 樹が思い出したように顔を上げた。

「そうや。ドライブの途中、都竹が自販機でコーヒーをふたつ買うたんや。そして、そのうちのひとつを俺に渡してきた。何となくイヤな気がしてな。飲まんとそのままにしとった」

 森野が空になった湯飲みを手で握りながら、続ける。

「あの避難帯に着いた時、俺は後ろ手に都竹に携帯をかけた。もちろん『非通知』でな。あいつは、携帯に出るために車の外に出た。その隙に、俺のカップとあいつのカップを入れ替えたんや」

「そのカップに睡眠薬が入っていたってことですか?」

 樹が尋ねる。

「ああ。そうみたいやな。都竹のやつ、摩り替えられたとも知らんと、そのコーヒーを飲んでな。俺に事件のあらましを話してる途中で、意識を失ったんや。初めは毒でも入っとったかと思ってんけど、息もしとるし、脈も打ってる。これは睡眠薬やなと気付いたわ」

 森野が天井を見上げる。

「持ってきたロープで首を絞めようとしてんけどな。他に、足のつかへんようなもんはないかなと思って、探してみたんや。都竹のバッグからはナイフが出てきた。俺を眠らせて刺殺でもするつもりやったんかもしらんわな。そのナイフは、俺が持ち帰ったけど」

 ヘタに見つかれば、自殺説が覆る。そう考えたのだろう。

 森野は少し間を空けてから続けた。

「トランクルームを見たら、七輪と練炭が積まれとってな。一緒に置いてあったキャンプセットの中には、おあつらえ向きにガムテープも入っとった。俺は使えると思った。自殺に見せかけるにはもってこいやろ?」

「都竹さん、キャンプが好きやったんですよ。俺も一度、一緒に行ったことがありますし」

 樹が悲しそうに、すっかり冷め切ったお茶をすする。

「都竹さんとは、どんなお話をしはったんですか?」

 うつむく森野に、私は声をかけた。

「事件の全容を話してくれたわ。俺を殺すつもりやったみたいやし、構わへんと思ったんやろな」

 森野が顔を上げる。

「都竹と高梨さんは、子供の頃、一緒のサッカークラブに所属しとったそうや。都竹が大学に入って、練習試合で高梨さんと再会し、清人さんも交えてつるむようになった。その遊び仲間からリオナを紹介され、付き合うようになったらしい。と言っても、ただの金づるくらいにしか思ってへんかったみたいやけどな」

 森野の寂しそうな表情を見て、胸が痛くなる。

「リオナ、結婚したい人がいてるし、関係を切ってほしいって言うたらしいんや。もし、別れてくれへんかったら、今まで都竹達がやってきたこと、警察に密告するって話したらしくてな」

「それで、リオナさんは……」

 樹が目を閉じる。

「ああ。そら、殺されるわな。そしたら、部屋から逃げるところを正也に見られてもうて」

「正也君も殺したんですね」

 私の言葉に、森野が頷く。

「正也のやつ、清人さんを呼び出して、真正面から話をしたみたいや。その時、都竹は大学に戻ってサッカーの練習に加わってたらしくてな。抜けるわけにいかへんし。清人さんは、出張帰りやった高梨さんを呼び出して、一緒に正也を殺すことにしたみたいやな。正也を比良山まで連れて行ったら、一度逃げ出してもうて焦ったって話をしとったらしいわ。で、探し回って、隠れとった正也を見つけ出し、首を絞めて殺したって」

 正也の最期を思うと、辛くて胸が詰まる。私は心を落ち着けるため、お茶を飲んだ。

「正也が誰かに知らせたんちゃうかと思って、携帯電話を確認したみたいやねんけどな。初期化されてて、履歴はおろか、電話帳すら残ってへんかったらしい。

 二人はとりあえず正也が持っていたふたつの携帯を持ち帰り、手元に置いておいたみたいやな。どこかに捨てて足がついたらアカンし、保管しといたんちゃうかと思うけど」

 携帯電話を初期化していた。――その時点で、正也は殺されることを覚悟していたのかもしれない。森野にまでるいが及ばないように、情報をすべて消したということだろうか。

「リオナさんの携帯は、彼女を殺した時に持ち出してたんですか?」

 樹が尋ねる。

「ああ。正也が探した時にも、無かったって言うてたしな。――リオナは俺のことがばれんように、電話帳にも履歴にも俺の番号を残さんようにしとったみたいやな。都竹達、リオナが誰と結婚したがっとったんか調べたらしいねんけど、全くわかれへんかったって言うとったわ。自分達の履歴は残っとったし、初期化しておいたらしいけどな」

