90.女の怒りは怖いもの
しん、とその場が静まり返っていたのはどれくらいだったか。
最初に口を開いたのは、さすがというかアキラさんだった。
「……砦におる黒の中に魔女がおって、捕らえた兵士の精を吸うとるということかえ」
「はい。……全部ってわけじゃないと思いますけど」
「なるほどな。大多数を汚染させて手駒として使うための魔力を、その一部から吸い取って使うってことか」
「そりゃまた……つうか、そんな前例聞いたことねえぞ、さすがに」
俺の言いたいことをアキラさんも、それからグレンさんも分かってくれたみたいだ。それまで誰も思いつかなかったみたいなのは、テツヤさんの態度から明らかで。
何というか、アキラさんも一度だけしか会ったことないみたいだし。そうほいほい出てくるようなもんじゃないらしいな、魔女って。まあ、しょっちゅう出てきてたら予測はするか。
「テツヤ、アオイちゃんに連絡せえ。攻めとる軍やユウゼの子たちまで狙われる可能性が高いぞえ」
「了解。先に行く」
アキラさんの指示に、テツヤさんが軽く手を振りながら駆け出して行った。そのまま、うちの宿舎まで走っていくみたいだな。俺たちは……とグレンさんに目をやると、小さく頷いてくれた。
「ジョウ、俺らも戻ったほうがいいかも知れん」
「はい」
「わしも行くでな。魔女の所業を知っとる者がおった方がよかろ」
「お願いします、アキラさん」
『おねがいしまーす』
アキラさんの好意は、素直に受け取る。遠慮とかしてる場合じゃないってのは分かるし、彼女の言うとおりだからだ。タケダくんが肩の上でぱたぱたあいさつしてるのは、やっぱり元いたところだからかな。卵のときだけど。
さすがに走りはしないけど、早足で宿舎への道を進む。小柄なアキラさんに気を使ってなんだけども、彼女は平気な顔してスタスタついてくる。
この人、実年齢と精神年齢と肉体年齢にどのくらい差があるんだろう。いや、知ってどうしようってもんじゃねえけどさ。
「……そういえば、男は吸われるんだよな。女はどうなるんだ?」
いきなり、グレンさんがそんなことを言ってきた。って、ああ、魔女の話か。でも、その答え知ってそうなのはアキラさんくらいじゃないか?
「精を吸われた男、良うて色ボケ人形と言うたじゃろ。その慰みものになるか、儀式の生け贄になるかといったところじゃったの」
そのアキラさんもはっきり知ってるわけではないようで、ということは実際の被害を目にしたことはあんまりないってことなのかな。旦那さんに手を出そうとしたからしばき倒した相手、ってことだったけど。
……でも。
慰みもの、生け贄。
俺が、なるはずだったものだ。
「いずれにしろ、ろくなことはないわえなあ。お嬢ちゃんには刺激が強かったかの?」
「……ぞっとしませんね」
ぶるっと背筋を震わせる。アキラさん、どこまで俺のこと感づいてるんだろうなあ。中身が男だって分かってても、何となく不思議じゃないなあとは思うんだけど。
にしても、もし砦にいた部隊に女の人がいたら……俺は助かったけど、想像したくもないことになっているんじゃないだろうか。
「駐留部隊に女性はほとんどいないと思う。色恋沙汰で内輪もめになっても困るからな、商売女が時々通ってたはずだ」
そんな俺の妄想は、グレンさんの言葉がバッサリ断ち切った。商売女ってつまり、ハナビさんたちのような人のことか。まあ、野郎ばっかりじゃ溜まるもんなあ。野郎というかそっちに走っても内輪もめになりそうだし、外部にお願いするのは妥当なところ……なんだろうか?
そのグレンさんのセリフを聞いて、アキラさんはふーむと少し考えたみたい。
「そやつらの中に黒がおって、手引きしたのではないかいねえ」
「順当な線だな。そこら辺、いくら何でもチェックはしてるはずなんだが」
「何とかしてすり抜けたんじゃろ」
……アスミさん、みたいな人がいたってことか。確かに、可能性はあるよなあ。ユウゼの街にだって、そういうことがあったんだから。
ああ、しかしやばいよな。カイルさんや白黒コンビや他の皆が、もし何かえらいことになってたら。
俺、すごい魔術師なんだよな? もしかしたら、俺が行ったら何かできるかもしれないよな?
「お嬢ちゃん」
「え?」
呼ばれて、思わず足を止めた。俺を呼んだ人、アキラさんは指先で眼鏡の位置を直しながら、じっと俺を見据えている。……あの目は、怖い。ものすごく生きた人だけが見せる、何というか、鋭い眼光。
「……砦に行きたいなら、やめとおせ」
「え、でも」
「ユウゼの子たちが心配なのは分かるえ。だけど、お嬢ちゃんは魔術師としてはまだまだだわえなあ? だから、カイル坊やも街に残れと言うたんじゃろ」
そう、アキラさんの言うとおりだ。俺は、巡りの物の日にはまだ安定して魔術は使えないし、そもそもマスターしてる魔術もそう多いわけじゃない。うっかり暴発の可能性だって捨てきれない。
だけど、俺が行って何とかなるなら、なんとかしたいのに。
「お嬢ちゃんを行かせるくらいなら、このアキラさんが自ら出るわえ」
「えー?」
「ちょ、ばあさん!」
だからって、そういう提案はないと思うぞ、ネコタ・アキラさん。俺とグレンさんが思わず声を上げたの、おかしくないよな?
つーかろりばーちゃん、あんた自分の生活が大事とか何とか言ってなかったっけ?
「結界はラセンちゃんが行く前に強化しておるし、お嬢ちゃんとタケダくんに任せりゃ半月ほどは何とかなろ。その間に片付けて戻ればええ。わしも、もう少しのんびり余生を楽しみたいからのう」
楽しそうに笑いながらそういうアキラさんの眼光が変なふうに鋭くて、俺はさっきとは違う意味で背筋を震わせた。あー、もしかして黒の連中、怒らせちゃならん人を怒らせたかも。




