54.黒の神殿
タチバナ・カイル視点の話です。
一度来たことのある山奥の神殿までは、スムーズにたどり着くことができた。ただ、神殿の周囲には黒の神の信者たちが張り巡らせた結界が展開しており、このままでは入ることができない。
前回来た時よりも強固になっているその結界は、だが俺たちの侵入を阻害する壁には成り得なかった。
「できましたわよ」
「ありがとう」
ラセンの密やかな声に、ほっと胸をなでおろす。いや、彼女の魔術師としての腕には信頼を置いているんだが。
今彼女が完成させたのは、黒の神の神殿を取り囲む結界の破壊と再構築。中にいるはずの黒の信者たちに気づかれぬように、結界の性質を書き換えるものだ。これで黒の神殿は、カサイ・ラセンが構築した結界の支配下に落ちた。
「ムラクモ」
「参ります」
まずは斥候として、ムラクモに先行してもらう。入り口のひとつから音もなくスルリと入り込んだ彼女の姿が、あっという間に見えなくなった。少しだけ間を置いて、俺と部下たちも音を立てないように入り口へと向かう。
反対側からは、ハクヨウと部下たちが同じように進んでくれているだろう。向こうにはラセンの伝書蛇が待機しており、主の魔術が成功したことを知らせているはずだから。
進む先に、数名の黒フードたちが点々と転がっている。喉を一撃で切り裂かれ、声を上げる暇もなく己の信じる神の餌食となっていた。無論、ムラクモの手によるものだ。
「……それなりに、警備は置いているようだな」
「いくらお馬鹿な連中でも、それなりに学習はしますわ」
俺のひとりごとに、ラセンがくすりと肩を揺らして答える。まあ、これで学ばないような馬鹿を相手に苦戦してるなどとは考えたくもないが。
「カイル様。鍵は開けてあります」
前回来た時と同じ、儀式の間の前にムラクモはいた。扉は閉ざされているが、中から黒のおぞましい気配が漏れ出てくるのが分かる。
この前この中に入った時にはラセンとムラクモ、敵を片付けた部下たちの中にスメラギ・ジョウ、彼女がぺたりと座り込んでいたんだよな。
もう、彼女のような被害者を出したくはないものだ。
「隊長。ハクヨウさんたちも配置につきました」
「分かった。タイミングを取ってくれ」
「承知しました。3から参ります」
ラセンの知らせに、小さく頷く。ジョウと彼女の伝書蛇にはまだできないらしい、遠距離間の会話だ。
「3、2、1」
「行くぞ」
0、のタイミングに合わせ扉を開く。飛び込んだ先は儀式の間、予想通り10名ほどの黒の信者たちが円を描き、儀式の真っ最中だった。
「なっ!?」
全員があわあわとあちこちを振り返るのは、仕方のない事だろう。こちらと同時に、反対側からハクヨウと部下たちも飛び込んできているのだから。
「ハクヨウ、ラセン!」
「はいよ!」
「岩の牙!」
俺が名を呼ぶのとほぼ同時に、ハクヨウが白い髪を揺らしながら大剣を振り下ろす。幸い『異邦人』も生け贄もいない魔術陣の一部に傷がつき、それで術式は無効化される。
その上から放たれたラセンの遠慮のない魔術が、儀式の間の床を走る。岩の牙、すなわち岩石を再構築して鋭い牙と成し敵を屠る魔術は、その構築の過程で原材料となる岩を一度破壊する。この場合の原材料は、魔術の陣を描かれた床一面だ。
一部に傷のついた陣はそこを修復すれば再使用できるが、床全体が別のものに再構築されたことで陣の図形は意味を成さなくなる。
つまりラセンは、敵を攻撃すると同時に陣を破壊してその魔術を無効化したわけだ。
これができるのは、一部の高い能力を持つ魔術師だけ。そうでない者が同じ魔術を試みたとしても、魔術陣に蓄えられた魔力が盾の役割を果たし跳ね返してしまう。先ほどの結界の再構築もそうだが、さすがはカサイ一族の若き棟梁、といったところか。
「きさまらァ!」
「おとなしく、人に危害を加えずに祈っていればいいものを」
ムラクモの刃が、黒フードの喉を切り裂く。別の信者が槍を突き出してくるが、それはハクヨウが無造作に掴んで止めた。
「何でわざわざ生け贄殺しにかかるかね」
「人はいずれ死ぬ。それを早めただけだろうが!」
「ならば自分が先に逝け!」
力でもぎ取った槍と、元から己が携えている剣が無造作に2つの心臓を刈り取る。無論、隊長である俺も見ているだけというわけには行かない。剣を振るい、黒の信者の腹から臓物を溢れさせる。
「に、逃げろお!」
「うわああああ!」
倒れた仲間を見て情けなく逃げ出す連中の中に、どこかで見たような顔を見つけた。あれは確か……グンジ男爵の側近として会ったことがあるな。なるほど。
「ムラクモ、そいつを捕まえろ」
「はっ」
その男を指差すと、ムラクモが即座にその背に跳びかかった。あの芸術的というか……微妙な拘束方法は一体、どこで学んだのだろうな。忍びでもああいう形に縛るのは、彼女くらいのようだし。
「むぐむぐむううっ!」
「おとなしくせねば、生殖機能を破棄させる」
ムラクモの脅しに、男の動きがぴたりと止まった。男としての機能を破壊されるのは、さすがに哀れだな。いや、黒の信者に成り果てた以上憐れむものでもないが。
外に見張りと、逃げ出してきた信者を捕らえるための人員を残してあるから、この場にうちの部隊の人間はさほどいるわけではない。だが、ほんの10数分もしないうちに生き延びられたのは、グンジ男爵の側近を除けばリーダーであろうたった1人だけだった。
いや、もう1人。
「ったく。失敗したんですね、このお間抜け」
「黙れ。貴様は俺の命令だけを聞いていればいい!」
「分かっておりますよ、ご主人様」
いつの間にか、リーダーのすぐ横に寄り添うように少女が現れていた。黒のローブは身体にピッタリしたラインで、右目を隠すように伸ばされた前髪の間から艶めかしい瞳がこちらを見つめている。
ジョウはあまり長くない黒髪だが、彼女も同じくらいの長さの髪だ。瞳の色も同じようで、だがその全身から吹き出す黒の気配が、俺たちの動きを止めていた。
その俺たちの目の前で、リーダーは少女の腰に手を回す。こちらに一瞬だけ視線を向けて……笑った。あれは、余裕の笑みだ。
「さあ、帰りましょう。もう目的は果たしたんでしょう?」
「……そうだな。頼むぞ」
「ご主人様のご命令のままに」
少女が、見かけの年齢よりもずっと妖艶な声色で呟いた次の瞬間、2人の姿はかき消されていた。たった今まで、そこにいたのが幻だったかのように。
「……私が、抵抗できないなんて」
ラセンの悔しげな呟きが俺の耳に届いたのは、それからもう少し後のことになる。