「都竹さんがみつともSCに入ったのは、事件と関係があったんですかねえ」

 樹の言葉に、森野が頷いた。

「みつともには、正也の仲間がいてるやろ? 何か話をしてへんか気になったみたいやな。それで、中に入り込んで確認したかったみたいや」

「そんなこと、高梨さん達にさせたらええことなんと違いますか?」

 樹が首を傾げる。

「誰かが裏切るんちゃうかって、お互いに疑心暗鬼になってたみたいやな。監視するような形になっとったんとちゃうか」

「悪いことするからや」

 樹が吐き捨てるように言う。

「都竹のヤツ、小山さんに話を聞かれたみたいやって、清人さんから相談を受けたらしいわ。それで、お疲れ会を利用して小山さんを殺害し、正也を犯人に仕立て上げる計画を立てた。

 高梨さんはいつもどおり酔っ払い、トラブルを起こしてみんなの視線を集めておく。その隙に、清人さんが小山さんを殺害し、ドサクサに紛れて元の場所に戻る。都竹は、誰かと一緒に外に出てアリバイを作っておき、正也が寮から出て行くのを見かけたと証言する。実際には、高梨さんが殺されたことで、計画が流れてもうてんけどな」

「殺しておいて、その上、罪をなすりつけようなんて……」

 怒りがおさまらない。私は悔しさのあまり唇を噛んだ。しかも、都竹がアリバイを作るために利用したのが、この私なのだ。もしあの時、高梨が殺されなかったら、私は自分の愛する人を、更に罪人に陥れる手伝いをしていたかもしれない。

「清人さんを呼び出すのに正也の名前を使ったのも、あいつに罪をなすりつけるためですか? ああ、でも、正也の遺体はその前に発見されてましたよね?」

 樹が震える声で尋ねる。

「都竹は、高梨さんを殺したのは小山さんやと思っていたみたいやな。正也のことを通報したのも、彼女かもしれないと考えたそうや。清人さん達は『リオナと正也を殺したこと』が小山さんにバレたかもしらんって言うてたらしいねんけど、実は埋めた場所まで話をしとったんちゃうかと疑ってたみたいやな。それに、正也の遺体と一緒に出てきた社章は、高梨さんのもんやったらしいねん」

「そうか。正也を殺した時、高梨さんは出張帰りやったって話でしたね」

 樹が険しい顔で頷く。

「ああ。スーツの上着に付けてた社章が無くなってることに、後で気付いたらしくてな。その部分まで責められたりしたら、清人さんは落ちてまうかもしらんと、都竹は考えた。それで、小山さんを殺して、その罪を清人さんになすりつけ、後に自殺に見せかけて殺すことにしたそうや。正也の名前で手紙を出したのは、清人さんが自分に疑いを持たないようにするためやったらしい。都竹も正也を殺した仲間や。まさかその人間が、正也をかたったとは、清人さんも思わへんやろうと。

 都竹は、清人さんが公園に向かったのを確認すると、休憩室にいた小山さんの元を尋ねた。清人さんが行っとったら警戒されたやろうけど、都竹まで仲間やとは思ってへんかったやろうからな。苦も無く殺すことができたらしい」

「苦も無くって……」

 樹が信じられないといった風に首を横に振る。

「その凶器を清人さんの部屋に隠す。そして、清人さんが警察に連れて行かれたらすぐ、アリバイを主張して釈放させた。都竹は次の日に、清人さんを呼び出して殺すつもりやったらしいねんけどな。その前に、俺が清人さんを殺してもうたってわけや」

「都竹さんも、驚きはったでしょうね」

 樹が苦笑した。

「ああ。しかも、誰かが警察にわけのわからん手紙を送って……。リオナが結婚したがってた相手は、みつともSCにいてると確信したそうや。それで、あいつなりに探りを入れとったらしい」

