84.まっしろ、まっか
「ジョウ!」
「ジョウさんっ!」
『まま! ……あぶないっ!』
「……え?」
顔を上げた途端、目の前でぎんっと金属がぶつかる音がした。一瞬見えた髪は赤い色で、だからグレンさんなんだけど、でも。
今、俺が流した赤いのと、同じような色で。
「ジョウさん!」
すぐ近くで声がして、ぐいと引っ張られた。抱き留められた瞬間、ちょっとだけそいつもぐらついたのはまあ、身体ができてないからかもな。ノゾムくんだし。
「……あ」
『まま!』
肩の上で、タケダくんがうるさい。ああ、でも、何でうるさいんだっけ。
何だろう。さっきから、頭が上手く働かねえよ。
「おい、大丈夫か」
少し離れたところで何かしてたグレンさんが、戻ってきた。大丈夫かって、俺に言ってるのかな。
「ノゾム、あっち頼む。すぐ、誰か来るはずだ」
「はい」
そんなこと思ってたら、グレンさんはノゾムくんに指示を出して、ノゾムくんが離れてった。それから、グレンさんは俺の両肩を掴んで、顔覗き込んできた。
「……初めてか」
「……」
えっと、初めてって、何がだろう。上手く考えられないや。
「おい、しっかりしろ、スメラギ・ジョウ。殺したのは初めてかと聞いている」
「……ころした」
あ。
そういえば、もしかして。
俺、短刀で腹、ザクザクやっちゃったんだよなあ。あいつ、死んだのか。
そしたら、初めてだなあ。
「…………はじめて、です」
だから、そう答えた。答えたら、何かグレンさんの顔がホッとしたように見えた。肩から手が離れて、それから俺の手首を握られた。あ、ざくざくやった短刀、まだ持ったままだよ。
「ほら、短刀放せ」
「え……あ、はい」
言われて、放そうとした。だけど、指ががっちり固まってて、取れない。あれ、何でだろう。それに、何か手、かたかた震えてるし。
「あれ、あれっ」
「取れねえか。しゃあないな、じっとしてろ」
しばらくそんな俺を見てたグレンさんは、小さくため息をついてから両手で俺の手を包み込んだ。しばらく温めるようにそのままにしててくれて、それからゆっくりと、指1本ずつ外してくれた。
手のひらの方が真っ白で、俺どんだけ力入れて短刀握ってたんだろうと思う。でも、その手のひらにつーっと赤いものが、流れてきて。
「……あ」
そうだ。これ、俺が刺した人の血だ。
俺は、マヒトさんからもらった短刀で、人を殺したんだ。ざくざくと、腹を何度も刺して。
俺は、生まれて初めて、人を殺したんだ。
「はー……やっと正気に戻ったか? おい。さすがにお嬢ちゃんの顔ひっぱたくとか、やりたくなかったんだよな」
「へ?」
ひっぱたくって、あー、そういうことか。外から見たら俺、ぼけっとした顔してたんだろうな。
今の今まで、現実逃避おもいっきりしてた、ようだから。
「……済みません」
「気をつけろよ。意識どっかいって殺られたら、そっちのほうが大問題だぜ」
グレンさんはもう一度ため息をついてから、頭をくしゃくしゃとなでてくれた。それから短刀をボロ布で拭いてくれて、「手え拭け」って俺にも布をくれた。慌てて拭くと、やっぱり血で汚れてたんだな、俺の手。
「慣れろっちゃ言わねえよ。だが、忘れんな」
何考えていいか、何言っていいか分からなくて必死で手を拭く俺の耳に、グレンさんの言葉が流れ込んできた。顔を上げるとグレンさんは、困ったように俺を見つめている。
「ジョウのいた世界は、こんなことしなくても生きられる世界だったんだろ。けど、ここは違う」
「分かってる、つもりです……でした」
「ああ」
そうなんだよ。ここはそういう世界だって、俺は分かっているつもりだったんだ。何しろ、目が覚めた瞬間も自分の周りじゃあ殺し合いしてたんだから。
だけど、見るのとやっちまうのとじゃ大違いだ。俺が今までそういうことにならなかったのは……多分、カイルさんや皆がそういう現場に行かないようにって気を使ってくれてたから、って思うのは俺の考えすぎかな。
「覚悟は、できてるつもりだったんです」
「そうだろうな。俺たちは、言ってしまえば敵を殺すのが主な仕事なんだからよ。本来は」
傭兵部隊。雇われて、敵を殺す兵隊。
わかってるはず、だったんだ。