「そこで、森野さんが都竹さんを犯人に仕立て上げる話をした。それで、都竹さんは森野さんが、リオナさんの恋人やということに気付きはったってことですね」

 そして、都竹は殺された。やりきれない思いで、森野の方を見る。森野は頷いた。

「ああ。そういうことやろうな」

 そして、ふっと息を吐いた。

「これから警察に行こうと思うてるねん。本物の正也の兄貴が、正也の供養をしてくれたんやったら、もう思い残すことはないしな」

「森野さん」

 樹がなさけない声を出す。

「すみません。俺らが余計な疑問を持ってしまったばっかりに……。都竹さんが3人を殺して自殺したってストーリーのままやったら、それで仕舞いやったはずやのに」

 すると、森野が微笑んだ。

「いや、正直、ほっとしてるねん。思い返せば、色々と証拠も残してるしな。いつバレるか、いつバレるかってビクビクしながらいてるよりは、この方がスッキリするわ。ありがたいと思ってる」

「証拠って、何が残ってるんですか?」

 私は身を乗り出した。

「青酸カリや。前に大学の研究室に遊びに行った時に、薬品庫から持ち出したんや。鍵の暗証番号は知ってたしな。聞き込みされたら、すぐにばれる話や。それに、缶ビールもな。未玖ちゃんから、ロットナンバーの話をされて思い出したんや。量販店で買うてんけど、その時の防犯ビデオでも確認されたら、俺、バッチリ映ってるやろうしな」

「でも、そんなところまで、警察が調べるとは限りませんよね?」

 樹が必死の形相で尋ねる。

「もうええんや。ほんまに、未玖探偵に調べてもらってよかったわ」

 森野が立ち上がる。

「待ってください」

 私が声をかけると、森野がこちらを見た。

「私、森野さんから頼まれたこと、まだ解決できてません」

「え?」

 森野が不思議そうな顔をする。

「誰が、正也君が埋められていることを報告したのかってことです」

「それから、誰が警察に二つの疑問を書いた手紙を出したかってこともな」

 樹が付け加える。それは依頼されていなかったはずだが。

「そうか。そうやったな。でも、それはもうええ。正也の墓参りだけ、欠かさんと行ってやってくれ」

 森野はハンガーに掛けられた上着を手に取ると、天井を見上げた。

「俺は、正也を弟みたいに思っとった。せやけど、アカンな。ほんまの兄貴やったら、もう一人の犯人を調べろなんてこと、言わへんわな。多分、危険やから近づくなって忠告しとったはずや。兄貴の代わりなんて、俺には無理やったんやな」

「誰かの代わりなんてせんでもええって、俺、未玖の弟に言われました。樹兄ちゃんは、樹兄ちゃんやんって」

「そうか。誰かの代わりなんてせんでもええ、か。そら、したくても、でけへんわな。――負うた子に教えられたか」

 森野は愉快そうに笑うと、上着を羽織った。

「さあ、警察に行くか。未玖ちゃんの知り合いの刑事さんに会うには、比叡署に行けばええんやな?」


(3)


「森野さんの罪、軽く済むといいねんけどな」

 私と樹は満源寺に向かっていた。正也のお参りをするためだ。

 森野が自首をしてから1週間になる。青酸カリの入手経路や、ビールの購入時の様子などが証拠となり、森野は真犯人として逮捕された。野村刑事の話では、彼は素直に取り調べに応じていると言う。

「それにしても、2度の密告をした人って一体誰やったんやろ。喉に小骨が引っかかってるみたいで、気持ち悪くてしゃあないわ」

 私の言葉に、樹が顔をしかめた。

「ほんまやな。俺も何か、引っかかってることがあるねんけどなあ」

「引っかかってること? 密告に関係してるん?」

 私が尋ねると、樹は手にしていた菊の花束を見つめながら答えた。

「いや、何に関することやったかも、よくわかれへんねんけど。何かこう、もやもやしたもんが……」

 話しながら歩くうちに、満源寺の門構えが見えてきた。門の前では、住職が掃き掃除をしている。

「おはようございます」

 近づきながら、挨拶をする。

「ああ。おはようございます」

 住職は軽く会釈すると、微笑んだ。

「そうそう。今、大西さんのところにお参りの方がみえてはりますよ。お友達やそうですけど」

「ほんまですか」

 樹と顔を見合わせる。高校時代の友人だろうか。

 私達は足早に供養塔に向かった。重いドアを開けて中に入ると、そこには正也の納骨室に向かって手を合わせている男性がいた。気配に気付いたのか、私達の方を見る。

「あれ、岡安さん」

 樹が声をかけると、彼は驚いたような表情を浮かべた。

「正也のお参りをしてくださってるんですか?」

 彼は、正也がいなくなった次の年に入社している。面識はなかったはずだ。

「ああ。樹君達と事件の話をしていたら、何となく親近感がわいてね。お参りだけさせてもらおうかなと思って。ほんなら、僕はこれで」

 早々に去ろうとする岡安に向かって、樹が大声を出した。

「ちょっと待ってください」

 供養塔の中に、樹の声が響く。岡安が立ち止まった。

「俺、思い出したわ。俺の胸に引っかかってたこと」

 樹は私に向かってそう言うと、再び岡安の方を見た。

「正也の兄貴って、あなたやったんですよね、岡安さん」

「え?」

 今度は、私の声が供養塔に響いた。


(4)


 本堂から供養塔に向かう通路には、竹でできたベンチが置かれている。私達はそこに、都竹を間に挟む形で腰を下ろしていた。

「俺、ずっと引っかかってたんですよね。岡安さんが涼太を知ってたこと」

「涼太を知ってたって?」

 私が尋ねると、樹は私の顔を見た。

「ほら、ファミレスで飯食うた時や。お前に歳の離れた弟がいてるって話になって」

「ああ。そう言えばあったねえ」

 私が頷くと、樹は続けた。

「あの時、岡安さん、涼太のことを知ってはりましたよねえ。サッカーでフォワードやってるって」

「あれは、樹君から聞いて……」

 そこで、岡安ははっとしたように口をつぐんだ。

「俺は、涼太の話なんてしたことありません。たしかに、都竹さんには、未玖の話をしたことはあったんです。正也のことを聞かれた時に、よく3人で遊びに行ったって話をしましたから。せやけど、俺、岡安さんに未玖の話をしたことはなかったはずです。ましてや、未玖の弟の涼太の話なんて」

「それやったら、何で?」

 私は岡安に尋ねた。彼はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「弟に……正也に聞いたんや。あいつ、よく樹君と未玖ちゃんの話をしとってな。それで未玖ちゃんの弟が、自分の影響でフォワードやってるって言うてたんや。自分がお兄ちゃんの真似してボランチやりたかったんと一緒やわって、嬉しそうにな。――そうや、樹君やなくて、正也から聞いとったんやな。勘違いしとったわ」

「そうやったんですか」

 私は岡安の顔を見た。そう言われてみると、何となく口元が似ているような気もする。

「正也に初めて会ったのは、僕が小学校の6年生になった年やった。正也はまだ小学校に入ったところやったかな。お前には弟がいてるんやって、親父から聞かされて。僕は一人っ子やったし、親父が自分だけのもんやないなんて、かなり複雑な気持ちやった」

 岡安は空を見上げて続けた。

「せやけど、正也に会った途端、そんな気持ちは吹っ飛んでもうた。不安そうな顔で、僕のこと見上げてて。しばらくモジモジしとってんけど、僕がサッカーやるかって聞いたら、めっちゃ嬉しそうに微笑んで……。ほんまに可愛い笑顔やった」

「俺、正也に子供の頃の写真を見せてもらったことがあるんですけど、知らなかったら女の子と間違えそうな感じでしたよね」

 樹の言葉に、岡安は微笑みながら頷いた。そして、少し間を置くと、辛そうな表情を浮かべて話し始めた。

「去年の10月27日。僕はまだケンブリッジにいてたんや。日本時間の午後4時頃やったやろうか。僕の携帯の留守電にメッセージが入っとってな。『今、お兄ちゃんと子供の頃に山菜取りに来たとこにいてる。もう二度と会われへんかもしらんけど、何があっても俺のこと信じてな』って」

 10月27日の午後3時、正也は岩田に会う約束をしていた。その後、一旦逃げ出したという話だったが、その時にでもかけたのかもしれない。

「僕なあ、正也と親父と3人で、比良山に山菜取りに行ったことがあるねん。よっぽど楽しかったらしくて、正也は何回も行きたがって。4、5回行ったかなあ」

 岡安が、懐かしそうな目をして続ける。

「正也が殺人を犯したって聞いて、僕は日本に戻ってきた。そして、真相を探るために三友工業に入社したんや。ちょうど経理を募集しとったからな」

 岡安は前髪をかきあげた。

「三友工業で流されてる正也の噂は、ひどいもんやった。あんまり人付き合いが得意な方やなかったみたいやし、正也には僕が知らん一面もあったんかなって、僕は少し心配になった。せやけど、森野さんや樹君の話を聞いて、やっぱり正也は、僕の知ってる通りの正也やったんやって確信が持てたわ。

 そうなると、ずっと身を隠してるなんておかしいやろ? もしかしたら、もう死んでるんかもしらんと思った。そうやとしたら、比良山の山菜取りをした辺りやろうとも。早く通報せなアカンとは思ってた。せやけど、確信もなかったし、何より自分自身が信じたくなかったんやろな。正也が死んでるかもしらんってことを」

「それなのに、どうして密告を?」

 樹が尋ねる。

「高梨さんが殺されて、正也は殺人犯どころか詐欺グループの一員にまでされてもうて。このままではアカンと決心がついたんや。あいつが死んでいるとしたら、それを受け入れなアカンって、心が決まったっちゅうんかな。それで、一か八かで通報してみてんけど」

 岡安は肩をそびやかして続けた。

「結局は、詐欺グループの内輪もめなんてことになってもうて。ガッカリしたわ」

「合コンに行った時、リオナさんのことを知ってるっていうホステスさんが中に入ってましたよね? あれは偶然やったんですか?」

 樹が尋ねる。

「いや、あれはわざと、リオナさんが昔勤めとったっていうクラブの女の子に声をかけたんや。何か情報が得られるんちゃうかなと思って」

「二つの疑問点を警察に知らせたのも?」

 今度は私が質問する。

「ああ。そうや。何としても、正也の死の真相を掴みたかったからな」

「成功しましたね。こうして、真実がわかったわけですから」

 樹の言葉に、岡安が頷いた。

「ああ。樹君と未玖ちゃんのお陰や。それに、森野さんにも感謝してる」

「森野さん、正也を事件に巻き込んだのに?」

 樹が聞くと、彼は首を横に振った。

「たしかに、森野さんが正也を事件に巻き込んだのかもしらん。せやけど、正也のことやしな。森野さんに頼まれんでも、同じことをしとったと思うねん。せやから、森野さんを責める気にはなられへん。むしろ、自分の人生を棒に振ってまで、正也の仇をとろうとしてくれはって……。感謝するしかないやろ?」

 そして、にっこり微笑んで私達の顔を交互に見た。

「それに、こんなに一生懸命、正也の無実を信じて動いてくれる友達もいてて。あいつはきっと、幸せな生活を送ってたんやろうなってな。ほんまにありがとう」

 岡安が頭を下げた。慌てて樹が岡安の肩に手をかける。

「やめてくださいよ、岡安さん。俺にとって、正也は親友やったんです。俺もずっと、正也に楽しませてもらってましたから」

「そうか」

 岡安が嬉しそうに微笑んだ。

「子供の頃から、年に数回しか顔を見られへんかったからな。それも、母親に隠れてやったやろ? 楽しかった山菜取りの思い出も、今回のことで辛いものになってもうて……」

「そうですよね」

 私は胸を締め付けられる思いで、うつむいた。

「大人になってからは、もっぱら電話だけやったしな。こうして永遠に会われへんようになって、改めて考えてみるとなあ。事情があったとはいえ、もっともっと、色々やってやったらよかったなあって、後悔ばっかりや。あいつにとっては、まったくアテにならへん兄貴やったやろな」

「でも、殺される間際に電話をかけた相手は、岡安さんやったわけですよね? 正也にとって、一番大切な人やったんと違いますか?」

 樹の言葉に岡安が口元を押さえた。目が赤いのは、涙を堪えているからだろう。しばらく黙っていたが、ようやく口を開く。

「そうかな。そうやったら嬉しいねんけどな。あいつが事切れる瞬間、少しでも楽しかった思い出が頭をよぎってくれていたらええなあって、そればっかり思ってもうてな」

 そして、彼は私の方を見た。

「未玖ちゃん。弟なんて、いつの間にか遠くなってしまうもんや。今のうちに、イヤになるほど一緒に遊んでおいた方がええと思うで。歳をとってからも、未玖ちゃんと過ごした楽しい時間を、しっかり思い出してもらえるようにな」

 私は岡安の目を見つめて頷いた。

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